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国境の南、太陽の西
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国境の南、太陽の西の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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相変わらずの「僕」のやりたい放題。 内向的、ジャズが好き、一人エクササイズ好き。なのに女に困らない。そして勝手に周囲を巻き込み、一人カタルシスを起こしつつ、不思議に最終的にハッピーエンド。 でも、こんな「僕」に私は憧れていた気がします。 ・・・ 高度経済成長期前後。当時めずらしかった一人っ子の「僕」、ハジメ。小学校でおおよそ例を見なかった一人っ子にあって、唯一の一人っ子が、転校生の「島本さん」。子どもながらに「僕」、は彼女の中に「僕」だけにとってある場所・何か、運命的な何かを感じる。 別の中学校にそれぞれ進学し、彼女のことを思いつつ平凡かつ面白みのない中高時代を過ごす。高校で「イズミ」という彼女を作り、大々的に傷つけ、東京の大学へ進学。鬱々とするなかで、有紀子と出逢い、結婚。面白みのない教科書編集社をやめ、義父のサポートでバーを開業。 独立が軌道に乗るさなか、「僕」はとうとう「島本さん」との再会を果たしてしまう。「島本さん」に没入する「僕」はその後。。。 ・・・ で、本作、ごくごく簡単に、誤解を恐れずに言えば「僕」の浮気の話です。それ以上でも以下でもない。気がします。 「僕」も「島本さん」も、心中死の予感を漂わせつつ、かつそれに抵抗もせず、自らを修正できずに互いに没入する様子は、人に惚れたことがある方なら理解できるかもしれません。歯止めが効かない。 ・・・ 考えさせるのは、「僕」の奥様「有紀子」の対応だと思います。 最終的に元のさやに納まる結末ですが、彼女は旦那をどうやって受け入れるのか。その心の動きは「僕」中心の視点で描かれる本作で、はかりようがありません。もちろん楽しいはずはありません。 察し想像するだけで陰鬱になりますが、気楽なのは男だけだなあ、という気持ちもふつふつと湧いてきます。 ・・・ ということで久方ぶりの村上作品の再読でした。 不倫や浮気はかつては男の甲斐性などと言われたことが有りましたが、今は個人の話では収まらない感すらあります。社会から叩かれる。 というより、これだけ自由な世にあって、受け止める関係を続ける方の傷の深さよ。 私は勝手に「有紀子」のその後が気になりました。 皆さんはどういう感想を持たれるのでしょうか。 | ||||
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文章が上手でグイグイ読まされたが、男のナルシズム小説という感じで、女の私からすれば「こんな女いるかよ」とツッコミどころ満載だった。 イズミは高校生のときに男に傷つけられたからとはいえ、その傷をアラフォーになっても待ってるなど到底ありえない設定。大体の女はそんな男のことはゴミ箱に捨て、いい男と結婚してるのでは。 島本さんも12歳のときの初恋の男を思い続けるというだけでもないのに、初めて結ばれるときの描写も男目線のファンタジーすぎて、なんだかなぁ。 大人になってからの島本さんもイズミもハジメくんの妄想で、実在しないんじゃないか? でも、男心の勉強になったので、読んだ甲斐はありました。 | ||||
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春樹らしい物語展開。パラレルワールドが意識されている。そこにあった白い封筒が消える。忽然と現れ、去っていく島本さん。夢か幻か。リアルな性描写が空虚な実在感を与える。 お気づきだろうか。この作品では、3度、「我々は」という、文脈からも、作品世界からも異質なメタ言語が使われている。「僕達は」ではない「我々は」だ。作品の外部からの自己言及が、3箇所ある。流れるはずのナラティブを一瞬断ち切るこの違和感は最後まで解消されない。その意味で、この作品は不完全だと思う。 | ||||
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いつも別れた恋人に恋焦がれて、今目の前にいる彼女を気づつけてしまう男の物語に感じました。2021年ではいわゆる不倫男として叩かれるような男だと思います。もしくは、家庭では存在感のない父が、心のなかの願望として過去の淡い恋を思い出して、つらい現実を乗り越える物語と考えると2021年の現代ではリアリティがあります。1980年代から時代は変わり男の存在が変化して、いまではこのような恋は世間では認められないような事ですが、当時は淡い恋物語だったのでしょうか?もしくは、自分が年をとったということなのか、、、と考えてしまいました。 | ||||
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読みやすくスラスラ読了。エンターテイメントとしては面白くたのしめた。 でも深みがなく、主題は何だったのか、何が言いたかったのか、がもひとつわからなかった。 | ||||
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40手前の男性が初恋の女性と出会って今の家庭を捨てその女性と堕ちようとするがうまくいかなかった話。超現実的なことは起こらず、どこかありそうな話。 ただ主人公は超村上春樹的:人生に対してやる気はなく、すべてに諦めており、ただなぜかアッパーミドルな生活(青山に住みBMWに乗る)を送れてしまい、女性との性関係は不足していない 中学・高校時代に本当に惹かれる人がいたならもっと感情移入できたのかもしれない。 | ||||
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物語の主人公である 僕は 1951年生まれだ。 「一人っ子」という境遇を 救い上げる。 読みながら 既視感 があるのは 同時代を過ごしたからか それとも ムラカミハルキの世界に親しんだせいなのか、 よくわからないが ぼんやりと その時代が 浮かんでくる。 小学5年生の終わり頃に島本さんという足の少し不自由な女子が 転向してくることで 5年生の僕は ちょっと変な気分となる。 家が 目と鼻の先ということで クラスでは 隣の席で一緒に帰ったりして、 島本さんの家にお邪魔してレコードを聞くのが楽しみ。 リストのピアノコンチェルトが 僕にはお気に入りの曲になった。 一人っ子 同士の会話 すすむ。 島本さんは 僕に聞く 『自分にもし兄弟がいたらって思うことある?』 5年生の会話とは そんなもので始まるのかもしれない。 島本さんは 大人びていて、僕は 子供のまんま。 彼女は 一度だけ 僕の手を握った。 『こっちへいらっしゃいよ』といって、 それだけのことであるが、僕はそのわずかな体験がとても甘くセツない想いになっている。 そんな風に 「国境の南、太陽の西」は はじまるのだ。 異性に対する 想いが どこから来て どう始まっていくか わからない 時期の 不思議な感覚は、一体 私にとっても どんな風だったろうか? そんなことを 想い出させる。 | ||||
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やっぱりいま読みますと、時代を感じます。バブルの名残りがありますね。この物語は、ハジメちゃんが、女を食い物、というか乗り越えてというか、犠牲にして大人の男に成長しました、という話なんでしょうか。あの二人の女性たちはどうなってしまったのか。これで終わり?という感想でした。いつかまた読めば印象も違うのかもしれません。 | ||||
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果たしてこの小説、作者はあらかじめ構成・展開を決めた上で書いたのでしょうか。 何となくジャズのインプロヴィゼーション風に、筆行きに任せて書いたような印象を受けます。 そうであれば、島本さんやイズミとの関わり合いや、物語の着地の仕方に納得できるのですが、、、 いずれにしても、作者特有の喪失感、虚無感が漂う作品でした。 | ||||
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主人公は青春時代に浮気をしてしまい、付き合っていた彼女をひどく傷つけ、また、自分が不完全な人間であり、何かその欠落したものが出現すると、それを手に入れて完全な自分としたいあまりに不道徳なことさえも犯してしまう悪人となり得ることを知る。その後も主人公は不完全な自分を満たす何かを求め続けるが、手に入れたものはどれも不足を埋め合わせられない。結果、喪失を補うものは幻想であると失望する一方、過ちを犯した青春時代の呪縛が心の中で増していく。 タイトルの「国境の南」は幻想であり、「太陽の西」は幻滅である。幻想を現実のものとして手に入れるのか、それとも呪縛に屈して幻滅してしまうのか。緊張感が最高潮に達して大団円を迎える。 主人公の一人称の語りは幻想追求を免罪符にした主人公の懺悔の印象が拭えないが、作品の展開は秀逸である。 | ||||
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以前読んだことがあるのですが、どんな内容だったかほとんど忘れてしまい、気になってまた手に取りました。 村上春樹の本は全部読んでいます。 エッセイ、紀行文、小説、ノンフィクション、読者とのやりとりをまとめたネット本、たぶん全部読みました。 私はそれくらい村上春樹の作品が好きです。 氏が国分寺で開いていたビルの跡地も見に行ったことがあります。(何の変哲もないふつうのビルでしたが) それでも、すべての作品が好きというわけではありません。 当然のことだと思います。 個人的な意見にすぎませんが、この作品は私の中ではどちらかというと「好きではない」ほうに分類されます。 なんでかというとうまく説明できないのですが・・・、 どうも主人公の男がうまい具合に言い訳したり、理屈付けしたりしているけれど、結局自分に都合のいいように物事をとらえているのが腑に落ちないというか。 ネタバレになるので詳しくは書くのは避けますが、性描写のシーンなどは嫌悪感を強く感じましたし、あれだけ島本さんに入れ込んでいたのに最後はあれでいいのか・・・とか。 主人公の男性は高校時代に付き合ったガールフレンドにも同じようなことをしています。 それで反省するそぶりみたいなものを一応は見せてはいるのですが、それでもまた何度も似たような過ちを繰り返して、へらへらしているように見えるところが私には合わないです。 村上春樹の小説の主人公なんてこんなものでは?と言われればそうかもしれないとうなずくしかありません。 「ノルウェイの森」の主人公も最後は似たようなものでした。 ただ、私は思春期の頃に氏の小説をよく読んでいたので、もしかしたら変わったのは氏の作品ではなく、私のほうなのかも。 | ||||
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おしゃれなジャズバーで、おしゃれなジャズのボーカルを聴いている。英語か何かの。だけど、歌詞の意味を知った時、自分の期待していたものと少し違ってた軽い失望感。でも、また別の作品を読もうと思う。 | ||||
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結末が想定外でした。やはり村上はこうなるのか、お伽話では?でもこれが村上かな? | ||||
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名誉だけでなく、経済的にも成功をおさめた日本では稀有の純文学作家・村上春樹の中編小説。 相変わらずおしゃれなイメージは完全。それでいて、いろんなことを思わせられ、考えさせられる。 例えるなら、とても綺麗で甘く飲みやすい、それでいてアルコール度数だけが高いカクテルのような小説。 味は覚えていないのに、酔った感覚だけははっきりと残ってる。 僕の中ではそんな感じで、物語は思い出せないのに面白かった印象だけが残ってます。 | ||||
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最近の村上春樹作品の摩訶不思議な世界観に慣れてしまった人の目にとって、この作品はかなり異色に映るだろう。春樹の他の小説の主人公に比べると、本作品の主人公は遥かに「まとも」である。結婚して子供もいるし、サラリーマン経験もあるし、仕事をして十分な収入を得ている。当たり前のことのように聞こえるかもしれないが、春樹の作品の中では極めて異例な主人公だと言っていい。物語の展開も分かりやすく、2000年以降の春樹作品に見られるような抽象的な難解さはほとんど感じられない。余りにも分かりやすい、悪く言えばベタなストーリーであり、下手すれば安っぽい恋愛小説になっていただろう。これを回避したのが、春樹作品の通奏低音である自我の危機というモチーフであり、これによって本書は通俗小説とは一線を画している。主人公が「まとも」で、物語もベタな分、感情移入できるという人も多いだろうが、感情移入の可否と芸術性の高低とは無関係であろう。読み物として本書を読むのであればそれでいいのかもしれないが、通俗小説を凌駕した作品を読もうと思った人にとってはやや物足りない本であろう。 | ||||
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この一人称小説、主要な登場人物は数人で、かつ図式化しやすい。言い換えれば、それぞれのキャラの役割分担が、 ハッキリしている。 「僕」・・・1951年生まれ。妻の父親の助けを得て、都内で二軒のバーを経営する。 島本さん・・・「僕」が小学校5年生の時に転校してきた同級生。結婚後に再会し、不倫関係に陥る。 有紀子・・・「僕」より5歳年下の「僕」の妻。 大原イズミ・・・「僕」の高校生時代の恋人。「僕」がイズミの従姉と関係をもった事が原因で破局する。 ストーリーの流れには淀みが無く、一気に読み進めることもできる。 表面上は不倫・不貞がテーマの小説と言ってもいい。「僕」と女性たちとの遣り取りの中身も、前面に倫理的な 問題が出てくる。実際、最終的には、命のやり取りみたいなところにまでストーリーが突き進んでいく。 奇妙に思えるのは、「島本さん」「大原イズミ」の描かれかたで、不倫話という、 非常に人間的なテーマを持ってきているのにもかかわらず、生身の人としての存在感が欠如している。 結構濃厚な性愛の場面も出てきたりする反面、全体的に見てみると、「幽霊」みたいな描かれかたがされている。 このギャップに混乱させられると同時に、単なる不倫話にとどまらない、より深い意図が、この小説には込められている のではないか、という疑念が生まれてくるのだ。 ここで、本作品にたいしても評価が分かれてくる面がある。「僕」と女性たちとの関係を読んで、人生の一回性や、 誰もが持っている喪失感について思いを馳せ、妻との関係を回復させる「僕」に共感することが出来るのであれば 何の問題もない。 ただ、作品から作者の顔が見えてきて、考え込んでしまうと、「僕」と女性たちとの関係も、どこか仕掛け的な、 作り話めいたものに思えてきてしまい、この作品に対する評価も微妙なものとなるのである。 実際、この小説は、作者が意図的に、仕掛け的なネタを作っている部分が少なくないように思えてならない。 たとえば、最後のシーン。 「僕」が疲れ果ててテーブルに突っ伏しているところで、「僕」の肩に、誰かがそっと手を置くのだが、 その、手を置いた人物が誰なのかが明示されていない。普通に読めば「僕」の妻なのだろうということになるのだが、 別の読みも出来るような通路も開いているのだ。 そういった意味で、これは、それほど単純な不倫小説ではないように思う。 奇妙な深みを持った、迷路みたいな小説だ。 | ||||
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表層的に読めば、かなり青臭い印象の話であって、受け容れ難い読者も少なくないのではないかと思う。 それでも自意識をとことん掘り下げているので、物語の根底には何らかの癒し、救いに繋がる要素が潜んでいるとも言える。 話が現実離れしないため、著者の作品にしては比較的読みやすく、その分、特異性という点ではやや弱い。 断ち切れない過去の面影や、それとは無関係に流れる時間、不可避な現実といったことがテーマに盛り込まれている。 無意識的な展開と夢から覚めたような結末は、読者にとって必ずしも納得のいくものとは限らない。 自意識に拘泥している感のある人、ネガティブな精神状態にある人には一読の価値あり(ただし、すっきりした解決を求める人には不向き)。 | ||||
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なんとなく男気のない主人公が展開する物語で、特にうらやましいとも思わないし、さらっとした小説。会話のやり取りや表現の妙味を楽しむ本だと思います。村上氏独特の言い回し方であり、言い訳めいた主人公の言葉の言い回しと究極的にはどっちでも自分は対応するというスタンスはやはり残っており、女性陣の妙な決めつけたような考え方(それが常識であるように言うが、一般的には疑問な発言)で応酬する会話。この部分が村上氏のなんとなく気持ちよくさせる効果であるため、ストーリーをまとめたらなんということない話であると思います。 性描写については、ほとんどさらっと読み飛ばしているので、他の書評にあるように気にとめていなかったので、逆にびっくりする感じです。 これだけの多くの読者がいるため、なぜ多くの読者が魅了?されているか、非常に不思議な感じがしますが、村上作品が受ける理由というのを知りたいものです。 | ||||
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タイトルの通りです。中篇だから読みやすいだろうというような理由でこれを初めての村上春樹として選ぶのはもったいない。 コース料理で言うなら何種類もある前菜のうちの一番重めの料理になるだろうか?それともメインが出た後のサラダになるだろうか?そういった難しい位置にある作品だと思います。 自分も20代前半で一度読んだときは「ねじまき鳥」の出がらしだと思いました。主人公の気持ちは全く理解できなかったから。 しかし30台も半ばが過ぎ、40が見えてきたこの頃読み返すとなるほど、と見えてくるものがありました。 得意の近現代劇の中にそっと雫を垂らす様な描写でちょっとしたファンタジーを含ませてますがあくまでもそれは隠し味。 不倫を扱ってますがそれがメインテーマではないところに気付くと20代の時に見えなかった深みがほんのり見えてきました。 しかしもう一度読み直してもやはり「ねじまき鳥」の出がらしの印象はぬぐえません。一番茶で物凄く濃いお茶が「ねじまき鳥」で、出がらしと言えどそこそこ美味いお茶が「国境の南」。 近現代劇の中に織り込むファンタジーと物語の結末に向けて収束する加速感こそ村上春樹の真骨頂だと私は思うのですがこの作品にもそういった氏の血流が伺えます。 私は傑作とは思えませんが氏の作品の中でもそんなにクオリティが低いようには思えない、充分な佳作ではないかとあらためて思いました。 でも初めて村上春樹を読むのであれば同じ中編小説でもデビュー作の「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」をお勧めします。そちらのほうが氏の世界観を色濃く表現されています。 「国境の南」は一度読んでみて、忘れた頃に(出来れば40代前後で)読み直されると良いのではないかと思います。 | ||||
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この作品の主題は「はじめ(主人公)の身勝手さの在り方」だと思います。 主人公と似た経験がある人は感情移入できると思います。 しかし、あんまり感情移入しないで、距離を保って読むほうがいいかな?と思います。 やっぱり、結婚するなら他の女性を好きになることをあきらめるべきです。 それができなくて、歳を重ねても恋をしていたいなら、ずっと独身であるべきです。 この小説は、結婚はその二者択一を迫られているものだという概念が無く、 一般的な倫理観を破壊しかねません。 だから、感情移入して読み終わって、気持ちよくなっても、 次の日には「小説でフィクションだな・・・」とふりかえったほうがいい・・・ 自分の周りに不幸な人を増やさないために。 | ||||
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