覇王の番人
- 織田信長 (72)
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点10.00pt |
覇王の番人の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
全1件 1~1 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大河ドラマの影響もあり、12年ぶりに再読。光秀に関する研究も進み、またドラマや小説などの本を読んできたこともあり、より内容が鮮明に理解できた。改めて真保さんの筆力に感服。 | ||||
| ||||
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本日受け取りました。 ありがとうございました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦国武将の空気感がすごい!戦国の世は、現代の常識では計り知れない別世界なんだということに、あらためて気づかされた。 光秀の武将としての描かれ方にゾクっとしてしまった。鍛錬により研ぎ澄まされた気を持つ武将たちは、超能力者レベルだったのかと思う! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
コロナでテレワークとなったのを機会に、明智光秀関係の書籍を60冊ほど買い込んで読破した。 折しもNHKの大河ドラマ化で、夥しい数の光秀本が出版されている。 面白いものも多々あったが、長編小説の中では2008年に出されていたこれが一押しである。 後編の山崎の合戦から天海と家康のやりとりまでは何度も何度も読みかえした。言葉が弾んで胸に迫ってくる。言葉のやり取りで気持ちをあぶり出す技(わざ)はさすがである。 2008年の時点で、細川家に残されている本能寺の変の後光秀が細川藤孝に当てたと言われるあのちょっと情けない文書は、花押が違う時期のものなので偽物だろう、と言う話が出ていたと分かったのも面白かった。 あのような情けない内容の文書は、光秀ファンにとってみれば、是非偽物であって欲しいものである。 このような面白い本は、もっとどんどん読まれて然るべきである。文庫本化も2011年なので、宣伝のチャンスとしてちょっと時期外れになってしまうが、大河ドラマに託けて何か広報できないものだろうか。 タイトルに光秀という名前が入っていないのも目立たない理由のひとつかもしれないので、このようなことが許されるかどうかはわからないが、改めて世に問うチャンスがあるならサブタイトルをつけ、そこにはぜひ光秀という文言を入れるといいのではないだろうか。 それと、1点とても気になることがある。 ここに出てくる若い武家が何者なのか一番最後になって謎が解けるのだが、細川家の若様であることがあかされる。 (種明かしをしてすみません。でも分かっていても、内容の面白さを損ねることは全くないと思うので、許してください) なぜ?しばらく考えてやっと合点がいった。細川家の若様だったら、光秀の孫だからである。 そこで初めて、光秀につき従っていた小平太を訪ねてきて根掘り葉掘り聞き出そうとする理由に合点がいくのであるが、そうすると構成が変である。 光秀が天海であったことを、小平太が若殿から聞いて知るというのは変である。逆でなくてはならないだろう。 小平太が、最初そんなことは絶対にあり得ませんと否定するところはそのままで構わない。最初はあり得ないと思ったが、本当であることがわかった、で全然構わない。 そうでないと、すでに光秀が天海であることを知った若殿が、なぜわざわざ小平太のところに来る意味があるか。 ここで初めてそのことを知るという筋立てでないと、話がとおらないだろう。 ちなみにこの若殿は、孫のうちの誰になるか、綿考輯録に先立つこと100年も前に既にいくつかの関係史書を編纂した分家宇土藩の若様かもしれない、などと考えるだけでも楽しいかもしれない。 もうひとつガラシャの侍女だったシモのことであるが、シモはれっきとした武士の出で、あの田中城城主比良内蔵助の妹という説もあるようなので、文字が書けないの話はないのではないかと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
(先ほど前巻の「レビューを送りましたが、恋半まで読んでのレビューなので、こちらの方にも同じレビューを入れます。) コロナでテレワークとなったのを機会に、明智光秀関係の書籍を60冊ほど買い込んで読破した。 折しもNHKの大河ドラマ化で、夥しい数の光秀本が出版されている。 面白いものも多々あったが、長編小説の中では2008年に出されていたこれが一押しである。 後編の山崎の合戦から天海と家康のやりとりまでは何度も何度も読みかえした。言葉が弾んで胸に迫ってくる。言葉のやり取りで気持ちをあぶり出す技(わざ)はさすがである。 2008年の時点で、細川家に残されている本能寺の変の後光秀が細川藤孝に当てたと言われるあのちょっと情けない文書は、花押が違う時期のものなので偽物だろう、と言う話が出ていたと分かったのも面白かった。 あのような情けない内容の文書は、光秀ファンにとってみれば、是非偽物であって欲しいものである。 このような面白い本は、もっとどんどん読まれて然るべきである。文庫本化も2011年なので、宣伝のチャンスとしてちょっと時期外れになってしまうが、大河ドラマに託けて何か広報できないものだろうか。 タイトルに光秀という名前が入っていないのも目立たない理由のひとつかもしれないので、このようなことが許されるかどうかはわからないが、改めて世に問うチャンスがあるならサブタイトルをつけ、そこにはぜひ光秀という文言を入れるといいのではないだろうか。 それと、1点とても気になることがある。 ここに出てくる若い武家が何者なのか一番最後になって謎が解けるのだが、細川家の若様であることがあかされる。 (種明かしをしてすみません。でも分かっていても、内容の面白さを損ねることは全くないと思うので、許してください) なぜ?しばらく考えてやっと合点がいった。細川家の若様だったら、光秀の孫だからである。 そこで初めて、光秀につき従っていた小平太を訪ねてきて根掘り葉掘り聞き出そうとする理由に合点がいくのであるが、そうすると構成が変である。 光秀が天海であったことを、小平太が若殿から聞いて知るというのは変である。逆でなくてはならないだろう。 小平太が、最初そんなことは絶対にあり得ませんと否定するところはそのままで構わない。最初はあり得ないと思ったが、本当であることがわかった、で全然構わない。 そうでないと、すでに光秀が天海であることを知った若殿が、なぜわざわざ小平太のところに来る意味があるか。 ここで初めてそのことを知るという筋立てでないと、話がとおらないだろう。 ちなみにこの若殿は、孫のうちの誰になるか、綿考輯録に先立つこと100年も前に既にいくつかの関係史書を編纂した分家宇土藩の若様かもしれない、などと考えるだけでも楽しいかもしれない。 もうひとつガラシャの侍女だったシモのことであるが、シモはれっきとした武士の出で、あの田中城城主比良内蔵助の妹という説もあるようなので、文字が書けないの話はないのではないかと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦国史上においても人気のある題材のため、誰もが結末やそこに至る部分の粗筋を知っている。 秀吉が山崎で光秀を破り天下人になったこと、細川藤孝、筒井順慶等が参戦しなかったこと、細川ガラシャの行く末。 それらすべてを知っているからこそ、先が読めるミステリであり、謎解きのような観点ではそれほど楽しめる作品ではない。ただ、慈悲の深い武将として描かれる光秀を中心に織り成される人間模様こそ、本書の最もおもしろい部分と思う。 結末を知っているが故に、それ以上ページをめくりたくないような感覚にとらわれるが、読み終えてみれば爽快な作品である。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 19件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|