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(アンソロジー)
ひどい民話を語る会
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ひどい民話を語る会の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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民話の「できそこない」に光を当てる企画に基づいたと思しき書籍。日本民俗学は、民話という名の、大雑把に言えば「民が作った話」のおそらくは「上澄みのきれいなところ」のみに焦点を当ててきた。上澄みでなければ学問としての沽券に関わるところがあったのだろうし、また上澄みでなければ分析や解釈が不可能だという事情もあったのだろう。そうして採集されながらも一切取り上げられない夥しい民話が残された。それらは辻褄が合っていなかったり下品だったり猟奇的なだけであったりするのだが、それだけに話の作り手の想像力=創造力についてのどうしようもない貧困さや偏りが透けて見える。それらはそのどうしようもなさのゆえに、日本民俗学が大事に抱えている「民俗」思想へのアンチテーゼとなり得るのかもしれない。 | ||||
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糞便の話以外は大層気に入り楽しかった。しかし、はやりの子供用うんこドリルを見てもそうだがやはり、子供は昔から糞便大好きですね。京極さんのおしゃれな感じが本作では出てないかな。北海道におしゃれ民話は少ないのかな。 | ||||
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そこまで酷くは無いですが、民話にも色々バージョンがあって楽しめました。 | ||||
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面白かったが少し物足りない中身でした。もっとたくさん載ってれば良かった | ||||
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人間くだらないことが好きなんだなぁと、改めて感じる一冊です | ||||
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いちばん刺さったのが豆粉の置き場所というエピソード 頭の中でドリフに変換されてそういうノリって昔からみんな好きなんだよなぁ ババァ(加藤)「じい様きな粉ができただよ、ひえっぷし!」 ジジィ(志村)「(手で顔の周りを払いながら)せっかくできたきな粉がもったいなかんべ、戸棚でネズミに食われたらもったいないから二人の間において寝るベ」 ババァ「んだなねんべねんべ」 イビキの音 ブオッ(ジジィのオナラの音) ババァ「じい様の屁でせっかくのきな粉が・・・栓してやれ!」 ジジィ「ウ~ン、ウ~ン(オナラチャージ中)」 バボーン! 粉まみれの二人が現れて ちゃーらーらー ちゃちゃん♪ こんなコントが頭に浮かんで笑っちゃって寝れないよ | ||||
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なんだか、ホッとしました。汚い話もいっぱいですが毒が感じられなかったからです。 | ||||
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真面目に話しているのにフォントを強調するだけで面白みが出てくる。80年代によくそうしたデザインの本が多かった印象があるが、こういった内容の本ではまだ活用できるのが分かった。結論は早々に京極氏が述べてしまっているので、読者は対話の面白さを楽しむしかない。その目的には効果的だったと思う。対話よりも鼎談以上の人数のほうが面白かった。 | ||||
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京極夏彦氏の語り口の上手さに脱帽。 初めはかなりの下ネタ(子供は意外に好きかも)に呆れ笑ったが 原話のバリエーションがこれほどにと思う量が紹介され圧倒された。 民話が縦に横にズレまくりながら膨らんで後に文学的にまとめられて いくプロセスをこの本で改めて学んだ。 子供の寝かしつけで「それから?」「もっともっと!」のリクエストで 「ならもっと面白くしてやろう」とエスカレートしていく。 そのうち語る大人も半分眠りかけて面倒になり話がどんどん脱線していった、、、 これが民話成り立ちの一つかもしれない。 テレビの一方通行による寝かしつけでなく本の読み聞かせや昔語りでの 「どうして?」「それから?」などの言葉のやり取りがいつか子供にとって 素晴らしい財産となると思う。 | ||||
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昔読んで凄くおもしろかった「妖怪馬鹿」という本を思い出しました。 こういうノリの本続けて出て欲しいですな。 しかし何故「妖怪馬鹿」は1冊で終わってしまったんだろう。 | ||||
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ひどい民話が本当にひどい民話過ぎて面白かった。オチも意味のなさも最高にクレイジーでよい。頭空っぽに読める。 | ||||
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如何にひどい民話でも、語られた以上は一つの「民衆の作品」である…そんなスタンスで開催された座談会を一冊に纏めたのが本書である。 それでは本書で扱う「ひどい民話」とは一体どのようなものなのか…? それは端的に言うならば「下ネタ中心の下品な話」だ。 日本の民話にはウンコだのオナラだのの話が至極多いと言う…勿論、オリジナルをパロディ化したものもあれば完全に創作されたものもあるのだが、肝心なのはこうしたネタを扱う事に依って笑いを与え、聞き手の関心を集めたからこそ“下品な民話”が発達したという事であり、成程、如何に下世話な物語でもそれが語り継がれたという事は、ここに「民の物語」があるという事なのだろう。 さて、座談会のメンバーは京極夏彦氏、多田克己氏、村上健司氏、黒史郎氏の4名だ。 各部でメンバーが入れ替わったりもするが、何れにしてもひたすら、大真面目に下品な民話やアンモラルな話を互いに紹介しあいながら感想を述べているのである。 勿論、随所にコラムを掲載しながら物語の背景を解説したり、或いは本書を読むに当たって考えるべき題材を補足したりしているので、決して“ひどい民話”を面白おかしく茶化すだけの内容ではないし、本書はたまたま下世話な話に焦点を置いているだけで、その他にも不思議な民話が幾らでもあるであろう事を髣髴とさせられる所からは“民衆が創り上げた芸術”としての民話の奥深さを実感する事が出来るのではなかろうか。 ただ、私自身は説話等を読んでいて、時にこうした下品な話が入っていると思わず爆笑してしまったりする事もあるが、これだけ多くの“排泄物物語”を並べられると、もう一杯一杯…という感じもしたし、食事の前に読まなくて良かったとすら思う。 尤も、これは即ち、古典説話等よりもこうした民話の方がよりリアルという事か…民話、恐るべしである。 | ||||
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文中幾度となく言及される爺婆の ワルノリもさることながら、 こうしたバリエーションが生まれる背景に コドモ側からの関与もあったのではないだろうか? '70年代のTVドラマTBS『フルーツケンちゃん』でこんなオハナシがあった。 マンガやテレビに夢中になるケンちゃんたちに お父さん(牟田悌三)が昔話"桃太郎"を語って聞かせようとすると むかしっていつ? ある所ってどこ? あげくに、キビ団子もらったぐらいで家来になるなんてオカシイ! そうだ、ダンゴはきっとエネルギーボールだったんだ! ・・・とあわれイヌ、サル、キジは 鉛色の金属装甲を施されたロボットに・・・。 ウィキペディアで調べてみたら 1976年7月15日放送の 「へんな昔ばなし」 というのがある、多分コレ。 ケンちゃんたちを例に挙げるまでもなく みんなしてませんでした? 川で洗濯しているお婆さんのもとに 桃の代わりに流れてくる巨大な ◯ンコ、◯ンタマ・・・。 月に帰ったはイイが月には "空気が無い" ので窒息してしまうかぐや姫。 昭和40年代から50年代にかけて "パロディ"だの"パスティーシュ"だの気の利いた呼び名など 知るべくもないが知らず知らずのうちにその精神を実践してたような? ミナサンもそうじゃなかった? | ||||
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娯楽が少ない時代において、貴重なその一つだった「民話」。現代までに伝わるのは、時代を経るにつれて洗練され、専門の学者に拾われ、近現代の(一部の人間による)価値観に合わせて改変されたり歪曲されたりしたものばかりである。では、日の目を見ない、歴史の闇に眠る民話のバリエーションとは――? メジャーな昔話の陰に埋もれた選りすぐりの「ひどい民話」を掘り出して紹介する伝説的トークイベント「ひどい民話を語る会」を書籍化! かつて昔話は、子供を寝かしつけたり暇を慰めたりするために語られるものでした。「つまらない」とか「それもう聞いた」とかで子供が耳を傾けない。そうならないよう、語り部は創意工夫をします。なんなら相手の様子次第で、語っている途中でアドリブで話を変えてしまうことも。そして話を盛ったり展開を変えたりして、バリエーションが増えるわけです。 もちろん語り部もただの親だったり親戚だったりするわけで、語りのプロではないので結局話として破綻していたり、シモネタエロネタのオンパレードになってしまうことも。 ――でも。 もう一度言いますが、娯楽が少ない時代において、「民話」は貴重なその一つでした。語る人の数だけバリエーションは増えます。その中で傑作も生まれれば駄作珍作も生まれます。その駄作珍作こそが「ひどい民話」なのです。 「ひどい民話」こその珍妙な味わい。言わば珍味のようなもの。これをバッサリ捨ててしまうのは勿体ないと思う人は、ぜひ本書を元に民話の世界へ入ってみてください。もっと「ひどい民話」が見つかるかもしれませんよ? | ||||
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