万延元年のフットボール

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万延元年のフットボールの評価:

4.17/5点 レビュー 64件。 A ランク

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Amazonレビュー一覧

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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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全207件 21〜40 2/11ページ
No.187
(3pt)

フットボールではなかった

昔、親の本棚にあった文庫本。父が読んだのか、母が読んだのか。大江健三郎のノーベル賞受賞のもっと前の話。
フットボールとあるから、もっと軽い内容かと思ったら、とんでもない。ご本人も、見た感じでは気の良い人物という印象だったが、このような難解な書物だったとは。一度読んだだけでは、理解できない。これは映像化は難しいだろうな。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.186
(4pt)

100年の時を超えて重ねられる「闘争と敗北・再生」の記憶

1967年作。初期の代表作の一つだが、何とも不思議な世界の小説だった。
万延元年(1860年)、幕末政変期に四国の森のある村で起こった一揆騒動と、1960年安保闘争で敗れた主人公の弟~そして、戦中強制徴用されてきた朝鮮人集落と戦後の混乱期のある襲撃事件~その後その一帯を買収し支配する「スーパーマーケットの天皇」と呼ばれる朝鮮人~100年の時を経て重ねられる「村人の暴力」「権力への対抗」とその敗北の重層構造。しかし、朝鮮人集落という設定は「芽むしり仔撃ち」でも出てくるし、大江氏の少年時代、実際に愛媛の村にそういう集落があったんだろうか?
ここでは東大在学時の短編などより明らかに各センテンスが長くなっていて、中期・後期の「うねうねと曲折しながら前に進む」ような大江氏独特の文体の萌芽がある。そして中期以降の作品に登場する「隠遁者ギー」も出てくる。
支配への人々の闘い~敗れてなお生きていかねばならない生存者の屈折~村落共同体独特の人間関係・・・濃密な文体で綴られる物語は決して明るくはない。ラストに希望らしきものはあるが、私には東大在学時の短編諸作のほうがしっくり馴染んで読めた。
次は「洪水はわが魂に及び」を読んでみる。時代遅れの”大江健三郎マイブーム”~(*^^*)
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.185
(4pt)

100年の時を超えて重ねられる「闘争と敗北・再生」の記憶

1967年作。初期の代表作の一つだが、何とも不思議な世界の小説だった。
万延元年(1860年)、幕末政変期に四国の森のある村で起こった一揆騒動と、1960年安保闘争で敗れた主人公の弟~そして、戦中強制徴用されてきた朝鮮人集落と戦後の混乱期のある襲撃事件~その後その一帯を買収し支配する「スーパーマーケットの天皇」と呼ばれる朝鮮人~100年の時を経て重ねられる「村人の暴力」「権力への対抗」とその敗北の重層構造。しかし、朝鮮人集落という設定は「芽むしり仔撃ち」でも出てくるし、大江氏の少年時代、実際に愛媛の村にそういう集落があったんだろうか?
ここでは東大在学時の短編などより明らかに各センテンスが長くなっていて、中期・後期の「うねうねと曲折しながら前に進む」ような大江氏独特の文体の萌芽がある。そして中期以降の作品に登場する「隠遁者ギー」も出てくる。
支配への人々の闘い~敗れてなお生きていかねばならない生存者の屈折~村落共同体独特の人間関係・・・濃密な文体で綴られる物語は決して明るくはない。ラストに希望らしきものはあるが、私には東大在学時の短編諸作のほうがしっくり馴染んで読めた。
次は「洪水はわが魂に及び」を読んでみる。時代遅れの”大江健三郎マイブーム”~(*^^*)
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.184
(4pt)

100年の時を超えて重ねられる「闘争と敗北・再生」の記憶

1967年作。初期の代表作の一つだが、何とも不思議な世界の小説だった。
万延元年(1860年)、幕末政変期に四国の森のある村で起こった一揆騒動と、1960年安保闘争で敗れた主人公の弟~そして、戦中強制徴用されてきた朝鮮人集落と戦後の混乱期のある襲撃事件~その後その一帯を買収し支配する「スーパーマーケットの天皇」と呼ばれる朝鮮人~100年の時を経て重ねられる「村人の暴力」「権力への対抗」とその敗北の重層構造。しかし、朝鮮人集落という設定は「芽むしり仔撃ち」でも出てくるし、大江氏の少年時代、実際に愛媛の村にそういう集落があったんだろうか?
ここでは東大在学時の短編などより明らかに各センテンスが長くなっていて、中期・後期の「うねうねと曲折しながら前に進む」ような大江氏独特の文体の萌芽がある。そして中期以降の作品に登場する「隠遁者ギー」も出てくる。
支配への人々の闘い~敗れてなお生きていかねばならない生存者の屈折~村落共同体独特の人間関係・・・濃密な文体で綴られる物語は決して明るくはない。ラストに希望らしきものはあるが、私には東大在学時の短編諸作のほうがしっくり馴染んで読めた。
次は「洪水はわが魂に及び」を読んでみる。時代遅れの”大江健三郎マイブーム”~(*^^*)
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.183
(4pt)

100年の時を超えて重ねられる「闘争と敗北・再生」の記憶

1967年作。初期の代表作の一つだが、何とも不思議な世界の小説だった。
万延元年(1860年)、幕末政変期に四国の森のある村で起こった一揆騒動と、1960年安保闘争で敗れた主人公の弟~そして、戦中強制徴用されてきた朝鮮人集落と戦後の混乱期のある襲撃事件~その後その一帯を買収し支配する「スーパーマーケットの天皇」と呼ばれる朝鮮人~100年の時を経て重ねられる「村人の暴力」「権力への対抗」とその敗北の重層構造。しかし、朝鮮人集落という設定は「芽むしり仔撃ち」でも出てくるし、大江氏の少年時代、実際に愛媛の村にそういう集落があったんだろうか?
ここでは東大在学時の短編などより明らかに各センテンスが長くなっていて、中期・後期の「うねうねと曲折しながら前に進む」ような大江氏独特の文体の萌芽がある。そして中期以降の作品に登場する「隠遁者ギー」も出てくる。
支配への人々の闘い~敗れてなお生きていかねばならない生存者の屈折~村落共同体独特の人間関係・・・濃密な文体で綴られる物語は決して明るくはない。ラストに希望らしきものはあるが、私には東大在学時の短編諸作のほうがしっくり馴染んで読めた。
次は「洪水はわが魂に及び」を読んでみる。時代遅れの”大江健三郎マイブーム”~(*^^*)
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.182
(3pt)

そういうのじゃない感

何かしらこの国を代表する文学として期待していたものの、表面の部分が先に立ってその底部が、表面をなぞるのみの思わせぶりなだけの文章に思えました。
もっと神秘的なものを期待していたのです。
学生運動やそれに付随する権力権威とも絡み合う暴力とセックス、子供などのテーマは自身の体験などもあるんでしょう、そしてそれをも含めた小説家としての小説という一面としての商品としての自己もあり、私小説あるいはある種の告白本としての性質は現実に根差してしまうことは仕方のないことかも分かりません。そして、それがいわゆる農民的な背後や脇腹ばかりを窺うような見方にさらされているというエリート文学者であり当時のある種のスターであるなら、尚更だ。
難解なものなら難解にしてもらうと、こちらもしんどい思いをして読んで、そこから、その言葉に表し難いものを言葉として得ることができようものだし、また、そういう言葉から未知なる読んだことのないようなものが体験したかったものの。

何か、スーパーと闇市と朝鮮人と村の人間が諍い、それは結局われわれ日本人のせいだ、とかいう時々純文学で見かけるある種の政治も実感がないしね。
また、兄がいて姉がいて弟がいて妹がいて、の世代別の兄弟の多さから来るアイデンティティの強まりとまた逆に結束が強まることから来る近親相姦も実感がわきにくい。
すごい真面目。性的人間はよかったんですけど。
最高傑作にしては、確かに陳腐というか、色々全方向的というか、この国のたった2人しかいないノーベル文学賞だから、もうちょっとこう神秘的なやつを期待したのですよ。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.181
(3pt)

そういうのじゃない感

何かしらこの国を代表する文学として期待していたものの、表面の部分が先に立ってその底部が、表面をなぞるのみの思わせぶりなだけの文章に思えました。
もっと神秘的なものを期待していたのです。
学生運動やそれに付随する権力権威とも絡み合う暴力とセックス、子供などのテーマは自身の体験などもあるんでしょう、そしてそれをも含めた小説家としての小説という一面としての商品としての自己もあり、私小説あるいはある種の告白本としての性質は現実に根差してしまうことは仕方のないことかも分かりません。そして、それがいわゆる農民的な背後や脇腹ばかりを窺うような見方にさらされているというエリート文学者であり当時のある種のスターであるなら、尚更だ。
難解なものなら難解にしてもらうと、こちらもしんどい思いをして読んで、そこから、その言葉に表し難いものを言葉として得ることができようものだし、また、そういう言葉から未知なる読んだことのないようなものが体験したかったものの。

何か、スーパーと闇市と朝鮮人と村の人間が諍い、それは結局われわれ日本人のせいだ、とかいう時々純文学で見かけるある種の政治も実感がないしね。
また、兄がいて姉がいて弟がいて妹がいて、の世代別の兄弟の多さから来るアイデンティティの強まりとまた逆に結束が強まることから来る近親相姦も実感がわきにくい。
すごい真面目。性的人間はよかったんですけど。
最高傑作にしては、確かに陳腐というか、色々全方向的というか、この国のたった2人しかいないノーベル文学賞だから、もうちょっとこう神秘的なやつを期待したのですよ。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.180
(3pt)

そういうのじゃない感

何かしらこの国を代表する文学として期待していたものの、表面の部分が先に立ってその底部が、表面をなぞるのみの思わせぶりなだけの文章に思えました。
もっと神秘的なものを期待していたのです。
学生運動やそれに付随する権力権威とも絡み合う暴力とセックス、子供などのテーマは自身の体験などもあるんでしょう、そしてそれをも含めた小説家としての小説という一面としての商品としての自己もあり、私小説あるいはある種の告白本としての性質は現実に根差してしまうことは仕方のないことかも分かりません。そして、それがいわゆる農民的な背後や脇腹ばかりを窺うような見方にさらされているというエリート文学者であり当時のある種のスターであるなら、尚更だ。
難解なものなら難解にしてもらうと、こちらもしんどい思いをして読んで、そこから、その言葉に表し難いものを言葉として得ることができようものだし、また、そういう言葉から未知なる読んだことのないようなものが体験したかったものの。

何か、スーパーと闇市と朝鮮人と村の人間が諍い、それは結局われわれ日本人のせいだ、とかいう時々純文学で見かけるある種の政治も実感がないしね。
また、兄がいて姉がいて弟がいて妹がいて、の世代別の兄弟の多さから来るアイデンティティの強まりとまた逆に結束が強まることから来る近親相姦も実感がわきにくい。
すごい真面目。性的人間はよかったんですけど。
最高傑作にしては、確かに陳腐というか、色々全方向的というか、この国のたった2人しかいないノーベル文学賞だから、もうちょっとこう神秘的なやつを期待したのですよ。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.179
(3pt)

そういうのじゃない感

何かしらこの国を代表する文学として期待していたものの、表面の部分が先に立ってその底部が、表面をなぞるのみの思わせぶりなだけの文章に思えました。
もっと神秘的なものを期待していたのです。
学生運動やそれに付随する権力権威とも絡み合う暴力とセックス、子供などのテーマは自身の体験などもあるんでしょう、そしてそれをも含めた小説家としての小説という一面としての商品としての自己もあり、私小説あるいはある種の告白本としての性質は現実に根差してしまうことは仕方のないことかも分かりません。そして、それがいわゆる農民的な背後や脇腹ばかりを窺うような見方にさらされているというエリート文学者であり当時のある種のスターであるなら、尚更だ。
難解なものなら難解にしてもらうと、こちらもしんどい思いをして読んで、そこから、その言葉に表し難いものを言葉として得ることができようものだし、また、そういう言葉から未知なる読んだことのないようなものが体験したかったものの。

何か、スーパーと闇市と朝鮮人と村の人間が諍い、それは結局われわれ日本人のせいだ、とかいう時々純文学で見かけるある種の政治も実感がないしね。
また、兄がいて姉がいて弟がいて妹がいて、の世代別の兄弟の多さから来るアイデンティティの強まりとまた逆に結束が強まることから来る近親相姦も実感がわきにくい。
すごい真面目。性的人間はよかったんですけど。
最高傑作にしては、確かに陳腐というか、色々全方向的というか、この国のたった2人しかいないノーベル文学賞だから、もうちょっとこう神秘的なやつを期待したのですよ。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.178
(5pt)

大江との出会い 青春の思い出の一冊

今年(2023年)になって、加賀乙彦氏、大江健三郎氏という私が長く敬愛してきた作家が相次いで亡くなった。とりわけ大江氏の作品は高校時代に耽読し、その後の私の人生の進路に深く影響を受けただけに感慨が大きい。その大江氏との出会いの作品がこの『万延元年のフットボール』にほかならない。
当時は講談社文庫版で書店に平積みになっており、真っ赤に塗られた顔が大きく描かれたグロテスクなカバーに興味を惹かれて買って読んだことを覚えている。

まず、冒頭から異様なイメージに圧倒される。夜明け前の暗闇で「失われた熱い期待の感覚」を探し求める主人公根所蜜三郎(「僕」の一人称で語られる)は浄化槽埋め込みのための庭の穴に降り犬を抱いて考え込む。主人公の友人は朱色の塗料で頭を塗って素裸で肛門に胡瓜をさしこんで縊死し、子どもは重度の障害で養護施設に入れられ、妻はアルコール依存に陥っているのだが、これらのイメージは繰り返し喚起され、小説全体の基調となっている。こうした冒頭の状況提示が、翻訳口調も交えた息の長い、ゴツゴツした文体(悪文ではない)で語られていく。難解でとっつきにくいが、読み進むうちに主人公の限りなく下降していく意識感覚に引き込まれるように小説世界に入っていく。
物語は、60年安保闘争に挫折した「悔悛した学生運動家」として登場する弟鷹四、その心酔者であるハイティーンの「星男」と「桃子」の登場を経て、郷里の四国山中にある窪地の村に舞台を転じるが、そこでも過食症の大女「ジン」(スターウォーズのジャバ・ザ・ハットを連想する)、戦時中に村で強制労働させられていた在日朝鮮人の成功者「スーパーマーケットの天皇」、元は徴兵忌避者の「隠遁者ギー」といった異色のキャラクターを配して、大江ワールドが形成されていく。
鷹四は万延元年の一揆の主導者であった主人公らの曾祖父の弟に倣い、村の青年らを組織して、雪で閉じ込められ交通と通信の途絶えた状況下でスーパーマーケット襲撃の暴動まで起こすのだが、主人公は「社会に受け入れられている人間」と嘲られつつ距離を置き、異邦人として疎外感を深めていく。
暴動の顛末には触れないが、運動が自己目的化しその有効性を考えない点で、あたかも新左翼運動(後の全共闘)に対するカリカチュアのように見える。しかし、万延元年の一揆の真相解明と合わせつつ、最終的に大江はその失敗を描くだけでなく、成果も肯定しているようだ。
冒頭で提示された主題である主人公の「熱い期待」の喪失感と、物語の進行につれて深まる主人公と弟や妻との対立、葛藤は暴動の前後で頂点に達するが、鷹四の自死の悲劇を経た大団円で対立は和解へと向かい、「期待」は回復の兆し示して小説は閉じられる。いわば魂の死と再生の物語である。
大江自身がこの文芸文庫版のあとがきで書いているように、「青春のしめくくり」と「乗り越え点」に位置する著作といえる。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.177
(5pt)

大江との出会い 青春の思い出の一冊

今年(2023年)になって、加賀乙彦氏、大江健三郎氏という私が長く敬愛してきた作家が相次いで亡くなった。とりわけ大江氏の作品は高校時代に耽読し、その後の私の人生の進路に深く影響を受けただけに感慨が大きい。その大江氏との出会いの作品がこの『万延元年のフットボール』にほかならない。
当時は講談社文庫版で書店に平積みになっており、真っ赤に塗られた顔が大きく描かれたグロテスクなカバーに興味を惹かれて買って読んだことを覚えている。

まず、冒頭から異様なイメージに圧倒される。夜明け前の暗闇で「失われた熱い期待の感覚」を探し求める主人公根所蜜三郎(「僕」の一人称で語られる)は浄化槽埋め込みのための庭の穴に降り犬を抱いて考え込む。主人公の友人は朱色の塗料で頭を塗って素裸で肛門に胡瓜をさしこんで縊死し、子どもは重度の障害で養護施設に入れられ、妻はアルコール依存に陥っているのだが、これらのイメージは繰り返し喚起され、小説全体の基調となっている。こうした冒頭の状況提示が、翻訳口調も交えた息の長い、ゴツゴツした文体(悪文ではない)で語られていく。難解でとっつきにくいが、読み進むうちに主人公の限りなく下降していく意識感覚に引き込まれるように小説世界に入っていく。
物語は、60年安保闘争に挫折した「悔悛した学生運動家」として登場する弟鷹四、その心酔者であるハイティーンの「星男」と「桃子」の登場を経て、郷里の四国山中にある窪地の村に舞台を転じるが、そこでも過食症の大女「ジン」(スターウォーズのジャバ・ザ・ハットを連想する)、戦時中に村で強制労働させられていた在日朝鮮人の成功者「スーパーマーケットの天皇」、元は徴兵忌避者の「隠遁者ギー」といった異色のキャラクターを配して、大江ワールドが形成されていく。
鷹四は万延元年の一揆の主導者であった主人公らの曾祖父の弟に倣い、村の青年らを組織して、雪で閉じ込められ交通と通信の途絶えた状況下でスーパーマーケット襲撃の暴動まで起こすのだが、主人公は「社会に受け入れられている人間」と嘲られつつ距離を置き、異邦人として疎外感を深めていく。
暴動の顛末には触れないが、運動が自己目的化しその有効性を考えない点で、あたかも新左翼運動(後の全共闘)に対するカリカチュアのように見える。しかし、万延元年の一揆の真相解明と合わせつつ、最終的に大江はその失敗を描くだけでなく、成果も肯定しているようだ。
冒頭で提示された主題である主人公の「熱い期待」の喪失感と、物語の進行につれて深まる主人公と弟や妻との対立、葛藤は暴動の前後で頂点に達するが、鷹四の自死の悲劇を経た大団円で対立は和解へと向かい、「期待」は回復の兆し示して小説は閉じられる。いわば魂の死と再生の物語である。
大江自身がこの文芸文庫版のあとがきで書いているように、「青春のしめくくり」と「乗り越え点」に位置する著作といえる。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.176
(5pt)

大江との出会い 青春の思い出の一冊

今年(2023年)になって、加賀乙彦氏、大江健三郎氏という私が長く敬愛してきた作家が相次いで亡くなった。とりわけ大江氏の作品は高校時代に耽読し、その後の私の人生の進路に深く影響を受けただけに感慨が大きい。その大江氏との出会いの作品がこの『万延元年のフットボール』にほかならない。
当時は講談社文庫版で書店に平積みになっており、真っ赤に塗られた顔が大きく描かれたグロテスクなカバーに興味を惹かれて買って読んだことを覚えている。

まず、冒頭から異様なイメージに圧倒される。夜明け前の暗闇で「失われた熱い期待の感覚」を探し求める主人公根所蜜三郎(「僕」の一人称で語られる)は浄化槽埋め込みのための庭の穴に降り犬を抱いて考え込む。主人公の友人は朱色の塗料で頭を塗って素裸で肛門に胡瓜をさしこんで縊死し、子どもは重度の障害で養護施設に入れられ、妻はアルコール依存に陥っているのだが、これらのイメージは繰り返し喚起され、小説全体の基調となっている。こうした冒頭の状況提示が、翻訳口調も交えた息の長い、ゴツゴツした文体(悪文ではない)で語られていく。難解でとっつきにくいが、読み進むうちに主人公の限りなく下降していく意識感覚に引き込まれるように小説世界に入っていく。
物語は、60年安保闘争に挫折した「悔悛した学生運動家」として登場する弟鷹四、その心酔者であるハイティーンの「星男」と「桃子」の登場を経て、郷里の四国山中にある窪地の村に舞台を転じるが、そこでも過食症の大女「ジン」(スターウォーズのジャバ・ザ・ハットを連想する)、戦時中に村で強制労働させられていた在日朝鮮人の成功者「スーパーマーケットの天皇」、元は徴兵忌避者の「隠遁者ギー」といった異色のキャラクターを配して、大江ワールドが形成されていく。
鷹四は万延元年の一揆の主導者であった主人公らの曾祖父の弟に倣い、村の青年らを組織して、雪で閉じ込められ交通と通信の途絶えた状況下でスーパーマーケット襲撃の暴動まで起こすのだが、主人公は「社会に受け入れられている人間」と嘲られつつ距離を置き、異邦人として疎外感を深めていく。
暴動の顛末には触れないが、運動が自己目的化しその有効性を考えない点で、あたかも新左翼運動(後の全共闘)に対するカリカチュアのように見える。しかし、万延元年の一揆の真相解明と合わせつつ、最終的に大江はその失敗を描くだけでなく、成果も肯定しているようだ。
冒頭で提示された主題である主人公の「熱い期待」の喪失感と、物語の進行につれて深まる主人公と弟や妻との対立、葛藤は暴動の前後で頂点に達するが、鷹四の自死の悲劇を経た大団円で対立は和解へと向かい、「期待」は回復の兆し示して小説は閉じられる。いわば魂の死と再生の物語である。
大江自身がこの文芸文庫版のあとがきで書いているように、「青春のしめくくり」と「乗り越え点」に位置する著作といえる。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.175
(5pt)

大江との出会い 青春の思い出の一冊

今年(2023年)になって、加賀乙彦氏、大江健三郎氏という私が長く敬愛してきた作家が相次いで亡くなった。とりわけ大江氏の作品は高校時代に耽読し、その後の私の人生の進路に深く影響を受けただけに感慨が大きい。その大江氏との出会いの作品がこの『万延元年のフットボール』にほかならない。
当時は講談社文庫版で書店に平積みになっており、真っ赤に塗られた顔が大きく描かれたグロテスクなカバーに興味を惹かれて買って読んだことを覚えている。

まず、冒頭から異様なイメージに圧倒される。夜明け前の暗闇で「失われた熱い期待の感覚」を探し求める主人公根所蜜三郎(「僕」の一人称で語られる)は浄化槽埋め込みのための庭の穴に降り犬を抱いて考え込む。主人公の友人は朱色の塗料で頭を塗って素裸で肛門に胡瓜をさしこんで縊死し、子どもは重度の障害で養護施設に入れられ、妻はアルコール依存に陥っているのだが、これらのイメージは繰り返し喚起され、小説全体の基調となっている。こうした冒頭の状況提示が、翻訳口調も交えた息の長い、ゴツゴツした文体(悪文ではない)で語られていく。難解でとっつきにくいが、読み進むうちに主人公の限りなく下降していく意識感覚に引き込まれるように小説世界に入っていく。
物語は、60年安保闘争に挫折した「悔悛した学生運動家」として登場する弟鷹四、その心酔者であるハイティーンの「星男」と「桃子」の登場を経て、郷里の四国山中にある窪地の村に舞台を転じるが、そこでも過食症の大女「ジン」(スターウォーズのジャバ・ザ・ハットを連想する)、戦時中に村で強制労働させられていた在日朝鮮人の成功者「スーパーマーケットの天皇」、元は徴兵忌避者の「隠遁者ギー」といった異色のキャラクターを配して、大江ワールドが形成されていく。
鷹四は万延元年の一揆の主導者であった主人公らの曾祖父の弟に倣い、村の青年らを組織して、雪で閉じ込められ交通と通信の途絶えた状況下でスーパーマーケット襲撃の暴動まで起こすのだが、主人公は「社会に受け入れられている人間」と嘲られつつ距離を置き、異邦人として疎外感を深めていく。
暴動の顛末には触れないが、運動が自己目的化しその有効性を考えない点で、あたかも新左翼運動(後の全共闘)に対するカリカチュアのように見える。しかし、万延元年の一揆の真相解明と合わせつつ、最終的に大江はその失敗を描くだけでなく、成果も肯定しているようだ。
冒頭で提示された主題である主人公の「熱い期待」の喪失感と、物語の進行につれて深まる主人公と弟や妻との対立、葛藤は暴動の前後で頂点に達するが、鷹四の自死の悲劇を経た大団円で対立は和解へと向かい、「期待」は回復の兆し示して小説は閉じられる。いわば魂の死と再生の物語である。
大江自身がこの文芸文庫版のあとがきで書いているように、「青春のしめくくり」と「乗り越え点」に位置する著作といえる。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.174
(5pt)

傷だらけの大江健三郎に感動

○大江健三郎氏がこの作品で試みようとしたこと、書き出しから終末部全体で結実していることを十全に読み取るのは、自分には非常に困難なことでありますが、それでもまず一読後の最初の感想は、小説家大江健三郎に強く勇気づけられた、ということです。

○若い頃、三分の一程度読んで挫折したのを、折に触れてまた最初から読み始め、結果的に第一章だけを何度も読むことになったのですが、今回改めて冒頭から読み進めていくと、第一章が、極めてスリリングで、彼の現代詩のような、一見過剰で回りくどい読みにくさを感じさせる、なおかつ暴力的に迂回するゴツゴツした形容の洪水が、読み手の中にいかに様々な視点と奥行きを作り出しているかに気づき、ため息、ワクワクする興奮と感動を覚えました。

○さて、「森に囲まれた四国の谷間の村」といういわゆる土着的で都会の洗練の対極にある舞台設定が、かつて読み通すことを阻害する一因にもなったわけですが、今回も、その読み進めづらさはありました。主人公「蜜」と「鷹」兄弟の先祖が主導した一揆と、現代の「安保闘争」の挫折との関わりは、単に過去の出来事を現代に置き換えて重ね合わせたいという強引(でいささか陳腐)な意図にも感じられ「スーパーマーケットの天皇」に対して結成されるフットボールチームも、もう一つピンと来ないところがあります。作品のタイトルにも与えられているフットボールは、実際、過去と現在を二重写しにしようとする、実際の効果よりも意図が勝りすぎて、どことなく空疎ですらあります。

○しかし、私に感動を与えるその元は、「蜜」に対置された彼の妻と弟の存在と、彼らから突きつけられる言葉と行動に打撃を受ける、「蜜」(=私の中では大江健三郎自身)の気取らなさ、弱さを曝け出す、その傷だらけの姿に他ならないと言えるでしょう。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.173
(5pt)

傷だらけの大江健三郎に感動

○大江健三郎氏がこの作品で試みようとしたこと、書き出しから終末部全体で結実していることを十全に読み取るのは、自分には非常に困難なことでありますが、それでもまず一読後の最初の感想は、小説家大江健三郎に強く勇気づけられた、ということです。

○若い頃、三分の一程度読んで挫折したのを、折に触れてまた最初から読み始め、結果的に第一章だけを何度も読むことになったのですが、今回改めて冒頭から読み進めていくと、第一章が、極めてスリリングで、彼の現代詩のような、一見過剰で回りくどい読みにくさを感じさせる、なおかつ暴力的に迂回するゴツゴツした形容の洪水が、読み手の中にいかに様々な視点と奥行きを作り出しているかに気づき、ため息、ワクワクする興奮と感動を覚えました。

○さて、「森に囲まれた四国の谷間の村」といういわゆる土着的で都会の洗練の対極にある舞台設定が、かつて読み通すことを阻害する一因にもなったわけですが、今回も、その読み進めづらさはありました。主人公「蜜」と「鷹」兄弟の先祖が主導した一揆と、現代の「安保闘争」の挫折との関わりは、単に過去の出来事を現代に置き換えて重ね合わせたいという強引(でいささか陳腐)な意図にも感じられ「スーパーマーケットの天皇」に対して結成されるフットボールチームも、もう一つピンと来ないところがあります。作品のタイトルにも与えられているフットボールは、実際、過去と現在を二重写しにしようとする、実際の効果よりも意図が勝りすぎて、どことなく空疎ですらあります。

○しかし、私に感動を与えるその元は、「蜜」に対置された彼の妻と弟の存在と、彼らから突きつけられる言葉と行動に打撃を受ける、「蜜」(=私の中では大江健三郎自身)の気取らなさ、弱さを曝け出す、その傷だらけの姿に他ならないと言えるでしょう。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.172
(5pt)

傷だらけの大江健三郎に感動

○大江健三郎氏がこの作品で試みようとしたこと、書き出しから終末部全体で結実していることを十全に読み取るのは、自分には非常に困難なことでありますが、それでもまず一読後の最初の感想は、小説家大江健三郎に強く勇気づけられた、ということです。

○若い頃、三分の一程度読んで挫折したのを、折に触れてまた最初から読み始め、結果的に第一章だけを何度も読むことになったのですが、今回改めて冒頭から読み進めていくと、第一章が、極めてスリリングで、彼の現代詩のような、一見過剰で回りくどい読みにくさを感じさせる、なおかつ暴力的に迂回するゴツゴツした形容の洪水が、読み手の中にいかに様々な視点と奥行きを作り出しているかに気づき、ため息、ワクワクする興奮と感動を覚えました。

○さて、「森に囲まれた四国の谷間の村」といういわゆる土着的で都会の洗練の対極にある舞台設定が、かつて読み通すことを阻害する一因にもなったわけですが、今回も、その読み進めづらさはありました。主人公「蜜」と「鷹」兄弟の先祖が主導した一揆と、現代の「安保闘争」の挫折との関わりは、単に過去の出来事を現代に置き換えて重ね合わせたいという強引(でいささか陳腐)な意図にも感じられ「スーパーマーケットの天皇」に対して結成されるフットボールチームも、もう一つピンと来ないところがあります。作品のタイトルにも与えられているフットボールは、実際、過去と現在を二重写しにしようとする、実際の効果よりも意図が勝りすぎて、どことなく空疎ですらあります。

○しかし、私に感動を与えるその元は、「蜜」に対置された彼の妻と弟の存在と、彼らから突きつけられる言葉と行動に打撃を受ける、「蜜」(=私の中では大江健三郎自身)の気取らなさ、弱さを曝け出す、その傷だらけの姿に他ならないと言えるでしょう。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.171
(5pt)

傷だらけの大江健三郎に感動

○大江健三郎氏がこの作品で試みようとしたこと、書き出しから終末部全体で結実していることを十全に読み取るのは、自分には非常に困難なことでありますが、それでもまず一読後の最初の感想は、小説家大江健三郎に強く勇気づけられた、ということです。

○若い頃、三分の一程度読んで挫折したのを、折に触れてまた最初から読み始め、結果的に第一章だけを何度も読むことになったのですが、今回改めて冒頭から読み進めていくと、第一章が、極めてスリリングで、彼の現代詩のような、一見過剰で回りくどい読みにくさを感じさせる、なおかつ暴力的に迂回するゴツゴツした形容の洪水が、読み手の中にいかに様々な視点と奥行きを作り出しているかに気づき、ため息、ワクワクする興奮と感動を覚えました。

○さて、「森に囲まれた四国の谷間の村」といういわゆる土着的で都会の洗練の対極にある舞台設定が、かつて読み通すことを阻害する一因にもなったわけですが、今回も、その読み進めづらさはありました。主人公「蜜」と「鷹」兄弟の先祖が主導した一揆と、現代の「安保闘争」の挫折との関わりは、単に過去の出来事を現代に置き換えて重ね合わせたいという強引(でいささか陳腐)な意図にも感じられ「スーパーマーケットの天皇」に対して結成されるフットボールチームも、もう一つピンと来ないところがあります。作品のタイトルにも与えられているフットボールは、実際、過去と現在を二重写しにしようとする、実際の効果よりも意図が勝りすぎて、どことなく空疎ですらあります。

○しかし、私に感動を与えるその元は、「蜜」に対置された彼の妻と弟の存在と、彼らから突きつけられる言葉と行動に打撃を受ける、「蜜」(=私の中では大江健三郎自身)の気取らなさ、弱さを曝け出す、その傷だらけの姿に他ならないと言えるでしょう。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.170
(1pt)

なんともいえん。

面白いか否かと問われれば、後者。
こういうのが好きな人もいるのだろうとは思う。主観的で勝手に溺れていく登場人物たちの姿を文学的と称する人もいるのは知っている。
ただ、読後のレビューとしては一言。やっと終わった。
(最後まで一字も飛ばすことなく読み切りはした)
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.169
(1pt)

なんともいえん。

面白いか否かと問われれば、後者。
こういうのが好きな人もいるのだろうとは思う。主観的で勝手に溺れていく登場人物たちの姿を文学的と称する人もいるのは知っている。
ただ、読後のレビューとしては一言。やっと終わった。
(最後まで一字も飛ばすことなく読み切りはした)
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.168
(1pt)

なんともいえん。

面白いか否かと問われれば、後者。
こういうのが好きな人もいるのだろうとは思う。主観的で勝手に溺れていく登場人物たちの姿を文学的と称する人もいるのは知っている。
ただ、読後のレビューとしては一言。やっと終わった。
(最後まで一字も飛ばすことなく読み切りはした)
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820