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深い河
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深い河の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全142件 61~80 4/8ページ
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読みやすい作品であった。 作品を通して「神とは何か」「人間とは何か」を考えさせられた。 他の神父から異端視される大津の信じているキリスト教は、私から見て違和感がなく常識的である。全ての宗教は同じ神から発しており、大津の場合たまたまキリスト教であった。汎神論も語られ、遠藤周作の宗教観が分かる。キリスト教には詳しくないが、違和感を抱くクリスチャンは多いはずである。 ガンガーを通して、登場人物は生と死や自身の中のエゴを考え、区切りをつける。そうした描写も読み応えがあった。また読み返したい作品である。 | ||||
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人生の岐路で重荷を負った人がインドの深い河で見たものは何か。来世、転生などの人生の神秘、神の愛を問い続けた登場人物は、生活の中で交わった人もいたが、人生の中で触れ合った人も思い、最後はすべてを受け入れたのでは無いだろうか。遠藤さんの著作から、潜在意識、心理学、禅仏教、東洋思想を読みはじめたことが思い出される。 | ||||
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読み応えありました。最後まで読んだからと言って決してハッピーエンドでもないし、何かを教えてくれる訳でもないし、何かが分かるわけでもない。生と死とはなにか。宗教とは。輪廻転生とは。 いろいろと考えさせる事は多いが、誰の人生にもストーリーがあり、ガンジス河はそんな誰のことも暖かく受け入れてくれる場所である。きれいな河と聖なる河とは別である。 | ||||
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対照的な神が描写されているのが印象に残った。日本人留学生の大津が通っていたリヨンの神学校の神父たちが信じる絶対的な一神教の神。その大津は自然の全てに神が宿っているという汎神論的な信条を持ち、それを神学校の教師に知られ神父失格の烙印を押されて放逐された後、最後にはインドに流れ着き、ガンジス河のほとりで、貧しさのために葬ってもらえなかった人々の死体を火葬して河に流す仕事にたずさわっている。その大津の信じる神。どちらも神なのだが、後者に圧倒的な共感を覚えた。キリスト・イエスが伝えた神の姿はどちらだったのか。大津の最後の姿が塩狩峠の鉄道員の信夫の姿とダブって見えた。 | ||||
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宗教を「ごく普通の人間の倫理」と理解している人でも、作家となると一行で書くわけにはいかないのですかね。 | ||||
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遠藤周作さんの小説が大好きで久しぶりに買いました。 とても深い内容で、読んでいると鮮明な映像が頭の中に浮かぶようで、遠藤さんの鋭い描写が生きているので、久々に感動した小説でした。 暫く余韻が残り、益々他の遠藤さんの作品を読みたくなりめした。 | ||||
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中3息子の国語の読解問題(ある高校の過去問)を観ていて、出会ったのがこの深い河。ちょうど美津子がそそのかされて大津を飲み会に誘い泥酔させてしまうというくだり。毎日祈祷する大津に「そんなの棄てなさいよ」と迫る美津子に対し、「ぼくが神を棄てようとしても、、神は僕を棄てないのです」という大津のセリフが強烈に心に残りました、WIKIPEDIAでこの書のことを調べ、美津子が再び旅先で大津に再会する、と知り、物語の行方と遠藤周作の宗教観に興味を持ち、中学生がほんとに理解できるのか?という気持ちでぽちっとオーダーしたわけです。 読み始めると時系列が激しく前後し、登場人物もガンガーを舞台とした複数の人たちのそれぞれのストーリーで別個に進み、なんだ短編集か?と一瞬誤解するほどですが、冒頭、磯辺の妻をガンで亡くしていくところや、木口の壮絶な戦争体験は臨場感をもって読むことができ、十分なつかみがあります。大津と美津子のその後の交流やからみは、恋愛でもなく、精神交流でも知的交流でもないのですが、乾いた関係が展開され、逆に物語としての面白さが大いに増しました。 また、遠藤周作の宗教観が大津に投影され、西洋的排他的唯一神的キリスト教批判的で、キリスト教はもっと寛容的でよろずの神の中にいるべきもの、という考え方が興味深く読み進められます。 なのに著者は大津をこれほどまでに愚直に描いてしまったのが残酷なまでに良いです。フランスでは思想的に疎外され、神父になかなかなれず、大津の宗教観を美津子に書いておくる手紙は彼女の心にまったく響かない文章で、結局はインドに行きつきバラナシでアウトカーストの死体を運ぶところまできてしまう。さいごは旅行客が怒らせたインド人に止めに入ったら逆に自分がボコられて危篤に。でもここで話は終わっているので、死ぬところまで描写していないところに一筋の光が見えます。 ただし、美津子という女性にはリアリティもシンパシーも感じにくい。とりまきの学生からあいつをたぶらかしてみろよ、と言われただけでこの愚直までにどんくさい男を、”神でなくわたくしを取りなさいよ”と初対面で誘惑するものなのか、イケテる女性ならそんなことはしないだろう。そして、人を愛することができず、見合い結婚して離婚、そんな彼女が旅先まで追っかけさせるほど大津に翻弄されてるのか?というところなども実感なし。彼女をここまで行動させるなら、もう少し細かい描写が欲しいところです。(大津に関して言えばあんな人は回りにいないけれども、あれだけ背景的説明があって細かい描写があり、ぶっ飛んだ性格も非常に理解できるのです)。美津子に関しては私が理解できないだけかも、ですが、感情移入ができません。正直、磯辺の妻などの控えめな良妻賢母タイプ以外の女性については、どうも空想的すぎて、遠藤周作という作家の古典的な女性観を垣間見ます。が、最終的にはこの美津子の存在が、物語のファンタスティックな部分を深めていけるんでしょうね。 バラナシとガンガーという舞台の描かれ方が幻想的、おとぎ話的なところを強化しているとも思います。バラナシはそんなに素晴らしいところでも壮絶な場所でもなく、みんながみんな”悲しみを背負ってくる”場所でもないのです。もちろん多くのインド人がいつかこの地に行きたい、いつかこの地で死にたい、というあこがれの聖地には変わりありません。でもインド人にとってはごくごく当たり前の日常が繰り広げられる場所です。訳アリの外国人たちが何かを求めても癒される場所ではないのです。しかし、我々外国人は書物やテレビやネットや映像で、まだ見ぬインド、に過大な期待を抱いてしまいがちです。実際には、ガンガーに訪れて衝撃を受けるのは、まず最初に「肩透かし」ではないでしょうか。ガンガーは、心の深い悲しみを解決し、失ったものを見つけてなんかくれない。それはもちろん、この書を読めばそういうことはわかりますが、表面的にはこちらが気恥ずかしくなるくらい、描かれ方がドラマチックで大げさかなあと思います。 つまり、この書が発行された1993年にはインド本は腐るほどあって、バラナシ、ガンガーに、深い闇をもってやってきた登場人物という背景が、今更ながら、やや陳腐感を出しているんだろうなと思います。違う舞台のほうがよかったのかもと思います。 とはいえ、やはりこの小説の要はやはり美津子と大津であり、汎神的キリスト教観を通じた2人の心の通い合いや成長は、秀逸に描かれた良作であると、ぜひご一読をお勧めします。 | ||||
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読み始めると引きずり込まれて一気に最後まで読めてしまいます。深く心に沁みてくる名作です。 | ||||
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著者自身がクリスチアンであることに対する懐疑を感じさせるところもあるが、全体としては、三島由紀夫の、「沈める寺」(?)を、読者に解りやすく表現したような印象も受けた。 好作だと思う。 | ||||
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いやあ、いいものを読んだ。 小説を本当に久しぶりにほぼ1日で一気に読んだ。 遠藤周作はクリスチャンだというイメージだけで、彼の作品を読むことを敬遠してきたが、信仰とは何か、宗教とは何か、ということにほんとうに真摯に向き合い、それをいくらかでも伝えたくて小説を書いたのだということがよくわかった。 ヒンズー教にも、仏教にも、これだけのリスペクトを込めて小説を書ける、クリスチャンの作家というのはそうはいないのでないか。 かれは、キリストがヨーロッパにうまれ、ヨーロッパを起点にしかキリスト教を考えていけないということに対する違和感だとか、かつて神の名のもとに世界中で虐殺や略奪などの横暴が行われたことをどう受け止めるべきなのかという苦悩だとかにも、真摯に向き合い、それを含めて信仰ということを考え、小説にあらわそうとしてきたのだ。 いや、本当にいいものを読んだ。 | ||||
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全てのものを包み込み、来世へ向かってゆっくりと流れ行くガンジス川 聖なる河 愛とは 生き続けることとは 信じることとは 命とは このすべてを問いただし 理屈では説明できない感情で表現されるこの小説は遠藤の集大成に違いない | ||||
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学生時代に一度読んだことがあったのですが、ほとんど内容を覚えていませんでした。それにも関わらず、10年以上たった最近になって無性に読みたくなり(この作品が様々なところで話題にあがり評価されていることや、深い作品だという印象が残っていたため)、再読しました。 結果、ストーリー、文章に惹きつけられ、一気に読んでしまいました。 久しぶりに遠藤周作さんの作品を読んだのですが、彼の描く、人間が持つどうしようもない”さが”のようなものには、共感させられるところもありますし、「このような心の世界は存在しているんだ。存在していていいんだ。」と、なぜか勇気付けられます。 人生というものについて、いやでも考えてしまう人に、寄り添い励ましてくれる作品のように感じました。 また後日、この作品の登場人物の多くには、作者自身が投影されていることに気がつき、作者が人生をかけて書いた作品なんだなとしみじみと感じました。 | ||||
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インドツアーの直前に読んでから出発しました。1週間の旅行が奥深くなったかな⁉と思います。 | ||||
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(ネタバレ注意)神父の勉強をしている人の話がよかったです。私は男性作家の著書は苦手でした(村上春樹さん以外)。でも、最後まで読んでしまいました。神父の人が結局インドで独自の方法を選んだ点がよかったです。ただ、最後が意味不明です。危篤? 生き返るのか死んでしまうのかどちらだろうと悩みました。私なら生きるのか死ぬのかハッキリさせるでしょう。生き返るのなら、真面目に神父でいるという話でいいと思います。が、死んじゃうのであれば、彼は信仰を捨てて遊びまくる(女性ととか)という話にします。最後だけは不思議な小説でした。 | ||||
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遠藤周作は、神へのこだわりを捨てない人であった。 沈黙というテーマは、神への絶望をあらわしていた。 神がなぜ見捨てるのかということが印象的であった。 深い河 Deep River は、神を玉ねぎとしてしまうユーモアが生きている。 神に対する愚直な人間のテーマ;大津という人間は、人柄が生きている。 人間の目の前にある「深い河」は、なにを拒もうとしているのか? 善悪をみさだめられない。東洋の価値観。 神を信ずることを否定。生まれ変わり。 ガンー妻の予想しない死 夫婦の日常生活。 インドという国のもつ不思議さ;制度、「死」の自然さ。 なぜ美津子は、どこへ行こうとしているのか。 大津の生き方そして死に方。 深い河に 黄色の衣裳。 光が射し込む。 ガンジスの川の流れ。 りりしく、洗い流す。 日本人は、反省ばかりしていないか? 豊かさのあとに何があるのか? 肩の力を抜いて生きていけること 落ち着き 甘えること こんな風にのびのびと生きてくれたらうれしいな。 | ||||
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宗教とは何か、愛とは何かについて、深く考えさせられた。 「深い河」が死と再生の象徴であるように、私たち誰もが、大自然の大いなる源から生まれた支流の1本1本であると思う。 いま世界では、宗教による様々な争いがあり、ひとつの宗教の中でも様々な教義の違いがあるが、本質において私たちは一つにつながっており、大いなる神の懐に抱かれた存在なのだと思ったなら、すべてのいがみ合いが無意味に思える。 先日、武装勢力の襲撃からキリスト教徒を守ろうとして、イスラム教徒の男性が負傷したというニュースを知った。その後、病院で亡くなったそうだ。 宗教の違いを超えて、愛の本質はひとつであると思う。 果たして自分には、彼と同じことができるだろうか。 愛とは教義の中にあるのではなく、行いの中に宿るものだと、この本の登場人物の生きざまを思い出した。 | ||||
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宗教や人生の意味について考えさせられる本。しかし、途中の章のおわりかたなどすこし理解できなかったので、満足しきれなかった。 | ||||
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遠藤周作の作品をたくさん読んできた。 フランスのリヨンは一年を通して、殆どが鈍色の曇り空や雨だとか、 気胸という病気は肺に穴が開く病気であったりと、 遠藤周作の本で知ることと言えば、 物悲しいものが多数であった。 遠藤周作は、 そんな生きてゆく上での悲しみを純文学に込めた作家であったと感じる。 そしてもう一つ遠藤は、今日やるべきことは今日やるという考えではなく、 今日できなければ明日やればいいという生き方を推奨した作家でもあった。 そんな遠藤最後の作品である深い河。 作家人生を、引いては自身の作品すべてを清めるために書かれたような、 そんな事を感じてしまうのは私だけではないと思う。 悲しみの上に希望を見出し、しかし無理を良しとせず、 遠藤は十字の慈悲を文字に込めた作家であった。 | ||||
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深いですね… インドの学習として読み始めました。 そして、人生の勉強として読み終わりました。 最後も、いいと思いました。 その後、を想像します。 | ||||
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・妻に先立たれた夫が、妻の生まれ変わりを探しに ・戦争で熾烈な体験した老人が、仲間と敵の供養に ・病気になって一命を取り留めた男性が、 自分が飼っていた鳥が身代わりになって死んだのではと思い込み、 その鳥が生息してる所へ恩返しの為に、 ・人生につまらなさを感じている女性が、なんとなく惹かれ などなど、様々な境遇をもつ日本人がそれぞれの目的を求めてインド旅行に向かう。 しかし、期待どおりの現実と、日本では目にする事のない人間や、この世界の残酷さを感じながらも、それぞれの問題を自身が見つめる描写が印象的な小説。 特に印象的な場面は、どんな立派な偉人も、 道端で倒れている指の腐った物乞いも亡くなると、 同じように火葬され、その灰がながされる おせじにも綺麗とはいえないガンジス河で インドの人達は、沐浴をして祈る姿をみて 人生につまらなさを感じている女性が、ガンジス河に入り祈るシーン。 ガンジス河を人生や、はたまた神様に例え 「その河の流れる向こう側に何があるのかわからないけど でも過去の多くの過ちを通して、自分が何が欲しかったのか、少しだけわかったようなきがする。」 「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です。」 「その人達を包んで、河が流れている事です。人間の河。人間の深い河の悲しみ。 その中にわたくしもまじっています。」 と、それまで全ての人や、物事に対して冷めていた女性が しらずしらずに貯めこんでいた「悲しさ」・「虚しさ」・「ストレス」認め この深い河に身を委ねて、祈るシーン。 人はそれぞれの人生のターンングポイントで、自分を見つめ 自分では他人ではどうする事もできない事に対して 降参して、謙虚になって祈る。 その祈る姿は、欲・恐怖・悩み・ストレスをすべて背負い 自分の弱さをみとめながら、それでも生きている、素直な人間の姿なのだから 一番信じられるのだなと、思った。 この作品を読んで、筆者が伝えたいポイントではないかもしれないが 自分の中では「人間の祈り」がとても印象的に残った。 | ||||
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