万延元年のフットボール
評判
万延元年のフットボールの評価:
4.17/5点 レビュー 64件。 A ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全207件 81〜100 5/11ページ
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万延元年のフットボールの評価:
4.17/5点 レビュー 64件。 A ランク
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小説の詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。最近閲覧した小説詳細ページへ簡単に戻る事が出来ます。
しかし私は読み進めるほどにげんなりする一方だった。なぜというに著者がそのころ展開していた全体小説論を先に知っていたからだ(本当はそこがあいまいで、野間宏との対談がそのころ多かったと記憶するが、完全にそちら側に立った発言をしていたかどうかはわからない。ただ、大江氏がそういうものとして小説を考えていたという前提でこの作品を読んだという記憶だけがある。野間宏との距離感は改めて検証するべきことだが、流石にその気力はない。その点は申し訳ない)
それは簡単に言うと人間の総合的知性の最高度に体現された成果として小説がある、ということだ。人間学や科学と並ぶ一つの部門として優れているということではない。正確な科学的知識、正確な政治学社会学的知見を盛り込み、しかしそれらは部分的な知に過ぎないが、小説家の神のごとき全能によって、部分をはるかに凌駕する至高の英知的存在としての小説が生み出される
野間宏本人の言葉か、大江氏の追従かは忘れたが、「青年の環」の登場人物は描写ではない、本物の神経が通い本物の血肉の備わった人間存在そのものであるという発言があり、これが比喩などではなく事実として語られていた。さすがにそれはない、と思った
全体小説論は私の記憶違いとして、フィクションを超えた深い意義が自分の作品にはあるという信念は変わっていないと思う。一連のことは作家としてのプライドが言わせる言葉とは思えなかった。それを超えて、他職業への侮蔑、夜郎自大精神の発露として彼らの文学論があるのだと読めた。ヒロシマ・ノートにおける内容の空疎さと、それでいておのれ一人が真実を見抜く慧眼を持つという、あの本全体に漂ううぬぼれぶりに驚き、なぜこんなものを読ませるのかという高校時代の不信感もあって、「万延元年の…」は決定的に不愉快な読書体験として残った
大江氏の才能には確かに驚いた。しかしそれはアニメにおけるぬるぬる動くということに対する賞賛と同種のものだろう。その部分のみに対する評価から、あの作品はよい、あれはダメ、ということにはなかなかならない。私はそういうマニアではない
実際に本作でも、最初の三分の一ほど、私小説流の技術を存分に使って読者を巻き込むそのリアリティは、後半の喧騒じみたたわごとを支えきれていない。一つの現実の描写として、説得力のある心理=観念的表現が、寓話としての含みを持たせられた途端、ただ煩雑なだけの技巧になってしまう。主人公が内面を語るそれと同じ感覚描写で他人の内面を語ってしまうことが癇に障ってくる
以上のことは氏の創作物を丁寧に読むならわかってもらえることと思う
大江氏の政治的発言などを文学的成果から切り離そうとする人がいる。しかしそういう見方を拒絶してきたのがほかならぬ大江氏自身である。政治的態度と文学は切り離しの出来ない一続きの人間的行為である、というのは氏の心の師匠であるサルトル譲りのものだ。そのサルトルについてあるときから言及がなくなったのは、ノーベル賞が視野に入り始めたころというところが、また彼らしい。いうまでもなくサルトルはノーベル賞の偽善性について散々に酷評していた
私が言いたいのは、大江氏の政治についての意見は、部外者だから知識が足りないなどという限度を超えていて、ここまで未熟な人間が、例えば人間観察においては天才を発揮するなどということはとても信じられないほどである、ということ。もちろん人間として問題があっても、逆に作家としての魅力ではありうる。全能感を持つことは悪いことではない。しかしそれを作品に美しく閉じ込めることは難しく、必要な客観化は氏の小説において不十分だと私は思う
大江作品を私小説の発展形態と解釈することが擁護派の共通理解だと思うが、氏の世界性は特権意識と不可分のものである。つまり自分だけが「私」を描いて民俗学的な根源に迫りうる、あるいは世界の構造を体現しうるという病的なうぬぼれが根底にあるのではないか
改めて読み直して、やはり才能のすごさを再確認した。しかし幼児的な世界だとも思った。小説に可能なことと不可能なことの規を超えた作品ではないか。非常に微妙な言い方になるが、到達目標として全体小説を目指すということと、おのれの全能感から簡単に到達可能であると信じることには、埋まらない溝があるように思う。前者がトルストイやプルーストであり、後者が野間や大江氏である
本作を近代最高の作に推す作家、評論家の多いことは残念だ。ヒロシマ・ノートやノーベル賞受賞記念講演を読むに、無様なまでの論理性の欠如に唖然とする。それは小説作品にもある程度通底するもので、それが読み取れないのは知識人として致命的な鈍さだろう
大江氏を見て純文学なんていかがわしいものだと多くの人は感じたはずだ。文学者という社会適応力のない連中が、仲間内で慰めあうだけの極めてレンジの狭い行為であるという、近代文学が頑張って払拭しようとした見方を、大江氏は元の木阿弥に戻した。文学にかかわる知識人は、このうえ、仲間内でのみ通用する理屈で本作を持ち上げている場合ではないだろう