■スポンサードリンク
(短編集)
五郎治殿御始末
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
五郎治殿御始末の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
江戸時代から明治へ以降とともに職を失った武士たちの物語。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短編集。 個人的には「椿寺まで」「函館証文」が心に残っている。 江戸から新時代になっていく過渡期を武士側に立った浅田次郎の視点で描かれている。 良いも悪いもないだろう。 私達は現代しか知ることができないから。 この作品の中に描かれている武士も実際にはいたのだろうし、相反した考えを持つ元武士もいたのだろう。 作者はけしてリベラルな精神の持ち主ではなく、わりと右寄りな思想を持っているように感じるが、だからこそ哀愁漂う武士の後始末を豊かに描けたのかもしれない。 ラスト5行はグッとくる。彼の本音だろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分には合わなかったので、80歳の叔母にあげました。叔母は面白いと喜んでいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は 自分には いまいち でしたね~ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
明治維新という時代の垣根をのり越えんとし、のり越えた名もなき侍の生きざまをえがいた短編集です。 時代小説はめったに目を通しませんが、非常に読みやすく、スラスラ進みます。 「函館証文」「西を向く侍」「遠い砲音」映画は感傷的であまり好きでないが「柘榴坂の仇討ち」がそこそこ良かったです。 お涙ちょうだいの「椿寺まで」美談にすぎる表題作「五郎治殿御始末」はダメでした。初めての浅田文学、こんなもんかという印象です。 ※画像・プロフィールは無視してください | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
時代が変わったからといって簡単に変えられるものではない。 だけど時代は流れてるんだから変わっていかなければならない。 幕末を生きた武士が明治に時代が変わってもそれぞれの生き方や信念を貫く物語の全6篇。 短編集だけに内容が物足りない部分や納得いかない部分もあるがまあまあ楽しめた。 政治家のお偉いさんは簡単に物事変えたりするけどそれに迷惑するのはいつの時代だも一般人。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短編の妙味絶妙ながら、いま少し加筆があれば良いのでは・・・と若干消化不良感が残る。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者の作品集の中ではイマイチだが、柘榴坂の決闘は面白い、後吉右衛門と著者の対談も、面白くよめた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「西を向く侍」 突っ込みどころ満載の小説である。 まず設定に無理がある。最後の太陰太陽暦である天保暦は西洋天文学の基礎の上に成り立っており、幕末の天文方ともなれば西洋天文学に通じていたはずで、本当に優秀な者であれば文部省に雇われていたであろう。主人公(成瀬勘十郎)が雇われなかったということは、それだけの知識しかなかったということだろう。だいたい「和算術と暦法を修めて云々」とあるがそれはせいぜい寛政暦以前までのはなしで、寛政暦以降は西洋天文学が分かっていないと天文方として仕事ができなかったであろう。 「明治5年壬申11月9日。立冬はすでにすぎた・・」とあるが、この日はグレゴリオ暦12月9日にあたっており、立冬どころか大雪も過ぎている。冬至の12日前である。したがって「大雪はすでにすぎた・・」あるいは「まもなく冬至である・・」としないとおかしい。そもそも筆者は旧暦11月が冬至を含む月であることを知らないのではないか。 主人公が改暦詔書をよんで、「(旧暦は)荒唐無稽の迷信ではない」と心の中で叫ぶする部分があるが、詔書はそれまでの暦の中下段に載っていた「八専」「十方暮」あるいは「受死日」「天赦日」といった暦注を迷信であると言っているだけであり、太陰太陽暦のしくみ自体を迷信だと言っているのではない。トンチンカンな描写と言わざるを得ない。 最後に「西向く侍」の語呂合わせであるが、天保8年(1837)は2、4、6、9、11月が小の月であり、これを覚えるのにできたもので、明治改暦のときにできたものではない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
浅田次郎氏の小説には、「続きを読みたい」と言う要素がある。「蒼穹の昴」には、「珍妃の井戸」で一応答えてくれた。 この作品は、大作「壬生義士伝」の後日談ではないにしてもサイドストーリーの位置づけになると期待していた。 しかし、売れっ子になって、粗製乱造状態となってしまって、残念ながら、彼の悪の強さばかりが鼻につく作品群になってしまった。 少し、仕事を減らして、お休みになったらどうかというのが、最初の読後感である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
浅田次郎の男気集は天切りシリーズ’だけでいい。もうここへ来るとただ暑苦しいだけ。なんか、こうゆうふうに書けば売れると思ってない?という感じ。感動も何もなかった。ただ登場人物だけでもりあがっちゃってる。壬生義士伝はまぁまぁだったけどコレはつまらん。C+でもおまけした方だよ。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!