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アルジャーノンに花束を
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アルジャーノンに花束をの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全440件 321~340 17/22ページ
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このほんの ぼうとうに びっくりするとともに ふかくかんどうしました。 ぜひ 最後まで読んでください。 | ||||
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氷室京介の曲で知りました。 高校生のときに読みましたが、 ふかくふかく感動しました。 | ||||
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非常に良かった。 分類すればSFなのかもしれない。 日本語訳が非常によくできていて、本来の味を損ねていないのが良かった。 読み始めて、気づいたら読み終わっているような本。 軽い読み物というのではなく、非常に引き込まれる本。 ただ、主人公の超知能っぷりの表現がすこしクサいような気もした。 | ||||
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先日、久しぶりに読んでみました。 まあ、これで4回目ですが。 いつ読んでも、何回読んでも、ジーンと来ますね。 これを読んだ人間の使命としては、もちろんこの本が伝えようとする命への向き合い方などをしっかりと考えることもあるでしょうが、 この本を後世に伝えていくという使命も担っていると思います。 活字や物語が持つ力、本の偉大さなどを、この本は象徴していると思います。 | ||||
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斬新な視点と心理描写を有する小説。 純朴な障害者と孤高の天才 それが一人の人物に時を置いてあらわれたときの 心の変遷や心理描写を上手く表現している。 純真な心を持ち周囲から愛される人 鼻にかけた天才っぷりで嫌われる人 障害児を持つ家族 研究成果を発表し評価を望む教授 誰もが持つ人間的な感情やそれぞれの心の動きを的確に捉え 考えるきっかけを与えてくれる。 | ||||
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昔ユースケサンタマリア主演でドラマ化された時に なんとなく見てて面白かったので、原作を読んでみた。 最初、字が小さくて平仮名ばかりで書いてあるので 挫折しそうになったが、最後まで読んで本当によかった。 知的障がい者や、その家族、周りの健常者の人々、 研究者、そして天才と呼ばれる人等、全ての人間には それぞれ個々の考えや悩みがあり、生き方がある。 そして、みんな不幸よりかは幸せになりたいのである。 知的障害や知的障がい者との関係、IQ、EQなど普段 あまり考えないことを考えさせてくれた一冊。 やっぱり…「普通」がいちばんって思う私は普通で凡人なんだろうなあ | ||||
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ダニエル・キイスの代表的超名作☆ アルジャーノンに花束を☆ これは何度読んでも私は泣きます! かなり感動の涙がこぼれますよ☆ 精神心理学的な要素が入ってますが、誰にでもサラリと読めます(`∇'ゞ超オススメです☆ | ||||
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この本はラスト2行に全てが集約されてると思う。 ただラスト2行が読みたくて何度も何度も読み直してしまう。 25歳ぐらいまで全く読書をしなかった僕がこの本を読んで読書に目覚めてしまった本です。 | ||||
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とても感情移入して読みました。 チャーリーの心の動き、チャーリーの分析的知能の高まりと他人の心との距離感、そういったことをとてもよく描いています。 人間の認識が高くなるということが本当はどうあるべきものであるのかを考えさせられます。認識が高くなるということは、IQが高くなるということとは、必ずしも一致しないものでしょう。 本書の描くところは、ある意味とても恐ろしいものがあります。これはちょっと他にない作品であると思います。 人というものは例外なく悲しい存在なのではないかとも本書を読んだ後で、感じました。 そういった悲しい存在である人間自身に祈りをもって、花を手向ける、タイトルが意味するところはそんな心境なのでしょうか。 | ||||
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わたしが生まれる3年前に書かれ、生まれた4年後に長編化されたこの小説は、 SFなので、今でも新しみを覚えるのは可笑しくない、ということではなくて、 それは、作品の引き出した、人間の普遍性のなせるわざだろうし、 いつ何処でという背景は、だから、素材に過ぎない。 まだ読んでいない人のために、内容は書かないけれど、ひと言言うなら、 SFとして書かれながら、わたしが想起させられる別の文学があって、 それは、ドストエフスキーの『白痴』だ。 『アルジャーノン〜』の作者、ダニエル・キイスが、上の文学を知らなかったはずはない。 両作品を読んだ人は、誰でもそれが言えるだろう。 そのこともまた、この小説の普遍性を裏付けているとも言えよう。 しかし、そのことを離れて、わたしは、読んだ米文学の中では、これがいちばん好きだ。 1959年に、初作が、あのような素材を用いながら、普遍的な内容を表せたのは、 それがアメリカだったからだし、その素材の個性がまた、魅力を形づくっているのだ。 サイエンティフィックでありながら、あんなに切ない思いもさせられるなんて、 この近現代的な繊細さは、何処か、『ライ麦畑でつかまえて』や、 『グレート・ギャツビー』の都会的な洒脱に通うものがある。 それこそが、他の文学に埋もれない米文学の活路なのかもしれない。 | ||||
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チャーリー・ゴードンの純粋性、 人間を実験道具に使うことの悲惨さを感じました。 「アルジャーノンに花束を」という台詞が、最後の文章にあります。 それなら、「チャーリー・ゴードンに花束を」という文句を付け加えて欲しいというのが感想です。 幸せのためか、不幸のためかは分かりません。 この話から、人によっては、具体的なことに感銘を覚える人もいると思います。 チャーリー・ゴードンの純粋性を疑う人はいないと思います。 自分では、すごく抽象的なことだけが印象にのこりました。 「人間が、人間を実験道具にしてはいけない。」 ということです。 自分の中で、論理が破綻するような気がしました。 純粋な話の中に、抽象的な命題がつきつけられたような気がしました。 | ||||
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とても面白かったです。 本書は翻訳でしたが、その言葉の巧さに引き寄せられました。 彼の成長記録がとても分かりやすかったです。 重度の障害を持つ彼が人の頂点へ登りつめやがて後退していく事はどれくらい辛いのでしょう。 最後にこうなることは終盤分かって居ました。 けれど 私は彼が自殺する事を望みました。 自分が落ちるところを知らずにアリス位の知能を有して死ぬ事が幸福であると思ったからです。 私は高校生です。それ位の歳の方々に是非読んで頂きたい。 私もフェイと同じ反応を知能の落ちた彼にすることを私は恐れる。 | ||||
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この物語にいかなる寓意を読み取るか。 ある者は、幸福の不確定性を読み取り、ある者は世の無常を汲み取るかも知れない。 だが、そのような寓意に意識を巡らせるまでもなく、本作はけだし名作である。 秀逸なドラマツルギーは、いかなる批評眼を交えずとも人々の琴線を揺さぶる。それも老若男女を問わず。だからといって安直なヒューマニズムや乳臭い道徳論も感じさせないのは、ひとえにダニエル・キイスという類を見ぬストーリーメーカーの巧みな筆力によるところだろう。 ただ、幼児期のトラウマや潜在意識の表象といったフロイト的意匠が、一切の懐疑なく物語の裏付けとして採用されている点には若干の違和感を覚えてしまうのだが、物語の制作時期を考慮すれば、それも致し方ないと頷ける。 惜しまれるのは、原文を読む事の出来ない我が語学力の欠乏。知性の移ろいの過程を文体で表現するという方法論をとっているゆえ、言語の違いは作品の印象に決定的な影響をもたらす。小尾芙佐の日本語訳が素晴らしいということに依存は全くないが、いつか是非ともダニエル・キイスの呼吸を直裁に堪能したいものである。 | ||||
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天才になっても幸せなんかじゃないんだよ。 そんなメッセージの様に本書を受け止める人がいるようだが、本書の内容を考えたとき、 それはいささかピントのずれた読み方だと言わざるを得ない。 幼児期の体験が執拗に反復され、再会した母親がボケ老人の様相を呈していることを思えば、 作者が、人生の縮図としてこの物語を書いていることは明らかなはずだ。 知能が向上する前のチャーリーには主観的ではあれ、世界は幸福に満ちており、 知能が衰えたチャーリーにとっては、手術前と同程度の知能しか持たないにも関わらず、世界は不幸に満ちた物であるという対比は、 幼児期と老後を象徴しているように読める。 知能が衰え、周囲が理解できず、理解もされず、それゆえに孤独に陥ったまま死んでゆく人は少なくない。 精神薄弱者という主人公の設定に安心してはいけない。 私はこんなバカでも天才でもないと思っている人は、この物語の核心を見落としてしまう。 知能を持った人間である以上、この物語と無縁な人などいないのだ。 私が特別に好きな文章は、『とにかく僕は科学の為に重要な事を発見した最初のバカ人間なのは賭けてもいい。』 知識も、友情も、愛も、得たもの全てを喪失していく中で、チャーリーはそれだけは確信している。 とても感動的な一節だと思う。 | ||||
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この作品を読むのに一日とかからなかった。 内容が薄いのではなく、その重厚なストーリーに見事に嵌ってしまったから。 この作品をただの「泣ける本」と思わないで欲しい。それはこの作品の一面にしか過ぎない。 読み終えた後の何とも表現しにくい気持ち。これはこの作品を読んだ読者にしか感じ得ない物だろう。 またいつか、この作品を読む時を楽しみに待ちたいと思う。 | ||||
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主人公のチャーリーは再び白痴な人間に戻ってしまったが、決して元の木阿弥になってしまったわけではなかった。 知能こそ全て失ったが、天才時代があったからこそ経験できた精神の変化は、そのまま残されたのである。 己に対する世間の真実、孤独の哀しみ、そして初めて考えた自分の存在、子供っぽい稚拙な表現の中からはっきり感じ取れる。 それでも彼は悲観的になることはない。一時的とはいえ手術は成功していたのだ。ならばもう一度やり直せばいい。 努力すれば、再び賢くなれる日がきっと来る。彼はそう願う。あまりにも無垢なこの言葉に涙した読者も少なくないはずだ。 だがチャーリー自身はそうは思っていない。この言葉の中には希望があふれている。 昔は知り得なかった様々な人間の現実を見つけ、彼は何とかしてそれを直視しようとしているのだ。 天才から白痴へと戻る過程で自暴自棄になる彼と対比すると、実に興味深い変化である。 精神障害者が何を考えているのか、健常な我々には知り得る方法がない。分からないからこそ、この物語は哀しいのだ。 この考えも私のエゴかもしれない。だが、たとえ偽善的であろうと、かけない思いやりよりはかける思いやりの方が良い。 少なくとも、そちらのほうがチャーリーにとっては幸せに感じるだろうと思う。思いを無闇に踏みにじる権利はない。 物語は完結し、チャーリーがその後どのように展開していくかは、完全に読者の想像力に委ねられることになるだろう。 しかし、そんな複雑な心情の読者をそっちのけに自分の思いを必死に馳せようとする彼の姿は、あまりにも美しい。 | ||||
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表題にあるアルジャーノンとは小説内に出てくる鼠の名前。主人公は特殊な手術を受けることにより知能障害者から天才へと生まれ変わるが、自分がだんだん元の障害者に戻っていってしまうことを知る。手術により従来にはなかった新しい感情や知識を手に入れていくことに対しての喜びや、それらが徐々に失われていく事に対する絶望、天才としての孤独感の描写力は圧倒的。同じ手術を受け死んで行くアルジャーノンに自分を重ね合わせる主人公の悲壮感には思わず涙させられる傑作。 個人的には主人公があっさりと実験助手とデキてしまうのには納得がいかないが、最後の絶望感から最愛の彼女にまで暴力をふるい、追い出してしまう部分などは生々しい印象を受ける。ちなみに、この訳書は早川書房のものが圧倒的に優れている。というのも知的障害者時代のつたない文章が見事に訳されており、主人公の成長が明瞭に理解できるためである。いわゆる「泣ける小説」にあたるので、「なんか感動したい」という人がいたら呼んでみることを薦める。 | ||||
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「教養は人と人の間に障壁を築く可能性がある」、「人間の知能を増大させることができたとしたら」 このようなアイディアからこの作品は生まれている。 単にアイディアを作品にするのであれば、もっとSF的な作品として平凡な主人公が薬を飲んで天才になるという筋も考えられるが、 本作では知的障害者のチャーリー・ゴードンを登場させることで作品にもう一つ重要なテーマが加えられている。 知能と情緒の発達、思いやり、知的障害者への差別。 先が気になり一気に読んでしまった。 読み終わってからも、いろいろな事を考えさせられる。 そういった意味でも良書だと思う。 | ||||
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差別なのかもしれない。 無意識に優越感に浸っているのかも知れない。 そういう意味でも‘考えさせられる’作品でした。 幸福とは何なのか? 知能の低かった時の世界と知能の高い世界。 見え方が全く違うということが分かった。 元クラスメートに、やはり知能遅れがいるのだが、彼女に、腹を立てていた自分を恥じた。 そして、レビューでも、一々取り上げられている、最後のニ行。 やはり、私も泣き、そして、世の中を見る眼が変わった。澄んだ世界に、いる気分になり、そして、悲しみが襲ってくる。 一部レビューに有るように、差別かもしれない。だが、この作品が、私にいい影響を与えたのは確かだ。 そういう意味で、これは買いだと思う。 この作品は素晴らしい作品です。 | ||||
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知恵遅れから天才になる間に彼が世間の醜さと人の愚かさに気づいていくのが面白い。 誰しも成長する過程で人に失望した経験はあるだろうし、もっと賢くなりたい、世の中のことを知りたい、悟りたいと願うけれども実際にそうなってみると世界は美しいものだと夢見ていた、無知で純粋だったころのほうが幸せだったんじゃないかと感じることもあるでしょう。ファンタジーだけどチャーリーに共感する人は多いはず。 またアリスとフェイの対比がいい。私が女だからか、チャーリーが再び知恵遅れに戻っていくときの二人の行動が印象に残った。本当の愛情があるかどうかの違いか、彼女たち自身に具わるものの違いなのか。 | ||||
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