(短編集)

道化師の蝶

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評判

道化師の蝶の評価:

3.30/5点 レビュー 73件。 E ランク

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平均点3.30pt

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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全35件 21〜35 2/2ページ
No.15
(4pt)

かぎりなく「自分濃度が薄い小説」

「不機嫌メガネ男子」との異名を図らずも勝ち取った
田中慎弥さんの芥川受賞作品『共喰い』を読むために

文藝春秋3月号をそもそも買ったのである。

でも序盤のほうで、町や川の描写を読み続けるのに
飽きてしまい読むのを放棄してしまった。

純文学が好きと言いながら、描写にあまり関心がない(自分がんばれよ)。
話自体は好きだから、そのうち読む。

で、
すっかり手をつけずに放置しているのも
もったいないから、今頃になって、もう一人の芥川受賞者、
円城氏の『道化師の蝶』をなんとなく読んでみた。

私がいままで(おもに日陰で)生きてきた中で
言えることは、

自分にとっての良い発見はいつも
自分の興味の範囲外に転がっているということだ。

思っていたよりずっと興味深い小説で、食い入るように読んだ。

最初は
「言語のナンタラをナンタラしてある、とにかく専門的で難解な実験小説」
との噂を聞いていたので敬遠していた。

そんなものは高尚な弁論を得意とする教養人同志が
土下座する庶民の頭を踏んづけながら
楽しく読むのが正しいと思っていた。

(そして、そんな庶民様の土下座している足の指をお拭きするのが
私をはじめとする奈落底の住民である)

学問的な解釈で納得するのは難しいとしても、
文体がわかりやすいので、
とりあえず何が書いてあるかはわかる。

要は、
非常に多くの言語を会得し、その言語で書いた文章を残しては
次の町へと姿をくらますある小説家の
行方と素性を探るという内容だ。

この小説には「わたし」が複数出てくる。

観念的なことではなく、実際に章ごとに違う人物が「わたし」と交代して語るのだが、
よくある「語り手バトンタッチ制」小説とは異なる点がある。

その「わたし」たちは、登場人物の誰かであることは間違いないのだが、
わざわざ名前を名乗らないし、
まるで「まったく名乗る必要もない」というように淡々と話を進める。

だからといえど、神視点と呼ばれる、ただの出来事俯瞰文章でもない。

その人物がつけた「記録」の集合といえば一番近いだろう。

軟弱精神嫌悪家でおなじみの石原東京都知事さまは
この小説を「一人よがりで、読まされる読者がかわいそう」と評していたが、

少なくとも近年食傷ぎみとされる「軟弱ボクチン」パターンの小説ではない。

かぎりなく「自分濃度が薄い小説」といえる。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.14
(5pt)

文学賞も捨てたもんじゃないな。

タイトルから想起される通り、胡蝶の夢とか、バタフライ・エフェクトを小説のモチーフにしてみました、といった掌編。
個人的には視点が滑らかに移り変わっていく語りのトリックから、エッシャーの騙し絵を連想した。

本作はデビュー作の『Self-Reference engine』あたりに比べればわりとシンプルな構成で読みやすいと思う。
まぁ、結末で謎解きがされるとか、オープン・エンディングでいくつかの解釈ができるという類のリーダブルな小説ではないけれども。

一応謎の作家を追跡するというプロットの軸らしきものはあるが、閉じた円環というかウロボロスの蛇が連なって尻尾を飲み込んでゆくような仕掛けになっているので、ストーリーの起承転結を追えばいいという読み方には馴染まないだろう。
作者のくり出す語り=騙りの詐術に翻弄され、様々なイメージの連なり(架空の蝶・スパイス・刺繍・言葉・数式)の美しさに酔いしれる、そんな読み方で楽しめばいいと思う。

本作が一種の言語遊戯だというのはその通りだが、それを楽しめるかどうかはあくまで読み手の側の問題かと思う。
「衒学的で鼻持ちならない文章だ」式の評価が出てくるのは止むを得ないにしても、円城氏が小説という表現の可能性を存分に使い尽くすだけの技量の持ち主であるのは間違いないだろう。

たしか円城氏はインタビューで「純文学リーグ向けにはいくらか平易に書くように意識している」主旨のことを言っていたように記憶しているが、それでも本作が芥川賞をとったのは快挙だと思う。正直なところ、これまで芥川賞の選考に関心を持ったことはほとんどなく、優れた作品がきちんと評価されるような仕組みではないと感じていた。今回の受賞で、芥川賞を少しは見直してもいいかという気にさせられた。

ご本人は作品が難解といわれることに当惑気味のようだが、SFにせよ純文学にせよ既存のジャンル小説の枠に収まりにくい作風なので、芥川賞作家になったとはいっても、広く人気を博すような書き手にはならないだろうと思っていた。ところが新作の『屍者の帝国』は20万部突破だそうで、一気にメジャーになったのには驚いた。盟友であった故伊藤計劃の遺作を引き継いだという経緯も関係あるのだろうが、珍しくかなり直球のSFだとか。その気になればエンタテインメントの枠組み内でも書けるということか? 今のところ未読なので、非常に楽しみにしている。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.13
(4pt)

Fabula de scribendo fabulas? 小説を書くことについての小説?

レビューの長さの関係上、とりあえず、この場では表題作の「道化師の蝶」について述べることにする。
この作品、ストーリー/プロットやテーマ性などにおける小説の約束事に対する問題意識の故なのか、
それらにはかなり捻りが加えられていて、それが難解さにもつながっているが、
かといって純粋な言葉の遊戯に自閉している訳でもない。
むしろ「言葉」と「概念・事物」との関係性がテーマとして設定してあり、
それに基づいて作品全体が極めて明確な構成意識によって周到に構成されている。
加えてそのテーマが「作家が作品を書く行為」にもリンクしていくメタ作品、という趣もある。
ストーリー自体は一応、「冒頭の作品内小説の作者は誰か?」という、
まさにストーリー展開の原動力として要請された謎を追求する形で進む。

さて、物質的な網で架空の蝶を捕まえて経済的成功を企むという作品内小説の筋は、
文学に対する資本主義的発想の、いかにも意地の悪いパロディのという印象があるが、
言葉の網で、言葉になる前の着想・インスピレーション、という蝶を捕まえる、という営み自体は、
架空の物語を編む物書きのみならず、真実の把握を試みる学者にも、それから
言葉にならない感情を表現したいと悩むごく一般の人間にもごく自然にあてはまることだろう。
さて、ここで作品の重要な主題として現れるのは、以下の疑問だ。
「どんな言葉なら、確かな、真なる着想を捕えることができるのだろう?」
それは、書き手が随意に振る舞えて、「思うところをそのまま表現できる」理想的人工言語なのか。
いやいや、言葉以前のものを理想的な状態で捕まえるとかそういう問題ではなくて、
むしろ土地や歴史に根ざした自然言語の模様をなぞり、
言葉のテクスチュアを織る行為そのもののなかで、
着想の卵は孵化し、やがて蝶へと羽化するのだろうか。
とはいえ、固有の自然やら文化やらの堆積をくぐりながら模様を追う作業は時に重苦しい。
作品内小説の作者と目される『友幸友幸』もその不自由さは折に触れて吐露していて、
だからこそ、彼女はひとつ所には長く留まらず、放浪のうちに生を送るようだ。
しかしその土地土地それぞれが持つ匂いの多彩さ、
テクスチュアに用いる技法や模様の種類の恐ろしいほどの豊穣を楽しんでいるようでもある。
ただしその多様さは、決して一つの真なる模様に収斂せしめられようとはしないし、
真なるものに近づくための前提となる経験の蓄積というプロセスとか
記憶というものを、はなから問題にしていない。
だから当然ながら彼女は日々作りだす文字の連なりに執着することも、
それが文学作品と呼ばれるかどうかも顧慮せず、
いわんや経済的なサイクルに乗っかるかどうかを期待することもない。
しかし彼女は、少なくとも蝶を求める者にとっては、
金の恵みをもたらす蝶と同様に探索すべき対象であるようだ。

移動と変化と忘却を人生とする彼女は、しかし誰とめぐりあうことを望むのだろうか。
それが叶ったとするなら、そのときは蝶が繁殖するような時なのか。

「作者の意図」などというものをこの種の作品から穿鑿するのは、
それこそ作者の仕掛けた罠に進んで嵌まりに行くようなものだが、
それでもこの点につき少々思いを致すならば、
思考・概念・感性などの普遍性よりは個別性・固有性を志向し、しかも常にそれを越境移動し続けることを
作家の宿命として提示するとともに、
小説家の作為・人為じたいを自虐的に皮肉っている、ということになるのだろうか。

ともあれ、テーマと噛み合った形で非常に精緻に組み立てられた作品であり、
抑制された文体にもまさに玲瓏たる風骨が感じられた点、これらはすなおに評価したい。
ただ、「言語と事物」の関係性という問題を、このような高踏的な手法で表現するのも一つの方法ではあるが、
それをもっと現実のに生きる人々の切実さとリンクさせて読者の心に響かせることができたはず、とも思う。
これはもはや個人的好みの領域ではあるが、
「言語」という、哲学的理論的対象として扱うことができる一方で
我々一人一人が個別の人生を背負った「自分」として成立するという事態にもダイレクトに関わる問題を、
どこまでも思弁的な装いのもとに展開させてしまったことはやはり勿体ないと感じられ、若干憾みが残る。
ここまでを記すにあたって、「小説」なる一ジャンル名を用いて本作品を呼称するのにどうも逡巡させられたのも、
その辺りが一因のようである。(よって星4つ)

★                                 ★

  (以下、作品の結末に関わる記述があるので注意)

★                                 ★

それにしても、そもそもあの小説を書いたのは、以前その言語を用いる「国」にいた彼女自身なのか、
時と世界を自由に行き来できるらしい「男」なのか、
あるいは、堅固なものに固着し、小説の作者を仮構することで
翻訳者の立場におさまろうとしたのかもしれないエージェントなのか、という問いは、
それが作品内世界の中に生まれ落ちることになった理由や動機とともに、結局開かれたままのようだ。
ただともかくも、この小説を介して人工言語の荒涼たる森に導かれた友幸友幸は、
この罠ともいえる世界でも見事に手仕事をやってのける。
それは蝶を捕まえる網でありながら、
実質的に蝶を捕獲状態から解放し、誰にも捕まえなどさせないことを運命づけるもの。

彼女が「第一の網」を制作したことで、
「現実世界」を微妙にずらしつつトレースした無活用ラテン語の言語世界に包含される作品内小説の世界でも混乱が生じ、
益体もない人工物の蝶で溢れかえる結果になっていたのだけれど、
その網が作中終盤、作品内小説が再度語りなおされる場面にて
少々捕獲能力に劣る網にすり替えられることで、そうした混乱状態の発生は食い止められ、
その世界に孤独に閉じ込められたほんものの蝶も、雄にめぐり会い繁殖できた模様である。
この実り少ない世界でも、新たな着想が生じ、文字として現実化するようになるのかもしれない。
このすり替えは、A氏が蝶を決して捕えられないにもかかわらず永遠の探索を続ける、
という呪いの発動をもまた意味すると思われるのだが。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.12
(4pt)

偶然性の問題

道化師の蝶だけでのレビューになりますが、個人的にはこの作品は神話=言葉が
生成される、その偶然性をひたすらに扱ったような小説だと思いました。
もちろんここで言う生成とは、
完成など無くてひたすらその過程の中にいるというような作中の台詞が指すように、
素材の集まりやコードの置換、変換、人称性の薄れ、音の連なりや意味の消失など
様々な事象が幾度となくほつれたり、
また再び縫いあげられたりという終わりの無いうねりのことだと思います。
ラストの方に挿入されたいくつもの蝶が粉々にされるシーンは、
そうした偶然性が人為によってすり減り、
輝きを失ってしまうような瞬間を示唆しているようにも思えました。
この本についてボルヘス的という意見を何度か見ましたが、
この本を読んだときにはやはり現代思想的、もっと言えば記号論的に作られ、
寓話化された世界観という印象を受けました。
そういう意味では幻想小説に近いのだろうかと思いますが、
わたし自身SFは恥ずかしながらあまり読まないので、
著者がSF畑の人だと言われても正直この作品だけではよくわかりませんでした。
また、数学的という言葉については、私自身全くに暗い分野ですので、
この小説が、そうした考え方で成り立っているのかどうかは全く判断がつきません。
そうした点はともかくとして、個人的には芥川賞にふさわしい小説だと思いますが、
個人的には同じ論考をするならばアサッテの人のように、
内面に入りこむような小説の方が好きなので私の嗜好とは少し合いませんでした。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.11
(5pt)

奇妙な理屈の迷宮を彷徨う楽しみ

第146回芥川賞である表題作を含む、2編を収録した本書。
「オブ・ザ・ベースボール」「これはペンです」に続く3冊目として読みましたが、冒頭の奇妙な一文からして、「お、この著者らしい不可思議な世界が展開していくぞ」と、楽しみながらページを繰ってしまうのは、著者の魅力に強く惹かれているためでしょうか。

【道化師の蝶】
「着想を捉える網」を巡る「言葉」をテーマにした本作品は、「これはペンです」の発展系であるとともに、「A・A・エイブラムス」なる人物が登場してくるところは、「オブ・ザ・ベースボール」収録の【つぎの著者につづく】の登場人物「リチャード・ジェイムス」を思わせるところもあり、興味深く読みました。
この作品の奇妙で、面白いところは、いろいろな「わたし」が登場してくるところです。
ある特定の「わたし」ではなく、章が切り替わるところで、別人格に転化しているようにも感じられます。
これが、私には、作品のテーマのひとつである「網で捉えることの出来る着想」を描いているようにも思われ、「着想」が花々を飛び回る蝶のように、様々な人格を飛び回っているのかも知れません。

【松ノ枝の記】
著者の作品は初めて、という方にはこちらがオススメ。
主人公である「わたし」が、「松ノ枝」と名付けた人物の著書を翻訳、すると、彼が、「わたし」の著書を翻訳してくれる。
お互いが翻訳者であるという不思議な関係にある二人に不協和音が生じ、「わたし」が「松ノ枝」を訪ねていくと。
というように、割とストーリーが分かりやすいものとなっているからです。
著者の手にかかると、「言葉」が、「太古の人類史」に結びついてしまう。
本当に、奇妙で面白い作品の書き手だと感じています。

(※「コメント欄」に本筋とは外れるあることを記載しました)
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.10
(4pt)

上質な言葉遊び

なるほど、文学とは言葉遊びであることを、自分はだけど、忘れていた。 命令と応答の規則、文学に伝統を押し固めそこに規則。 自由と平等の現代は案外息苦しい。 収録二編はともに何かを求める話で、道化師の蝶はさまざまな人物が何かを求めながら、絡み合うように関係していく話。 松の枝の記は登場人物が共通の過去と未来を求める話。 そこに何かあるのか、とも思ったんだけど、作者の読み取って欲しい意図が案外古臭くも、普遍で変え難いテーマがあるような気がして、達筆で斬新な文章共々中々上質な読み物にも思えました。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.9
(5pt)

友幸友幸とエージェントの二人編み

難解という意見も多いですが、自分なりの解釈を書きます。本文からの引用あります。

これは友幸友幸とエージェントが二人編みをしているように紡ぎ出す物語だと思います。

1章:友幸友幸が書いた文章・わたし=友幸友幸'
2章:1章の謝辞・わたし=エージェント
3章:友幸友幸の人生・わたし= 友幸友幸
4章:エージェントが書いたレポート・わたし=エージェント
5章:(蝶が宿った)友幸友幸が蝶になり、1章に還る。わたし=友幸友幸 
  4章最後で友幸友幸がエージェントに会い、5章でそのレポートを読んだ時に気持ちが交わり、次の蝶を産む。

全体イメージ
「繰り返し語られ直すエピソードが、互いに食い違いを見せるたび、文法の方が変化していく言語」
≒「裏と表で模様の違う刺繍。ただ変えるだけではなく、何か微妙な拘束がある。」

友幸友幸やエイブラムス氏等、登場人物の性別変化は次の文がヒントだと思います。
「友幸友幸の文章においては・・性別や年齢が変わることも多くある」
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.8
(5pt)

エクリチュールをめぐるエクリチュール

練りに練られた構成とシンプルで無駄のない文体
確かな表現力と豊かな想像力,意表を突くアイデア

話の筋は一見すると荒唐無稽に感じるかもしれません
「真実はただ一つ」的な視点で一生懸命に読もうとすると,
確かに難解でしょう
その網をかいくぐろうとするのが著者の作戦でもあり,
ことばというものと書くという行為そのものが作品のテーマだからです
書くことをめぐる考察は執拗でさえあります
まるで要約や解説を拒むかのように,
あらかじめ作品のなかで作品自身を解説してしまう

ぜひ文庫化されて余計な尾鰭がついてしまう前に,
2作を通読されることをお勧めします

一回読んで分からなければ何度も読めばいい
短いですし,それに耐えうる文章力を持った作品だと思います
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.7
(4pt)

作者自身が抱える悩みをユーモアを交えて自虐的に描いた異色作

作者の作品としては、「Boy's Surface」、「Self-Reference ENGINE」に続いて本作を手に取った。作者の作品の一番の特徴は「読んでも理解出来ない」点にあると思う。その上で、「作品を産み出すチューリング・マシンは作者ではなく、読者の想像力の方」という独創的哲学の下で執筆している姿勢が伝わって来る。

本作も難解である。どうやら、作家の一番の道具である"言葉"を題材にして、言葉を集め、組み合わせる事によってテンプレート作品を創り出すという作者自身が抱える悩みをユーモアを交えて自虐的に描いた物らしい。広く捉えれば、追い求める物は容易には捕まらないとのメタファーとも取れる。また、旅する手芸家と言う設定も作者のポスドク体験を想起させて面白い。視点や時間軸が目まぐるしく変化する構成は、作者自身の言葉を借りれば、位相幾何学的構成と言って良いのではないか。作者自身の投影である主人公が、作中のどのような時空間に存在しても同一点である様なトポロジーを想定しているのであろう。作中に出て来る表裏同一の幾何学模様を持った織物がそうしたイメージを膨らませる。

作者の作品としては色彩感に溢れているのも珍しい。理解しようとすると挫折する恐れがあるので、作者(あるいは作家一般)の苦衷を"想像"しながら楽な気分で読み進めるのが相応しい異色作だと思った。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.6
(4pt)

現代美術におけるインスタレーションのような小説

道化師の蝶:
題名の通り、ひらひら飛んでいく蝶のようなテクストのダンス。捕まえようと網を持って、単語と一文に集中しようとするとふわりと、某大リーグボールのように逃げていく。これはストーリーではなくテクストの円環と羽ばたきを楽しむお話。

松ノ枝の記:
こちらは打って変わってどんどん深みに高みに乱高下するメタ・メタ小説とでもよふべきお話。テクストが自ら勝手にテクストを生むような小説を書きたいのだろう、始まりのテクストのみが人間、いやいま書かれている人間はまさにテクストか、など考えさせながら人間とテクストの同一視と入れ替えに視点を頻繁な変更していると、やがて違いが曖昧になっていく。

どちらも、現代美術におけるインスタレーションのような小説でした。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.5
(4pt)

結構やるなと思った。


 これは、私の直観でしかないが(まず、間違ってはいないと思う)作者は安部公房と云うよりも、確実にボルヘス、アゴタ・クリストフ、村上春樹らの影響下にある気がする。
 芥川賞の選評では、高樹のぶ子氏が”メタフィクション”、島田雅彦氏の”言語論”、”フィクション論”と指摘していたが、彼らは表層を指摘しただけであって、実は何も語っていない。石原氏にいたっては、新しい文学をみる目の無い「節穴ぶり」を露呈している。
 本作の語彙は、時に借り物で、こなれてない感じが散見するが、彼自身は、一つの才能である。同時受賞の田中氏が、まぎれもなく中上健次への先祖返りでしかないのに対して、円城氏のこの作品は、ある意味エポックメイキングであり、新しい世界文学の幕開けを予感させる。
 平野啓一郎が芥川賞を受賞するなら、円城氏も獲って良いはずである。デビュー時の村上春樹の訳の解らなさよりは、遥かに万民に開けている作品であるし、あと20年後、どんな変身を遂げているか、楽しみな作家である。

 ただ「受賞の言葉」の文章の稚拙感は、どうしたものだろうか(時間がなかったの?)?
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.4
(4pt)

構築美

円城塔の「道化師の蝶」を読了。一言でいって読者を限定する作品です。好きな人というか、本作を理解できる人と全く理解できない人の2種類しかいない、自分も理解できませんでした。でも理解したい気持ちでいっぱいです。本作はこれまでの小説のフォーマットと違う造りで構成されています。いうなれば「構成を楽しむ作品」でもあります。具体的には、章ごとに「わたし」が出てきますが、全て違う「わたし」なのです。一読しただけですが、全ての章が関係性を持っているように感じますが、本当かどうかはっきりしません。不思議な作品です。
でも日本人はこれまで様々な構成を愛してきました。様式美ともいうのでしょうか。型の美しさ、を感じる能力を持っています。本作は小説からの「型の美しさ」への挑戦であると思います。その挑戦に対して我々読者は感じるものがあるはずです。でも駄目なときは駄目でいいのです。きっとそういう作品なのです。
祝芥川賞。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.3
(5pt)

蝶は捕まえられない

『あなたは蝶を捕まえてなどいないのですよ。蝶に勝手についてきただけだ』87頁11項

学校では、自分の考えを訳をいれて話すことをもとめます。「訳」それは特に低学年の児童には大事な思考の網なのです。様々な経験を表現したり理解したりするために、学校の国語教育では経験をすくいとる網(語彙や規律)をたくさん用意しています。「いつ、どこで、だれが、どうした」「どうしてかというと」「□□とくらべると分かることは」云々。
こうして網(語彙や規律)を習得することで人は形作られ、成長していくのです。網の数こそ、学識であり、知恵であり、行動力そのもの。たくさんの網をもち自分の力で生き抜いていってほしいと願うばかりです。
でも、網を使えば使うほどに気づかされるのは、一つの言葉のすくいとれる意味の曖昧さ。「やさしい」この言葉の網がすくいとる意味は、どれだけ多いことか。「やさしい」を使う人の数はたくさんおり、その人それぞれに経験想起される内容は多岐にわたり、付随される意味も含めると無数に意味は広がります。
一つの言葉ですら非常に曖昧さを伴うのです。
この物語で描かれる、作家『友幸友幸』も数多の網を習得。20もの言語を使うことができる人物であるならなおさら、使い分けるのは困難をともなう。
我々教員が、子どもに伝えていること。
一つの言葉で人を生かしもし、一つの言葉で人を殺すこともできるよ。
ああ、大博打を打って、人は言葉を使っているのだなぁ。ああそんなことに気を遣うんだったらば、唯一の意味しかない言葉があったら、どれだけ便利だろう。でも、唯一の意味しかない言葉があったら、どれだけつまらないだろう。意味と言葉の間にひらひら舞う蝶のように、人の言葉も美しさを垣間見る作品でした。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.2
(4pt)

形而上を舞う蝶を追え!

芥川賞受賞作かぁ〜ということで何となく手に取り、初めて著者の作品を読みました。

結果、期待以上でした。

私はこれを、円城氏の人間の思考の限界への挑戦であると感じました。
今までにない新しい小説と言われているのも耳にしましたが、本作品に関して言えばむしろ、古代ギリシアから今日に至るまで、様々な人々感じ紡いできた書き手として王道を行く作品だと思います。
カントとかヘーゲルとかを読んで、思惟することを好む人は結構楽しめるのではと思います。。

地球上にあるいかなる人間の言語おいても、話者は数、時、場所など表すことができるようになっているし、同じような思考をもっていたりします。
これはつまり人間が言葉でとらえる前の何か、この小説でいうところの「蝶」が存在しているのです。
そんな蝶をひたすら人間の作り出した「虫取り網」で追いかける人々の姿は、円城氏でもあるでしょうし、その他の書き手でもあるし、また潜在的にすべての人間である。なんて幻想的な形而上学でしょう。

彼のほかの作品も是非読んでみたくなりました。
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614
No.1
(5pt)

大仰な言葉遊びなのだろうか?

恥ずかしながら、一度読了した程度では理解できませんでした。 はたしてこの作品は純文学なのか。 メフィスト賞に出しても違和感ないと思ったほどの非現実感。 場面の転回と、語彙と知識の豊富さで読んでいて頭が痛くなるような、いかにもスノビストが喜びそうな風味。 読者を振り回さんとするシュールレアリズム作品なのか、はたまた内容を追いかけることを無為とするダダイズム作品なのか。 自分は人よりは読解力があるだろうと思っていたが、勢い良く鼻を折られた。 ひょっとしてこの本は「逆立ちする二分間に読む本」なのだろうか?
道化師の蝶 Amazon書評・レビュー: 道化師の蝶より
4062175614