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(短編小説)
海と毒薬
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海と毒薬の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.35pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全84件 1~20 1/5ページ
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この小説の後半は、承諾しながらも最後に生体解剖から逃げた医師の勝呂、理屈をつけて犯罪の苦しみを和らげようとする同じく医師の戸田、子どもを産めなくなり夫に捨てられた看護婦の上田という三人の視点で進んでいく。違法な手術に立ち合った三人の態度はまちまちだが、その違いは性格によるものではなく、それまでの人生で生じた理性の強弱の差だと思う。戸田や勝呂はなぜ苦しんだのか。良心に対する罰を、つまり心のどこかで神のような存在を信じていたからではないか。そう考えると、私は信仰を身近に感じる。不遇から捨鉢になったり周りの圧力に押し流されそうになったりしても、踏み留まらせてくれるのが理性であり、それを強く意識させてくれるのが信仰だと思うからだ。日本人は自分の理性に従って孤立するよりむしろ民衆の一人になる安心感を選択しがちで、個の人間として未熟な気がする。信仰は特別なことではなく、善く生きようと思えばいずれたどり着く行為だと思った。 | ||||
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本当にいい作品だ。一貫とした雰囲気は終始漂っている。長編ながら一気に読み切った。 | ||||
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遠藤周作さんがカトリック信者だから、キリスト教にからめて、日本人の倫理観と西洋人の倫理観という書評を読んだことありますが、この作品に宗教の要素は強くないです(深層にはあるかもしれませんが)。 これは昔、流行した日本人論の文化人類学に当てはめた書評だと思います。 遠藤さん自身は他の作品でカトリック信仰について、合わないものを着せられている違和感を感じたり、やめたいと思ったことがあるし、カトリックの信仰感と日本的な宗教間との間で悩んだりしたことを述べています。 よく知らない人で遠藤さんのことをたまに西洋かぶれでカトリック優位の作家と勘違いしている人がいますが、違います。 生体解剖に関与する医師の葛藤だけでなく、医局の対立、堕胎したことがある看護婦、人妻と不倫した男など、人間の弱さや醜さが描かれています。 いかに悪いことをしてきたかが記されるのを読むと、陰鬱な気分になりそうです。 直接的に宗教に触れていませんが、人間の業みたいなものを描き、それが宗教に通じるのかもしれません。 | ||||
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少しサスペンス要素の強い作品を読みたくて、海外旅行のお供に持っていきました。第二次大戦下、旧日本軍が、人体実験をしたことは知っていましたが、この事件のことは知りませんでした。事実をベースに、研究医である主人公勝呂(すぐろ)が倫理感に苛まれながら人体実験にかかわる様を描いてゆきます。戦争自体が倫理観がぶっ壊れた世界なので、日常生活にこれまでの倫理観を求めるのはナンセンスとも言えます。戦争とは直接関係のない、人体実験という事象を通して、強烈に反戦を訴える。素晴らしい小説でした。表面的な正義感では太刀打ちできない、人間の極限状態における人間の心理に迫るストーリーは、自分ならどうする、を突き付けられるので、とても好きです。沈黙も好きですが、文体も読みやすく、改めて、読んでいきたいですね。 | ||||
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先にDVDを見ました。ストーリーが若干違います。遠藤周作氏の「海と毒薬」というタイトルだけは,ずっと前から知っていましたが,読んだことありませんでした。最近ある新聞記事を目にしました。解剖に関わった医師がアメリカ兵の肝臓を食べたということで戦犯になり,巣鴨プリズンに収監されたとのこと。そのとき,医師が獄中で描いたスケッチが保存されていて遺族に返されたということです。この事件は「九大生体解剖事件」または「相川事件」とも呼ばれているそうです。この事件については,全く知りませんでした。これを題材に書かれたのが「海と毒薬」です。題名からは想像も出来ないようなストーリーです。結局,獄中の医師は,無実となって釈放されたそうです。しかし,実際に「実験手術」は行われ,多くが戦犯として裁きを受けました。映画で医師たちは,誰ひとりとして「やめましょう」とは言いません。軍部の言われるまま,もはや善悪の判断が出来ません。極限状況になったとき,人は思わぬ行動に出てしまうことが分かります。 | ||||
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学生の頃、この海と毒薬を同級生から借り読み ハマったものです その頃からかなり時は起ちましたが お薦めの本を紹介との頼まれ 事があり、それならと思い読みなおしました。 短編ゆえ、あまり詳細にだらだらと書くことなく医局の中に置いて主に勝呂と戸田の視点を通して罪の意識の不在と救いのない後悔を描いてると感じます。中年になり10代の頃この本をきっかけに遠藤周作にハマったのは神の不在というより、いわゆる罪を犯すものはどこにでもいる一般の人達となんだ変わりない 人達であるという事でありましょうか。 神の不在による罪の意識の不在という的外れな論評が多々 見受けられますけど、B29による無差別爆撃や核弾頭を二発もデータを収集する為に落としたアメリカ人 達は存在すら危ぶまれるほど罪の意識を持っていません。 日本人とは何かという太平洋戦争後、華開いた文学ではなく、 人間は本来、社会性を閉ざされれば簡単に罪の意識を無くす フランスの哲学者風に 述べるなら 行動の中に身を浸した人間は思考も無くすというところだと思います。 | ||||
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迅速に届きました。ありがとうございます。 | ||||
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戦時下においての異常な状況の異常な状態においての医大と軍部という狭い世界の中での登場人物たちの様々な、心理、葛藤を描いており、とても良い作品だと思いました。読んでよかったと思います。 | ||||
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異常な状況における異常な事態での行動を生体解剖を題材にして取り上げている。勝呂以外の実行者達も意外に冷静なのが怖い。裁かれることは嫌がるが、「…仕方がない、皆あの状況ならそうするよ」という開き直りのようなものが心を支えている。そこには人命に役に立つことをした誇りさえ感じる。人類のために人命を殺める矛盾。「夜と霧」の異常性にも通ずる人間の恐ろしさを感じる。自分がその場にいたらどうしたのだろうか。勝呂のように立ちすくむ勇気はあったのだろうか… | ||||
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面白いです。読み応えありました。日本の作家で一番好きなんです。オリジナリティが有ります。誰も真似しない。誰も真似していない。 | ||||
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戦時中米兵捕虜の生体解剖に加担した医師の葛藤を描く。心理描写や展開が見事。現代でも通用する。 | ||||
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人の生活を覗き見ているような本が好きです うまくやる話かと思ったら やり切れなかった話だった | ||||
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子供の宿題ですぐに届いたので良かったです。 | ||||
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遠藤周作さんの代表作の一つです。160ページほどの短編ですが内容は極めて濃く1945年の終戦間近に実際に起きたアメリカ兵捕虜を福岡の大学病院が人体実験した事件を題材にしたものです。 本作品では恐ろしい人体実験がされている状況でいかに周りの人間が正義に無頓着になれるかということがテーマになっています。 勝呂という研修医は、エヴァンゲリオンのシンジのようにクヨクヨ、ウジウジと悩み続けながも実験に加担してしまいます。勝呂の友人の戸田はご都合主義の世渡り上手で自分を上手く納得させて沈着にやり遂げる。かたや大連で夫に裏切られた出戻り看護婦は人体実験よりも女同士の憎しみ合いに気を取られている。 遠藤周作は自分がクリスチャンであり本作品でも神の名がしばしば登場しますが「神は何もしてくれない」とボヤくのではなくて「自分がどうすれば神の教えに近づけるのか?」という行動力を遠藤周作は訴えたかったのだと思いました。 人体実験に関わった登場人物たちは皆、世の中や組織の中に自らを埋没させ流されているだけの生き方が特徴的で、遠藤周作はこういう生き方を特に日本人特有の周りに同調するだけで自己の正義を持たない性質を表出させて描いているのだと思います。 今、まさに世界の中で老化し落ちぶれて行く日本、会社や組織での保身だけで毎日流されたまま生きている我々に対して警鐘を鳴らす書であるようにも感じました。 | ||||
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戦争末期に、九州大学附属病院で実際に起きた事件をもとにした小説。実話をあえて小説で表現したからこそ、ここまで長く読み継がれる作品になったのではないかと思う。 旧日本軍の悪行を暴くことを目的とした著作と予想していたが、どうやら著者の真意は別にあることを理解した。 | ||||
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戦時下に大学病院で行われた、生きた捕虜に対する人体実験。それだけでセンセーショナルだが、そこに白い巨塔的な病院内の政治や外科手術の描写や人の生き方が織り込まれているのだから、面白くない訳がない。 確かに医師たちは恐るべき人体実験をしてしまった。しかし、市井の親父たちも、戦地で人を殺し、女を犯しながらも平然と生きている。人とはかくも流されるものか。悪いことをし、反省しても、それを忘れてまた悪いことをする。それが人の本質なのか。ならばせめて、反省している時間を長くする努力を怠らないようにしたい。 | ||||
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率直に良作。『沈黙』よりも読みやすい。『沈黙』では遠藤周作を好きにはならなかったが、この作品でファンになった。どちらの作品も(解説の言葉を借りるなら)「神をもたない日本人」を描いている。グルーブ感は共通しており、遠藤周作の作品であることはすぐにわかる。比較でいうなら『沈黙』においてはテーマが直接的に描かれており、本作では巧妙に描かれている。 まず、「戦争」という限定的時代の「医学」という限定的社会から、「神」を探る設定は、本作のテーマの探求に無理がなくて、読みやすい。その設定は簡単に描いてしまうと綻びが発生するが、遠藤周作は当時の医局にいたのかと思うほど、ディテールや風土の描写に長けており、リアリティがぐっと増している。 読んだ後に『海と毒薬』というタイトルには、「海」は(神を持たない日本人が背負う)漠然とした罪の意識と、「毒薬」は心のどこかで自らが適切に罰せられる(世間の罰ではなく)ことを願っているのではないか、意味合いが込められているのではないかと考えた。 事件を語らずに闇に葬るのではなく、共時性をもつようなアナロジーによって、一連の事件を供養しているのは、作家の姿勢としてまさに本物である。 | ||||
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異常な状態に置かれたとき、人はいったいどんな判断をするのか。外国人捕虜に対する主人公たちの行いが許されることはないでしょうが、その罪を糾弾し、彼らを罰したところで状況は好転しないような気がします。彼らがいなくても、いずれ別の誰かが同じようなことをする。集団の中における個人の力の弱さというか、虚しさのようなものを感じます。 正義感の強い人は、主人公の行いに憤りを覚えるのかもしれませんが、良心があったとしても、それを行使できるかは別問題だと思います。自分の身を危険に晒してまで良心を保てる人間なんてそんなにいるものでしょうか? もし、彼らのような事態に巻き込まれたなら、残念ながら、私は流されるだけと思います。不本意だったとしても、いつか罰せられるのだとしても、目の前に広がる現実に逆らうのは、もっと恐ろしいので。 | ||||
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読みながら定期的に一息つかないと暗い渦に飲み込まれてしまいそうだった。 登場人物のほとんどが作中の途中で「どうでもいい」という言葉を発する。 非人道的で、側からみれば“悪“にしか見えない捕虜の解剖実験。 きっと皆、最初は心の根底で罪であることを承知していた。しかし周りからの圧力に流され、罪悪感に蓋をして、いずれ罪悪感の存在すら忘れる。 勝呂はその中でも最後まで自分に問いかけていた。だが、解剖に協力することはなくとも、その場所から退くわけでもなかった。 目を瞑り、現実を逃避するために今行われているのは解剖ではなく患者を救う手術であると自分に言い聞かせていた。解剖が始まる直前で関わる事をやめることができたのに、じじいのメスを奪うこともできたのに、必死にその場で目を瞑って時間が過ぎるのを待った。 だがきっとそこで行動できるなら、解剖実験について聞かされた時に辞退していただろう。 こう表現すると勝呂だけが逃げたように聞こえてしまうがそういう訳ではない。 他の解剖に参加した者たちは、考えることすらも放棄した。正当化して罪から逃れていた。 そして残酷な罪を犯した。 私は『海と毒薬』の海は、大きな波を作り出す社会だと思う。日本人の1番弱いところではないだろうか。 そして社会であるその大きな海に毒薬を垂らせば、最初は違和感を感じる。そして海の中で毒を掴もうとする。 しかし徐々に「こんな大きな海に垂らされたのだからもうどうしようもない」と毒に目を向けることを辞め、考えるのを辞め、そしていつの間にか毒の存在を忘れてしまう。 しかし、忘れたところで毒は毒のままであり徐々に社会を侵していく。 そんな場面に出くわしたとき、私は何ができるだろうか。こう考えることができる私はたぶん世間知らずなんだろう。 橋下教授の妻は凄い人だ。海を知らないだけなのか、知ってる上で立ち向かっているのかは分からないが、日本にはこういう人が必要なんだと思う。 あまり綺麗事は言えないが、海の中で毒を見つけた人を流すような人にはなりたくないなと思う。 以上、20歳の戯言でした。社会に揉まれる前に、ぜひ同じ若い世代に読んでみてほしいです。 | ||||
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自分はそんなはずはない。 妻はそんなことはしない。 娘はそんな子供じゃない。 けど何故だろう。 この本を読んでいると忘れていた自分の、少年期の醜さや、劣等感。大人になってからの無関心な自分を見透かされるような気がして、読み進めるのがとても怖くなりました。 どちらが正しいのか? 何が正しいのか? どうすればいいのか? ぜひ読んでみてください。 貴方はこの本を読んで怖いと感じるかどうかで、戸田なのか、勝呂なのかそのほかの人物なのか、分かってくるかもしれません。 | ||||
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