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天平の甍
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【この小説が収録されている参考書籍】
天平の甍の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 1~20 1/4ページ
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天平の甍の舞台を昭和49年に、大阪でみました。その時、司馬遼太郎さんも、観劇され、挨拶されていたことが、忘れられません。そのお昼、わたしは京都の鞍馬神社から、貴船神社にかけて、樹木学実習をしていて、それを修了してから、大阪に駆けつけたのです。六月であり、タニウツギの花を一輪とって、胸をかざして、観劇したことが、おもいだされます。 | ||||
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唐の高僧・鑒真(688~763)の五回の失敗の末、ようやく果たされた日本渡来を主軸とした物語です。 多くの方のレビューで述べられている様に、本書の特徴は、文章が淡々としている事、感情を抑制した筆致に徹している事です。 『天平の甍』の場合、それが作品の質を高めることに成功していると思われます。 主人公・普照。および、栄叡、戒融、玄朗。 この四人の日本人留学僧の、唐に渡ってからの、それぞれの生涯が描かれています。 唐の高僧・鑒真の日本招来に尽力したのは、栄叡と普照です。 しかし、その実現は困難を極め、普照も、鑒真に従う唐僧たちも、懐疑的になっていきます。 最後まで志を持ち続けたのは、栄叡と鑒真自身でした。 その栄叡も、道半ばで病を得て、世を去ります。 失明した鑒真和上が日本渡来したとき、日本人留学僧の中で生きて故国の土を踏んだのは、普照ただ一人でした。 一方、普照が別個に関わった、業行という日本人留学僧。 その生涯をひたすら写経のみに費やした、特異な人物です。 業行は、自身の書写した経典を日本へ届けることに、異常な執念を抱いています。 普照もまた、業行の悲願のために尽力するのですが····。 仏教事業のため、日本と唐を往来すること。 その過程で、多くの人物や経典が、荒れ狂う海の中へ沈んでいきました。 業行の生涯をかけて書写した経典もまた、彼自身もろとも海の藻屑と消えたのです。 鑒真とは対照的な、業行の悲運は『天平の甍』のもうひとつの結末として、心を打つものがあります。 | ||||
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長い時が経ったにもかかわらず綺麗に保管されて頂いた事に感謝です。 | ||||
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奈良の唐招提寺、鑑真和上の渡日をめぐる日本の僧を描いた本です。挑むこと数度、当時の船舶は死を覚悟 してのことでありました。仏を広めるため盲目になりながら、渡日を果たす鑑真和上も凄いが、日本の僧侶 の粘り強い働きも描かれております。さすが、井上靖文学が如実に表れた本となっております。 若い人にも読んでもらいたい作品です。 | ||||
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この本の前に読んだのが諸事情あって「リアル鬼ごっこ」・・・・最後まで読むのが苦痛だったほどのひどい日本語でした。それもあって井上靖氏の日本語がとてもさわやかで助かりました。特に美文調でもないのですが、破綻のないなめらかな文に心がやすらぎました。ただの日本語といっても、これほどに差があるとは思いませんでした。 | ||||
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井上靖(1907~91年)氏は、北海道旭川町(現・旭川市)生まれ、京都帝大文学部哲学科卒の、戦後日本を代表する作家。1950年に『闘牛』で芥川賞を受賞し、社会小説から歴史小説、自伝的小説、風刺小説、心理小説・私小説など、幅広い作品を執筆した。日本芸術院賞、野間文芸賞、菊池寛賞、朝日賞等を受賞。文化勲章受章。 私は基本的に新書や(単行本・文庫でも)ノンフィクションものを好むのだが、最近は新古書店で目にした有名小説を読むことが増え、本書もその中の一冊である。 本作品は、名僧・鑒眞(鑑真)の来朝という、日本古代文化史上の大きな事実の裏に躍った、天平留学僧たちの運命を描いた歴史小説で、1957年に刊行、1964年に文庫化された。また、1980年には、日中国交正常化後初の中国ロケによる映画として公開され話題を呼んだ。 読み終えてまず感じたのは、人間の歴史というのは、無名とも言える人間の(一人ひとりの意志を超えた)無数の捨て石の上に築かれているものだということであった。 本書には、主に、天平5年(733年)の第9次遣唐船で大陸に渡った留学僧4人(普照、栄叡、玄朗、戒融)と、その前から入唐していた業行の、5人の運命が描かれているのだが、彼らの中には、同じ頃に唐に渡った阿倍仲麻呂、吉備真備、僧・玄昉のような文名・学才・政治的才幹を史上に留めた者はいない。 栄叡は、自分ひとりが勉強することは無駄だと考え、鑑真を招くことを自らに課しながら、志半ばで病死し、業行は、同様に自分ひとりが勉強することの限界を感じ、日本へ持ち帰るための経文の書写をひたすら行い、帰朝の船に乗るものの、遭難してしまう。また、玄朗は、還俗して唐の女と結婚し、子供を得、帰国を夢見ながらも、唐土に落ち着く決断をし、戒融は、唐土を知るために出奔して托鉢僧となりながら、最後に日本へ帰ることを試みる。そして、主人公の普照は、栄叡の熱意に引きずられながらも、鑑真を招くことに力を注ぎ、結局、20年後に鑑真を伴って日本に帰ることに、ただ一人成功するのである。 当時の航海は困難を伴うもので、多くの留学僧は、自分たちが吸収したものを日本に持って帰れるのか、日本の国土に生かすことができるのかすらわからない中で、それぞれの道を見つけ、その運命を貫いて一筋に生き、そして、悠久の歴史の流れに消え去ったのだ。 翻って、1,300年を経た現代に生きる我々にとっても、人の一生とは大きく異なるものではないのだろう。無名の人間が毎日を一生懸命に生きる、その上に歴史は築かれていくのだということを教えてくれるような、歴史小説の力作である。 (2023年3月了) | ||||
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歴史上に名を残した俊英・天才ばかりではない遣唐使留学僧たちの史実にフィクションを織り込まれた人生模様が熱い。 タイトルの「天平の甍」とは唐招提寺に高く上架されるべき唐伝来の鴟尾であり、高僧鑑真和上を象徴しているものと感得した。 解説で海没したされる業行によって写経された密教系とされる経典が日本に来ていたら歴史が変わったかもと煽っているが、密教の密教たる由縁を理解していない浅薄な発想であり、喜々として記述する前に少なくとも空海の最澄に対する言葉を思い起すのが賢明であった。 因みに業行・普照の関係のなぞは続日本紀の注記で明かされる。 | ||||
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息子の学校課題で使用する必要があり購入しました。 私は読んでいないので内容は分かりません... | ||||
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文化財鑑賞が好きな私は、奈良の唐招提寺に2014年6月に訪れました。唐招提寺の国宝・重要文化財をくまなく鑑賞しました。鑑真が開基の唐招提寺は井上靖の「天平の甍」で知っていました。 境内にある新宝蔵にh冠されている当時の金堂の屋根の西側に設置されていたという鴟尾(しび)を観ました。 まさに天平の甍です。大きかったです。高さは1.2mの紹介だきされていました。大きかったです。 手順前後ですが、「天平の甍」を読んでみたくなり、amazonで購入しました。 長編でないので直ぐに読み終えました。 遣唐使の一員で朝廷から唐の高僧を日本に(大和に)来ていただくことを託された二人の僧がやがて鑑真と会い、五度目のチャレンジでようやく日本にたどり着き、聖武天皇から唐招提寺を与えられ、日本仏教の戒律制定と仏教普及に貢献したことが書かれています。唐招提寺の生い立ちを知るための一つの材料です。 | ||||
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人物それぞれと仏像、背景がやっと結びつきました。昔に読んでいても心に刺さらなかったかもしれません。今読んで良かったです。 | ||||
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鑑真和上の渡日の話です。もっと感動的に記述することも可能だったように思うが、井上靖の淡々とした描写が却って、物語を盛り上げているように感じられた。今の中国の在り様から中国及び中国人を嫌いになってしまう日本人が多いように思うが、かつて日本に正しい仏教を拡める為に命がけで渡日を目指した中国の高僧がおり、それが我が国の仏教文化を進展させたことを私達日本人は忘れてはならないと考える。 | ||||
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5人の遣唐使と鑑真•門弟を描いた傑作歴史小説です。1400年前の唐を舞台に、史実とフィクションの狭間で、嵐の中を舞う木の葉のような人間存在の脆弱さと、一方で信念を負い滅私の中に一歩ずつ突き進む人物たちの根源的な強さとを絶妙なバランスの中で描いていました。 自らの手と足を使って情報を持ち帰るしかなかった彼方の時代に触れて、溢れかえる情報の中を意志もなく漂流する現代人とを頭の中で対比させながら読みました。 そして、最も愚直に描かれた人物、蟻のように不器用に、実直に、生きたのちに海の藻屑と散った業行の奥に、「天才•空海」の影を見るとした山本健吉の解説に心が打ち震えました。 登場人物たちの心理描写を最小限に抑制している点が、この物語の侘しくて儚い美しさを際立たせているように感じました。 | ||||
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本作ゆかりの文化財と言えば、奈良の唐招提寺にある鑑真像と金堂の屋根の両端にある鴟尾があるが拝観には注意が必要。前者は毎年6月5-7日に特別開扉となり拝観ができるが、通常は2013年に作られた「御身代わり像」を、開山堂でみることになる。後者は「天平の甍」の名の由来ともなった奈良時代のものであるが、こちらも特定期間のみ新宝蔵でみられる。通常、金堂の屋根上にみられるのは、2009年(平成21年)に作られたもの。なお、新宝蔵には、本作にも記載p195がある孝謙天皇による「唐招提寺」の勅額もある(現在の南大門のものは複製)。 本作は、鑑真を日本に招聘を試みようとする数名の日本から中国(唐)に渡った留学僧を主人公にして、鑑真の5回の来日計画(計画のみのものもある)を話の中心としたもの。それぞれの計画の中で日本に持参しようとした経・宝物などのリスト、行程などは詳細に記載されているが、このため本書を読了するのに時間がかかり面白みの書ける部分である(文献の引用からであろうから学術的な意味はあるだろうが)。 本書で魅力的なのは唐に留学した日本僧たちの言動(ほとんどは創作)であるが、この部分は比較的短い。彼らは中国に渡ってから20年ほどの年月を過ごし、その間に現地の人や日本から来た先輩・後輩に会い様々な道をたどる。20年というと多くの読者には想像を超える長い年月と思えるかもしれないが、私はアメリカに20年以上滞在した経験がある。私の外国暮らしが長くなった理由は、本作の登場人物たちと同じようにはじめからプランされていたものではなく、留学中の様々な出来事の結果である。そうした意味では、本書のような体験は現代でもありうるものと言える。 一方、本書で物足りないのは鑑真に対する記載が少ないこと(中国の文献もあまりないのではないかと思わせる)。鑑真自身の考え方は、渡日の意志が普遍であることは明瞭だが、それ以外の人物像や宗教観は描かれておらず、登場場面も少ないのは残念。 歴史上の人物が、所々に登場あるいは名前が触れられており、歴史ファンには嬉しい。ただ、本書では年号がすべて元号で書かれているのは不便で、西暦に直して読まないと時代背景の把握は困難。歴史上の人物は以下。遣唐使(奄美訳語の記載p5)、吉備真備p39,長屋王p72,光明皇后p153、藤原仲麻呂p184、玄昉p187, | ||||
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高等学校のとき文学青年で勉強もせず小説を次々に読み漁っていた。はなしの一部に確か青年僧が膨大な経典を筆写して中国から持ち帰えろうとしたのだが、船に積んでいた、彼が何十年もかかって苦労して写した経典が、一瞬のうちに嵐で沈んで海の藻屑になり、無駄になるのがあったとおもう。松本清張先生の「或る小倉日記伝」のモチーフになったような部分だ。私は、青年僧がかわいそうで泣きそうになった。 | ||||
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ありがとうこざいました。 | ||||
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『天平の甍』です。作品タイトルだけ聞けば自ずと作者名も出てくる有名な名作。 鑑真が幾多の苦難を乗り越えて日本に来る話、として知られるけど、実際のところは日本から唐に渡って最終的に鑑真を招くことになったまでの過程を、普照、栄叡、戒融、玄朗の四人の僧の紆余曲折と波乱の人生を通じて描いたドラマです。 念のため史実(史料に書かれているそのままの内容)を確認しておくと、当然のことながらですが、史実通りに展開の部分と著者井上靖の創作のフィクションとして描かれている部分とがあります。 普照:733年に栄叡らと共に入唐し、754年に鑑真と一緒に平城京に帰った。 栄叡:普照と共に、まず道璿に来日を要請した。鑑真渡航阻止の誣告や台風でのベトナム漂着を経て、結局帰国を果たせず死去。 戒融:入唐年不明。763年に渤海から帰国。 玄朗:入唐年は明らかではない。普照、栄叡と共に鑑真を招来し帰国しようとしたが如海の誣告で逮捕され、釈放された後、帰国を断念し還俗した。 主要四人いついては、大体史実通りと言えるかも。不明な部分については創作で埋めているようだけど。 もう一人重要人物。業行について。 業行:栄叡と共に鑑真に日本渡航を懇願した人物。754年に鑑真と共に平城京に入京した。つまり、普照と同一人物であろうと思われる。平城京に入った後に業行と改名したらしい。 ということは、作中では、普照と業行を完全に別人として分けた。栄叡こそが高僧招来に最も熱心な人物という設定にした。業行の写経云々は独自設定だろうか。史実では業行(普照)は帰国を果たしているけど、作中では業行と普照を別人として扱った辻褄合わせが、業行にとっては厳しい結末。 と、登場人物の史実を振り返ってみると、文章自体は淡々と出来事の流れが語られていくけど、それぞれの人生が離れたり再び交わったりする構成の巧みさによってドラマチックに仕上げられているのがうかがえます。最も熱心だった栄叡が帰国を果たせず、写経した経典を日本に持ち込むことにまさに命をかけていた業行の運命とか、静かな筆致ではあっても書かれている内容は熱い。 他に気になった点としては、李林甫が死んだ後、普照は遣唐使船で入唐してきた若い留学僧たちの訪問を受けるシーンがありますが、作中には名前は出てこないけどこの中には行賀もいたはずですね。井上靖の短編で『僧行賀の涙』というのがあるので、こちらも併せて読みたいところ。 李林甫といえば、安史の乱を招くにいたった佞臣の一人、として歴史上は悪役的な扱いですが、本作中では普照たちの便宜をはかってくれる協力者として描かれているのも面白いところです。権力があるだけに、コネを使って味方につけることができれば何かと世話になっっている。 鑑真といえば、幾度も失敗を繰り返し失明したけど遂に日本渡航を果たした、という部分が知られますが、その背景には、高僧を招くために奔走し歴史の波に翻弄された人々がいたことを示している。鑑真来日エピの解像度を高めてくれる作品。★5 | ||||
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こんな昔の事が良くわかりました。 | ||||
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非常に良く安価であった。 | ||||
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高校生の時読んで、とても感動したのを覚えています。それから数十年経ちましたが、自分が鑑真のような姿勢で人生を送れているかと考えると、甚だ疑問です。 | ||||
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凄く早い発送で大変満足です。又利用させてもらう機会あればよろしくお願いします。 | ||||
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