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超新星紀元
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超新星紀元の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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子供の無邪気さ、残酷さ、優しさ、輝かしさを、大人の目線でハラハラしながら見守れる作品。 世界の命運を託された少年少女たちが、欲望のままにめちゃくちゃをやるのだが、本当に本能と好奇心に忠実にめちゃくちゃをやるので、笑いながらドン引きしてしまう。 (たぶん13歳って設定は二次性徴前にすることで恋愛とか性欲の方向性に持っていかないためだと思う) ところで脇役ではあるんですが、日本国首相大西文雄がかっこいい。 アメリカ大統領ぶん殴ったシーンでビビったし、戦争ゲームの話し合いでポン刀持ち出して斬りあえって言うのしびれた。 こんな覚悟のススメみたいな日本人の13歳の少年おらんやろという気持ちにもなるが、なんだろう、抗日映画のイメージの延長なのかな。 (三体だと「もう日本で自爆特攻するやつなんていないよ」って話になるから、デビューから三体描くまでに作者の日本に対するイメージが変わったんだろうか)」 痩せ型で長身ってのもあまり「世界中の人が集まっているシーンの日本人のキャラクター」に設定されないから新鮮。 | ||||
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劉慈欣による、子どもたちの物語です。 もしも世界が子どもたちだけになったら、新世界が訪れる。 想像力とリアリティが混ざりあった独特の世界が面白いです。 | ||||
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相変わらず中国の故事、日本の小説などに造詣が深い。 とても楽しめました。 | ||||
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本書は、大人がいなくなった世界で“子どもたちはどう生きるか?”を描いた小説である。 人類が進化するためには幼年期を脱しなければならないが、そのためにはまず幼年期を経験しなければならない。クラーク大好きの作者がそう考えたかどうかはさておいて、本書はまず人類を幼年期に導いた上で、その後を描こうとしている。 近未来、太陽系の近傍星域で発生した超新星爆発の高エネルギー放射線で遺伝子に障害を受けたことによって13歳以上の全員が1年以内に死亡する。残された子供たちは自分たちだけで新しい文明を築いていくことになる。 これに似た設定の物語は過去にも書かれていて、訳者あとがきでも、特に子供たちだけの世界を描いた物語がたくさん紹介されている。 あらすじを読んで評者が思い出したのは、福島正美の『リュイテン太陽(1967)』、チャールズ・ストロスの『アイアン・サンライズ(2004)』、小松左京の『お召し(1964)』、萩尾望都の『AWAY-アウェイ-(2013-2015)』、竹熊健太郎と永福一成の『チャイルド・プラネット(1996-1997)』など。 このうち、『リュイテン太陽』と『アイアン・サンライズ』は共に超新星爆発を発端とする物語だが、両者共に地球自体が壊滅的な影響を受けるものではないので、関連はそこまで。 一方、『お召し』、『AWAY-アウェイ-』、『チャイルド・プラネット』の3作は、いずれも原因は天体現象ではないが、異変によって大人がいなくなった世界が舞台となっており、類似点が多い。この中で、あとがきでも紹介されている小松左京の『お召し』と、それを原作とする萩尾望都の『AWAY-アウェイ-』と比較しながら本書について考えてみたい。 まず、小松左京の『お召し』。この物語は突然12歳以上の大人がいなくなるということで本書に近いが、その原因を未知の現象としているため、本書以上に設定が徹底している。この物語では、ある日を境に12歳の誕生日を迎えた人間がその瞬間にこの世界からいなくなる。一方、赤ん坊は突然この世界に出現する。その現象はその後も継続するため、この世界ではずっと子供たちだけの世界が続いていく。突然そんな世界に放り込まれた子供たちは悩みながらも大人から教わってきた生活とモラルを守って社会を維持していく。このため、この世界は理想的、優等生的で保守的に見える。これは、70枚ほどの短編で、一種のアイデア・ストーリ(小松流のエスキース)であることが一番の原因だろう。また、子供たちは12歳になるとお召しの対象となってこの世界から去らなければならない。 萩尾望都の『AWAY-アウェイ-』は、『お召し』が原案とされているが基本アイデア以外はかなり異なる。この世界では境界が18歳の誕生日であるために残された子供たちの年齢が高くなっている。また、例外的に年長の者も残っており設定は結構曖昧。そのため、既存の社会との継続性が維持される一方、年長者の暴力性が描かれる場面もある。この設定はこの物語が思考実験ではなくストーリーを語るための舞台になっているためだろうと思う。 この2作と比較した場合、本書の特徴は次の3点。1点目、新世界の構成員が14歳未満の子供である。2点目、この現象は一時的なものであり、子供が成長した時、世界は再び子供と大人が共存する世界に戻る。3点目、主人公たちと作者の視点が次第に広がり、国内から世界へと拡大する過程に多くのページが費やされている。この3点は本書の主題に密接に関連している。 本書は、新世界を14歳未満の子供だけの世界とすることによって現実離れした夢の世界を描こうとする。 冒頭からかなりのページ(全体の3割ぐらい)では子供と大人が共に過ごす世界が描かれているのだが、この部分はかなり現実感が強かった。 その後、大人がいなくなった社会が描かれるが、しばらくの間は良い意味での子供たちの夢の世界が描かれる。活力にあふれた世界だ。しかし、次第に子供たちの幼さが目立ち始める。特に中盤以降、舞台が世界に拡大していく時、その幼さは目を覆いたくなるような惨状を示し始める。 これは、2点目に関係していると考えられる。大人がいなくなったのは一時的な現象に過ぎず、この世界の子供たちは普通に成長し、将来大人になるのだ。子供たちの前には、無限に近い時間が広がっている。そのことが、比較対象の上記2作と異なって、子供たちの意識に悪影響を与えているのではないかと思う。さらに3点目。物語の舞台はどんどん広がるが、そこで描かれるのは非常に幼稚な社会だ。残念なのはこの部分が非常に長いこと。子供の世界は遊びを基本とするという発想は納得するが、全体の構成を考えた場合かなりバランスが悪い。 子供の発想を想定しているためにわざと単純に設定しているのだろうが、後の作品にも通じる作者のオタク男子の趣味全開といったところ。 作者の小説は、いくら何でもこれは無茶だと思いながら読むが、その先まで読むとなるほどと思う場合が多く、ここで語られる話も後の展開からすると納得するところではあるのだけれど。 アイスクリームの暴食などの場面も筆が滑り過ぎるのか、表現の暴走や誇張は他の作品でも時々見られるので作者の特徴かも。 ストーリー展開はシンプルだが、アイデアを語る際の冗舌さ、盛りだくさんのエピソードに過剰な表現を加えて読ませようとするのは、エンタメを指向する作者の性向かもしれない。 ところで、中国の子供はそれほど酒が好きなのかな?評者が13歳の頃は、ビールやウイスキーは苦いので飲みたいとは思わなかったけれど。 以下、ちょっとネタバレ。 本書において、大人がいなくなった世界を設定したのは、その世界を描くことが主たる目的ではなく、大人がいなくなったことによって変容する社会、文明を描くことこそが主目的だった。つまり、クラークの『幼年期の終わり』の形而上的なスケール感を押さえて、あえて具体的に描こうとしたのではないか? 第一長篇にはその作家性が現れるという。そして作者はインタビューで人類は宇宙に進出するべきだと考えていると語っていた。 本書は、シミュレーション小説として、未来の子供たちの世界を語ることも目的のひとつだが、その世界の子供たちがどのようにして活動範囲を広げ、宇宙に進出していくかを描くことがより重要なテーマだったのだと終盤の展開を読んで思う。 訳者あとがきによると、本書の第一稿が完成したのは1989年。その後何度かの全面改稿を経て2003年に作者の最初の長篇として出版されたという。兼業作家としてたくさんの短編等を発表しながら改稿していたためか、あちこち統一性に欠ける部分が見うけられる。 エピローグに作者と作者の娘が登場するのはご愛敬。 厳井(イェン・ジン)だけが最後まであだ名で呼ばれているのは、作者のアバターだからなのだろうか? | ||||
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●主人公はじめ主な登場人物は全て13歳以下の子供だけ。壮大な宇宙スペクタクルの”三体”シリーズ とは方向性が異なり、流れはポリティカルSFである。民主主義vs権威主義の比較を子供の目線で描い ている。大衆に迎合するポピュリズムを「内なる敵」としている民主主義を揶揄してみたり、銃社会 を基盤とした戦争大好き民族と位置付けたり。しかし、その隙間からアメリカへの憧れが垣間見える。 最大の山場は第9章「超新星戦争」と第10章「創世記」。特に創世記の章で提案される前代未聞・ 破天荒なゲームルールには度肝を抜かれた。さすが劉老師、今まで多くのSF小説を読んだが、こんな アイディア初めてです。 | ||||
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物語の冒頭、14歳以上の大人が全員死亡し、地球は幼い子どもだけの世界になる。たいていの子どもたちは置いてけぼりにされたと絶望するのだが、これは千載一遇のチャンスだと捉える子もいる。大人たちの監視から自由になった新世界を作ろうという、超野心的なキャラがグイグイ物語を引っ張っていく。 そんなキャラを登場させるのは、作者自身が感じている中国の旧態依然とした社会への不満を反映しているのだろう(過去作にも同じような描写があった)。そして、まだ頭の柔らかい子どもたちへの期待も背景にあると思う。本書の献辞文をみると、「娘の劉静に本書を捧げる。彼女が楽しい世界で暮らせることを願いつつ」と書かれている。 今作も『三体』と同じく、アッと驚くアイデアのオンパレードで大いに楽しめた。是非おすすめしたい。 | ||||
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