わたしの名は赤

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評判

わたしの名は赤の評価:

4.28/5点 レビュー 40件。 A ランク

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平均点4.28pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全40件 21〜40 2/2ページ
No.20
(5pt)

もしも、イスタンブールに憧憬があり、トルコの歴史と美術に知識があるなら、読み応えのある本。

原文のせいなのか、翻訳のせいなのか、とにかく読みにくい本との印象を受けた。しかしその読みにくさ、内容のある種の不可解さ(例えば、当時の細密画の在り様)は、エキゾチシズムの源泉としての機能も併せ持っているのかも知れない。

 本書の愉しむには、イスタンブールの歴史、イスラムと西洋世界価値観の違い、またトルコ芸術についての、ある程度の知識が必要だろう。文化的背景を共通する日本人作家が書く分り易いミステリーを読む感覚では、到底最後まで読み通すことは出来ない一冊である。

 しかし、訳者の能力も高いのだろうか、随所に素晴らしい文章が散りばめられてもいる。イスタンブールに興味のある人は、一度はチャレンジしても良い本だろう。
わたしの名は「紅」 Amazon書評・レビュー: わたしの名は「紅」より
4894344092
No.19
(5pt)

きわめて知的でありながら、単純に楽しめる娯楽大作

通俗的なミステリーの鉄則として、
「いきなり死体を出せ!」というのがあるそうで、
それを地で行くかのように、冒頭で一人の細密画師が殺され、
容疑者を限定した上で犯人探しがおこなわれるのだが、
犯人は明かされないまま第二の殺人が起こり、
事件はスルタンの宮廷をも巻き込んでいく。

カラとシェキュレの恋愛模様を一方の興味の焦点に据えながら、
語り手(人間ではないこともある)が頻繁に交替する手法を取ることで、
覗き趣味的な興味も交えつつゆるやかに進む物語は、
臆面も無く「娯楽大作」しているのだが、
それを綴る文章はあくまで緻密で香気高いものだし、
(「訳文が読みにくい」との評もあるようで、
 たしかに主語の省略がやや多過ぎるような気もしたが、
 16世紀末のイスタンブルを舞台とする本書には、
 どこか細密画を思わせるような浮世離れした感じを与える訳文が、
 むしろふさわしいと言えるかもしれない。)
犯人探しの手がかりと密接に絡み合うかたちで
裏の主題としての細密画論が展開される点も深く考え抜かれており、
全体としてはきわめて知的で密度の濃い作品に仕上がっている。

あえて欠点を挙げるなら、
・三人の細密画師がじゅうぶんに描き分けられていないように思えること、
(もっともこれは、ある程度までは意図的なものかもしれない)
・クライマックスに至る過程で、登場人物のセリフがやや冗長に思われたこと、
などがあるし、個人的な好みを言わせてもらえば、
・最後までエンターテイメントとしての枠組みを破らず
そつなくまとめているところが逆に物足りない、
という気もしないではなかったが、
とりあえず上質なミステリーを楽しみたいという方には
自信を持って勧められる第一級の作品だと思う。
わたしの名は「紅」 Amazon書評・レビュー: わたしの名は「紅」より
4894344092
No.18
(4pt)

わたしの名はギャモン

紅ってなに? それだけでも読む価値がある。展開のテンポがよく、ページをめくるのが楽しい、自分が属さない時代、世界への旅って感じ。でもそういうことが読む人すべてに起こらない事がわかるので、少し読んでみてタイトルの紅を確かめてみたくなったらってことで。
わたしの名は「紅」 Amazon書評・レビュー: わたしの名は「紅」より
4894344092
No.17
(5pt)

東西文明の交流をめぐる傑作

絵画とは我々にとって何なのだろうか。我々は絵画に何を求めているのだろうか。この小説の真の主人公は、そんな絵画を巡る問いである。
伝統的な様式に従って美しい絵を描くことを良しとしてきた社会に、西洋近代美術の個人主義と写実主義が入ってくる。そこで起こる葛藤は、明治以来急速な西洋化を成し遂げた日本人にも親しいものだ。ただ、偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム世界では、肖像画はもちろん、それ以外の絵画を描くこと自体、考えようによっては罪深い行為である。そのため、個人を表現する西洋近代美術は冒涜的で恐ろしく見えるとともに、悪の魅力も放っていたのだった。
作者はこれを単なる「東西対立」のお話にはしていない。イスラム世界の絵画といってもそもそも一様ではなく、各地にそれぞれの様式があり、国の興亡に従って栄えたり廃れたり、影響しあったりしている。一方、西洋の肖像画は像主を忠実に再現するはずのものだが、トルコの使節としてヴェネツィアに赴いた「エニシテ」は、ある人物の肖像画を見て、容貌が全く似ていないにも関わらず、自分自身であるかのように感じる。これは、肖像画が「個」の表現を通して、人間の普遍的なものを描き出していたからに他ならないだろう。作者の立場は、「ここにいて、混じり合え」というカラのせりふに表れているが、それが一朝一夕に成果を生むとは限らないことは、「オリーブ」の体験を通して描き出されている。
訳文がこなれていなくてやや読みづらいが、それがあまり気にならないほど、重厚で読み応えがある傑作だ。
わたしの名は「紅」 Amazon書評・レビュー: わたしの名は「紅」より
4894344092
No.16
(4pt)

難解だけど、面白い

西欧文明が流入しだしたころのトルコを舞台に、細密画師の間でおきた殺人事件を描く。犯人は誰か、というミステリーの要素のみならず、文明間対立、恋愛、当時の風俗など様々な要素が入り乱れており、内容はかなり面白い。とりわけ、肖像画を残したいという欲求は鬼気迫るものがある。
 ただし、スタイルだの色彩だのといったことについての解説がなかなかに難しく読みやすい本とはいえない。加えて、背景知識がないと、若干ややこしい。
 よって、一つ減点の星4つ
わたしの名は「紅」 Amazon書評・レビュー: わたしの名は「紅」より
4894344092
No.15
(4pt)

わたしの名は・・・

語り手が次々と変わる手法に戸惑い、これで最後まで行くの?と不安になったが、なかなか良い。
決して読みやすい内容ではないが、文化的背景の深さに舌を巻く。
西がウンベルト・エーコなら、東はオルハン・パムクと言っては大げさか。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.14
(5pt)

itchy

心血を注いでいた心の拠り所が徐々に返り見られなくなっていくことへのレクイエム。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.13
(4pt)

革新的手法とエンターテイメント

語り手が次々と交代しながら展開する筋立て、時には貨幣や絵の中の動物・人物が語り手になる斬新さ、細密画を巡る芸術論など、革新的手法に満ちている。しかし、殺人事件の犯人探しのミステリーでもあり、娯楽性も十分。ただし、3人の細密画家のキャラクターがやや掴みにくくて犯人探しに気を取られすぎると、疲れてしまうので注意が必要。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.12
(5pt)

こなれた翻訳で読めた事に感謝

以前、藤原書店発行の和久井路子訳を読む努力をしたが、あまりにも翻訳がこなれておらず遂に最後まで読まずに諦めた。 今回の新訳はさすがに良くこなれた文章となっており、著者の意図したところが、よく伝わって来た。翻訳者、宮下氏の感謝。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.11
(4pt)

不思議な小説です

パムクの本はこれが最初でした。時代背景や独特の語りかけから
上巻は、テンポが上らず、くどいなと感じていたのですが、
下巻に入るとその文章に慣れ、少しづつスピードが上りました。
パムクの遊びに気が付いた時、なるほどと思いました。

この小説を読むには、是非ペルシャ細密画の世界を歩く (幻冬舎ルネッサンス新書 あ)を横に置いてみて下さい。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.10
(4pt)

ミステリを期待して読むと難解かも、深く美しい文学作品です

感想を書くのがとてもむずかしい小説です・・なんというか、香り高く、強烈な印象を残すものの、どう書けばいいか戸惑うくらいに複雑というか。
この1998年の作品はパムク氏の代表作とされているそうで、2006年にノーベル文学賞を受賞されているそうです。

時代は1591年、オスマン帝国の最盛期スレイマン大帝が崩御してから25年、やや下り坂が見えてきた時代の首都イスタンブルが舞台です。とはいってもオスマン帝国自体は1923年まで存続するので、頂点を過ぎたあたりといっていいでしょうか。隣国のペルシャ、サファーヴィー朝との戦いに倦んで、国内で増えてきた珈琲店や神秘主義の宗教集団を、不寛容なイスラム過激派ヌスレト派が襲撃したりして、町には不穏な空気がたちこめています。余談ですが、珈琲店が襲撃されたというのは”目や胃を破壊し、理性を曇らせて信仰心を見失わせる、西洋人も珈琲に毒されていった、悪魔の飲物”と思われていたらしく、当時、排斥されていたのはアルコールだけではなかったのが興味深いです。

繰り返し出てくる主題は、細密画絵師たちの芸術に対する真摯な懊悩です。そもそもイスラムでは偶像を描くことが禁止されています。いろいろと説があるようですが、魂を持った生き物すべての絵を描くことはいけない、なぜかといえば、すべては神の創造物であり、その創造物のひとつである人間が、神の作ったものを描くことは不遜・・・みたいな発想だそうです。ここまで説明されても、それの何がいけないのか日本人にはわかりにくいと思いますが・・・。なので、絵を描くことそのものを職業にしている自分たちは異端ではないのか?という後ろめたさが、この作品に登場する絵師たちにも常につきまとっています。
また、古い時代から受け継いできた技法、ヘラートやタブリーズの天才画家の手法、つまりは平面的、類型的な描き方という意味のようですが、それを神の視点とみなし、そしてこの頃にベネチアから入ってきた遠近法の手法を異端とみなしていたようです。けれど皇帝から注文された絵画は遠近法で描くようにと命じられる、絵師によっては割り切る者もおり、罪悪感が消えない者もいる、小説の中ではその心情がこんなふうに表現をされています。
”遠近法の知識を用い、西欧の名人たちの様式に追随するのは悪魔の誘惑。”
”最後の挿絵には、死せる定めの人間の顔が西欧人の手法で描かれているんだ。絵じゃなくて本物を見たと錯覚するような顔がね。今に、異教徒どもが教会でするようにその絵に額づく輩まで出るかもしれないね。遠近法というのは、細密画にあるべき神の視点を犬のそれにまで貶めるだけじゃない、既知の様式と異教徒どもの技術や様式が混ざり合って、僕たちの純潔は汚され、連中の奴隷に成り下がってしまう。”
”汚らしい野良犬の目を借りて遠近法を用いている。「モスクは後ろの方にあったから」などと言い訳して、蝿とモスクを同じ大きさに描いて、信仰につばを吐きかけている。”
現代で私たちが当たり前としている遠近法を使った絵画にここまで嫌悪感を持つことはなかなか理解しがたいですが、当時の、そしてイスラムの見方というのはそういうものだったのでしょう。
一見イスラム色が強い小説のように見えますが、作者はアメリカに長期で滞在しコロンビア大学で客員教授をされていたということ、それでなくても現代のトルコは世俗主義の方が強く、描きたかったのはイスラム思想的なものではなく、個人的な感想ですが、芸術と人間だったような気がします。

現在のアフガニスタンやイラン、中央アジアにあった古い王朝とその栄華の話が何度も登場し、画家の名前、その手法と特徴などが述べられ、中国から地中海にかけて、深い交流があったことが伺われます。また、描かれる主題は主にペルシャの伝説や神話、叙事詩、恋愛詩であるところを見ると、文化的にはペルシャ文化がこのあたりを席巻していたことがわかります。絵に関して言えば、中国から龍の絵や水墨画なども伝わり、美女の顔を目が釣りあがった中国風の細い目で描くことがよくあったとか、オスマン帝国の絵師たちが様々な手法を取り入れていたことも延べられています。

これらに加えて、画家たちの人間的な側面、虚栄心、出世欲、当時普通だったらしい男色の恋心のこと、一応の主人公である絵師カラといとこのシェキレの恋愛と、結婚までに至る問題、そしてシェキレの父親で有名な絵師でもあったおじ上と絵師”優美”の殺人事件、皇帝がその解決をカラとその上司であるオスマン棟梁に命じたことなどが平行して進みます。ヒロインのシェキレに関しては、絶世の美女として描かれていますが、あまり聡明だとは思えず、行動も意味不明で打算的、卑怯なところもあり、そんなに魅力的な女性だろうか?と思ってしまいました。

歴史や美術に関する記述がかなりの割合を占めるので、それらに興味のない人は途中でいやになってしまうかもしれません。殺人事件を追及するミステリとしても読め、そのあたりは結構はらはらしますが、そちらの方は合間合間に進むので、ミステリ目当てだけで購入すると途中で息切れしてしまうかも。
この本に関しては、先にあとがきを読んでしまうのもありだと思います。ネタばれにはなっていませんし、物語の背景になる当時のイスタンブルとオスマン帝国全体の様子、歴史、細密画に関して、そして作中でひんぱんに登場するペルシャ文学作品についても、詳しく説明されています。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.9
(2pt)

訳文がひどいです

原文が読めない者ですが、感じたことを正直に書きます。
原文はこんなに間の抜けた稚拙な文章なのですか?
この訳文には美しさを感じません。
この本がもし翻訳でなく日本人によって書かれた小説だったとしたら、あまりに文章がヘタクソすぎませんか?
この訳者は訳すとかいう前に、自らの文章力を上げるべきでは?
ただ訳せばいい、ではダメでしょう?
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.8
(4pt)

わたしの名は読者

16世紀末、オスマントルコ帝国の細密画師の間で起こった殺人をめぐっての物語。

と書いても16世紀のトルコなんて想像がつかないだろうし、細密画師といわれてもそんな職業があることさえ知らない人がほとんどだろう。
ぼくもパムクの『雪』が好きだったので手に取ったまで。
歴史背景もしらないままに読みはじめたが、そんな知識の欠乏は「すべてが知らないことだらけでおもしろい」という結果となった。
中近東の政治史・文学史・美術史を学べるよい機会となった。

物語は「殺した犯人を追う」というサスペンスのオーソドックスなスタイル。
ページが進むごとに、謎は深まり、緊張は高まる。ノーベル文学賞の作家だからといって高尚ではなく読みやすい。
しかし、ただのエンターテイメントと違うのは、そのストーリー展開の中に、
絵について、神について、西洋と東洋について、美について、という深い考察が染み込んでいる。

その独特の小説の構造も読者を物語に吸い込んでゆく大きな力。
『わたしの名は赤」という不思議なタイトル、それは赤というあだ名の人間ではなく、赤色そのものなのである。
赤色、絵師、殺人犯、死体、犬、悪魔など、一人称が章ごとに縦横無尽に変わるその構造がとても楽しい。

今作と『雪』にも共通するテーマである西洋化。
「和魂洋才」というように日本人は西洋の技術を抵抗もなくどんどん取り入れてきた。
しかし、トルコの人々は「土魂洋才」とはいかないのである。
洋の才を取り入れることは、魂も洋になることだ、イスラムに背くことだ、と苦悶する。
この魂の純粋な葛藤に、私はいちばん心を打たれた。
アジアとヨーロッパが出会うイスタンブールが舞台であるからこそ、
そこで生まれ育ったパムクだからこそ深く掘り下げることができる。
グローバリゼーションが伝統を壊し、
世界を画一化していくプロセスに巻き込まれている私たちにも考えさせられる内容だ。

それにしても、プルーストの『失われた時を求めて』リョサ『楽園への道』のように
絵画について文字で追求した小説がおもしろいのはなぜだろう。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.7
(4pt)

<細密画>と西欧絵画との優劣(あるいは融合)をテーマとした大胆さに驚く

私は池内恵氏「イスラーム世界の論じ方」を読んだのをキッカケに本作を手に取ったのだが、非常に興味深く読んだ。トルコ人作家の作品を読むのも初の体験である。オスマン帝国時代を舞台に、<細密画>(師)及びそれに纏わる殺人事件を扱ったものだが、ミステリ的興趣の方は殆ど無視して良い。コーランによって偶像崇拝を禁じられているが故に、書物の挿絵としか存在を認められない<細密画>に焦点を絞っている点にまず興味をそそられる。更に、絵師個人の様式や創造を許さない<細密画>と西欧(時代設定からしてルネサンス期のイタリア)の写実的絵画との優劣(あるいは融合)をテーマにしている作者の大胆さ(身の危険はないのだろうか?)にも驚かされる。<細密画>における美や伝統とコーランの教えとの間の微妙なバランスの上で成りなっている作品で、本作発表時に欧米で話題になったというのも頷ける。

また、本作の各章は主要登場人物達や<細密画>上に描写される馬、悪魔、金貨等の一人称という体裁になっており、各章が<細密画>の構成要素、作品全体が<細密画>という見立てが成り立つという巧緻な仕掛け。殺人事件と関わりのない、宗教、絵画、美についての論考の章が特に読み応えがある。イスラム教徒(だと思う)によるこうした論考を読むのも初めてだったので。また、コーランの教えには「女は信徒(男)を堕落させる」というのもある。本作のヒロインは稀有の美貌の女として描かれるが、読んでいて余り魅力を感じない。むしろ、周囲の男を悩ませる"災厄の女"として映るのである。作者がコーランの教えに則って執筆しているのか、反発(西欧化)を意図しているのかやはり微妙な線で、その意匠、作品内容共に読者を惑わせる出来となっていると思った。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.6
(4pt)

ストーリーテラー

としてのパムクの面目躍如。訳が「赤」でも「紅」でも、どうでもいい。実際には赤なのだが、日本人には紅の方がいいのかな。これでトルコに行けていれば・・・。96時間 リベンジ という映画があったが、ああいう路地裏と混沌だ。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.5
(5pt)

こなれた翻訳に感謝

上記、下巻と同様。
以前、藤原書店発行の和久井路子訳を読む努力をしたが、あまりにも翻訳がこなれておらず遂に最後まで読まずに諦めた。 今回の新訳はさすがに良くこなれた文章となっており、著者の意図したところが、よく伝わって来た。翻訳者、宮下氏の感謝。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.4
(5pt)

現代トルコ作家の千一夜物語

帯だけ見ると推理小説のようにも思えますが、全然違います。
犯人捜しなんてどうでもいいのです。

これは千一夜物語です。
物語の中に物語が埋め込まれている、細密画にテーマを限局した千一夜物語です。
枠物語より、埋め込まれた物語のほうが遙かに魅力的です。
本文より挿絵の細密画のほうが魅力的な書物のようでもあります。

帯に書いてあるように一気読みしてしまっては、いけません。
「今夜はここまで」と中断しながら、何日もかけてじっくり読む物語です。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.3
(4pt)

細密画とは知性の静寂であり,目の音楽である

この本のカバーには16世紀のイスタンブルでの珈琲店の様子が描かれています。
 この時代,珈琲店は庶民にとってメジャーな社交場であったものの政府が禁令を出すなど,社会には不穏な空気が漂っていたといいます。
 そんな中,一人の細密画家が殺害され,その殺害の動機に,細密画とイスラムの教義の関係が深く関わっていることをうかがわせます。
 イスラム教世界における絵師にとって重要なのは次のみっつだという。
 その1:様式と署名
     独自の様式や署名に拘泥すると金と功名心のために絵を描くことになる
 その2:細密画の時と神の時
     時の流れの外に身を置くための方法が細密画である
 その3:盲目であること
     神が与えたもうた暗闇の中に現れるものを見ることこそが,細密画の神髄
 そして,細密画家「蝶」「コウノトリ」「オリーブ」の三人がそれぞれ語る三つの逸話。
 この逸話がそれぞれに興味深い。
 そして,どうもこの三人の中に細密画家「優美」を殺害した犯人がいるようだが・・・。

 本書は,カタカナ固有名詞が連発して集中力の持続が途切れそうになる場面もありますが,西洋世界で広まる遠近法や肖像画を否定し,自ら盲目になることを望む16世紀の細密画家の存在が興味深い,個性的な作品でした。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.2
(5pt)

新訳嬉しい!!

藤原書店刊の以前の版の迷?訳に憤りを感じたものとしては、本当に嬉しい新訳版の刊行となりました。
早速買い、原書と引き比べながら再読。
やっと、細密画のように構築されたこの物語に入っていくことができたように思いました。

藤原書店版のレビューが優れたものばかりなので内容には言及しませんが、これだけは声を大にして言いたい。
この流れが続きますように…
早川書店さん、頼みます。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.1
(5pt)

16世紀のイスタンブルが舞台の一大絵巻

16世紀イスタンブルで細密画家が殺される話とカラとシェキュレという男女の恋愛の話と画家たちの権謀術数の話が一人称多視点で語られる小説。その視点も人間だけでなく絵具や馬なども喋る独特の構成で驚く。
以上のように主筋傍筋入り乱れる展開ですが、あまり複雑にならず、平明で読みやすいのがいい所。一応推理小説風に創作されてるけど著者パムクの主眼はあくまでこの当時人気があり寵愛された細密画家を描くことに集約されているように思えました。訳者あとがきによるとイスラム圏では偶像崇拝にあたるので絵画などは敬遠されていたそうですが、本の挿絵のようなものはかなり尊ばれていたというのはよく伝わってきます。題名の「赤」というのも本全体を象徴している(殺人の赤い血、絵具の赤)ようにも思えます。
カラとシェキュレの恋愛模様も飽きずに読め、時代や地域が違っても人間の本質は変わらないということを考えさせてくれます。
小説と書きましたが、物語あるいは説話のように雄大さを感じました。「真夜中の子供たち」と「薔薇の名前」足して2で割ったような印象をうけました。
あまり読まない地域の話なのでカタカナの固有名詞が人名か地名かその他か区別し難いほかはとてもおもしろかったです。
何度も繰り返し読めるスケールの大きい傑作。パムクの作品は全部読もうと思います。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665