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雪の階



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【この小説が収録されている参考書籍】
雪の階 (単行本)

雪の階の評価: 4.24/5点 レビュー 25件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.24pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全25件 1~20 1/2ページ
12>>
No.25:
(4pt)

時代を感じる文章が魅力。

昭和初期の華々しさとが感じられるような文章が、魅力的。
物語としては、どこかチグハグな、捉えどころのなさが、時代的で楽しめた。
とても不可解な主人公も、その不可解さに、かえって惹きつけられた。
最後の展開に少々なじめず、⭐︎は4にした。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.24:
(5pt)

〈天人五衰を怖れず〉の物語

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本作が、三島由紀夫を意識した作品であろうことは、毎日出版文化賞の選考委員である林真理子をはじめとして、多くの人の指摘する、比較的わかりやすい事実だと言えるだろう。
だが、その「狙い」について、ハッキリと指摘したものを、私はまだ目にしていないので、その点につき、ここに私の思うところを記しておきたいと思う。

【 ※ 本作の、結末及び本質について論じますので、ネタバレが気になる方は、ご注意ください】

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本作は、戦争に傾きつつあった大戦前昭和日本の上流階級社会を舞台にした、オカルト趣味の推理小説だと言って良いだろう。

日清・日露戦争に勝利し、東アジアへの覇権を強めていた日本は、しかし欧米の帝国主義諸国から警戒されて、思うような国際的地位を築けずにいた。イギリスやアメリカといった列強との関係が悪化する中、日本はヨーロッパにおいて、急成長を遂げていたナチス・ドイツに接近したが、ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の母体のひとつである秘密結社トゥーレ協会は、人種差別的なアーリア民族主義と結びついた、異教的神秘主義という特徴を有していた。

本作は、こうしたしばしば語られるところの「ナチスのオカルト」といった謎めいた側面に、謎の失踪事件や変死事件がからむ「オカルト趣味の推理小説」として展開するのだが、その一方で、「文体」的には、戦前昭和日本の上流階級社会を描くにふさわしく、しばしば典雅なレトリックを駆使し、現代の推理小説とは一線を画する「文学的」な香気を漂わせて、そこが少なからぬ評者から高く評価されもした。
本作が、三島由紀夫を連想させるのも、単に「上流階級」や「青年将校」や「二・二六事件」が描かれるだけではなく、その意識的に凝らされた「文学的文体」によるところが大きかったのではないだろうか。言い変えれば、純文学ファンには喜ばれ、今どきの推理小説ファンには、やや冗漫に感じられる文体だったのである。

無論、作者は、こうした「文体」を意図的に凝らしたのである。
そしてその狙いは、本作の本質が「美的幻想批判」であり、「三島由紀夫批判」にあったのだと言えよう。

本作は、いかにも「神秘的なもの」が隠されているかのような真相探求譚として展開するが、その結果、主人公がたどりつくのは、良くも悪くも「(非神秘的な)当たり前の、この生活世界」である。
主人公の周辺では、謎めいた「間諜組織」らしきものが暗躍し、一方、昭和維新を呼号する青年将校たちの陰で、これに便乗して「天皇家」を打倒し、「純血純粋な日本人」による真の日本を実現しようという陰謀が進行する。
しかし、これらは結局のところ、「オカルト的思考」にとらわれた人たちの妄想や妄執によってひき起されたものでしかなく、その野望はあえなく潰えてしまう。彼らが「特別に選ばれた人間」でもなければ「特別な能力をもった神人」でもなかったことが、最後に明らかになるのである。

つまり、さんざ「謎めいた物語」を盛り上げたおいて、そのあげく作者は、読者の梯子を外してしまうのだ。「そんなものは妄想でしかないのですよ」と。
付言すれば、本作はこうした狙いにおいて、ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』と相似的な作品だとも言えるだろう。

したがって、エーコの『フーコーの振り子』がそうであったように、本作の「意図的な梯子はずし」に対し、期待はずれだ、失敗作だ、などと言って怒る読者が、一定数出てくるのはしかたのないところだろう。
しかしそれは、作者が最初から意図したことなのだから、そこを読みとれないままに腹を立てるような読者は、単に本作を「理解できなかった読者」だと断じて良いだろう。批判するのなら、作者の意図を読み切った上で、そうすべきなのである。

たしかに、主人公の笹宮惟佐子は「神秘的な魅力」がある(ように書かれている)。しかし、彼女は非凡に美しく、個性的ではあるものの、決して「人間以上のもの」としては描かれていないし、それは作者が彼女の「内面」を描いている事実にも明らかだ。彼女を「人間以上のもの」として描くつもりなら、三人称の客観描写で、彼女の「人間的な内面」を描くわけなどないからである。

事程左様に、作者は「思わせぶり」な外面描写を多用して、読者を煽り(誤導し)ながらも、決して「嘘」はついていない。つまり「推理小説」の流儀からしても、決して「アンフェア」な描写はしておらず、あくまでも「文学的レトリック」において、読者を「酔わせた」その上で、最後に冷水を浴びせたのである。「目をお醒しなさい」と。

作者の意図が、「神秘主義的ロマン主義」にはなく、「当たり前の人間」であり「当たり前の生活者」の側にあるというのは、意図的な「耽美的レトリック」をふんだんに盛り込んだ本作の中においても、ときどき登場する「普通の人への、愛情のこもった描写」に明らかであろう。
例えば、笹宮惟佐子の幼い頃に、遊び相手(おあいてさん)を仰せつかっていた、庶民の娘である牧村千代子と、彼女の想い人で、しかしちょっと抜けたところもある蔵原誠治とのやりとりは、いかにも人間的な温かみに包まれていて、たいへん微笑ましい。

また何よりも、不幸な友人マキ代の運命を悲しむ、女学生・鈴木奈緒美の言葉は、作者の想いを代弁して、ほとんど決定的だ。

『「馬鹿なんです、マキ代は。きれいだし、スタイルもいいし、やさしいし。あんなに歌もうまいのに。でも、馬鹿だから、すぐ騙されて。」
 緋色外套を着たままの女学生は、潤み光る眼で千代子をまっすぐ見つめた。』(P467)

どんなに、美人でも、才能があっても、人柄が良くても、「馬鹿」だったら、騙されてしまう。それは、人間の、哀しい現実なのである。

同様に、「選ばれた人間」だの「神人の血筋」だのといった話についても、「馬鹿だから」こそ、自分を騙し、人から騙されもするのだ。
そして、「神人であるイエス・キリスト」を信じたキリスト教徒をはじめとして、世界中の多くの「信仰者」たちは、いもしない「神」を信じる「馬鹿」であるし、日本人の多くは「現人神」を信じた「馬鹿」だったし、今だって、それと大差のない「馬鹿」なのである。

一一そして当然、三島由紀夫もまた「馬鹿」だった。

三島由紀夫の代表作のひとつにして遺作である「豊饒の海」四部作は、そんな三島の精神史として読むことができる。

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『『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。
第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆく』
(Wikipedia「豊饒の海」)

「貴族の世界を舞台にした」美しい青年の恋愛譚として始まり、青年の「輪廻転生」という「美的ロマン主義」に貫かれた物語として展開する「豊饒の海」は、しかし最終巻『天人五衰』において、それが「夢想」にすぎなかったという、残酷な現実を暗示して終る。

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『天人五衰(てんにんのごすい)とは、仏教用語で、六道最高位の天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆しのこと。
大般涅槃経19においては、以下のものが「天人五衰」とされる、大の五衰と呼ばれるもの。これは仏典によって異なる。
 1. 衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる
 2. 頭上華萎(ずじょうかい):頭上の華鬘が萎える
 3. 身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す
 4. 腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る
 5. 不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる』(Wikipedia「天人五衰」)

「選ばれた存在として、美の極みにあった天人」ですらも、最後は年老いて「醜く」なってしまう。
「豊饒の海」という物語もまた、この運命をたどるのだが、最終巻『天人五衰』の「入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した」という事実は、いかにも、この時の三島の想いを暗示しているようではないか。
つまり、三島は「若く美しいままで、死にたかった」のではないだろうか。彼は、自身の「美しい姿」だけを、人々の記憶に留めたかったのではないだろうか。

もともと、勉強はできるが虚弱体質の「おぼっちゃん」であった三島は、しかし、文学者として名をなした後、ボディビルに凝ってムキムキのマッチョな体を見せびらかすようになった。
写真家・細江英公による、三島由紀夫を被写体とした裸体写真集『薔薇刑』の刊行はもとより、映画『からっ風野郎』に出演して『ヤクザの跡取りながらどこか弱さや優しさを持ったしがない男』を演じたり、映画『人斬り』で『迫真の切腹演技』をして見せたりしたのも、この「鍛え上げられた肉体美」があって上であった。(Wikipediaを参照した)

しかし、そんな三島について、友人の中井英夫に興味深い証言がある。

『 自殺するとは思わなかった。というのは、やはりしばらく会っていないという不明のせいであろう。たとえば銀座を一緒に歩いていると、すれ違いざまに若い男が、「お、三島だぜ、殺してやろうーか」と無邪気な声をあげ、「殺されちゃたまらねぇや」と笑いとばす横顔とか、さる老大家の話になって、「オレもいまにこうなるぜ」と、ゲクゲクという形で首をふりながら真似をしてみせるのに、「さぞまあ始末に悪い、扱いにくい爺さんになるだろうよ」と笑い合った記憶しか持っていないので、本物の三島どおり、長寿を完うするものと信じていたからである。』
(「ケンタウルスの嘆き」より、『中井英夫全集 6』P241』

著名な老作家の真似をして、おどけて笑いを取ってみせた三島には、しかしこの時すでに「老い衰える」ことへの恐怖があったからこそ、彼はそれを「笑いとばそう」としたのではなかったろうか。
しかしまた、それが「笑いとばせない」ものだと覚悟した時、彼は「美しいままで死のう」としたのではないだろうか。
「過去の仕事」において、「大家」然として澄まし込んでいられるような、文壇の「老作家」になど、彼はなりたくなかったのであろう。彼にはそうした生が、「老醜」にしか見えなかったのであろう。だから「美しいままで死にたい」と願ったのだ。

しかし、それは人間の「生」というものの、その広がりや深さを見ず、あまりに表面的にとらえたものではなかったか。そして、彼はその文学と同様に、あまりにも一面的な「美」としての「美しい幻想」にとらわれ、それに殉じた「馬鹿」だったのではないだろうか。

三島由紀夫の見たもの。まさに「幻視した」ものは、しかし「夢想」でしかなかった。
それは、この世のものではないし、それに自身の生のすべてを賭けてしまうのは、「全共闘の若者たち」と大差のない「観念的で一面的な理想」に賭けることでしかなく、それはやはり「馬鹿」であり、健気な「愚か者」のすることなのだ。言い変えれば、どこか「弱い」人間のすることなのだ。
また、だからこそ、理想主義的な学生運動の果てに、「人間の生を軽んじた、観念的な理想主義的ロマン主義」の果てに、グロテスクな「総括殺人」などといったことが、ついに現出してしまったのではないだろうか。

たしかにこの世は「薄汚れている」だろう。それでも「つましくも美しく温かい生」がそこにはあって、それを知らないままに死ぬのは、やはり「見る目の弱い馬鹿」に違いないのである。

 ○ ○ ○

『人生も数学のように明晰ならどれほどいいだろうかと惟佐子は思い、いや、違う、いま自分が彷徨い込んだ迷宮は、むしろ数学的とも云うべき抽象原理に貫かれている点にこそ妖しさがあるのではないか、純粋に透明な結晶は眼に見えず、夾雑物の濁りが混じってはじめて眼に映るのではあるまいか、などと考えるうちにひょっこりと千代子が部屋に現れたのだった。』(P551〜552)

『「結婚式には、ぜひ呼んでくださいね」
「もちろんですわ」
千代子が血色のよい頬を輝かせて応じた瞬間、そうだ、少なくともそのときまでは自分はこの世界に留まるだろう、それがどれほど馬鹿げていようと、嗤うべき俗臭に満ちているにしても、ここにいるべきだ一一いや、いたいのだと惟佐子は思い直せば、寿子もまたこの世にいましばらくはあるべきだったのだとの、無念の思いが再び心の水面にぽかりと浮かび上がるのを覚えた。』(P563)

『自分が数学を好きな理由は、論理の美にあるのではなく、論理の力で構築された記号の高塔から、ひとつひとつが無限の広がりを有する天体の無数に存する宇宙を望みうることにあるのだと惟佐子はあらためて思い、自分がいま棲む数学の宇宙は、再び水の比喩にしたがうならば、ほんの小さな水溜まりにすぎぬことをこともまた実感した。』(P564)

『「寿子さんと結婚するようなことはお考えにならないならなかったの?」
 云ったとたん、なんて俗な、土産物屋の店先でひなたに晒されている名産品みたいな質問なのだろうと惟佐子は呆れたが、いや、そこにはなにかしら厳粛な思想が孕まれてもいるのだと思い直して返事を待てば、椅子の士官の顔はどこか道化たような笑いの色に染まった。』(P578)

『蔵原がやたら発酵を礼賛していたのを思い出して、酢も発酵食品ではないかと指摘すると、蔵原は苦笑する顔になった。
「そうなんです。そこが僕の抱える絶対矛盾なんです」
 蔵原の大げさな云い方が可笑しくて千代子が笑うと、矛盾というならばと、蔵原は軽い調子で続けた。』(P587)

.
これらは、物語の最終盤での「数学と結婚」に関わる描写だが、このそれぞれが象徴するのが「美的抽象世界と生活世界」という対象性であり、作者が後者に肩入れしているのは明らかであろう。

例えば、「決起」を目前に控えた「近衛士官」が、善意によって睡眠薬を一服盛られ、その結果、決起に「寝坊」してその野望を断たれ、あげく、彼と深いと契りを結んでいた部下に射たれて重傷を負うという展開は、いっそ滑稽であり、毒のある皮肉が利いている。

このように、この物語は、「美的抽象世界」に踏み迷ってしまった人々の見る世界を前半で描き、後半でその「迷妄」を暴いて、観念的な人々の目を醒させようとした作品だと言えるだろう。「たしかに、この世界は、俗で凡庸だけれど、それでもあなたが憧れる美的抽象世界の幻想よりも、もっと深い真実があるんじゃないだろうか」と、そう訴えているのではないだろうか。

だからこそ、「老い」を怖れ、「美的抽象世界」への逃避の果てに挫折して果てた三島由紀夫の遺作を踏まえて、本作はその「絶望的な自死」を、あえて批判的に引き受けてみせた作品なのではないか。「三島さん、あなたは馬鹿だ」と、哀悼の意を想いをこめて難じた作品だったのではないだろうか。

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『「馬鹿なんです、マキ代は。きれいだし、スタイルもいいし、やさしいし。あんなに歌もうまいのに。でも、馬鹿だから、すぐ騙されて。」
 緋色外套を着たままの女学生は、潤み光る眼で千代子をまっすぐ見つめた。』(P467)

奈緒美がこのように難じた親友のマキ代は、三島由紀夫に代表される「夢に溺れすぎる人たち」の「象徴」なのではないだろうか。そして、私たちはもっと、この「生活世界」の中にある「美」を、まっすぐに見つめるべきではないか。

本作が、そう語っているように、私には思えるのである。

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雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.23:
(4pt)

戦前史が好きな人にはお勧め

戦前史とくに陸軍の若手士官が暴走した事件や米国やソ連との関係も絡んで、戦前史ファンならば読み応えはあるだろう。元なるミステリーだけでなく、当時の時代背景も描かれており、なかなかの秀作である。
戦前史を知っている人にはより深く読めて面白いと思う。
2人の女性が交互に描かれ、事件の解決にそれぞれ進んでいく。方や華族出身かたや戦前では珍しい女性カメラマンの比較も面白く、女性カメラマンの相方の行動にはユーモアがある。2/3までは読み応え十分だが、残念ながら、最後の詰めが、甘い気がする。なので★4つ。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.22:
(3pt)

楽しめたが・・・ 変です

主人公の伯爵令嬢が男性を誘う手紙の「難波江の葦のかりねにつかまって・・」を読むまでは楽しめた

   ”つかまって”ってなに?

手紙を読んだ木島が、惟佐子がわざと拙い表現をしていると思った、つまりブリッ子していると感じた、というのだが・・・
同じ華族階級で10歳も年上の男に対して可愛くみせる必要など無いと思われるし、描写されている主人公の性格を考えると”つかまって”という奇妙な表現など絶対しないと思う

変だなと思ったことがもう一つある

惟佐子の兄を紅玉院の清漣尼と引き合わせたのは誰か?
重要なことだと思うが、これがどこにも書かれていない

一度読み終えてなぜかモヤモヤが残り、後半だけを二度読んでこのことに気がつき
確かめるために三度読んだ

惟秀が伯父の白雉とヨーロッパで会った際に惟秀の双子の妹である清漣尼のことを聞いたのか?
そうだとすると、父親の笹宮伯爵も双子で生まれた娘(惟佐子の姉)の存在を知らなかったのに、なぜ伯父は知っていたのか?
清漣尼をこっそり隠した笹宮伯爵の母親藤乃は、白雉の妹(惟秀、惟佐子の母)の姑であり、白雉は藤野が完璧に隠した惟秀の(双子の)妹の存在を知る立場にないと思われるのに、どのようにして伯父は清漣尼の存在と居場所を知ったのか?
清漣尼は伯父の白雉を知っているのだから、伯父が清漣尼の存在を探り出したのだろうが
これに関する記述が全く無い

それとも友人で部下の槇岡によって清漣尼と引き合わされたのか?
惟佐子が受け取った槇岡の手紙には、子供の頃から紅玉院へ出かけていた、と書かれていたから、それが真実だと
仮定すると(槇岡の手紙には後に明らかになる虚偽が書かれていた)槇岡の仲介だったことになるが・・・

伯父の白雉と槇岡とルートは二つあったことも考えられるが、全く記述がないのはどうしてか?

惟佐子が2.26事件に巻き込まれ自身も家族も破滅するのを回避した方法は、これしかない!というもので
秀逸だが、重要な記述がスッポリ抜けてしまって何とも気抜けした

☆2つにしようかとも思ったが睡眠薬で惟秀を眠らせたアイディアに敬意を表して☆3つにした
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4120050467
No.21:
(5pt)

時代背景も興味あり展開が面白く、一気に読んでしまいました。

登場人物がそれぞれ訳ありで個性があり、2・26事件に向かっていることは想像できましたが、発想が柔軟で面白い組み立てでした。難しい言葉遣いが多く、たびたび辞書を引かざるを得なかったのは、文章に重さを出したかったからでしょうか。
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4120050467
No.20:
(5pt)

奥泉光の最高傑作

完璧な作品
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.19:
(5pt)

歴史的背景と物語の見事な融合

この作家の作品を初めて読んだ。独特な文体と丁寧な描写に惹きつけられて物語の世界に没頭した。これほどのめり込んだ作品は最近ではなかったかもしれない。

背景は満州事変から2.26事件の起きる日本が戦争を前に不穏な動きの中にある時代で、登場人物は華族の笹宮伯爵家の娘の惟佐子を中心に、彼女の親友である寿子の心中事件をきっかけに進んでいく。惟佐子が大変魅力的で読んでいて楽しかった。当時の未婚の女性たちの様子が描かれるが、惟佐子のように花嫁学校に通いながら結婚を待つだけの女性もいれば、惟佐子の「お相手さん」として育った千代子のように職業婦人として男性社会に出ようとする女性もいた。惟佐子と千代子はそれぞれのアプローチで事件の謎に迫っていく。その過程で描かれる当時のドイツの社会情勢や、英米に対する軍部の考え、天皇機関説問題など、歴史的背景と物語がうまく絡み合い、時代の流れに翻弄されるように登場人物が次々と現れるが、それが全く混同されることなく物語が進んでいくのが見事であった。
2.26事件あたりの日本社会の様子に疎かったので読んでいて面白く、ここから時代は太平洋戦争につながっていくことを考えると、最後のある二人の幸せそうな様子は微笑ましくもあり、切なくもあった。
今年読んだ中では一番好きな作品である。
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4120050467
No.18:
(4pt)

伝奇小説のようでいて、そこに突っ走らず、奥泉節が堪能できる

時は2.26事件の直前。

貴族の娘と陸軍士官の無理心中死体が青木ヶ原で発見される。

そこから、天皇機関説と国体明徴運動をめぐるきな臭い動きとからめつつ、日本に伝統的に住み着いた「神人」と、大陸から渡来した「獣人」との対立というオカルト的な話がかさなっていく。

こう書くと伝奇小説のようだが、実際は、『戦艦樫原殺人事件』や『鳥類学者のファンタジア』のようには話は進んでいかず、最終的には現実的な推移の中に回収されていくというのが、奥泉にしては珍しい。

が、十分に奥泉節も堪能できて、ぼく的には満足の一冊である。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.17:
(4pt)

話はともかくとして

奥泉光を読むのは初めて。なるほど読ませる。込み入ったストーリーに快感を覚えての時間を思う存分楽しんだが、
何よりも心を揺さぶられたのは、女性描写である。今さらながら、そうか、そうだったのか、と気づかされることもあり。彼の描く女性はどの本を読んでも、こんなに深いのか?検証する必要が生じる。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.16:
(5pt)

華麗なコスチュームプレイ

昭和10年、帝都東京。「天皇機関説」問題で機関説批判の論陣を張り、政界で暗躍する笹原惟重伯爵を狂言回しに、伯爵令嬢笹原惟佐子を主人公にしたミステリである。しかし、ミステリといっても、フーダニットの謎解きは物語の中心にない。むしろ昭和初期の上流階級の東京での日常に舞台にとったコスチュームプレイとして読むべき作品だ。

主人公、芳紀二十歳の惟佐子が大変魅力的に描かれている。

…今日の惟佐子の薄藍の色留袖に鐵黒の袋帯を締めた姿は、思わず見とれてしまうほどに艶やかで美しかった。細身の絵姿が近代的(モダーン)な印象を与えるのに対して、玉結び風の黒髪の下に、低い頬骨の上の瞼が厚く目の細い古風な美人顔が置かれているのが、不思議な魅力となって結晶している。…

趣味は碁と数学。碁は本因坊秀哉名人との特別対局が企画されるぐらいであるし、詰め碁や雑誌「数学世界」の懸賞問題に取り組むことを社交の会の消閑にしている。つまり、盛装して姿で会に華を添える役割を果たしながら、その実、頭の中では詰め碁を考えているという具合なのだ。

そんなふうに会合ではうわの空でいることの多い惟佐子が、とある音楽会の席で、ドイツからやってきたピアニストの演奏に心奪われるというところから物語はスタートする。ピアニスト・カルトシュタインは心霊音楽協会所属で「ピタゴラスの和音」を演奏する……とこう聞けば、奥泉読者ならば、あのロンギヌス物質につながるストーリーなのだと期待するはずだ。

残念ながら、本作はロンギヌス物質ストーリーとしては盛り上がらない。

しかし、ヒロイン笹原惟佐子と、その幼少の頃のおあいてさま千代子との魅力でどんどん読ませる。千代子とその彼氏のパートは、トラベルミステリの軽いノリを楽しむ箇所だが、本作の読みどころは、メインのヒロインである笹原惟佐子のダークな魅力にある。

お飾りのような笹原惟佐子がだんだんとその相貌を変えていくところが何よりの読みどころといえる。ふむ、読者ながら碁の指導を受けたいものだと感じさせられるようになる。

2019年公開の映画「サスペリア」のヒロインのことを思い出した。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.15:
(5pt)

魅力的な主人公!傑作!

三島由紀夫『豊穣の海』を彷彿とさせる第1章から始まる戦前華族の物語は、第2章に入って松本清張『点と線』のようなミステリーの展開になり、・・・アッという間に、怒涛の奥泉光の世界の第5章へ!スゴい!
主人公・惟佐子の造形が、光っている!砂糖を一切使わない廬山人流の矜持をもつ「すき焼き」の老舗で、割り下に「山盛り三匙おねがいします」と砂糖を入れさせ、・・・おそろしく食べるのが早く、・・・囲碁に強く、愛読書は『数学世界』・・・
「一所懸命の人がいったいなんのために一所懸命なのか、不明」と言い放ち、
「一般に男性と云うものにさほどの個体差はない」・・・と言いきってしまう惟佐子のドライさは、魅力的としかいいようがない!
後半の堂々たる<不敬>なる表現とストーリーでは、『神器』のそれをさらにしのぐパワーが炸裂!・・・ただ、そこに一抹の真理が滑り込まされているあたりは、上手い! 
5章からの引用 →「異国の支配者の顔色を窺い、媚を売り、諂い、数々の貢ぎ物を差し出して、この惨めな国に君臨する」
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4120050467
No.14:
(1pt)

物語を持ちこたえられない長さ

途中までは何とか面白く読み進んだのですが、人物の造形がどれをとっても中途半端かつ細切れなので、だんだん退屈に。紅玉院の庵主も、伏線は張られているけれど、いざ登場してみるとあまりのインパクトのなさにため息が出ました。更に訳が分からないのは笹宮惟佐子。この美女が途中から途方もない男性漁りを始めることにも、まったく必然性がない。もう一つ、事件を追う女性カメラマンとその恋人も、テレビドラマの登場人物の定型にはまって、陳腐でした。何百ページを費やすだけのミステリーなのかと、心底拍子抜けというのが、読後感です。
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4120050467
No.13:
(5pt)

どんどん引き込まれます

読んでいる間ずっと、昭和初期にタイムスリップしたようでした。

雪の、という題名がつきながら、そこにたどり着くまでの色彩の豊かなこと。
町の様子から着るもの、建物、だけでなく現代とは決定的に違う身分階層の彩りまでを
文章のあちこちから感じられました。
私自身昭和初期にそれほど興味がある訳でもないのに、いろいろな装飾と巧みなミステリーの仕掛けにどんどん引き込まれ、
終わってみれば、大戦前の歴史に最もひかれるようになっていました。

クライマックスで226事件に結びつくところでは、
内外どこから見ても右寄りになってきている日本の現状に警鐘を鳴らしているように思えました。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.12:
(4pt)

階段を踏み外した感じの結末

基本的には面白く読めたが、
心霊的な話は好きではないので★を減らした。
この小説の中で私を牽引してくれたのは不思議な魅力を持つ惟佐子と、
時々現代の女性かと思わせる千代子である。
予想外の結末だったが、数学と囲碁が好きで
シレッとして男漁り?する惟佐子の行動としてはいいかがなものか?。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.11:
(1pt)

残念。次作に期待。

タイトルと書き出し、厚みと装幀に惹かれて、出てすぐに購入。前半は、中々のもので上質のミステリーといった趣。ところが半ばから首をかしげるようになり、読み進めるに従って失望感に覆われ、ああ、やはり新刊には手を出してはならないと自戒。この長さで緊張感を持って書ききるには相当の力量が必要なのだ。毎日出版文化賞受賞と知って唖然とした。この賞も地に落ちたものだと思う。林真理子氏が三島の豊饒の海を引き合いに出して絶賛していたが、三島が春の雪、奔馬と天才ぶりを発揮したあと、息切れして暁の寺、天人五衰と駄作に向かって転げ落ちたのと、奇しくも似かよっている。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
4120050467
No.10:
(5pt)

重厚な文体で綴られる二・二六事件前夜の華族の動き

一部の陸軍青年将校が昭和維新を叫ぶきな臭い時代、公家華族の伯爵令嬢である笹宮惟佐子は、親友の死に不審な匂いを嗅ぎとる。

富士の樹海にて陸軍士官と並んで死体で発見されたため、世間の好奇な目は心中だと騒ぎ立てた。しかし惟佐子は、その少し前の日付で、仙台の消印のある葉書を親友から受け取っていたからだ。

幼少の頃の「おあいてさん」だった千代子に調査を依頼する一方で、自分自身も独自に事件を追う惟佐子。そしてにわか探偵たちの先には、いくつもの不審な死が…。

主人公は若く美しき華族令嬢、父の口述筆記を通じて時勢の動きを知り、兄は皇道派の陸軍青年士官と、舞台装置は武田泰淳の「貴族の階段」に酷似している。しかし、深く彫り込まれた人物像、重層的な構成、読者の予想を裏切る展開と、小説としての完成度は、本作の方がはるかに上。これは傑作。

舞台となった昭和初期に書かれたのかと見紛うほどの重厚な文体、時代性に合った登場人物の台詞や行動。600頁近い大作だが、時代考証のしっかりした本格的な小説で、どっぷりと作品の世界観に浸ることができた。
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4120050467
No.9:
(5pt)

2・26事件につなげた作品

本を読み、奥日光に足を運んでみました。この本を読まなかったら、足を運ぶことは思いつかなかった。
本はたいへん力作です。少しごちゃごちゃしておりましたが、読み応えがありました。
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4120050467
No.8:
(5pt)

驚くべき大傑作、絶賛の他はない

この大冊の推理小説に、まったくムダなところが無く、描かれたそれぞれにユニークな人物の誰もが、見事に描かれた背景から立ち上がってくる様は、ロジックだけの単なる謎解きの推理小説をはるかに超える。その証拠に、現存のどの映画監督もこの傑作を映画に出来ないと思われる(もしかしたら故市川崑なら出来るかもしれない)。これは推理小説というより、推理小説の形をとった最近珍しい、雄渾の文学である。とくにヒロインの笹宮惟佐子は終始一貫、これまでの文学にも現れたことのない、魅力を示してくれる。しかもこの小説の結末は、作中より伏線が張られていた歴史的事実まで、巧みに踏まえられている。それは単なる小説の「背景」ではなく、この小説全体を見事に包み込む「時代」という大きな背景である。この一語一句を大切にした彫心鏤骨の文章は、亡き三島由紀夫をしても感嘆させ羨望させすらしたに違いないと、確信を持って言える。書きっぱなしのネット・メッセージのような、文体不在の、最近の小説(最近の芥川賞受賞作のほとんどが、某お笑い芸人の駄作を初め読むに堪えない愚作である)に飽き飽きしていた私には、最近稀に見る読み応え十分の大作にして傑作だった。これはもう一度読み直して、更なる味わいを味わうべき作者生涯の代表作になるはずの大傑作である。私にとっては本作はこの作者の初めての作品で、この作者の他の作品を読んで、もしかしたらこの作者への讃仰が落胆に変わるのではないかと、恐れてすらいる。三島でさえ駄作がないわけではないのだから。
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No.7:
(3pt)

作品全体が中途半端と矛盾と軽薄に満ちている散漫な凡作

私は作者のファンなのだが、世評とは真逆に、本作には失望させられた。本作は冒頭から直ぐに分かる通り、満州事変、5・15事件を経て、太平洋戦争へと到る時代の不穏な雰囲気を、笹宮という伯爵を中心とした上流階級及び下士官候補生といったエリート側の視座で描いたものだが、様々なガジェットを散りばめるのは良いが、それらを上手く収斂出来ず、結果として散漫で焦点がボケてしまうという作者の悪癖が出てしまっている。笹宮家の数学・囲碁好きの上に霊能力を持つ美貌の令嬢が一応ヒロインなのだが、このヒロインを含め、作品全体が中途半端と矛盾と軽薄に満ちている。

そのヒロインの親友の「心中事件」が本作の軸の1つなのだが、鉄道を使ったアリバイ・トリックのパロディの様な趣き(作者も得手とするパロディを意識していると思う)で、ミステリ的にはお粗末という他はない。誰が見ても、偽装「心中」なのに、これを軸の1つとするとは何とも中途半端である。第一、霊能力を持つ上に、本事件と密接に関わっているヒロインには真相が「見える」筈なのに、一向にそうした気配がないのは何故なのか ? また、時局の描写にしても、本気で取り組むとすれば、それだけで最低でも本作と同程度の頁数を要する筈なのに、単に軽く流すだけで、緊迫感を著しく欠いている。作者としては、これをヒロインの出自・霊能力で補う積りだったのかも知れないが。そして、ヒロインとその(死産した筈の)姉の尼僧の思想・霊能力である。二人の思想は伯父から薫陶を受けている訳だが、作中でこの伯父が発狂した事が明記されているので、この伯父の言葉(妄想)を信奉する尼僧の姿勢はオカシイが、伯父の言葉だからまあ許せるとして、伯父の純化思想と尼僧の淫乱性癖とは完全に矛盾している。一方、伯父の言葉を信用していないヒロインも淫乱性癖とあっては、ヒロインに神秘性・純白性を与えようとした(と思う)作者の思惑とこれまた矛盾している。また、二人と同じく伯父から薫陶を受けたヒロインの兄の思想が2・26事件の引き金になったというのは、2・26事件を余りにも矮小化しているだろう。

最後に本作の意匠である。ヒロインの幻視に依れば、日本は米国との戦争に負け、国土・人心は荒廃するが、日本人は立ち直って新しい日本を築くとある。「えっ、こんな事を書きたいために、こんな大部を書いたの?」と思わずツッコミたくなる程の噴飯物である。一見、伽藍は豪華だが、中身は空っぽな凡作だと思った。
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No.6:
(4pt)

【ネタバレ注意】著者が持てる技術をフル動員した大作

舞台となるのは昭和初期の日本。軍部や国家主義者が台頭し、暗い気配があたりに漂う世相を背景に、親友の心中事件の謎を追う華族令嬢、笹宮惟佐子。その惟佐子が幻視する、謎めいた風景。惟佐子の父、笹宮伯爵が深い関わりを持つ、天皇機関説問題に絡む政治抗争。神秘主義・人種優越的な思想を持ち、ナチスとの関係も深い「心霊音楽協会」。国家改造を叫び、やがて二・二六事件へと至る青年将校たち。こんな感じで、旧日本陸軍・音楽・数学・神秘思想を絡めたミステリーです。奥泉読者にはお馴染のテーマですね。
奥泉作品の魅力の一つ、個性的な登場人物も、本作では大活躍します。間抜けだけどどこか憎めない笹宮伯爵、活発だけど不器用な職業婦人千代子、とぼけた味の好男子蔵原、被虐性を帯びた醜男黒河。過去作品を読んでいる読者には、どこか既視感がある人物たちです。
現実の事件とSF的要素、魅力的な登場人物たちが複雑に絡み合いながら、心中事件は惟佐子自身の謎へと展開していきます。「ラストシーンまで一気に駆け抜ける、ミステリーロマン!」と、いささか古風な書体で記された帯の煽り文句に偽りなく、物語はぐんぐんと読者を引っ張っていきます。
結末については賛否両論あるでしょうが、私はいまひとつノレなかったので、☆一つマイナスです。

(ここからはネタバレ)

単純に謎解きを楽しんでもいいと思いますが、奥泉光の場合は物語の描き方そのものにもいろいろな仕掛けがあるので、そういうところを楽しむのもいいと思います。私が面白いと思ったのは、次に挙げるいくつかの点です。

・ヒロイン惟佐子の謎めいた性質を浮き彫りにする、三人称の神の視点。冒頭から語り手は、自由に視点を移動して作中人物の心理を提示していきますが、主人公惟佐子の内面は、不完全にしか記述されない。それが、心中事件を追うにつれ、「最大の謎は、笹宮惟佐子その人」になるという物語進行の動因となっている。
・数学やジグゾーパズルに代表される合理性と、神秘思想に代表される非合理性のせめぎ合いが解き明かす、事件の謎。第二次大戦前夜の時代状況と強く結びついた非合理思想が読者の想像力を刺激し、物語進行をブーストしていきますが、事件の真相はいささか通俗的な痴情のもつれ、という合理的な解決を見ます。笹宮惟秀と槇岡中尉の逢瀬を描いたBL的場面がそのまま本書のタイトルとなっているわけですが、これは評価がわかれるところかな。自分としてはこの辺りを読み、カルトシュタインとの「修道」が明かされるに及んで、からだじゅうの力が抜けてしまいました。本当は☆2つ引きたいぐらい、がっかりしたんですが...(笑)
・頻出する固有名詞が生み出す現実/虚構の境界。歴史上の事件や人物が多数登場しますが、自由に見える内面描写が彼らの心理に入り込むことはない。物語はあくまで、作者が創造したキャラクターたちを動かすことで、現実世界と並走するかのような虚構世界を作り上げているように思います。ちなみにカルトシュタインの歓迎会が行われる牛鍋屋「岡村」に向かう途上、日劇のダンサーたちが舞台衣装のまま、泥棒を追いかけるというエピソードがいささか唐突に挿入されますが、これは実際にあった事件でしょうか?どこかで読んだような記憶もあるのですが、ご存じの方がいらっしゃればご教示をお願いします。

こんなふうに現実と虚構が微妙に触れあいながら進行する本作を読んでいると、人物たちの「その後」を歴史的事実に即して想像してみたくもなります。
とくに気になるのは、紛れもないハッピーエンドで終わる千代子と蔵原の「その後」です。
その後の歴史を考えると、2人の将来にも暗い影が差してきます。兵役検査に合格したものの、「籤逃れ」(P.184)できた蔵原には、おそらくこのあと軍隊から召集がかかるでしょう。蔵原は、作中でも訪れた満州で、あるいは南方に送られ、激しい戦闘に参加し、そこで倒れることになるのでしょうか。しかしこの長編を読み終えた私には、焼け野原となった東京で、ひょっこりと戦地から帰還する蔵原と、それを迎える千代子と幼い子供の姿が、はっきりと見えます。
読者の自由として、惟佐子が幻視する、不気味な焦土の描写から始まった本作が、同じ焦土を背景に希望を描いて円環を閉じる、そういう妄想を抱くことも、許されるのではないでしょうか。
雪の階 (単行本)Amazon書評・レビュー:雪の階 (単行本)より
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