■スポンサードリンク


白き瓶-小説・長塚節



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

白き瓶-小説・長塚節の評価: 4.20/5点 レビュー 15件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.20pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全15件 1~15 1/1ページ
No.15:
(4pt)

きれいでした。

きれいでした。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.14:
(1pt)

興味がない世界の内容は辛い

俳句や短歌などを題材にした長編で、全く興味がない世界なのでただただ読むのが辛い。
何度投げ出そうかと思った事か。
我慢して最後まで読みましたが、内容は殆ど記憶にないです。
読んだというよりは、ずーっと文字を見たという方が正しいのかもしれません。
私にとっては面白くも何ともなく、辛かっただけです。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.13:
(5pt)

涙です。

さすが藤沢周平です。周平が好きな人、うたよみが好きな人、是非、お読みください。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.12:
(3pt)

苦しむ!

「小節 長塚節」と副題にあり、長塚節の死をもって終わる小説だが、正岡子規から斎藤茂吉に至る歌論が基底にあり、その中に長塚節の歌と人生を、どう位置付けるかを探求した、と云えなくもない。従って歌について、ある程度の理解がないと、中々読み進められないのが、偽らざるところであろう。藤沢周平の本でなければ、中途で投げていた。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.11:
(5pt)

時代劇以外の藤沢周平も良い

藤沢周平作品の時代劇は全て読んでしまったので、今まで現代モノは敬遠していましたが、挑戦しました。
面白かった。長塚節と伊藤佐千夫の友情と嫉妬、反感、創作活動をする二人の弱い心と強い想いが、創作者である藤沢だからこと、肺病で苦しんだ経験を持つ藤沢だからこそ、微細に描けたような気がします。
長塚を描きつつ、私には、十分に伊藤が魅力的に映った。苦しい生活と俗物感は決して芸術に対する崇高な想いを汚してはいない。作中、長塚の短歌も初めて詠んだが、美しかった。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.10:
(5pt)

図書館が遠くて行けないけど、読みたい本がすぐ届く

アララギの黎明期の、歌人たちの苦悩、努力、世の中の情勢などがよく書かれていて、感動した。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.9:
(4pt)

なかなか評価がむずかしい…

評者は、この作品を、作家「藤沢周平」への興味、あるいは文学ジャンル「小説」への興味からではなく、歌人「長塚節」への興味から手にとり、読みました。

 以前、長塚節[1879年(明12) - 1915年(大4)]の歌集を読んだとき、その歌は少しわかりにくい、というか、歌としての日本語の姿がときに万葉調をまじえるためかやや古めかしいという印象がありました。
 が、徐々に読みなれてくると、そしてまた伊藤左千夫など同時代の歌人の作品を読みくらべていくなか、だんだんと節の歌のおもしろさなりその特徴がわかるようになりました。
 本作品でも節の歌がたくさん引用されています。

  芋の葉にこぼるる玉のこぼれこぼれ小芋は白く凝りつつあらむ

この歌は、自然の通常は目には見えない細部にまで詩人の想像のまなざしがのびてゆく点でなんとなくイギリス・ロマン派詩人キーツの詩を思わせるものがあります(もちろんキーツの詩であれば、そうしたまなざしは可視可感の世界をこえて〈美〉の理念世界へとつながってゆくものであるのですが)。
 あるいは本書のタイトルが由来するところの晩年の有名な一首、

  白埴(しろはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり

 まあでもやはり節は、日本近代短歌史上けっして大歌人とはいえません。
 現在、齋藤茂吉の盛名のおかげでアララギ派はよく知られていますが、長塚節、そしてこの小説に登場してくる伊藤左千夫もそうですが、当時も、そしていまもどちらかといえばマイナー・ポエットの部類に入る歌人といわざるをえません。

 そうした文学史的評価はともかく、作品としては冴え冴えとして感覚こまやかな自然写生の歌を詠んだこと、終生旅を愛し、人間関係において目立たず控えめに生きたこと、病気(結核)のため早世したこの歌人にはその病いゆえに結婚をめぐる悲恋のエピソードがあったこと、そんな歌人として、および人間として質朴にして清雅ながら悲運ともいえる生をおくった節に、同じ病いに苦しんだ藤沢周平はつよく惹かれたのかもしれません。

 この小説は、長塚節の伝記小説ともいうべきものですが、その一生ではなく、歌を詠み始めて以後、その死にいたるまでの半生をほぼ時系列にそって描いています。
 そこでは、おそらく節をめぐる膨大な資料と文献を読みこんだうえで、長男として背に負わされた家業の立てなおしや自身の病気の進行など、節を襲う逃れがたい苦悩に寄りそいつつ、節の半生がこまやかな筆でたどられています。 
 ただ、その半生にはさほどまで劇的なものがないゆえもあり、小説家の筆はやや淡泊な運びで進んでいいきます。あえて申せば、節の生まれ育った村や旅した土地の自然や人びとの描写はそれなりに丹念に描かれているものの、清爽な風のような文体のせいか、めくるページから、節の小説『土』にみられるような自然の土くさい匂いがたちのぼってこないといううらみがややあります。

 このあたりで、小説としての評価が分かれるような気がします。

 ややうつむきかげんに、だがしっかり前を向き、質朴にしてすがしくかつ懸命に生きる人間を描いた小説世界、といえばいえるかもしれませんが、評者にはちょっと深みが欠けるような印象をもちました。

 ところで、あたうかぎり資料や文献を博捜して基本的に事実のみが書かれることが原則の「評伝」あるいは「伝記」とはちがって、この『白き瓶』にみられるような、ひとりの文学者をめぐる「伝記小説」というジャンルがあるように思えます。これは「伝記」的事実にそいながらも、独自の推理をもとに結果的に虚構(になるかもしれないもの、とくに心理描写など)をもときに大胆にまじえた「小説」というものです。たとえばここで佐藤春夫の『小説 高村光太郎』がすぐ思い出されますが、この種のものでやはり記憶にのこる傑作は、日本近代最初の国語辞書『言海』を作った大槻文彦の生涯を描いた高田宏の『言葉の海へ』でしょうか。まるで見てきたかような臨場感あふれる筆致で、大槻文彦の幕末から明治期へといたる波瀾にとんだ人生がそこで小説ふうに描かれています。

 この『白き瓶』では虚構はできるだけ排して、きちんと事実の裏付けがある記述のみが原則なされているとは思うのですが、ただ、評者とすれば、「小説」ふうの描写などがなく、資料の精査と考証にもとづき、基本的に事実だけ(もちろん資料の欠落があるばあいは推理にたよることがあるにせよ)がしるされた「評伝」のほうが読みがいがあるように思えます。

 本書は、節がその35年の短い生涯にあって童貞のままであった(らしい)という内容の文で最後しめくくられています。
 しかしそれがこの伝記小説をしめくくるのにふさわしい一行であったかどうか。なにか宮澤賢治にも似て、節を妙に聖人化してしまうようなことにならないかどうか。あるいはかえって俗っぽい関心をひきよせることになりはしないか。もとより節が童貞であったことがそれほど重要なことであるのかどうか、ちょっと気になりました。

 日本各地をひんぱんに旅した経験のなかにあって、あるいは茨城の田舎にあっても、節が、当時の風習として花街や遊郭に遊びに行った可能性がないのかどうかということもありますし(齋藤茂吉などはかれが勤めていた巣鴨病院のちかくにあった白山の遊郭に遊びに行ったことが自身の歌や手紙などによってよく知られています)、小説のなかでは節が「のぞき」のようなこともやっていたことも描かれています(あわせていえば夏祭りのおりの、若い男女たちの夜這い・若衆宿ふうの風習もやや暗示的にではありますが描かれています)。
 まあでも、いずれにせよ、評者には節が童貞であったかどうかはどうでもいいことのように思えます。童貞であった(らしい)とあえてつけくわえなくとも、あるいは逆にたとえ節が遊郭に遊んだことがあったとしても、本書をつうじてじゅうぶんに味わった、長塚節の質朴にして清雅な生涯とその歌にたいする感銘はなんら変わらず揺るがぬものだからです。

 いっぽう、節の文学的盟友として(節のほうが年下ですがほとんど同等のつきあいをしていたようです)、小説前半にしばしば登場する伊藤左千夫。なんどか映画化されもしたあの『野菊の墓』の作者でもある伊藤左千夫。しかしあのような可憐な小説を書いたとも思えぬ、左千夫の実生活におけるとんでもない怪人ぶりをこの小説で知ることができたのはやはりよかったです。

白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.8:
(4pt)

地味な詩人の人生を丹念に描いた秀作

主人公の長塚節の名前は何となく記憶にあっても、実際に作品を読んだことがある人はあまりいないのではないだろうか。自分もその一人である。本書は然程有名ではない詩人の一生を、膨大な資料を読み解いて丹念に緻密に描いた作品だ。

節氏は茨城県の田舎で一生独身で37歳という若さで亡くなり、華やかさとは無縁の生涯を過ごした。従って、本書の中には心躍るようなエピソードは殆どない。しかしながら、節が正岡子規の弟子となって、伊藤佐千夫を始めとする子規門下の歌人たちと交流する中で、独自の世界構築を模索する姿、その一方で浪費家の父親の借金返済に苦労する様子には、胸に迫る静かな迫力がある。

そして、女性に憧れながら、家の借金で縁談がまとまらず、30歳半ばでせっかく決まりかけた最後のチャンスも、病気のせいで流れてしまう悲運には人生の残酷さを感じたし、その中でもその女性とのささやかな交流に慰めを感じする姿には心打たれた。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.7:
(5pt)

資料としても秀作

長塚節だけでなく、この時代のこと、周囲の人々についても書かれています。
正岡子規、夏目漱石、島崎藤村、伊藤左千夫、島木赤彦などなど。

明治後期の作家(小説、短歌、俳句)の経済事情、作家同士の交流、お互いの評価など、
知らないことだらけでした。

特に伊藤左千夫については、かなり詳しく書かれており、死亡するところまでは、伊藤
左千夫に関する本ではないかと勘違いするほどです。非常に興味深い作家だと思いま
した。

当時の肺結核患者の状態も非常に勉強になりました。肺病ということで、宿から
追い出されたり・・・・・。

長塚節の短歌は、初期の作品はあまり気にいりませんでしたが、死亡直前の歌は、すばら
しいです。

”手を当てて鐘はたふとき冷たさに爪叩き聞く其のかそけきを”

ひとつ興味を持ったのは、石川啄木です。嫌な人物として書かれていますが、短歌は、
素晴らしいです。石川啄木について次は勉強したいと思います。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.6:
(5pt)

さながら良質の文学史をおさらいしているような気分

読み始めは退屈な小説だと思った。第20回吉川英治賞を受賞したおりに選考委員の吉村昭が「小説としての伸びに問題が生じていよう」(p.488)と評したとあるが、その感じである。しかし、読む進むうちに、次第にその味わい深さに惹かれた。終わりに近ずくにつれ、読了が惜しくなった。

題名の「白き瓶」は、主人公の長塚節が好んで詠んだ「白い瓶」に由来する。37歳で夭折した長塚節(1864-1913)。茨城県岡田郡国生村で、豪農で政治家志向の父、源次郎と母たかの長男として生まれ、幼少の頃より歌詠みの才能に恵まれていた。正岡子規に師事し、伊藤左千夫らと「馬酔木」「アララギ」の中心人物として活躍。
小説でも「芋ほり」「開業医」「菜の花」などを発表、とくに夏目漱石の推薦で書いた朝日新聞紙上の小説、「土」が有名。とこのように書くと順風満帆のように見えるが、その人生は波乱万丈だった。父がつくった莫大な借金の返済などで家は傾き、農業経営も安定していなかった。
歌の世界でも、豪放磊落で感情を短歌にたくすべしとする左千夫に対し、子規ゆずりの客観的写実主義の道を極めた節、ふたりは短歌論また歌の作風で対立することが多かった。体躯は比較的大きかったようであるが、理知的で、人前にでるとことを好まず、ナイーブでかつ真面目一辺倒であった。
大変な旅好きで、日本中を歩いている。それは歌の材料をもとめる旅であったが、家での煩わしさからの回避の旅でもあった。若い頃から健康とは言いがたかったが、喉頭結核を煩い、晩年には肺結核も併発して、始終微熱、高熱に苦しんだ。黒田るい子との愛は、病に冒されている身の節には苦しいものであったが、心温まる瞬間であった。
根岸短歌会に集う節や左千夫らと「明星」歌人との対立、島木赤彦、斉藤茂吉らの台頭、小説世界での自然主義以降の流れなども細かく書きこまれ、さながら良質の文学史をおさらいしているような気持ちにもなった。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.5:
(4pt)

文学史知識の点が線から面へ

長塚節について
「“節”は“たかし”と読み、正岡子規の弟子で「馬酔木」「アララギ」で活躍した歌人」
ぐらい知っていれば文学史上の知識としては十分であるとともに、
作品としての短歌・写生文・小説についてはまったく知らないとうのが標準的か。

30年か40年前頃の中高生への読書推薦図書リストに「土」があり、
読んだか読まされたかの記憶ばかりが残っている。
その「土」も発表されてからちょうど百年。

「藤沢周平+長塚節」の興味から読んでみた。
記憶の点であった「土」の長塚節が、節の生涯として線になり、
伊藤左千夫・島木赤彦・斉藤茂吉と交友関係の広がりとして面となり、
長塚節という“人”が生きて暮らしてきたのだということが強く実感となった。

百年前の暮らし、結核という死病に罹患すること、
今では想像のつかないことが、藤沢周平氏の落ち着いた語り口で語られる。
読み通すにはそれなりの覚悟とエネルギーが必要だが、それに十分値する好著と言い切れる。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.4:
(5pt)

読む人よ 心してかかれ!

はっきり言って「非常に疲れた」。
藤沢周平さんの書いた本の中で、読み終わるまで、ここまで時間を労し、疲れた本はない。
内容も、武家物や市井ものではなく、近代に舞台を据えての初めて小説、近代短歌史の1短歌歌人「長塚節」の半生である。この間、この本を読むのが非常に辛く、1冊読む間に、別の藤沢周平作品を2冊も読んでしまったほどだ。如何にこの本を読破するのが辛いかお解かりいただけるであろう。この本を読もうとする諸氏よ、心してかかれ。

まず、「長塚 節」を私は知らなかった(恥ずかしながら)。この本のもう一人の主人公:伊藤左千夫はさすがに知っているが。長塚節は、短歌革新ののろしを挙げた根岸派:正岡子規の弟子。伊藤左千夫と並んでもっとも注目される存在で、正岡子規に「養子にしたい」とまで言わせたほど、理屈抜きにその才能を誉め、愛情を傾けられた存在であった。との人。

さて、何が辛かったか?
この本は事実関係のみで展開していく。ここには藤沢周平の創作は無い。だから面白くない、ページが前へ進まないのである。通常藤沢本は、次はどうなる? 次は?と 前へ前へとかき立てられる。それが無いのだ。あるのは、明治・大正の短歌界の事実詳細である。
しかし、ここに出てくるメンバーが豪華絢爛、昔 教科書で習った面々が次々と出てくる。
正岡子規、伊藤左千夫、斎藤茂吉、高浜虚子、森鴎外、夏目漱石、石川啄木、森鴎外、谷崎潤一郎、高村光太郎、志賀直哉、武者小路実篤、若山牧水など等。
これには驚きだ。
また、まったく知らない事実がいくつも出てくる。
私は、夏目漱石が朝日新聞の社員であったことを知らなかった(夏目漱石は英国留学から戻って帝国大の講師でありながら高浜虚子に薦められて「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を連載し文筆生活に踏み込んだ。その後坊ちゃん、野分け等を次々に発表し名声を高めていった。京大、東京帝大の内示を断って朝日新聞入社。文芸欄の主任であった)。
この立場から、歌人であった長塚節に朝日新聞の連載をさせたのだそうだ。また、伊藤左千夫=小説家=「野菊の墓」を連想するが、もともと伊藤左千夫は歌人で、節とはまったく異なる作法で相反していたという事実もここで知った。また、伊藤左千夫の暮らしぶり、奇怪で横柄な性格や「野菊の墓」の裏話など、これを読むと伊藤左千夫の今までのイメージがガラガラと崩れる。しかしながら、子規亡き後、総ページ32ページの「馬酔木」を伊藤左千夫、長塚節他7人で創刊し、その中心人物でもあり、親分肌でもあり、伊藤の自宅でこれが作られていったこと、また本業が牛乳やであったという事実も初めて知った。その後、伊藤左千夫に弟子入りした天才歌人:斎藤茂吉についても細かく記されている。

しかし、何といっても長塚節。37歳、生涯独身、結核で亡くなるも、その間その病人の身体で歌を作る為に日本中旅に明け暮れる。今と違ってほとんどが徒歩。それも治療、手術を旅先で繰り返しながら。この時代の憧れの歌人でみんなに慕われた人物(伊藤左千夫とは違う)。

そして、この人物のその事実をこと細かに調べ上げここまでの本にする藤沢周平は、これまたすごい。「疲れた」なんて感想は、はなはだ失礼極まりない。
ほんとに「よくここまで調べ、纏めました!」と、その苦労と大変さはこれを読むと誰もが解かる。
それはそれはすごい本です。

■お薦め度:★★★★★(★☆☆☆☆)
*大学の国文系の人、短歌を勉強する人にはもってこい。半端な藤沢ファン様、要注意です。
くれぐれも心して読んでください。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.3:
(4pt)

長塚節を知る良書

長塚節を知りたい方は、この本は絶対に外せません。膨大な資料を基に書かれた、伝記的小説。

 明治の歌人として、一級の評価受ける長塚節。しかしながら、啄木や白秋、与謝野夫妻や茂吉と比較して、知名度はかなり低い。そういった意味でも、歌人としての節をしる一級の資料的価値も併せ持つ小説だ。

 徐々に歌人としての実力をあげていく節の姿が読者に分かりやすく表現されている。

 おすすめです。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.2:
(4pt)

長塚 節を深めるために

とにかく膨大な資料にあたり、長塚 節像を緻密に追及した小説。
各地で友人へ宛てて書いた手紙や短歌を小説の中へうまく利用し、その内面を描いているところが印象的。また、アララギの同人、伊藤左千夫を描いた人物像も興味深く、案外こんな人だったかもしれないと妙に納得させられてしまうところがありました。短歌結社の運営を軸に様々な人間模様を描いている点はさすがです。
蛇足ですが、節が死期間近のときに九州を彷徨する姿が忘れられず、たまたま命日も近かったので、読後は彼のお墓参りに行ってしまいました。
ただ、資料に忠実なあまり、小説としてのおもしろさにはやや欠けてしまった感が拭えず、特に師である子規に対する敬愛の描写の薄いのが、私としては残念でした。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508
No.1:
(5pt)

伝記文学の高峰

藤沢周平(小菅留治先生)は、すでに山形師範の学生の頃に、歌人長塚節の歌集にふれたと言う。作品は「小説ー長塚節」であるが、実に広範な資料を踏査して渾身を傾け書かれた、伝記文学の最高峰の一冊であろう。解説を書かれた方も、この本は読むに骨の折れる本であるが、骨を折って、「読むに値する書」だと書いている。歌人長塚節は、その才能を惜しまれつつ若くして逝った、子規の最愛の弟子であり、アララギの大黒柱であったが、藤沢先生と同じ様に結核に罹り、その治療を兼ねて、日本の各地を旅に明け暮れた。茨城県石下町国生の生家と石下城には、コモをかぶった、長塚節の放浪姿のブロンズが建っています。彼は、鋭敏で在りながら、豊かで深さを湛えた多くの短歌を作りました、短歌好きで、長塚節の歌を愛さない人は居ないでしょう。その上、小説も書ける人であったと思います。37歳で亡くなられなければ、幾多の小説も残したで有ろうし、名歌は膨大な量になったでしょう。

この藤沢作品は、実に、「短歌鑑賞入門」の役割をも果たしていると、思います。好きな歌に「ウマオイの髭のそよろに来る秋は、眼を閉じて想いみるべし」、いつしか夏も終わり、秋の気配が近付いている、秋は眼を閉じて、こころの眼で感じ取るものだ。節はおそらくススキの葉に止まるウマオイを見たのでしょう。ウマオイの長い髭には、もう朝露が光っている。ああ、秋はもうウマオの髭の先に来ているのだ!、なんという叙情的な観察眼なのだろう!。こう云う歌に惹かれます。実を言うとこの短歌は亡き父に教えられたのだが、聞いて本当に感動した。

藤沢周平の故郷、山形は、斉藤茂吉や無着成恭の故郷でもあり、然も彼らは、どこかでつながりを持っている。高山樗牛、丸谷才一、等を生んだ山形の文学的伝統を、藤沢周平も確かに持つていた事の証明が、この「白き甕」なのでしょうか?この小説は、死病と闘い、死の影と触れ合った、小菅先生の体験も感じられるものがあります。長いですが、その一行一行が、丹念な調査を踏んでいて、この様な作品を書くには、相当の精力を消耗されたはずです。私達は、何となく気軽に読んで仕舞うが、労力を惜しまぬ丹念な下調べがあり、頭の下がる思いです。
白き瓶―小説・長塚節Amazon書評・レビュー:白き瓶―小説・長塚節より
4163087508

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!