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(短編小説)
海と毒薬
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海と毒薬の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.35pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全84件 21~40 2/5ページ
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ときどき遠藤周作の本を読んでいる。 これは実際にあった九州大学生体解剖事件(米兵捕虜の人体実験)をイメージして(という表現がいいのかな)書かれたもの。 生きている人間に医学的実験を施し、死に至らしめる。つまりは殺すという事だ。人を生かす仕事をしている医師が、人を殺す話。 人はそういう立場におかれたならば、そうせざるを得ないことがある。それはいままで生きてきてそう思う。戦争のある国に生まれた人、自分の身を守るために犯す社会的に悪とされる行為。今の自分はたまたまそれをしなくて済んでいるだけ。 物語は戦時中。人が死ぬのはしょうがない。病院内の勢力争いで優位に立たなければいけないからしょうがない。成功するはずの手術が失敗したのを隠すのはしょうがない。外で死ぬかベッドで死ぬかの差しかないから死んでもしょうがない。 この物語の主人公は運命にながされていく勝呂という医師なのだけど、自分はどうしても同僚の戸田の告白が気になってたまらなかった。というより、戸田は「わたし」なのだ。 こんなに「わたし」を表現されているように感じたことはない。戸田の告白、痛みを感じない自分を語る言葉ひとつひとつに恐ろしいほどピッタリとくる自分の心を感じた。ああ、自分の言葉で語ることはできないけど、これは「わたし」だ。自分だけは特別で許されていてでもそれを脅かすものは認められなくて壊していって、なかったことにして。 いい人が一人も出てこない気がする。橋本教授の妻ぐらいか。 手術(人体実験)の前の将校たちの様子からラストまで、傍観者の自分がいた。勝呂や戸田やその場にいる登場人物の気持ちに想いを馳せる前にその場にいる傍観者の自分がいた.考えるのが間に合わない。 そんな小説。自分は戸田の中に「わたし」を見いだした。これを読んだ人は、誰か登場人物の中に「わたし」を見つけるかもしれない。 人間ってなんだろうね。勝呂が助けられなかった「おばはん」はなにを思っていたのだろうと最後ふと考えた。勝呂はそれに想いを馳せる痛みを感じただろうか。それともそれを回避するために考えることをやめただろうか。でもきっと心の奥底にそれは残ることだろうな。人間に忘れる能力があるけれど、やっぱり忘れられないことはある。大抵忘れたいことを忘れないのだ。ということを今日考えた。 | ||||
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高校生の頃読んだ作品です。その頃はこんな恐ろしいことがあったのかと恐怖心を抱いたのを覚えています。それから、46年が経ち、もう一度読もうと思いました。戦時中の大学病院で行われてたアメリカ人捕虜に対する生体解剖。軍からの要請があったのも確かですが、それは医局という特殊世界の出世や名誉欲も絡んできます。それに関わった医師、看護婦そして医局員である戸田と勝呂の回想と発言と行動を通して、同じ解剖に関わりながらも、解剖後に抱いた気持ちや行動の違いに、人間の複雑さ不可解さが表現されています。勝呂は手術室に入りながらも結局恐ろしさで何もできずに、壁に凭れて様子を見ていただけなのですが、罪悪感に苛まされます。「今までと同じように患者に接することはできないだろう」と思うほどです。 しかし、戸田は自己嫌悪感が予想していたよりも湧いてきませんでした。自分ならこの立場に置かれたらどうだろうかと考えると、誰も責められないような気持になりました。 | ||||
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純文学では食べられないので遠藤さんはテレビに出たり講演会で主婦相手に滑稽な話をしたりエッセイで自分のことを滑稽に描いたりして稼ぎましたが、たぶんこの作品のテーマが生涯のテーマだったからご本人も言っていたように「人は見た目の真逆が本当の姿」だと思います。自分のことを言っていたのでしょう。自分の狐狸庵姿は世を騙す仮の姿、自分の本当は真逆であると。純文学作品の「沈黙」が売れたとき嬉しかったんじゃないでしょうか。 | ||||
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本当に醜悪な人間模様が描かれた作品である。とにかく醜いのだ。そして、その醜悪さがあまりにもありふれたもので、この国の大衆一般の心性を誇張することなく描き出したもののように思えるからこそ、暗澹たる気持ちにさせられる。 勝呂、戸田、橋本、柴田、浅井、上田、学校の教師、すべてが何と醜悪な人間かと思わされる。世俗の価値観をまるで空気でも吸うかのように何ら疑うことなく受け入れ、立身出世にばかり腐心する男どもと、嫉妬に駆られ暗いルサンチマンに取り憑かれた女と。勝呂のふらふらした主体性のない生き方、「ものわかりのよい」戸田の皮相な「リアリズム」(というより末人のニヒリズムか)、浅井の下卑た阿諛追従と功名心。上田の陰湿で恨みがましい心根。そのすべてに背筋が凍る思いがする。彼らはその醜悪さを素朴な礼儀としての世俗道徳の裏に隠しているが、ペラペラの皮膜のようなその「道徳」を剥がせばそれは一瞬にして露わになってしまう。そして、勝呂も戸田も浅井も上田も、ほとんど想像の産物とは思われず、われわれのすぐ隣で暮らしを営んでいる人物のように思えるのである。現実の日常世界に深く浸透した醜悪さゆえに、この作品には並々ならぬ不気味さと緊迫感がみなぎっている。 これら登場人物たちに共通してみられるのは、主我-客我という二重性を欠き、それゆえ自省や葛藤の契機を持たない即自的自己である。彼らは主体ではありえず、ゆえに己について思考することもできないし熟慮の末に判断を下すこともできない。彼らには善悪の参照枠が決定的に欠けている。そんな人びとが恥や世間体といった世俗道徳に依拠してかたちだけは社会適応を遂げつつ、根源的には動物的な本能と原始的・自己中心的な欲望と情動に突き動かされるがままに悪に手を染め、獣のように生きているのだ。だからこそその存在論的構造からして戸田には良心の呵責など生じようはずもない。戸田にとっての「善」は保身と利得でしかありえない。 戸田は対自的に我が身を振り返り自らの半生を回顧しているではないか?と自己批判を展開してもみた。しかし、これは、上田の回顧も含めて、遠藤一流のフィクションなのだろうと思う。遠藤の観察眼と人間描写の巧みさゆえに、小説の世界において、本来、即自的自己には不可能であるはずの自己反省が可能になっているのだ。それは実際には戸田や上田の回顧ではありえず、遠藤の手による心理描写なのである。だから、戸田と上田の回顧シーンを読んだときは、評者は違和感を禁じえなかった。こんな連中にそもそもこんな自己対象化と自己分析が可能であるはずがない、と。こんなに的確な自己分析が可能ならば、己の悪にこれほどまでに鈍感でいられるはずがない、と。 ともあれ、本書の持ち味はそのような人間のありふれた醜悪さの絶望的なまでの陰惨さを細やかな筆致を通して描き切ることで、その根深い悪の淵源を超越論的な領域にまでいわば棚上げしてしまったところに存するのだと言えよう。そう、遠藤はその観察眼と筆力ゆえにこの悪というものを超越論的特性という変更不可能なものとして現出させてしまったのであり、それによって悪は悪の悪性を失い、それでもやはりどうしても悪として指弾せざるをえないという捻じれを生み出したのだ。超越論的な「悪」に思い至れば、これこそが日本人の「原罪」なのではないかと言ってしまいたくもなる。 元来、人と人との「あいだ」というものはどこか麗しさを湛える超越論的な領域として、あるいは価値中立的な領域として描かれることが多いが、本書ではその「あいだ」は吐き気をもよおすような醜悪さが生成する場でしかない。超越論的領域の無垢さが穢されてしまったのだともいえようか。しかも最後の最後まで救いへの足掛かりはあまりにも弱い。 夏川による解説には日本人が良心を持つことの可能性/不可能性が論じられているが、評者にはそのようななまぬるい問題には思われない。それは、むしろ主体なき人間どもが寄り集まって「なんとなく」大きな流れや支配的な空気が出来上がってしまったときの、個人という存在の恐ろしいまでの弱さ脆さなのである。人体実験というセンセーショナルな題材は、むしろその極度の象徴に過ぎないといっても過言ではないだろう。それが言い過ぎだとしても、すくなくとも凡庸な諸悪の結節点に生まれるべくして生まれた巨悪の一つに過ぎないとはいえるだろう。実際、小説の筋書きも、各人の人生とその醜悪さがこの巨悪という一点に向かって半ば運命的に収斂するかのような構成を取っている。事態をすこし俯瞰してみるならば、この国で幾度となく繰り返されている、このような「なあなあ」の圧倒的支配には枚挙にいとまがない。先の大戦と敗戦後処理、フクシマの原発事故とその後のごたごた、最近の自民党政治の腐敗、いや、このような社会問題を論わずとも、この凡庸な悪はわれわれの生活の覆い尽くし隅々にまで行き渡っているのではないか。これらの悪は、この国の人びとが時代を越えて醸成してきた超越論的な「悪」の産物なのである。 そのような「悪」を前にして、「戸田のつぶやきに対し、否と力強く応じる声を、我々日本人は持たねばならない」などと高説を垂れる夏川の言葉はあまりに軽薄で無意味であると言わざるをえない。繰り返すが、この作品で描写されているのは経験領域の彼岸にまで達した根深い「悪」の超越論性なのであり、それゆえ「○○であるべき」というような水準で論じ変更を加えうる類いの悪ではないのである。そのような月並みな論評は小学生の学級会での発言と同レベルの甚だ幼稚で内容空疎なものでしかない。陳腐にして深く重い「悪」、夏川はこの「悪」の意味をまったく理解できておらず、作品を読み切ることもできていないのである。したがって、夏川の解説は端的にいって誤読であり、誤ったメッセージを読者に届けてしまうものである。 出版社はどうしてこのような人物に本作の解説などという大役を依頼したのだろうか、また、どうしてこのような人物がおよそ自分には手に余る仕事を引き受けたのだろうか。理解に苦しむ。そして、医師で作家と自称する夏川の的外れな理解こそが、この「悪」の根深さを何よりも雄弁に物語ってしまっているのではなかろうか。 最後に。主体など古くさい言葉だと思われるかもしれない。しかし、彼らは主体未然のどうしようもなく野蛮な存在であり、ポストモダニズムの文脈において否定されるべき主体性をそもそも持ち合わせてはいない。しかも、畢竟、彼らの心性は一般的な日本人の心性なのであり、なおかつそれは善悪の彼岸ともいえる超越論的特性であるかのようなのだ。悪ならざる悪。それが評者の恐怖と絶望をどうしようもなく煽り立てるのである。 | ||||
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詳細を忘れてしまったし、再読して損はない作品のため2回目。 主人公は勝呂なんだけど、今回自分には戸田の感情や思考、子供の頃の回想エピソードが、これ自分と同じじゃないのか?!とエゲつなく刺さった。対処せなばならない罪悪感、良心の呵責を抱えた時、良くも悪くも地頭がいいというのか、今風に言えばストレス耐性が強いというのか、その自己否定から抜け出す一見は論理的、しかし当然利己的とも言える思考プロトコルを脳内確立することで真っ向からの対面を回避する。 戸田の場合つまり、今までの人生何か後ろめたいことをしでかしてしまっても、他人や社会からの明確な非難を与えられることで初めて良心が痛む人間なのだ、と自分の過去の経験則からこの不文律のようなものを作る。それと合わせて、この時代における良心とはそんなものなのだ、と厭世的な達観も加わって自己防衛壁が築き上げられる。 人間は多かれ少なかれこの戸田的要素を持っていると思う。その意味では「人間失格」の葉蔵や「罪と罰」のラスコーリニコフとも似てると感じた。 続編と言われる「悲しみの歌」も先日読破し、私的に本作では脇役だった勝呂のことも理解したが、戸田のその後も読みたかった。多分見た目は至極普通の人、普通の生活を送っているが、一生誰にも話さない心の闇が深く屈折して存在しているような気がする。 | ||||
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読み易い文章に引き込まれ、一気に読めます。 | ||||
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日本人の価値観は一般的には相対的なものでしかなく、本人の考えで生み出されたものではないため、常に周りの人間の考えに左右されることになり、本人の考えから自分の行動に対して是々非々で考える事をしないことになる。という事は他人に対する恥の意識はあっても、自分自身もしくは神に対する罪の意識を持つ人はどれほどいるのだろうかと考えさせられる。 | ||||
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時代的な背景が戦時下という特殊な状況の設定ですが、現代でも考えさせられるテーマを描いています。いろいろと落ち着かない日々に読ませていただいて、考えさせられて、少し落ち着きました。月並みですが、老若男女問わずお勧めです。 | ||||
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気になっていた本だったので、一気に読んでしまいました。 | ||||
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娘の誕生日プレゼントしました。すごい喜んでます。 | ||||
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信仰について逃げないこれほど深く考えさせる作品はないのではないか。しかも何気ない日常に潜む心の奥底を覗いているような感覚にさせられる作品でした。 | ||||
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amazon内容(「BOOK」データベースより)以下、 生きたままの人間を解剖する― 戦争末期、九州大学附属病院で実際に起こった米軍舗虜に対する残虐行為に参加したのは、医学部助手の小心な青年だった。 彼に人間としての良心はなかったのか? 神を持たない日本人にとっての“罪の意識”“倫理”とはなにかを根源的に問いかける不朽の長編。 ※ 闇の海、か……。 終わりに、著者の姿とを重ね合わせるかの様に、深く余韻を残す。 Wikipedia、概要が書いてあるが、 『太平洋戦争中に、捕虜となった米兵が臨床実験の被験者として使用された事件(九州大学生体解剖事件)を題材とした小説。テーマは「神なき日本人の罪意識」。第5回新潮社文学賞、第12回毎日出版文化賞受賞作。熊井啓監督で同名の映画が製作された。 作中では九州帝国大学ではなく「F市の大学病院」とのみあり、登場人物も同事件に関わった特定の実在人物をモデルにしたものでない。ストーリーの構成においても創作性の強い作品である。 遠藤が九州大学病院の建物に見舞い客を装って潜り込んだ際、屋上で手すりにもたれて雨にけぶる町と海とを見つめ、「海と毒薬」という題がうかんだという。評論家の山本健吉は、「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけたのだろう」としている』 これの前に「白い人・黄色い人」を読み、一貫したテーマが存在する事を知り(それが無ければ難解だったろう)、重い内容は200ページ足らずなのに長編に感じさせる。 因みに、読んだのは新潮社文庫。神なき日本人の“罪の意識”の不在の不気味さを描く問題作だと書いてある。 私は毒薬といい、このセンスに脱帽だ。描写が素晴らしい。 どこか麻痺した日常を思う。考えずには、いられないよ……。 この後に『沈黙』を読んでみようと思います。 | ||||
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時代だからなのか、人間とはこういうものなのか。 戦争中であっても地位や名誉を追求する人々。 そのためには手段を選ばない。 たとえ人の命が粗末にされようと。 まさに毒薬です。 | ||||
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九州大学生体解剖事件をモチーフにした作品、という枕詞はもはや不要かもしれない。太平洋戦争後の日本、生体解剖に立ち会った一開業医の独白、そして戦後のGHQによる捜査記録(?)内の関係者2名の供述録という形を取った小説である。3名に共通するのは、生体解剖に対して直接携わったり判断を下してはいないことと、自ら積極的に決断して参加したのではなく場の流れに何と無く引きずられて参加したことである。 気弱な研修医、勝呂。患者より功績第一とする第二外科の空気に違和感を持ちつつも、自ら意見を述べて反対するにはいたらない。皆が見捨てた患者”おばはん”を一人見捨てず治療しようとはしているが、第二外科が”実験的手術”をすることになるが表だって反対をするまではできない。一応正義感はあるようだが、押し通すまでの強さはない。”おばはんは神”という文中の表現にもあったとおり、医療を通じて正義を遂行する振りをして自ら救いを求めている。幼少期から優秀で要領のよかった戸田。要領の良さの中に時折持つ罪悪感は、押しのけた相手に対してではなく、世間。あくまで対面であり、対面に対しての言い訳さえ立てば消滅する程度の罪悪感である。妊娠中絶、離婚後に看護婦として復職した上田。自らより幸福な女性を羨み、どこか見下す点を見出し、さげずんで毎日を過ごす。 三者三様の傍観者たち。至って普通の小さき人たちである。生体解剖後の反応も異なる。 「”お前は自分の人生をメチャメチャにしてしもうた”だが、そのつぶやきは自分に対して向けられているのか、誰に対して言っているのか、彼には分からなかった。」 正義を遂行する振りをしている勝呂にとっては、生体解剖の傍観は、自ら救いを求める行為に反している。一応良心の呵責を感じてはいるが、救いを求める対象がもはや存在しない。 「俺が恐ろしいのはこれではない。自分が殺した人間の一部分だけを見てもほとんど何も感ぜず、何も苦しまない心なのだ」 携わってはいたが、直接手を下していない。なのでおそらくはばれることはないので世間への言い訳は立つ。どこかでそういう思いを持つ戸田は、生体解剖という禁忌を踏んだ今も、罪悪感は感じない。感じない自分自身を恐れる 「(橋本先生、ヒルダさんに今日の事を言うのだろうか。言えないだろうな)ノブはヒルダに勝った快感をむりやりに心に作り上げようとする」 看護婦という、少し立場が違うからだろうか、一部始終を完全に横目で見ていたのにもかかわらず、何事もなかったかのようにその日を過ごす上田。 本書の中、生体解剖を正面切って反対した人物はいない。では、本書の全ての登場人物が生体解剖に直接的間接的にかかわることになったとしても、反対しただろう人物はいただろうか? 「あなたは神様がこわくないのですか」 医師の指示で、末期患者に安楽死処置を行おうとした上田に対して、こう言い切ったヒルダだけは正面切って反対したかもしれない。ドイツ人ながら昭和初期に日本人と結婚し、日本にまで来るような強さからくるのだろうか?一神教ではなく、古来多神教と仏教のハイブリッド教を進行してきた日本人とは違うのだろうか?たぶんそうではないだろう。 「彼女のブラウスから石鹸の香りがします。日本人のわたしたちは今、世の中では持っていない石鹸」 ドイツ人だからか、ヒルダは周りの日本人たちより経済的にはるかに恵まれていた。 人の生き死が身近だった時代だから起こったことなのだろうか?そうなのだろう。特殊なことなのだろうか?そうではないだろう。それは毒薬のように簡単に普通の人の心を麻痺させ、ドス黒く冷たい海のように確実に普通の人の心を覆い尽くす。 | ||||
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なんて事ない内容であることを確認しただけだったので、それさえ把握していれば読まなくても良かった。 自分が同じ状況になったとき、良心の呵責を感じるか。生体解剖を行うか。 私は自信を持って肯定するし、それが自然であると信じていた。故に感動も新鮮味もなかった。 | ||||
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"ぼくはあなた達にもききたい。あなた達もやはり、ぼくと同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。"1957年、九州大学生体解剖事件を主題に発表された本書は、新潮社文学賞、毎日出版文化賞を受賞した、巧みな構成で【罪の意識】を問いかけてくる普遍的傑作。 個人的には連日の様に新型コロナウイルスについてのヒステリックな反応を眺めながら、ふと本書の存在を思い出して、学生時代に感想文を書いた記憶を朧げに思い出しつつ久しぶりに手にとりました。 さて、そんな本書は1945年に行われたアメリカ軍捕虜に対する【生存を考慮しない臨床実験手術】を題材に絶対的な論理規範のあるキリスト教と違って、日本人には核となる軸がないことから【集団心理と現世利益で動くのではないか?】と、ルース・ベネディクトの『菊と刀』でも指摘されていることを、医師や看護師といった登場人物たちそれぞれの視点や語りで明らかにしているわけですが。テーマは違っても、今起きている日常の出来事と重なるところがある気がして、色々と考えさせられます。 また、題材にした関係者からの【本書に対する抗議の手紙】にショックを受けて著者が当初示唆していた【第2部を断念した】と考えられているのですが。直接的ではなくても、登場人物の1人『勝呂医師)を主人公に安楽死や医療行為の是非を問う『悲しみの歌』が発表されていることを再読して始めて知り、こちらも是非手にとってみたいと思いました。 医療に関わる人はもちろん?立ち込めている全体主義的な空気にもやもやしている人にもオススメ。 | ||||
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"ぼくはあなた達にもききたい。あなた達もやはり、ぼくと同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。"1957年、九州大学生体解剖事件を主題に発表された本書は、新潮社文学賞、毎日出版文化賞を受賞した、巧みな構成で【罪の意識】を問いかけてくる普遍的傑作。 個人的には連日の様に新型コロナウイルスについてのヒステリックな反応を眺めながら、ふと本書の存在を思い出して、学生時代に感想文を書いた記憶を朧げに思い出しつつ久しぶりに手にとりました。 さて、そんな本書は1945年に行われたアメリカ軍捕虜に対する【生存を考慮しない臨床実験手術】を題材に絶対的な論理規範のあるキリスト教と違って、日本人には核となる軸がないことから【集団心理と現世利益で動くのではないか?】と、ルース・ベネディクトの『菊と刀』でも指摘されていることを、医師や看護師といった登場人物たちそれぞれの視点や語りで明らかにしているわけですが。テーマは違っても、今起きている日常の出来事と重なるところがある気がして、色々と考えさせられます。 また、題材にした関係者からの【本書に対する抗議の手紙】にショックを受けて著者が当初示唆していた【第2部を断念した】と考えられているのですが。直接的ではなくても、登場人物の1人『勝呂医師)を主人公に安楽死や医療行為の是非を問う『悲しみの歌』が発表されていることを再読して始めて知り、こちらも是非手にとってみたいと思いました。 医療に関わる人はもちろん?立ち込めている全体主義的な空気にもやもやしている人にもオススメ。 | ||||
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"ぼくはあなた達にもききたい。あなた達もやはり、ぼくと同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。"1957年、九州大学生体解剖事件を主題に発表された本書は、新潮社文学賞、毎日出版文化賞を受賞した、巧みな構成で【罪の意識】を問いかけてくる普遍的傑作。 個人的には連日の様に新型コロナウイルスについてのヒステリックな反応を眺めながら、ふと本書の存在を思い出して、学生時代に感想文を書いた記憶を朧げに思い出しつつ久しぶりに手にとりました。 さて、そんな本書は1945年に行われたアメリカ軍捕虜に対する【生存を考慮しない臨床実験手術】を題材に絶対的な論理規範のあるキリスト教と違って、日本人には核となる軸がないことから【集団心理と現世利益で動くのではないか?】と、ルース・ベネディクトの『菊と刀』でも指摘されていることを、医師や看護師といった登場人物たちそれぞれの視点や語りで明らかにしているわけですが。テーマは違っても、今起きている日常の出来事と重なるところがある気がして、色々と考えさせられます。 また、題材にした関係者からの【本書に対する抗議の手紙】にショックを受けて著者が当初示唆していた【第2部を断念した】と考えられているのですが。直接的ではなくても、登場人物の1人『勝呂医師)を主人公に安楽死や医療行為の是非を問う『悲しみの歌』が発表されていることを再読して始めて知り、こちらも是非手にとってみたいと思いました。 医療に関わる人はもちろん?立ち込めている全体主義的な空気にもやもやしている人にもオススメ。 | ||||
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