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青が散る
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青が散るの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全86件 41~60 3/5ページ
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20数年ぶりに読み返した宮本輝の「青が散る」。大学時代の懐かしき思い出。夏子に「何遍も何遍も…」と告白された燎平の深い哀しみ。辰巳教授から贈られた「潔癖」と「王道」の色紙の意味。この素晴らしい作品が電子書籍となって後の世代に残される事がとても嬉しい。 | ||||
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著者の大フアンで、すべての文庫本は、読破したが、なぜか、青春小説というので、いい年をしていまさらと思い60過ぎになるまで、よまなかったが、たまたま本屋で、手に取りその気になり読み出したら、上下いっき読み、4,5日で、読みおわつてしまった、やはり、宮本輝は面白い。 | ||||
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最初期の、自伝的な要素をモチーフにして書かれた作品群に俺は大学生当時、かなり救われている。 氏の書いた小説に於ける主人公たちの置かれた立場が、氏の境遇を反映しているのと同様、それは俺にもピッタリ当て嵌まる…リアルなものだったのだ。 宮本の文章の底流には、いつだって《闇》がある。ユング風に言えば《影》。 宮本の描く主人公たち〜例えば『青が散る』の燎平は、自分と他者の関わりの中から、《闇》があやなす不条理な情感の、様々な機微を《垣間見》る。 この時間と空間からでしか叶わない、《垣間見る》ということの特異性… 卒業後の青年期や壮年期においては「垣間見られる」当事者そのものとして、その後の生を生き続けなければならない。 無為にたゆたう四年間という神話としての時間の流れに、純粋な《コト》として立ち現れる、エロスと死。 それを、《垣間見る》ことで燎平たちは、傷つき、さまよい、もがき、苦しみ…背負わされた荷物の、引きずるべく足枷の、それぞれの重みを積み重ねていく。 …ただ、彼らには、その背負わされた荷物の《意味》を自分の《価値》に昇華するための、特別の時間が与えられているのだ。 非生産的な「勝ち負け」を純粋に追求する、テニスというスポーツを縦軸に…非生産的な、損得勘定の介入の余地がない他者との関わり方を横軸にして…彼の、彼だけの…背骨を貫く不変のルールを形成していくのだ。 その過程は、新しい生のちからを得ると共に、青が散る…死ぬことも内包されている。 ………大学の、あの四年間、今でも俺にとっては《郵便局》なのだ。あの四年間という空間を通して今でも手紙が送られてくる。 散ってしまった、青の残滓に透けた封筒の中に、自分のちからと、自分のルールと、自分の夢が書かれた便箋が入っている… そして、今日も俺は旅先から誰かに読んでもらいたく手紙を出す… | ||||
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新設された大学で大男の金子に強引にテニスサークルに入れさせられ、戸惑いながらものめり込んでいく椎名遼平。彼が思いを寄せる女性、夏子。不安神経症で天才テニスプレイヤーの安斎。爽やかな青春小説。 青春小説として、この上なく清清しく快活な一作。皆それぞれ悩みを持っており、それを1人で解決しようとして失敗する。しかし、仲間達の温かい支えがあり、友情の素晴らしさを実感させる。 王道や覇道、潔癖などの講釈もアフォリズムとして心に残る。 青春小説はどうしても物語が軽くなりがちだが、太宰治の「正義と微笑」のように重厚で忘れられない一作となった。 | ||||
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この物語の登場人物達は不器用で多感、そして未熟。 未来への不安を抱えながらも、溢れるエネルギーをテニスに、日常生活にぶつけて行きます。 楽しいことばかりではなく、未来に対する鬱屈や友の死、上手く行かない恋、それぞれの挫折があります。 それらを抱えながら不器用に走り抜け、彼らなりに掴み取って行く姿に感動を覚えます。過ぎ去って初めて気づく眩しく大切だった時代。 その時代の輝きと優しさが、今を生きる力を与えてくれる作品です。 | ||||
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二度と戻らない特別なシーズン。 あの頃の感じ取ったものを大人になったからと捨てられるだろうか? 実際、捨てたり、忘れたりすることはあるだろう。 でも、胸を切なくさせながら次のドアを開けていくのが人間ではないでしょうか。 きっと遼平もそうして行くでしょう。ただ切なくさせるだけでなく、思い出に負けないくらい今を走り抜けてみたいと感じさせる作品でした。 | ||||
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小説のなかのほとんどがご本人の体験したことであると 聞いていますが、普通の大学時代の青春ドラマという だけではなく、宮本輝作品を読んだ読者の好きな名作で いつも上位にランクされ、映画化もされた小説だけに 宮本文学の執筆で、読み終えると一種の爽快感が漂う。 | ||||
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切なくなるほどの大学生青春小説ってあまりない。 この分野では小説より、圧倒的に少女マンガの方が強いって 個人的には思います。 その中で、本書や柴田翔(されど我らが日々・・、贈る言葉)や 村上春樹(風の歌を聴け 三部作)等 名作もある。 ただ、これは俺のひがみの部分もあるが 柴田翔:東大 村上春樹:早大 という、いわゆるインテリ大学生が舞台で そういう舞台の憧れ半分、嫉妬半分で読んでしまう。 --- 本書は、著者 宮本輝 の追手門学院大学がモデルになったためだろう インテリ大学でもないし、バカ大学生って感じでもなく “普通の大学生”という、偏差値に偏らない(笑)大学生像だと思う。 *どちらかというと勉強しないではいれるバカ大学だが 登場人物はおおらかだが、バカっぽくはない --- 青春のみずみずしさや純真さを描いている。 セックスに対して過剰な意味を与えがちな若者、とも言えるが それだけ純粋だ。 酔った勢いでやっちゃいました。とか 腐れ縁でフラフラしちゃいました。とか リアルではそっちの方が多いと思う。 そういうのが好きなら本書は”考え過ぎだろっ!”だし 原田宗典の小説の方が向いているかも知れない。 仮に、考え過ぎだったり過剰な意味を与え過ぎだったとしても そこに青春の醍醐味を感じる。 --- 他のレビュアーで 【主人公と同年代だが“羨ましい程集約しすぎ”】というのがあったが 確かに、羨ましい程だ。 何にもなかった、さえない大学生活を送った者としては ポール・ニザンの名言 【私は20歳だった。これが人生の最良の時だとは誰にも言わせない】 がふさわしい。 現実は、それほど密度濃くないですよね。 でも、だからこそ 青春のみずみずしさを感じさせてくれるこの小説は素晴らしいのだ。 | ||||
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受付窓口で出会ったかわいい女の子、夏子につられるようにして、もともとたいして入りたくもなかった新設大学に入学した主人公、遼平。最初は大学に入ったところで何の目的もなかった遼平だが、次第にテニスにのめり込んでいく。テニスと恋愛、さまざまな個性的な人との出会いを通して遼平が成長していくさまが描かれています。 文庫本の解説にも書かれていましたが、登場人物たちはみんなエネルギーにあふれていながらもどこか醒めた目を持っているし、皆それぞれの挫折を大なり小なり経験して卒業していきます。そのような人たちの生き様がたくみに描かれています。 大学の新入生なんかが読んでも楽しいでしょうし、あるいは大学時代が遠い過去になった方々が読んでも、懐かしくちょっと切ない気持ちになるんじゃないでしょうか。私も折に触れて読み返してしまう小説です。 | ||||
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1982年初版、 新設大学テニス部を舞台とした青春小説。 恋に、スポーツに、未来に悩む内容で、 小説版「タッチ(あだち充)」といったところでしょうか。 ただ主人公は、 恋も、スポーツも、未来も、華々しいエリートというわけではありません。 よって作風も爽やか一色ではなく、 少し内向的な、冷めた感じになっています。 「ライバルはお金持ちでスポーツ万能」という トレンディドラマのようなベタな設定なので、 読みやすく、 主人公の持つ青春特有の悩みに強く共感できると思います。 | ||||
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ほろ苦い青春小説です。 テニスに打ち込む青春小説でもあるのですが、 主人公にからむ様々な人物がまた魅力的です。 ん十年前の石黒賢のドラマの印象が大変強く、ドラマを 思い出しました。 なつかしい青春時代のひとこまです。 | ||||
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「潔癖」と「王道」 いずれも担当教授が主人公に贈った色紙の言葉である。 この2語がこの作品を物語るキーワードのように感じます。 青春時代の友人関係や異性との関係をうまくまとめたほろ苦い作品です。 | ||||
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青春小説で何かオススメない?と聞かれたら真っ先にこれをお薦めすると思う。恋愛の悩み、将来への不安と希望、友情、さまざまな青春の要素がこの物語には詰まっている。 若干言い回しに時代を感じるが、読み進めていけば作品の世界にどっぷりつかり気にならなくなるでしょう。読み終わった後の余韻がすごくて、僕は読み終えて半月くらいずっとこの作品の場面が頭をぐるぐるしていました。 話の中に、フォークシンガーになる友人(ガリバー)が歌う「人間の駱駝」という歌があるのだが、これがすごくいい。80年代にドラマ化された時に、ガリバーを演じた大塚ガリバーという俳優が歌を出したので聞いてみて下さい。この歌詞がまた作品を一層深い物にしているので。 | ||||
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1982年に発行されたのだが、2008年の今読んでも全く違和感がなく、まさに青春小説だった。特に燎平の夏子に対する気持ちは読んでいて切なかった。 テニスに関しても本当に一生懸命打ち込んでいる様子が丁寧に描かれており、燎平とポンクの試合は現実のテニスの試合を思わせるほどしっかりと描かれていて手に汗握った。 | ||||
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夏子と燎平は、青春の象徴です。 「青が散る」は、夏子と燎平の出会いからその決別までを描いています。 二人は無垢であり、不器用で、それ故に傷つきます。 それは読者にとって、自分を重ねることのできる、身近で共感できる恋愛です。 20歳前後、子供でも大人でもない時期に、 誰でも燎平が夏子に恋するように誰かに恋した経験があるはずです。 イノセンスな燎平に自分を見いだして、切ない気持ちになるのだと思います。 物語の最後に夏子は彼女の分厚い殻を破って求愛します。 胸を打つシーンです。 一方、燎平は二人の人生が重なり合うことがなかったことに気がつきます。 お互い愛し合っているのに、燎平はそこで別れを決断します。 この恋愛で燎平が下した最初で最後の決断は、夏子との別れです。 若さとは「大事なものを失うこと」でしょうか。 別れていく二人に、読者は、若さ、青春を見ます。 その儚さが美しく、心を打つのだと思います。 あんなに大事な出会いはなかったのに、若さ故に逃してしまう。 青春の苦さとは美しいものだと、 本作を読むたびにつくづく思います。 | ||||
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いい本に巡り会うことができた。時が過ぎ、燎平達が四回生になり、テニス部を引退し、卒業が迫るにつれて少なくなっていくページに、無性に寂しさを覚えた。この本の名場面を挙げるのは難しいが、私は、燎平がテニスコートに貝谷と金子を見つける所からのラスト30ページを推したい。何度読んでもいい。本当にせつなくなるし、燎平、夏子がたまらなく愛おしくなる。 この物語は、比較的わかりやすく、感情移入がしやすかった。ただ、同時にこれは小説だからだとも思ってしまった。この小説が原作のドラマが過去に放映されたと知った。名作と言われるこのドラマは、彼らの世界をどう表現したのだろうか。観たことのない私は読後、非常に気になった。 とにかくオススメ。ぜひ読んで欲しい。 | ||||
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確かにおもしろいです!!レビューがすごく高かったので期待して読んでみました。私は宮本輝さんの本をまだ1冊しか読んでないのですが、それが『避暑地の猫』でした。今回、『青が散る』という青春小説を読んで解説者の森絵都さんが言っていたように、私にはこの本が光よりも影に見えました。読んでいて確かに若者が出てくるし学校生活が描かれているけれど、内面の悩みや葛藤は影のもので、明るい小説というよりも“あぁ宮本さんだなぁ〜”という小説でした。 | ||||
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宮本輝氏の代表作が今また新装版として分冊されました。 大阪郊外に新設された私立大学のテニス部を舞台としており、主人公の椎名燎平とその仲間たちの青春群像が描かれています。宮本氏は昭和40年代前半に追手門学院大学でテニスに明け暮れた日常を送られたので、そこでの体験が本作のベースになっています。 「『青が散る』は自伝小説ではなく,青春という舞台の上に思いつくまま創りあげた虚構の世界」だそうですが、登場人物の生き生きとした会話や描写は臨場感溢れるもので、登場人物の中に読み手が自己を投影しながら、昭和40年代前半の大学生達の生き様を追っている内に最後まで引き込まれていきます。この文章表現力は流石に芥川賞作家の力量が伺えました。 登場人物の中でも輝く存在である夏子への燎平の真剣な思いが、最初からラストまで貫かれています。テニスに打ちこむ中での友情や挫折、友の自殺、などを盛り込みながら、ストレートな青春ドラマが展開されていきます。燎平の生き方はとても不器用ですが、直向でもあり、誠実でもあり、共感できる部分も多かったですね。 未熟さや不安定さや不器用さや挫折というものを背負うのが「青春」時代の定めだと思いますので、若い登場人物の心の揺れ動きを見ていますと、多くの読者にとって「あの頃」の思い出とオーバーラップするところもあるでしょう。多感で傷つきやすいという青春の特性が、世代を越えた読者の共感を呼び起こしているのだと思います。 青春時代に失ったものの大切さを浮きあがらせ、紆余曲折の中で成就しえなかったものが「散る」に繋がるわけで、それがメインテーマを構成していると感じました。 | ||||
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1982年に刊行された大学テニス部を舞台にした小説の新装版。 後半の読みどころは多数あるが、主人公・燎平の恋の行方は敢えて外し、彼と年長者との交流を挙げておきたい。ことに、大学の老教授とのそれはしみじみと印象深い。 教授は、二回無断で授業を休んだ燎平が許しを請いに出向いた際、珈琲をたててくれ、「自由と潔癖こそ、青春の特権ではないか」と言う。二度と無断で休まないと誓うならこの珈琲を飲みなさい、誓えないなら出て行きなさい、どちらも君の自由だが、こそこそ授業をずる休みするのは潔癖でないと。燎平はこの教授が好きになった。「自由と潔癖」、名言ではないか。 そして後に燎平が手ひどい痛みと哀しみを負った時、彼のうちに渦巻く汚物を「すさまじい清流」でもって押し流してくれることになるのだった・・・ こんな小説を読んでいると、大人との貴重な出会いや絆の形成も「青春の特権」に思えてくる。だが実際はどうか。燎平のように懸命に生きた若者が皆立派な大人に巡りあえるか? 否だろう。立派な大人の絶対数が足りないのだ。そう、だから本書を読んでほしい。燎平の放つ若々しさ、まばゆさと、年輪を重ねるほどに厚みと陰りを増した教授の対比が活きており、エピソードがしみじみと刻まれる。 この対比の見事さは、小説全体を覆っているようにも思う。この小説の魅力のひとつはコントラストの強さではないか。まばゆさと陰り、哀歓、爽やかさとやるせなさ、希望と挫折・・・だからこんなにも強く物語が心に焼き付けられるのである。 | ||||
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このところスポーツ小説が賑やかだ。それらの愛読者のかたがたがこの小説を読んだらいいのになあと思っていたところ、新装版登場! ぜひおすすめしたい。初版刊行は1982年(文庫は85年)。舞台は大学で競技はテニス。数字を見ればずっと昔の本に感じると思うが、色褪せない名作と太鼓判を押す。 近頃話題のスポーツ小説に共通の傾向として気がつくのは、主人公たちが「ひたすらに」競技に打ち込む様が描かれる点。それがすがすがしい魅力を醸しているのは確かだ。対して本書は、舞台が大学ということもあってか、青春期のありとあらゆることが詰まっている。テニスも丹念に書き込まれつつ、恋、友情、初めて正面から向き合う生老病死・・・と盛りだくさん。それらが渾然一体となって、何とも言えない強く深みのある印象を残すのだ。テニスも学生生活も等分に扱われた青春小説と言った方が適切なのだろう。 また本書においては、「光」と「影」も同じ比率で描かれる。主人公・燎平を初め、多彩な登場人物たちの放つ光が鮮やかでまぶしい分だけ、影もまた色濃い。ままならぬ恋、錯綜する想い、焦燥、迷い、過ち、挫折、悲しい宿命・・・どれも痛ましく胸を刺す。しかしその影すらかけがえのないものに思える。おそらくこの時期にしか存在し得ない、極めて強い光と濃い影だから・・・それらを実に鮮明に情緒豊かに写しとっている。 とは言え今の若い皆さんは、燎平をじれったく感じるかなとも思う。他人がみな大きく見え、自分は到底かなわないという思いに苦しむ様こそ、まさに青春期の姿!とわたしなどには思えるのだが。大切な人に対して一歩を踏み出せない恋にも、胸が締めつけられてしまう。皆さんはどうだろう。とにかく読んでみていただきたい。 | ||||
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