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珈琲と煙草
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珈琲と煙草の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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◯シーラッハがこれまでもずっと書いてきたこと。 ◯人はある日突然自分の立ち位置を踏み外し、思ってもみない位相に入り込む。そしてどうしてそんなことが起こり得たのかわからないまま、呆然とする。 ◯ふつ、ふつ、と心の中に気泡のように浮かんでくる、倦怠、厭世、自棄、虚無を、ある種の誠実さによって虚構化することによって、作家自身の自壊の芽を摘んできたのではないだろうか? ◯そのようにして、静かに持ち堪えている姿そのものが、本当に優れた作家だと思う。 | ||||
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この著者の作品の面白さは著者の本職によるものか、登場人物への距離感。突き放し方にあると思います。 淡々とその人を描写していると、本当に不意に今までと違う行動、挙動をみせます。 そして、その理由を著者は明確に記しません。 そこに人間と言うものの不条理さや訳のわからなさが現れ、読者に強い印象を残します。 | ||||
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刑事専門弁護士にして作家のシーラッハの48編の「観察記録」(Beobachtung)である。 といっても、内容は短編小説風のショートショートとエッセイであり、著者の刑事弁護士としての経験を踏まえた人生観、あるいはナチス戦犯だった父親の思い出など様々であるが、どれも興味深い。 酒寄氏の翻訳も、さすがに歯切れよくわかりやすい。 いくつか挙げる。 1.子ども時代のこと。池のある大きな屋敷で暮らしながら1度もバカンスをしたことがなく、「幸せな子ども時代などあるわけがない」という。10歳でイエズス会の寄宿舎に送られる。 4.1967年のデモをめぐる3人の弁護士を描いた映画について書かれているが、3人のうち1人は「テロリストの弁護人」から連邦内務大臣に、1人は緑の党の連邦議員に、もう1人はドイツ赤軍メンバーから極右活動家となって収監される。それぞれの国家観や人間観が比較されている。 14.ブラジルに出張した際の旧友との出会い。かつてのイギリス名門貴族との古きよき時代の懐旧談のうちに父との思い出を回想する。 15.「煙草が吸えないなら天国に行かなくていい」というマーク・トウェインの言葉から、愛煙家らしい喫煙談義が展開される。ついでに旧約聖書の楽園追放についても、「ふたりはこのとき、はてしない退屈を放棄し、頭が空っぽな状態を捨て、まったりした気分に浸りつづけることをやめた」と皮肉られている。 16.ウクライナの女性弁護士がロシアに占領されたドネツク共和国とルガンスク共和国内で横行している拷問や殺人を告発して闘う話が、ナチスのユダヤ人迫害と重ねて書かれている。現在のウクライナ戦争より前のことである。著者はドイツ基本法の根源にある「人間の尊厳」に触れ、「私たちは法を定め、強者を優遇せず、弱者を守る倫理を生みだした。隣人に敬意を払うこと、これこそ、私たちをなによりも人間らしく しているものなのだ」という。 20.音楽大学でピアノを学ぶ日本人女性との交流の悲話。良寛の俳句《うらを見せておもてを見せて散るもみぢ》を教えられる。 24.自国中心主義を堂々と公言するSNSと政治家。裁判所の決定に対する「ドイツ国民を助けず、害する法って何だよ?」というコメントが、ナチス高官の言葉と重ね合わされる。 30.「児童虐待者にも社会復帰の機会を与えなければならない」と言っただけで、マスコミやネットで集中攻撃を受けて、精神的ダメージを受けた女性政治家の話。 45.人間の脳のデータをコンピューターにバックアップすれば永遠に生きられると信じた技術者の話。 なお、2でバーバリーをボイコットした「アラブ首長国連邦」の話が出てくるが、同国が成立した1971年以前の事件である。原文は》die Liga der Arabischen Staaten《 であり、アラブ諸国家の協力機構である「アラブ連盟」の誤訳であろう。 9のスイスにおける死刑に関する国民投票についても、スイスは現在も死刑廃止国であり、背景説明が必要と思う。 | ||||
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刑事事件弁護士出身のドイツ人作家フェルディナント・フォン・シーラッハの久しぶりの新作邦訳です。私はいつもフォン・シーラッハ作品を予備知識なく読み始めることを常としています。今回はどんなミステリー小説が読めるのかと、期待に胸膨らませてページを繰り始めました。 ところがこれは小説なのか、エッセイなのか、様々な長さの、しかも断章とでも形容できそうな文章作品が、わずか160頁足らずの中に47編も詰め込まれていました。 万人がそろって了解できるような明確なオチがある作品はほとんどなく、読み終わった後に冒頭から再度読み直したくなる掌編ばかりといえるでしょう。ですが、読み返してみるほどに、読み手である私の体内に何やらずしりと沈み込むような深い思いが繰り返し訪れます。 ボクサーだった恋人との突然の別れを回顧する老婦人の物語の最後の一行(第25編)などはその最たるものですし、第40編の老いた古い友人の寂しい人生なども一例といえるでしょう。(以下はその断片です。) 「きみの人生は、私の想像とずいぶん違うものになったな」 (中略) 「そうかもしれない。なるべくしてなったのさ【……】若いうちは、そういうことを知らない。歳をとってから学ぶことさ」 こうした何げない言葉を綴る作者と読者の私は1歳違い。50代後半のフォン・シーラッハだからこそ実感をともなったうえで紡ぐこの言葉が、私の胸にも強く染みます。 もうひとつ付け加えておくならば、ドイツの歴史・文化に通じていなければ理解が進まない文章も少なくないことです。ですが今やネット時代ですから、ドイツ人読者であればごく当然のように思い当たるような事象について、辛抱強くネットで情報を探りながら読んでみることをお勧めします。 私は「ドイツの秋」に関係した3人の弁護士、特に極左思想家から極右扇動家へと鞍替えしていったというホルスト・マーラーなる人物に関心をもってネット検索を重ねました。(かといって、彼の思想転向について納得できるような理由にはたどりつけませんでしたが。) マゼンタという色名とイタリアの町マゼンタの連関関係についても調べてみたところ、第15編の最終行が語るような劇的由来は事実ではないと知ってしまい苦笑しました。 最後に、法律家フォン・シーラッハならではの次の言葉を引き写しておきます。 「自然の法則のままに生きるなら、私たちは弱者を殺すことに持てる力を行使するだろう。だが私たちは別の選択をした。私たちは法を定め、強者を優遇せず、弱者を守る倫理を生み出した。隣人に敬意を払うこと。これこそ、私たちをなによりも人間らしくしているものなのだ」(65頁) . | ||||
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シーラッハのレビューは難しい。しかし書かずには居れない。 乾いた文体、問題を提起する形、しかしそれだけではない。魂を震えさせるものがある。 今回はシーラッハの考えを伺える章もありそれだけでも読むに値すると思う。 揺さぶられます。是非ご一読を。 | ||||
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シーラッハらしい作品 | ||||
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