あの夏、エデン・ロードで
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あの夏、エデン・ロードでの総合評価:
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帰省の折に、昔購入していた本書を実家で見つけ、帰りの飛行機の中で読んだ。 私の偏見でしかないが、外国作家の小説はそれなりに本国で売れていて、質も 高いと思っている。外国語(本書では英語)を日本語に訳すその苦労も大きいだろ うし、作者から版権を買うその値段(嫌らしい言い方ですが)というハードルもあ る。 ということでそれなりに期待して読んだが、全く面白くなかった。 ストーリーも凡庸(というかストーリーらしいストーリーもない)。 ただ、夏の日に自動車事故の原因を作った少年が、少しずつ追い詰められて、 次第に恐怖の物語の中に投げこまれる。その恐怖が恐怖としてほとんど伝わって こない。「形のない恐怖」ならいいが、本書は「恐怖しない恐怖物語」でしかなかっ た。作者が自分勝手に「こう恐怖を描いたら、読者にはうけるだろう」と思い込み、 子ども向けレベル(という言い方は子どもに失礼ですが…)の「習作」を上梓しただ けのもの。 ドキドキ感もなく、勝手に物語が進んでいくだけの展開。 またこの手の「ホラーもの」「恐怖小説」には、スピード感や疾走感が不可欠であ るのに、ストーリー自体が面白くないために、べたっとした流れが澱んでしまい、 ページを捲っては溜息が出た。 次はどうなるかの期待も裏切られてばかりだった。どこか良いところを探そう としたが、どこにも褒められるところはない。 結局、飛行機内で読んで、処分しようと思い鉄道の駅文庫に寄贈した。(借りて 読んだ人がいたらすみません)。 かなり気になったのが、「マヒ男」という表現。これはアウトの表現でしょう。 いちいち言葉尻をとらえるつもりはないが、あまりにも差別的ではないか。脳に 損傷を受けた人への侮辱ともとれる。これでよく出版社が訳出することを許した とびっくりした。障がいを示す言葉など、気安く使うべきではない。 この作者は、下あごを痛めた少年をただおぞましく描写したり、怪我をした女 性を「網目模様の女」と呼んだりしているが、言語感覚がおかしい。これもたまら なく嫌だった。恐ろしく表現したいとの思いから、おぞましい言葉を選んだのか。 背景も凡庸。「タバコ・ロード」(コールドウェル)に代表される、プアホワイト の生活を基盤として、「スタンド・バイ・ミー」(S・キング)をミックスしたよう な小説。この二つを足して十で割って水割りにしたら、このような面白くない小 説ができました。 全くおすすめしない。 | ||||
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ダークなサイコ・ミステリーを描かせたら天下一品のイヤミス派作家グラントが放つ前作を超える怪奇と戦慄の第2作です。近年の日本で注目を集める造語イヤミスのジャンルの作家には昔から女流が多かったですが、著者は男性の新人では群を抜く実力の持ち主で決して万人から好かれる作家にはならないでしょうけれどその職人気質の作風は捨て難く真に貴重な存在だと思いますね。私見ですが著者の作風はホラー作家のジャック・ケッチャムに近いかなと思いましたね。 10歳のカイル少年は家の近くのエデン・ロードを自転車で疾走していた所、危うく車と衝突しそうになった。やがて横転した車から血まみれの若い女が出て来て、怖くなったカイルは背を向け一目散に逃げ出したが、何とも不思議な事に翌日行って見ると事故の痕跡が完全に消え失せていたのだ。 著者の処女作「いたって明解な殺人」はトリッキーな法廷ミステリーと心理サスペンスをミックスした快作でしたが、本作には複雑なトリックこそない物の異常さと残酷さが遙かにパワーアップした身の毛もよだつような戦慄の物語になっています。「網目模様の女」と「マヒ男」がどういう関係なのか?は、途中で保安官補のデイナが失踪女性の行方を追う描写がヒントになって薄々からくりがわかって来ますが、今回も人間の持つ残虐な性質が痛いほどにこれでもかとばかりに描写され胸が悪くなりむかついて来ますね。でも著者は幼い少年カイルが醜悪な大人にやられっ放しにはせずに、小さくてもさすがに男だけあると思わせる逞しく強烈な反撃のドラマを終盤で一気に爆発させて、読者のモヤモヤした気分を吹き飛ばしてくれます。そこでの液体「ドラノ」の恐ろしくてえげつない使われ方はちょっと忘れられそうにないですね。ここまでならば恐ろしい記憶も何時かは癒えて明るい未来に転じる希望のドラマになりそうなのですが、前作でもそうだった様に著者は100%ハッピーエンドの物語には絶対してくれませんね。元気の印のはずの「ワンダー・ウーマン」の人形が何とも痛ましく哀しい形見の様に胸に迫るラストにしなくても良かったのではとも思いますが、それが著者の流儀だから仕方ないのでしょうね。著者は今後もイヤミスの王道を歩み続ける事でしょうし、どうしても好きになるのが難しい作家なのは変わらないとは思いますが、私としては(理由を述べるのは甚だ難しくはありますが)見放さずにとにかくこれからも注目して読んで行きたいと考えています。 | ||||
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ある夏のアメリカで少年が事故に遭遇しそれがもとで・・・というお話。 本書に関しては作品の要諦に触れないとなにも書けないので以下の文章は本書を読んでから読んでもらいたいです。 事故で負傷した女性が近くに住む身体障碍者の殺人鬼に監禁される、言ってみればキングの「ミザリー」みたいな監禁ものサスペンス。そこに同じくキング「スタンド・バイ・ミー」のような長閑な田舎町に住む少年の成長を絡めて、猟奇趣味と爽やかさのメリハリをつけて描いた、個人的にはあまり読んだことのないタイプのミステリ。青春小説、ビルドウィングス・ロマンの爽やかさと鬼畜系サイコスリラーのキモさのその相反する二つの要素をハイブリッドしたところにこの小説の特異性や長所があるように思えます。両方の要素でかなり性質の異なるジャンルですが、あまりギクシャクしたり違和感を感じさせずに不思議に統一感がとれているところに著者の筆力を感じました。 が、女性を監禁する殺人鬼の犯行動機が不鮮明か単なる凡庸な狂気に還元されていたり、少年の視点の瑞々しさもありきたりだったりして多少物足りないものを感じたのも事実です。監禁の部分も前述の「ミザリー」やアームストロング「魔女の館」に比べると少し落ちると思わざるをえません。 ですが、著者は筆力のある人らしく、読んでいる間はとても面白かったのでこれからに期待したいです。これからの飛躍を願って★一つおまけにしました。蛇足ですが、昔ハーマン・ローチャーの「ジニーとベン」という小説をジャケの爽やかさで読んでみてなんだこりゃ〜と思ったことがありますが、それと近い読後感でした。 | ||||
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不安感をあおる謎の女の独白から突然始まる。 <染みで汚れた鏡に映る顔をながめた。> 男はなぜ金を払ってまでヤク中の自分とセックスしたがるのか。50女に見える37歳の女と。そしてつらい過去が蘇り、朦朧とした頭でドラッグストアのレシートに短い言葉を書きつける。 ジョージア州エデン・ロード。少年が立ちすくむ。目の前で車が転覆し、乗っていた女が不気味な赤い血の網目模様をした顔で立っている。少年に近ずいてくると、指先から血が滴り落ちよく見ると指には爪がなく <神経と肉がぐしゃぐしゃになったものが露出していた。> 少年の名はカイル・エドワーズ。4人兄弟の3番目で10歳になる。彼の下にはいつもプラスチック製の「ワンダーウーマン」を、お守りのように抱いている7歳のグレースがいる。 カイルの日常は二人の兄に相手にされず、いつも妹と遊んでいた。 物語の前半は彼らの日常を細かく描いていく。怒ると半狂乱になる母ルイーズ、母親に対して粗野なだけの父ボイド。そしてエデン・ロードの向かい側に住む体の不自由な男エイハーン。事故の夜、家を訪れた女性警官デイナ・ターピン。 描かれる事件は1976年に起きたことでありこの年が彼らにとって大きな転換点であったのだ。 76年はヴェトナム戦争も終わり、ウオーター事件も終結をみた。 <その年は、誰もがアメリカはいい国だと思っていた。> しかしカイル少年一家にとっては最悪の悪夢の始まりだった。冒頭でおきた車両事故の被害者女性が行方不明となっていたのだ。さらに過失による事故がかさなり、ついには恐怖のどん底に落ち込む事件が起きてしまう。サスペンスあふれる展開と黒人女性警察官の追及で意外な犯人が暴かれていく後半は息もつかせぬ面白さだ。 そして「エピローグ」が最大のショックをあたえる。 その後の人々の不幸な境遇と冒頭の謎がすべてあかされるとき、読む者に胸がつまる思いをさせるのだ。すっかり様変わりしたエデン・ロードでカイルが見たものとは。実に痛切であり涙なくしては読めない。 本書は思春期の驚きと不安と哀しみを見事に描き出した傑作である。 物語の中でも語られるが1976年にイーグルスが「ホテリカリフォルニア」をリリースした。 <歌われたのが荒廃と絶望であることからすれば(略)その曲には誕生以来二百年を過ぎたアメリカが、その先に目を向けた時に感じた気分があらわれているようだった。> この曲の歌詞には様々な解釈があるようだが、著者ジャーキンスはこの小説を書くに当たり曲にインスパイアされた部分が大きいと思う。 物語の中でも<その少年が成長し、大人の目を備えた時、自分の人生を分ける一本の線があったことに気付くことになる。>と言いラストでは彼がまたエデン・ロードに戻ってきて結末をみるからだ。 「ホテルカリフォルニア」のラストフレーズ 私が覚えている最後のこと 私がドアに向かって走っていた 私は私が前に居た場所への道路を見つけなければならない 「リラックスして」と夜警の男たちは言った 私たちは補助のための要員です あなたは好きな時にチェックアウトできます しかしあなたは二度と立ち去ることはできません! (マジックトレインブログ admin氏訳) 本書に付された杉江恋松氏の「解説」は必読の名解説である。 | ||||
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厭ミスとかダークミステリとかいった惹句が出版社によって貼られているが、残ったのはおぞましさではなく哀しさだった。 物語全体を貫く淡々とした回想的・俯瞰的語り口が纏う感情は、涙が乾いた後の少し投げ遣りな優しさに似ている。 中核となる出来事は最悪だが、作者が伝えたい主題はそこにはない。ケッチャムみたいな見世物小屋もどきのクズとは全く違う。 大切なものがある。人それぞれ、様々だろうが。それを伝える為にこの作家はこんな逆説を使わなければならなかったのだ。 ラストシーンが決定的。この余韻は半端ではない。 | ||||
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