静かなる天使の叫び
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<死んだ少女たちが列をつくり、天使の翼を待っている地だった。 ここはオーガスタフォールズ、わたしの心の故郷だった。その心は張り裂けていたが。> 1939年、ヨーロッパでは第二次世界大戦がはじまった。 同じ年<わたし>ジョゼフ・カルヴィン・ヴォーンはアメリカ、ジョージア州の故郷で一枚の羽根を見た。死に神が音もなく訪れ、すべてが変わったのはその日からだった。 この物語は1939年から1967年までの30年間、歴史の暗黒面を暗喩するかのように<わたし>が語る波乱と苦悩に満ちた人生を詩情豊かに壮大なドラマとして描く巨編である。 1941年太平洋戦争が始まった年。世界は二つに割れて戦いが始まった年。 三人目の少女の惨殺死体が発見される。殴打され、裸にされ深い切り傷はまるで真っ二つに切断しようとしたかのようだった。見つかったのはドイツ人で大地主、ガンサー・クルーガーの地所のはずれだった。 真珠湾攻撃もヨーロッパの虐殺もアメリカの外の戦いだったが殺人事件は違った。遠くの戦争よりも身近でおきた大量殺人の方が恐ろしいのだ。 苦く暗い噂をいくつも聞く。戦争の噂ではドイツ人がユダヤ人に対して、どういう仕打ちをしているのかが恐ろしげに語られていた。 しかし身近では3年間に五人の少女が惨殺されたという事実があるのだ。 いわれもない風聞が、他人に偏見のなかった人々に悪意や反感を吹き込み始めた。 やがて母は正気を失っていく。 各地に拡大していく少女虐殺事件で捜査にあたるディアリング保安官は、いつ見ても消耗している様だった。 1947年。トルーマン大統領が世界的な反共政策を宣言し、冷戦という戦争が始まった年。 19歳の<わたし>は過去に自分はどんな罪を犯したのかというほどの罰を受ける。 1950年。新しい人生を始めようとニューヨークで生活を始める。 50年代のアメリカは、空前の物質的繁栄を享受する一方、反共キャンペーンをはじめとするマスヒステリーの温床になっていた。 しかし新天地と思われた場所で、小説家をめざす<わたし>はある日、自分の世界が滅び、崩れ落ちていくのを感じる。あまりに不条理な世界に落ちてしまったのだ。自分は多くの人々に死をもたらした死に神だったのか。 <過去がニューヨークでわたしを見つけ出した。>のだ。 時代は赤狩り、密告、自殺、暗殺、冤罪、監獄。 悪夢のようなベトナム戦争の泥沼の中であがいているアメリカでは内でも外でも大量の殺人が続いていた。 そして<わたし>が、死をアメリカ中にまき散らした悪を追いつめた時、アメリカはベトナムで追いつめられていた。 ベトナム戦争終結後、現在に至るまで多くの地で戦争は起き、多くの人々が犠牲となっている。我々のまわりでもいたるところで小さいかもしれないが、巨悪な殺人犯はいずこからか現れ、大量の死者を出しているのが現実なのだ。 物語はまだ終わっていない。 この小説の主人公<わたし>は小説家となりこれからも語り続けていくのだ。 <読者を小説世界へと引き込む文学的な饒舌さ>(解説)を持つ必読の傑作である。 | ||||
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第二次世界大戦をはさんだ時代を背景に、ジョージアの田舎町で起きた少女連続殺人事件が何年にもわたって主人公の少年ジョセフに影を落とし、考えられないほどの試練に耐えて、とうとう作家としての道にたどりつくのですが、ひどい話の連続です。ミステリーとして読むと、ちょっとね?というところもあるのですが、上下巻ともぐいぐい引っ張ります。少年は、父親が亡くなり、母親と二人暮らしなのですが、この母親というのが、複雑なキャラクターです。犯人探しをしながらも少年が大人になり、町を出てニューヨークで作家を目指し、話は大きく展開していきます。登場人物のかきわけや、ニューヨークの街の表現に、なんとなく、アメリカ人じゃないセンスが見えるような気がしました。ジョセフはよくこの人生に負けなかったと変な所に感心しました。 | ||||
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ミステリの要素もさながら、人間の成長や葛藤といったドラマが強く前面に押し出されカタルシスを生み出す本書には、J.エルロイの「ブラック・ダリア」やジョン・ハートの作品に通じる部分があり、その一方で主人公達の成長を描く部分ではS.キングの「スタンド・バイ・ミー」にも通じる作品だと思う。 ゆえに、それらの作品が好きな人には、非常にお薦めしたい。 逆に、トリックを楽しみたい、あるいはもっと明るく、楽しいエンタテイメント性を求める人には、やや不向きかと思われる。 その点、R.J.エロリーの次回作であるA Simple Act of Violenceはもう少し、スリリングでエンタテイメント性が高く、同時にこの作者の特徴である、中心人物の心の闇や葛藤を前面に出す点も変わりがないので、本当ならそちらもお薦めしたいところあるのだが、いかんせん翻訳が存在しない。個人的には、是非待ち望まれるところなのだが…… | ||||
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不幸な影を背負った少年の成長の物語として読めば、非常に示唆に富んでおり、オースターのようなアメリカ文学に通じる格調高い文学性を有していると思う。 ただ推理小説・クライムノベルとして読むと、かなり荒っぽいし消化不良を起こしそうな感じ。 状況から犯人は簡単にわかってしまうし、犯行動機、その背景等全く語られることなく終わってしまうので、犯人の行動や人間性についての説得力がまるでない。その意味でこのエンディングは非常にまずい。 折角丁重に主人公の心理を描いて見せたのだから、犯人の側からも丁重に描いて見せてほしかった。 どういう風に読んでいくかで印象が変わってしまうような小説だと思うが、全体としては自分は面白い小説だと思いました。 | ||||
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講談社の文庫情報誌『IN★PCKET』の’09年11月号「文庫翻訳ミステリー・ベスト10」で「総合」第6位、「翻訳家&評論家が選んだ」部門第2位にランクインした作品。 ‘わたし’ことジョゼフ・カルヴィン・ヴォーンは、第2次大戦前のアメリカ南東部ジョージア州の田舎町で母親とふたりで暮らす少年。やがて彼の周囲で少女連続殺人事件が発生、それによってトラウマを負った‘わたし’はさまざまな苦悩を抱えながら成長してゆく。 物語は、‘わたし’の一人称多視点で、まもなく12才になろうという1939年から、中年の域に達する1967年までの約30年にわたる数奇な半生を切々と綴ってゆく。そこには、幼馴染みたちとの行動、ヴォーン家の隣人のドイツ人一家、ヴォーン家の長年の友人ライリーとのふれあい、精神を病んだ母親の問題、若くしての女性教師との恋愛・結婚と悲劇、そして作家を志してニューヨークで過ごす日々、新たな親友と恋人との出会い、さらには‘わたし’を襲う絶望的運命。少女連続殺人事件を横糸に、これらの出来事が縦糸となって、重厚な小説世界が展開されてゆく。 サスペンスや謎解きの要素もあれば、瑞々しい青春小説の要素もあるし、第2次大戦の戦況やヴェトナム戦争、ケネディ暗殺といった史実をてらした年代記の要素もある。結末に至って、30年にわたっておよそ30人もの少女たちを惨殺してきたサイコな真犯人との対決があるが、そこに至るまで、シリアルキラーの影に心をかき乱される‘わたし’の心の軌跡が、いわくありげな断章を間に挟みながら、内面奥深くに進みこんでいくように述懐されている。 本書は、圧倒的なリーダビリティーを持った、この先もいつまでも読んでいたいと思わせるような読書の愉悦を与えてくれる、ミステリーという範疇におさめるのがもったいないような文学性豊かな作品である。 | ||||
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