セリヌンティウスの舟
- セリヌンティウス (1)
- メロス (6)
- 仲間を信じるミステリー (1)
- 走れメロス (1)
【この小説が収録されている参考書籍】 |
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点5.33pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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この作者さんらしい「閉じられた空間での心理戦」なのですが状況がかなり特殊です。 | ||||
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登場人物が誰一人自殺以外を疑わないという心理的なクローズドサークル(「場所」では無く「概念」から脱出出来ないという意味で)物。お前ら人良すぎだろとか人ん家で自殺すんなよとか突っ込みどころはあるが、ある意味本格ミステリのお約束を破っているのが面白かった。 | ||||
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この作者の味とも言えますが、 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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登場人物の心理描写を飲食や呼吸とともに叙述する部分は具体的で共感できる。 生活音をふんだんに使っての人物描写は秀逸。 だが仲間たちが展開する自殺者の動機、方法、意図、感情から意志への変遷過程などの議論(推論)の“中継”が、ほとんど室内の定点カメラのレンズのようにひとりの登場人物の視点から描かれ、仲間たち一人ひとりの内的世界も「〜だろうか」と外界から推察するように淡々と描かれる。 彼らの議論の展開はともすれば論理的・弁証的であり、会話の文体もディベートのようなので、よほど討論や弁論が好きな読者でない限り、冗長のため途中で放棄してしまいかねない。 漂流の場面での鳥肌の立つ“クローズアップ”描写と、室内での“定点描写”の落差が作品を途中で飽きさせ、食傷気味になり、推論の論点が散漫になるぶん、読書の集中力が途切れがちになってしまった。 登場人物に人間的・個性的な魅力を感じられないため、作者の書きたかったモチーフだけが先走ってしまい、ストーリーやプロットの詳細が後手に回って付いて行けなかった印象が残った。 | ||||
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これはひどい。死ぬ動機が弱すぎる。と思わざるを得ませんでした。まさに三文小説というところでした。 | ||||
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登場人物がマンションの一室からほとんど動くことなく、いくつかの回想シーンを 除けば、友人の自殺の真相についてのディスカッションだけで成り立っている本作。 信頼がテーマということで、物語上のモチーフとなっているのは『走れメロス』なの ですが、過去の事件の真相を議論するという状況設定は『そして扉が閉ざされた』 を下敷きにしたと思われます。 事件当時、自殺に用いられた青酸カリの入った褐色瓶は、 蓋が閉められた状態でテーブルの上に転がっていました。 そうした些細な事実から「自殺する人間に蓋を閉める余裕があったのか?」、「自殺を 幇助した者がいたのではないのか?」、「そばに友人たちが寝ているのに、取り扱い 注意の青酸カリが入った瓶を、無造作に転がした状態にしておくのか?」など、様々な 疑問が生まれ、それらの疑問を検証するという形で、議論が重ねられていきます。 (個人的には、自殺者がうつ伏せで死んでいたことのホワイダニットが秀逸でした) 作者は、本作の登場人物を、お互いにまったく悪意を持たない善意だけの人間関係に 置くことで、現実ではまずあり得ない、ユニークな動機を描きたかったのだと思います。 しかし、そうした特異なメンタリティを共有する集団が行う議論なので、導き出される ロジックが一般的な良識や倫理からいちじるしく乖離したものとなっているのも事実。 本作では、悪意を捨象してミステリを書くという、異化効果を狙った意欲的な試みが行われたのだ と思いますが、論理に徹する余り、物語としての説得力が失われてしまったのがなんとも皮肉です。 | ||||
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登場人物がマンションの一室からほとんど動くことなく、いくつかの回想シーンを 除けば、友人の自殺の真相についてのディスカッションだけで成り立っている本作。 信頼がテーマということで、物語上のモチーフとなっているのは『走れメロス』なの ですが、過去の事件の真相を議論するという状況設定は『そして扉が閉ざされた』 を下敷きにしたと思われます。 事件当時、自殺に用いられた青酸カリの入った褐色瓶は、 蓋が閉められた状態でテーブルの上に転がっていました。 そうした些細な事実から「自殺する人間に蓋を閉める余裕があったのか?」、「自殺を 幇助した者がいたのではないのか?」、「そばに友人たちが寝ているのに、取り扱い 注意の青酸カリが入った瓶を、無造作に転がした状態にしておくのか?」など、様々な 疑問が生まれ、それらの疑問を検証するという形で、議論が重ねられていきます。 (個人的には、自殺者がうつ伏せで死んでいたことのホワイダニットが秀逸でした) 作者は、本作の登場人物を、お互いにまったく悪意を持たない善意だけの人間関係に 置くことで、現実ではまずあり得ない、ユニークな動機を描きたかったのだと思います。 しかし、そうした特異なメンタリティを共有する集団が行う議論なので、導き出される ロジックが一般的な良識や倫理からいちじるしく乖離したものとなっているのも事実。 本作では、悪意を捨象してミステリを書くという、異化効果を狙った意欲的な試みが行われたのだ と思いますが、論理に徹する余り、物語としての説得力が失われてしまったのがなんとも皮肉です。 | ||||
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石持浅海さんのストーリーを、質素な段ボールに入れられた宝に例えた人がいる。 そう、この話は設定が極めて地味である。 自殺者が出る。 そうしてその理由を、とある一部屋でみんなで語り合う。それだけである。 自殺は揺るぎない。場所もほとんど移動しない。回想シーンはあるが、基本、時間軸の移動もほとんどない。 ダイビング中の事故で、海に取り残された6人は手をつなぎ、円になって浮かんで脱落者なく、救助される。 その事故を経て、ほとんどお互いを知らなかった6人の絆が強まり、たびたびダイビングに行くようになる。 そんなダイビング後のある夜、一人の家で雑魚寝をしていた6名のうち、一人が青酸カリによる自殺を図る。 自殺として処理されたその一人の思い出を語るうち、小さな疑問が生まれる。 その疑問は次第に大きくなり、それぞれが自殺の方法と、幇助者の存在を考え始める。 お互いを信じ合いながら、しかしその自殺の理由と幇助者を理解しようとする仲間たち。 はたしてその、結末は。 この地味なストーリーが最後に、セリヌンティウス、メロスという単語を軸に、論理的に解明される。 人が死ぬという状況を前に、いがみ合い疑い合うのではなく、お互いを絶対に信じるところから始める、その結末には、驚かされる。 ・・・・しかし・・・・ 青酸カリが入れられていた瓶の、螺式のキャップが巻かれていたところを前提としてすべての推理が始まるんだけど・・ キャップ式にすれば、いいじゃん。 あ、それも、わざと推理させるための誤謬なの? いやでも、そこ、まっさきに議論されるとこじゃないの? なんつってちょっとだけ気になったので、マイナスイチで。 | ||||
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