罪と罰

評判

罪と罰の評価:

4.32/5点 レビュー 444件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.32pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全532件 361〜380 19/27ページ
No.172
(2pt)

新訳は本当に読みやすいか?

読み始めてすぐに、文意の取りにくさを感じた。そこで、岩波文庫の江川訳(1999年刊)と比べてみたところ、こちらの方が遥かに明晰で文脈が読みやすく、日本語もしっかりしている。前半の第1部から幾つか例を挙げてみます。
(1)まずは、物語の冒頭、ラスコーリニコフが通りを歩きながら、頭の中で想念をぐるぐるとめぐらせる場面。
「それにしても、おしゃべりがすぎるな。何もせずにいるのは、このおしゃべりのせいだ。いや、逆にこういうことかもしれん。おしゃべりがすぎるのは、何もしていないからだ、一日中、下宿に寝ころがって……そう、ゴロフ王のことなんか考えながら、こうしてしゃべることを覚えたのはついこのひと月じゃないか。」(亀山訳p.11)
「それにしても、おれはどうもおしゃべりがすぎるな。おしゃべりがすぎるから、何もしないんだ。いや、待てよ、何もしないから、おしゃべりをするのか。こんなおしゃべりの癖がついたのも、おれがこの一カ月、のべつ部屋にばかりごろごろして、考えごと……なに、ゴロフ王がどうのと愚にもつかんおとぎ話をでっちあげていたせいだ。」(江川訳p.13)
(2)すぐその後の、主人公のひどい身なりについて説明する箇所。
「それに、青年の心は、敵意にも似た軽蔑の念が溜まりに溜まり、もともとがごくデリケートで、ときには初々しいほど敏感ながら、今はこうしてぼろぼろの服で外出することすら、少しも恥ずかしいとは感じなかった。」(亀山訳p.13)
「それに青年の心は、敵意にも似た軽蔑にこりかたまっていたから、根が潔癖なほうで、ときには少年くさいくらいの彼も、こんなぼろ服で往来に出てきたことを、いっこうに恥じる様子がなかった。」(江川訳p.15)
(3)続いて、マルメラードフの住まいの描写。玄関口から、一家の、みすぼらしくてひどくちらかった部屋が見わたせる。
「マルメラードフは、同じ部屋の片隅にではなく、独立した別の一室で寝起きしていたが、その部屋が、じつは通りぬけになっていることがわかった。」(亀山訳p.62)
「話とちがって、マルメラードフは部屋の片隅を借りているのではなく、独立した一室に住まっていたが、この部屋は通りぬけになっていた。」(江川訳p.56)
マルメラードフ一家が借りているのは集合住宅の住居の一室である。ふた部屋借りているのではない。これは誤訳の一例ですね。
上記引用は、直前に酒場でマルメラードフが主人公を相手に、自分の一家は他人の家で「部屋の片隅を借りております」(江川訳p.40)と、くだを巻いているのを受けているのである。(亀山訳はこの照応関係を捉え損なっており、同じ箇所も、他人の家の「ひと間に住んでおります」(p.43)となっている。)
新訳『カラマーゾフの兄弟』でも感じたことだが、訳者はどうも原文の文脈(文と文の論理的前後関係)を十分に読み取っていないようである。
最後に、不適切な日本語の例を一つだけ挙げておきます。
(4)ラスコーリニコフは図らずも金貸し老婆の妹(リザヴェータ)をも殺害するはめになる。その後の主人公の恐怖と混乱を語る場面。
「(…)自分がここを抜けだし、下宿にたどりつくのにさらにどれほどの困難を乗りこえ、ことによると、悪事さえ重ねなければならないと理解できたら、彼はおそらくすべてを放りだし、ただちに自首して出たことだろう。」(亀山訳p.190)
「(…)自分がここを脱けだし、家にたどりつくためには、まだどれほどの困難を克服し、もしかすると、悪事をさえ働かなければならないかを理解することができさえしたら、おそらく彼はいっさいをほうり出して、すぐさま自首して出たことだろう。」(江川訳p.166)
「どれほどの〜」と来たら、正しく「〜か(を理解…)」と受けてほしいものです。
大量誤訳を指摘されている新訳『カラマーゾフの兄弟』ほどではないにせよ、本訳書もあちこちで不備が目立つ。訳者も出版社も仕事を急ぎすぎているのではないか。両訳書の不備が全面的に正され、また、続巻の訳文が入念に吟味されることを望みます。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.171
(3pt)

読みやすい。が、諸刃の剣。

読んでみてまず思ったことは・・・
「読みやすい!わかりやすい!」 これに尽きます。
翻訳書にありがちな、難解な言い回しをできるだけしない努力をされていることがよくわかります。
抑揚のつけ方も上手く、内容もスラスラ頭に入ってきますし、途中で「あれ?これ何だっけ?この人誰だっけ?」となって同じところを読み返す、という事が少なかったですね(あくまでも私はですが。)
ただ、こういう「わかりやすい・簡単な」文章は、文学ではどうしても諸刃の剣なわけで・・・
ドストエフスキーの小説が、普通の小説レベルになりました。
合う、合わないはあると思います。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.170
(5pt)

よく流れリズム感のある日本語に

賭博で一文無しになった44歳のドストエフスキーが、乾坤一擲の思いで書いた傑作。選ばれた者の例外的特権、大いなる善の為に小さな悪は許されるか否かなど、重い思想的テーマを扱うが、心理描写や推理小説のような緊張感が素晴らしい。亀山氏の新訳は、日本語としてとても読みやすい。日本語は関係代名詞をもつ西洋語と違い、複雑な構文を苦手としており、主語・述語、主語・述語と短い文章にバラして並列することによって、先へ先へと文章が流れるからである。たとえば、金貸しの老婆を殺した直後のラスコーリニコフの動揺場面を、既訳と比べてみよう。「けれども一種の放心が、瞑想ともいうべきものが、次第に彼を領しはじめた。そして彼は、ともすれば我を忘れて、というよりはむしろ大事なことを忘れて、瑣末な事にかかずらうというあんばいであった」(中村白葉訳、岩波文庫p135)。「ところが放心というか、瞑想とさえいえるような状態が、次第に彼の心を捉えはじめた。数分の間彼は自分を忘れたようになっていた。いやそれよりも、肝心なことを忘れて、つまらないことにばかりひっかかっていた」(工藤精一郎訳、新潮文庫p139)。「だが、ある種の放心といおうか、ある瞑想にも似た状態が、徐々に彼をとらえはじめた。ときおり、われを忘れたような状態に陥った。というより、大事なことを忘れつまらないことばかりこだわるのだった」(本訳p191)。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.169
(5pt)

ラスコーリニコフ君、万歳!

 「罪と罰」を読むのは、これで3回目である。いやいやながら読まされましたっていう感じの高校時代の第一回目、激しいお色気攻勢のさなか、学園騒動(決して紛争ではない!)のうごめきの中で読み進んだ第二回目、そして、今回社会人になって始めて読んだ第三回目、当然この三回目がいっちゃん面白かった。古典新訳の泰斗、亀山先生の真骨頂がこの文庫に現れているといっても過言ではない。言い過ぎても聞き取れないくらいのこの充実した翻訳内容である。
 第2部第3章のラスコーリニコフ、ラズミーヒン、ナスターシャ、というここでの若者三人組の会話文の翻訳の新鮮さったらない、21世紀日本のトレンディ・ドラマを観ているようだ。
 今まで読んできた「罪と罰」と同じあのドストエフスキー先生の書いたものかいなと勘ぐってしまうほど、ラスコーリニコフ自身のしゃべりも可笑しく、爽やか1粒300bである。ナスターシャって、ロージャに本当に気があるなあ・・・・・。
 「カラマーゾフ」の巻末の「読書ガイド」も充実していたが、今回もなかなかいい。当時の時代背景を勘案しつつ、21世紀の今の経済と比較するのに有意義で、ラスコーリニコフ君のお財布の中身を除くのに好都合な「1ルーブル=○○円」というこの○○、「読書ガイド」で確認してみましょう。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.168
(4pt)

滑稽な男

ドストエフスキーが1866年に発表した長編小説。ドストエフスキーなんて長いし、ややこしい名前だし、余程の本好きか、学者しか読まない筈だと思っていた。読み始めて、そんな先入観は吹き飛んだ。罪の定義、それに見合う罰。そんなものを、普通の人は決められない。だが、主人公ラスコ-リニコフは決めてしまう。「自分は特別な人間だから」という、もっともらしくも脆い根拠で、やってしまう。この男は悪意に満ちた悪い人間かと言うと、そんな事はなく、自分の根拠に確信が持てずに、悩んでいる。その様は滑稽で笑えてくるのだ。哀れだ。当然のごとく、自らも罰を受ける。その罰が妥当か、自分には分からない。生態系のルールに従えば、許される行為では無い。そして、そのルールは正しいと思う。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.167
(4pt)

滑稽な男

ドストエフスキーが1866年に発表した長編小説。ドストエフスキーなんて長いし、ややこしい名前だし、余程の本好きか、学者しか読まない筈だと思っていた。読み始めて、そんな先入観は吹き飛んだ。罪の定義、それに見合う罰。そんなものを、普通の人は決められない。だが、主人公ラスコ-リニコフは決めてしまう。「自分は特別な人間だから」という、もっともらしくも脆い根拠で、やってしまう。この男は悪意に満ちた悪い人間かと言うと、そんな事はなく、自分の根拠に確信が持てずに、悩んでいる。その様は滑稽で笑えてくるのだ。哀れだ。当然のごとく、自らも罰を受ける。その罰が妥当か、自分には分からない。生態系のルールに従えば、許される行為では無い。そして、そのルールは正しいと思う。
罪と罰 (下巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.166
(2pt)

訳が最低{作品は4−5星}

こんなにも間違いだらけの本をよく作れたもの。ドフトエフスキーが泣きますよ。
これから読むなら、絶対他の人の訳をお勧めします。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.165
(2pt)

訳が最低{作品は4−5星}

こんなにも間違いだらけの本をよく作れたもの。ドフトエフスキーが泣きますよ。
これから読むなら、絶対他の人の訳をお勧めします。
罪と罰 (下巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.164
(5pt)

天才すぎる

作者は人を殺したことがあるんじゃないかというくらいに殺人者の心理描写がリアル。それぞれのキャラクターもたっている。長い話なのに全く飽きない展開。よい演劇を見ているかのようだった。
人間の心理をこんなに深く重厚に描いてくれて、文学万歳と思った。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.163
(5pt)

天才すぎる

作者は人を殺したことがあるんじゃないかというくらいに殺人者の心理描写がリアル。それぞれのキャラクターもたっている。長い話なのに全く飽きない展開。よい演劇を見ているかのようだった。
人間の心理をこんなに深く重厚に描いてくれて、文学万歳と思った。
罪と罰 (下巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.162
(5pt)

これを読まずして…

内容はいいのに翻訳がまずくて読むのに苦労する 実は、こんなバカげたことはないけど、そういうことが多いのも現実。原文がどうなっているか私にはわからないけど、本書の翻訳は非常に自然。解読するのに苦労するなんてことはない。さらに、ワイド版は字が大きく読みやすい。最初のページに載っている当時のペテルブルグの地図も見やすい。

内容については「完璧な文学がここにある!」と言えるだけだろう。世の中ではいろいろな解説者がいろいろなことを言っているけれど、深いとか、描写がすばらしいとか ドストエフスキーをそんな風に評価するのは間違いに近いと個人的には思ってしまう。こんな風に人物描写や心理描写が出来るのはテクニックや才能があるからだけでなくて、ドストエフスキーという人の心がまるで神の心の様に広くて深いから、としか言いようがないのではないか。無意識のうちにそれに嫉妬するのでなくて、素直にそれを認めよう。

他の作家の他の作品も「文学」であると認めるなら、ドストエフスキーの作品は「文学」を通り越えている。「文学を通り越える」と言っても様々な「通り越え方」があるけど、彼の作品は文学を通り越え「祈り」になっている。「カラマーゾフの兄弟」と異なり、泣ける場面が方々にあるというのと違うけれど、最後の最後まで読むと 涙が溢れ出て止まらない。我々は普通「泣くのは嫌」と思うけど、本当は「泣きたい」のだ。それも素直に認めよう。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.161
(5pt)

一気に引き込まれました。

すべての人間が、「凡人」と「非凡人」にわかれる・・・凡人は、服従を旨として ・・・非凡人は、・・・かってに・・・を越える権利を持っている。 『ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ』、どこか親近感を感じることも・・・危ないかな。 カラマーゾの兄弟に続いて、この作品を読んだ。 次は悪霊、そして白痴と決めていたが、しばらく、ドストエフスキーから離れたほうがよさそうだ。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.160
(5pt)

狂気の論理と愛の救済

選ばれた人間は、自らが正しいと信ずるならば、法律(殺人)を犯す権利があるという自らの思想を実行に移すため、ラスコリーニコフは金貸しの老婆を殺害し、彼女の金を有益に奉仕しようと決意する。しかし同時に彼は老婆のみならずリザヴェータまでも殺害してしまった。犯行後、様々な人物が登場し、様々な思考がラスコーリニコフを過るが、ソーニャの勧めもあり、遂にラスコーリニコフは自白してしまった。シベリヤの流刑地にて八年間の懲役に服されるが、そこでも彼を見捨てずにいてくれたのが、ソーニャであった……。
本書の粗筋は多くの人が前提として知っていることでしょうが、実際に通読するとその濃度は計り知れません。日数にしても場所にしても短く狭い話なのですが、その分、ラスコーリニコフと登場人物達の密室空間での対話(特にスヴィドリガイロフ、ポリフィーリイ、ソーニャなど)がそれぞれ色濃く、紙数の大半を占め、そのグルーヴに読者は呑まれるばかりの勢いで読み耽ることとなります。例えばスヴィドリガイロフとの対話では、その妖艶さに身震いする思いでしたが、ソーニャが福音書を読む場面では、反動的に救いを感じたり、キャラクターごとの特質をドストエフスキーは巧く描き分けています。しかし、本当に色々な人物(ラスコーリニコフ、ラズミーヒン、スヴィドリガイロフ、ドゥーニャ、ソーニャ、マルメラードフ、カテリーナ、ルージン、レベジャートニコフ、ポルフィーリイ、などなど)が出て来る為、珠に頭が混乱してしまうので、http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/kids/t-soukanzu.htmlのサイトで人物相関図を参照させてもらいながら読むと、より良く理解できると思います。「現代の予言書」とも言われる本作ですが、例えば進歩主義者のレベジャートニコフが、「ぼくはいま未来社会では他人の部屋へ自由に出入りできるという問題を、……」とルージンに言いますが、これはもしかして現代のネット社会の暗示ではないでしょうか。スヴィドリガイロフの自決の際も、アメリカを嘲笑しているように感じられますが、これは『カラマーゾフ』のミーチャの発言とも被るところがあり、意味深な予言として私には映ります。その他にも、様々な暗示が仕掛けられているようにも思えます。さらに、ラストの、流刑地でのラスコーリニコフの枕元にあるソーニャの福音書という結びですが、「彼は今もそれを開きはしなかったが……」、という、キリスト教による救済を描きつつも、それを絶対視させないで曖昧にさせ、読者に委ねる表現に、絶妙さを感じました。トルストイとドストエフスキーの違いは、こういったキリスト教信仰の差異でしょう。トルストイはキリスト教絶対主義のように思えますが、ドストエフスキーは何やら半信半疑のように思えます。いずれにせよ、内容が青黒いカオスで満ち溢れている本作の尾鰭に、この救いがあるのと無いのとでは、大きな違いでしょう。
『源泉の感情』という三島由紀夫の対談集の中で、小林秀雄は、「『金閣寺』は燃やすまでの動機小説で、『罪と罰』は殺してからの小説」と両者を峻別していますが、それでも両者に共通するのは、読者を乗せて運んでゆく魔的なものが乗り移った筆力であろうと個人的には思います。グングンと吸い込まれてゆく力に漲っているのです。それと、この『罪と罰』は、構成がとても素晴らしいです。全部で六章ですが、各章どれも凡そ百五十ページほどで、その中に1、2、3……と、大体二、三十ページごとに府割りされています。これが凄く読者にとっては読み易い構成なのです。兎にも角にも、推理小説として、思想小説として、恋愛小説として、老若男女問わず満足出来る、エンターテイメント性に富んだ純文学の傑作であることは断言し切れます。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.159
(5pt)

狂気の論理と愛の救済

選ばれた人間は、自らが正しいと信ずるならば、法律(殺人)を犯す権利があるという自らの思想を実行に移すため、ラスコリーニコフは金貸しの老婆を殺害し、彼女の金を有益に奉仕しようと決意する。しかし同時に彼は老婆のみならずリザヴェータまでも殺害してしまった。犯行後、様々な人物が登場し、様々な思考がラスコーリニコフを過るが、ソーニャの勧めもあり、遂にラスコーリニコフは自白してしまった。シベリヤの流刑地にて八年間の懲役に服されるが、そこでも彼を見捨てずにいてくれたのが、ソーニャであった……。
本書の粗筋は多くの人が前提として知っていることでしょうが、実際に通読するとその濃度は計り知れません。日数にしても場所にしても短く狭い話なのですが、その分、ラスコーリニコフと登場人物達の密室空間での対話(特にスヴィドリガイロフ、ポリフィーリイ、ソーニャなど)がそれぞれ色濃く、紙数の大半を占め、そのグルーヴに読者は呑まれるばかりの勢いで読み耽ることとなります。例えばスヴィドリガイロフとの対話では、その妖艶さに身震いする思いでしたが、ソーニャが福音書を読む場面では、反動的に救いを感じたり、キャラクターごとの特質をドストエフスキーは巧く描き分けています。しかし、本当に色々な人物(ラスコーリニコフ、ラズミーヒン、スヴィドリガイロフ、ドゥーニャ、ソーニャ、マルメラードフ、カテリーナ、ルージン、レベジャートニコフ、ポルフィーリイ、などなど)が出て来る為、珠に頭が混乱してしまうので、http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/kids/t-soukanzu.htmlのサイトで人物相関図を参照させてもらいながら読むと、より良く理解できると思います。「現代の予言書」とも言われる本作ですが、例えば進歩主義者のレベジャートニコフが、「ぼくはいま未来社会では他人の部屋へ自由に出入りできるという問題を、……」とルージンに言いますが、これはもしかして現代のネット社会の暗示ではないでしょうか。スヴィドリガイロフの自決の際も、アメリカを嘲笑しているように感じられますが、これは『カラマーゾフ』のミーチャの発言とも被るところがあり、意味深な予言として私には映ります。その他にも、様々な暗示が仕掛けられているようにも思えます。さらに、ラストの、流刑地でのラスコーリニコフの枕元にあるソーニャの福音書という結びですが、「彼は今もそれを開きはしなかったが……」、という、キリスト教による救済を描きつつも、それを絶対視させないで曖昧にさせ、読者に委ねる表現に、絶妙さを感じました。トルストイとドストエフスキーの違いは、こういったキリスト教信仰の差異でしょう。トルストイはキリスト教絶対主義のように思えますが、ドストエフスキーは何やら半信半疑のように思えます。いずれにせよ、内容が青黒いカオスで満ち溢れている本作の尾鰭に、この救いがあるのと無いのとでは、大きな違いでしょう。
『源泉の感情』という三島由紀夫の対談集の中で、小林秀雄は、「『金閣寺』は燃やすまでの動機小説で、『罪と罰』は殺してからの小説」と両者を峻別していますが、それでも両者に共通するのは、読者を乗せて運んでゆく魔的なものが乗り移った筆力であろうと個人的には思います。グングンと吸い込まれてゆく力に漲っているのです。それと、この『罪と罰』は、構成がとても素晴らしいです。全部で六章ですが、各章どれも凡そ百五十ページほどで、その中に1、2、3……と、大体二、三十ページごとに府割りされています。これが凄く読者にとっては読み易い構成なのです。兎にも角にも、推理小説として、思想小説として、恋愛小説として、老若男女問わず満足出来る、エンターテイメント性に富んだ純文学の傑作であることは断言し切れます。
罪と罰 (下巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.158
(5pt)

最高傑作!

何度心震える場面があったろうか、人間の心情をこれでもかと描写するドストエフスキーは本当にすごい。
しつこいぐらいの言葉の連続攻撃、くせになりそう。読み返してまた興奮する。
一度挫折したが、またチャレンジして本当に良かった! 
ラスコリーニコフの思想・論理は危険だが、本質をついてる気がする。登場人物の魂の叫びが伝わる。
人類史上最高の小説と言われるのも納得。訳者による解説もまとめとして非常に良いと思う。
ただ、訳自体は岩波文庫のほうが読みやすいかもしれない、若い人にとって。でも文句なし星5!
僕にも、そして誰にでもソーニャはいるのだろうか??
罪と罰 (上巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.157
(5pt)

最高傑作!

何度心震える場面があったろうか、人間の心情をこれでもかと描写するドストエフスキーは本当にすごい。
しつこいぐらいの言葉の連続攻撃、くせになりそう。読み返してまた興奮する。
一度挫折したが、またチャレンジして本当に良かった! 
ラスコリーニコフの思想・論理は危険だが、本質をついてる気がする。登場人物の魂の叫びが伝わる。
人類史上最高の小説と言われるのも納得。訳者による解説もまとめとして非常に良いと思う。
ただ、訳自体は岩波文庫のほうが読みやすいかもしれない、若い人にとって。でも文句なし星5!
僕にも、そして誰にでもソーニャはいるのだろうか??
罪と罰 (下巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.156
(3pt)

PENGUIN POPULAR CLASSICS版の「罪と罰」

このPENGUIN POPULAR CLASSICS版の"Crime and Punishment"は、英訳者名の記載がなく、どうやら以前なされた英訳を元に、ところどころをカットして全体の長さを短縮した「簡略版」になっているようです(ストーリー展開上重要でない、冗長といえるところを選んでカットしているように思われます。例えば、ラスコーリニコフに翻訳のバイトを勧めるラズーミヒンの饒舌、レベジャートニコフの自説の展開など、オリジナルより随分簡単になっています。こうした箇所は、冗長ともいえますが、読んでいて笑える、読書の楽しみが得られるところでもあるのですが、、、)。こうした簡略版の存在意義もあるとは思いますが、そのことが本のどこにも明記されていないのはいかがなものでしょうか。英訳本を選ばれる方はご注意されるとよいと思います。
問題点を書きましたが、この版の価値は、何と言っても税込み525円という安価で入手できることにあります(日本語訳の文庫を買うより安いです!昔、洋書が高かった頃のことを思うと夢のようです)。日本語訳で何度も読み、またこの英訳で読みましたが、"It was I who killed,,,"という告白に至るまでの物語をたどって、あらためて深い感銘を覚えました。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.155
(3pt)

PENGUIN POPULAR CLASSICS版の「罪と罰」

このPENGUIN POPULAR CLASSICS版の"Crime and Punishment"は、英訳者名の記載がなく、どうやら以前なされた英訳を元に、ところどころをカットして全体の長さを短縮した「簡略版」になっているようです(ストーリー展開上重要でない、冗長といえるところを選んでカットしているように思われます。例えば、ラスコーリニコフに翻訳のバイトを勧めるラズーミヒンの饒舌、レベジャートニコフの自説の展開など、オリジナルより随分簡単になっています。こうした箇所は、冗長ともいえますが、読んでいて笑える、読書の楽しみが得られるところでもあるのですが、、、)。こうした簡略版の存在意義もあるとは思いますが、そのことが本のどこにも明記されていないのはいかがなものでしょうか。英訳本を選ばれる方はご注意されるとよいと思います。
問題点を書きましたが、この版の価値は、何と言っても税込み525円という安価で入手できることにあります(日本語訳の文庫を買うより安いです!昔、洋書が高かった頃のことを思うと夢のようです)。日本語訳で何度も読み、またこの英訳で読みましたが、"It was I who killed,,,"という告白に至るまでの物語をたどって、あらためて深い感銘を覚えました。
罪と罰 (下巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.154
(4pt)

自己愛と孤独

主人公ラスコリニーコフは、自惚れやで執念深く、ヒポコンデリーの症状のある男であり、
自分自身そのことに気づきながらも、自分には「しらみ」のような他の人間にはない「人間」
たる何か(例えば、世の立法者や権力者となる素質)があると信じている。

 こうした主人公の特徴については様々な解釈があると思うが、私はこれらの徴候は全て自己
愛に基づくものだと考える。つまり、ラスコリニーコフは自己愛に生きているが故に孤独であ
り、「病的な自尊心の持ち主」だったのである。例えば、親身になって自分や家族の世話をし
てくれているラズミーヒンに対して、彼は「いい男」とは言うが、一言も礼など言わず、むし
ろその親切に対して迷惑だと言ったり、軽蔑したりしている。また、他人をほとんど自分より
下等のものと見たり、馬鹿にしたりすることに何の罪悪感もない。

 彼は刑務所に入ってからもしばらくの間は自分の犯した「罪」を自覚できなかった。彼があ
の殺人に対して抱いたものは、老婆への心からの贖罪ではなく、「しらみ」のような老婆を殺
すために、彼が歩むはずだった偉大な人生に汚点をつけ、母と妹を苦しめたことへの悔やみ
だった。

 彼が罪の意識を取り戻すことができたのは、最後に、自分のソーニャに対する愛に気づき、
ソーニャの愛を受けたことによって、自己愛という孤独から救われ、周りがやっと見えた(愛
を周りにも与えることができるようになった?)ときである。その後彼は周りの囚人たちから
も嫌われなくなった。

 ソーニャは彼が刑務所に入る前に、「彼を生きさせるものは、死への恐怖と臆病しかないの
かしら」というような意味のことを言っているが、自尊心からくる人生の苦悩や死への恐怖か
ら人間を救えるものは、心からの他者への愛であるということをドストエフスキーは伝えた
かったのではないかと思う。
(大変に感銘を受けたが、個人的にはスヴィドリガイロフの描写の一部が蛇足な気がしたので
☆四つ。)
罪と罰〈下〉 (岩波文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰〈下〉 (岩波文庫)より
4003261372
No.153
(4pt)

英語のドストエフスキーは、いい。

英語のドストエフスキーはいい。
まるでハードボイルド小説のようだ。
日本語だと、どんどん文章が伸びていく構文なので、
ロシア文学などは、うっとうしさが強調されるが、
英語だと、その点シャープに進んでいく。
会話もクールで、
まるで演劇のシナリオを読んでいるような気分になる。
だが、この新訳は、どこか中途半端な感じがする。
ペンギンクラシックスの旧版は、
David Magarushackによる翻訳で、
出だしの文章はこんな感じだった。
On a very hot evening at the beginning of July a young man left his little room at the top of a house in CarpenterLane, went out into the street, and, as though unable to make up his mind, walked slowly in the direction of Kokushkin Bridge. こちらの方が、よりドストエフスキーらしく、
作者の世界観に忠実で、
その文学の魅力の保存度も高かかった。
読み進みやすいリズムも持ちながら、
チャンドラーのような気配を放っていた。
会話も重厚かつスリリングで、
ぐいぐいと物語の中に入っていけた。
全体として、
ドストエフスキーの英訳小説を読んでいると
まるで作者の頭の中に分け入って行くような
不思議な味わいが楽しめる。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211