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(短編集)
五郎治殿御始末
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五郎治殿御始末の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全68件 1~20 1/4ページ
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江戸時代から明治へ以降とともに職を失った武士たちの物語。 | ||||
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自分で読んで感動しました。 | ||||
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注文して直ぐに届いたし、程度も良しで大満足です。欲しい本が直ぐに手に入る、良い時代 | ||||
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帯が有りませんでしたが、本は綺麗でした | ||||
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短編集。 個人的には「椿寺まで」「函館証文」が心に残っている。 江戸から新時代になっていく過渡期を武士側に立った浅田次郎の視点で描かれている。 良いも悪いもないだろう。 私達は現代しか知ることができないから。 この作品の中に描かれている武士も実際にはいたのだろうし、相反した考えを持つ元武士もいたのだろう。 作者はけしてリベラルな精神の持ち主ではなく、わりと右寄りな思想を持っているように感じるが、だからこそ哀愁漂う武士の後始末を豊かに描けたのかもしれない。 ラスト5行はグッとくる。彼の本音だろうか。 | ||||
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旧暦から新暦に、不定時法から定時法へと生活が急激に変容する社会に戸惑いながらも、矜持を持って生きる人々が生き生きと描かれていました。 何度も読み返したくなります。 | ||||
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『柘榴坂の仇討ち』の映画を観て原作が読みたくなり購入しました。満足でした。 | ||||
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間違えて2冊目買っちゃいました 内容は普通 | ||||
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品物が相当古く想定外。何故なら価格が新刊時と変わらない。 期待していた本だったが読む気が失せた。 | ||||
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自分には合わなかったので、80歳の叔母にあげました。叔母は面白いと喜んでいました。 | ||||
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著者も私も1951年(昭和26年)生まれ、明治維新が1868年だから、江戸時代は80年前のことで、意外と近くにあったのだ。天下を取った薩摩長州のせいで、徳川政権下の江戸時代は、全否定されたが、本当は素晴らしいものがたくさんあったことを著者は教えてくれる。 | ||||
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大きな時代の変化の中で懸命に生き抜こうとする人間の切なさ、強さが伝わってくる作品でした。 | ||||
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「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。これは明治維新期、巷でうたわれた長い流行り歌の最後 の部分で”散切り頭”とはちょん髷を切り落とした髪型のことだそう。 本書で描かれているテーマは「流人道中記」にも通底している侍の存在意義であり、加えて御一新により 存在そのものを否定された侍の矜持や悲哀、そして己の人生に対する始末記(けじめの付け方)でもある。 おのれを語らざることを道徳の第一とし、無私無欲を貫こうとする侍の姿。著者自身へりくだりながらも、 彼らの代弁者のごとく描き切っている。声なき者たちの無念を我が身のようにとらえ吐露している様に感じ られた。 表題作も良いが、個人的には四作目「遠い砲音」と五作目の「柘榴坂の仇討」に深い感銘を受けた。日本 古来の不定時法から西洋の定時法への移行に戸惑う近衛将校。時間にルーズで遅刻の常習犯である彼が「人 間が時に支配されるのではなく、時に支配されてはならぬ人間でありたい・・・云々」と嘯く。思わずクス ッと笑みを漏らす。ユーモアを交えながら描かれる武士の矜持や悲哀に胸が打たれる。(遠い砲音) 桜田門外の変の後、時が止まったままの仇敵同士が十三年振りに邂逅する。対峙する二人の、武士として の始末の仕方にまた、ホロッとさせられる。(柘榴坂の仇討) | ||||
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表題作の他、「椿寺まで」、「箱館証文」、「西を向く侍」、「遠い砲音」及び「柘榴坂の仇討」の6つの短編から構成される"御一新後の武士の生き方"をテーマとした時代小説短編集。まず、各短編の舞台を"御一新"の5~10年後としている点が巧み(元武士が家財等を売り尽くして何かを始めて、その成功の可否が見えて来る時期)。各短編がテーマに則している事は勿論だが、それを様々なシュチエーションの物語として構成する作者の手腕には改めて感心させられた。 「椿寺まで」は、商人へと転じた壮絶な過去を持つ主人公の義侠心と家族愛を人情譚として描いて泣かせる。「箱館証文」は、戊辰戦争の怨念が未だに残っている事を複数の「証文」を用いて示す工夫が光るが、作者の真意は"御一新"で儲けたのは薩長を中心とした高級官僚だけという江戸への郷愁とその克服であろう。「西を向く侍」は、文部省への出仕を選択した幕府の有能な天文方であった主人公が太陰暦から太陽暦への急激な変更に民のために義憤を覚えて文部省へ抗議するが、受け入れられず、士官を辞して出身藩の甲州へと帰農する姿を描いて清々しい。「遠い砲音」は、陸軍への入隊を選択した主人公が西洋式時間カウント方式に慣れずに何時も遅刻する様を滑稽味を強調して描くと同時に、家臣が全て逃げてしまった出身藩の殿様を1人で親身に世話する主人公の負担を思って、敢えて異国へ行く事に決めた殿様の出航船に向かって主人公が(涙の)祝砲を放つという人情譚を混淆させた短編。「柘榴坂の仇討」は、"桜田門外の変"を阻止出来なかった幕臣で、北辰一刀流の使い手の主人公が執念の仇討を志すが、"御一新"後に襲撃側の真相を聞かされ落胆するが、俥引きとなった襲撃者と偶々出会い、一瞬、仇討が頭をよぎるが、「時が止まっている」自身に気付き怨念を吹っ切るという清新な短編。表題作は、全体の総纏めで作中の語り手は作者自身だろう。(細かい設定があるが大まかには)作者の5代前の武士とその祖父を主人公とした死出の旅路と商人との交誼を描いた短編だが、本作執筆の由縁を明かすと共に、「文明の進歩は必ずしも人間を幸福にしない」という漱石風の思惟を謳った掉尾に相応しい佳品。 "御一新後の武士の生き方"をテーマとして様々なシュチエーションの物語として構成する作者の手腕が光る上に、表題作で本作執筆の由縁を明かすと共に、「文明の進歩は必ずしも人間を幸福にしない」という漱石風の思惟を謳った珠玉の短編集だと思った。 | ||||
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この本も、楽しみました! | ||||
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「柘榴坂の仇討ち」を読みたくて購入。やはりいい。掌中の傑作だと思います。全編を貫くテーマは、明治維新後にも残る武士の精神・生き方でしょうか。抑制されて文章が、控え目に生きる人たちをよく表しています。 | ||||
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ご維新の後の侍たちの切ない物語。 | ||||
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この作品は 自分には いまいち でしたね~ | ||||
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no problem | ||||
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浅田次郎全て読もうかと思ってます。 | ||||
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