万延元年のフットボール

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評判

万延元年のフットボールの評価:

4.17/5点 レビュー 64件。 A ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.17pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全207件 41〜60 3/11ページ
No.167
(1pt)

なんともいえん。

面白いか否かと問われれば、後者。
こういうのが好きな人もいるのだろうとは思う。主観的で勝手に溺れていく登場人物たちの姿を文学的と称する人もいるのは知っている。
ただ、読後のレビューとしては一言。やっと終わった。
(最後まで一字も飛ばすことなく読み切りはした)
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.166
(3pt)

外国文学を読んでるよう

外国文学を和訳したような文体に感じた。起きたことは単純で、それに要した期間も1か月かそこらくらいか。それをこちゃこちゃした情景描写や心理描写で埋め合わせている。とにかく なんとなくだが外国人受けしそうな文体、話だと思った。だからノーベル賞とれたのか。深い意味がありそうで実は大した意味もない話かもしれない。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.165
(3pt)

外国文学を読んでるよう

外国文学を和訳したような文体に感じた。起きたことは単純で、それに要した期間も1か月かそこらくらいか。それをこちゃこちゃした情景描写や心理描写で埋め合わせている。とにかく なんとなくだが外国人受けしそうな文体、話だと思った。だからノーベル賞とれたのか。深い意味がありそうで実は大した意味もない話かもしれない。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.164
(3pt)

外国文学を読んでるよう

外国文学を和訳したような文体に感じた。起きたことは単純で、それに要した期間も1か月かそこらくらいか。それをこちゃこちゃした情景描写や心理描写で埋め合わせている。とにかく なんとなくだが外国人受けしそうな文体、話だと思った。だからノーベル賞とれたのか。深い意味がありそうで実は大した意味もない話かもしれない。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.163
(3pt)

外国文学を読んでるよう

外国文学を和訳したような文体に感じた。起きたことは単純で、それに要した期間も1か月かそこらくらいか。それをこちゃこちゃした情景描写や心理描写で埋め合わせている。とにかく なんとなくだが外国人受けしそうな文体、話だと思った。だからノーベル賞とれたのか。深い意味がありそうで実は大した意味もない話かもしれない。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.162
(1pt)

意味不明。普通の人は読まなくていい

著者が考え過ぎているようで、文章が日本語として壊れており、何が書いてあるのか意味不明でした。難しいがわかれば面白い、という類ではなく、主語・述語・修飾語…といった基本を守っていなかったり、書いた本人しかわからない(書いた本人もわからない)過剰な比喩が延々と続いていたりする、ただの読みにくい悪文なのです。芸術的な評価を得ているものではありますが、もともと評論される事を目当てに書かれているとも言えるわけで、仕事として文学を研究しているような人以外は無理に読もうとしなくていいと思います。ノーベル賞を受賞する程の人が書いた小説なのだから、読み切れば何か他で得難いインスピレーションを得られるのではないか…と期待する気持ちはわかりますが、理解できないのだから苦痛以外に得るものはゼロです。どうしても興味があるなら、理解しようとせず、こんな本もあるのかぁ…、と眺める程度でいいんじゃないでしょうか。実際の所、読んだと言っている人のほとんどはその程度の読解しか出来ていない(+誰かの評論を盗んで自分の感想のように語っている)と思われるので、悩む必要はないです。感動したと言っていたら胡散臭いと思った方がいいでしょう。そういう人は、学生が思いつくままに書き散らした支離滅裂な文章を大江健三郎の小説だと言って見せたら、素晴らしいと褒め始める可能性が高いです。
面白くて読みやすい、ためになる小説は他にいくらでもあるので…貴重な人生の時間を浪費しない方がいいと思います。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.161
(1pt)

意味不明。普通の人は読まなくていい

著者が考え過ぎているようで、文章が日本語として壊れており、何が書いてあるのか意味不明でした。難しいがわかれば面白い、という類ではなく、主語・述語・修飾語…といった基本を守っていなかったり、書いた本人しかわからない(書いた本人もわからない)過剰な比喩が延々と続いていたりする、ただの読みにくい悪文なのです。芸術的な評価を得ているものではありますが、もともと評論される事を目当てに書かれているとも言えるわけで、仕事として文学を研究しているような人以外は無理に読もうとしなくていいと思います。ノーベル賞を受賞する程の人が書いた小説なのだから、読み切れば何か他で得難いインスピレーションを得られるのではないか…と期待する気持ちはわかりますが、理解できないのだから苦痛以外に得るものはゼロです。どうしても興味があるなら、理解しようとせず、こんな本もあるのかぁ…、と眺める程度でいいんじゃないでしょうか。実際の所、読んだと言っている人のほとんどはその程度の読解しか出来ていない(+誰かの評論を盗んで自分の感想のように語っている)と思われるので、悩む必要はないです。感動したと言っていたら胡散臭いと思った方がいいでしょう。そういう人は、学生が思いつくままに書き散らした支離滅裂な文章を大江健三郎の小説だと言って見せたら、素晴らしいと褒め始める可能性が高いです。
面白くて読みやすい、ためになる小説は他にいくらでもあるので…貴重な人生の時間を浪費しない方がいいと思います。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.160
(1pt)

意味不明。普通の人は読まなくていい

著者が考え過ぎているようで、文章が日本語として壊れており、何が書いてあるのか意味不明でした。難しいがわかれば面白い、という類ではなく、主語・述語・修飾語…といった基本を守っていなかったり、書いた本人しかわからない(書いた本人もわからない)過剰な比喩が延々と続いていたりする、ただの読みにくい悪文なのです。芸術的な評価を得ているものではありますが、もともと評論される事を目当てに書かれているとも言えるわけで、仕事として文学を研究しているような人以外は無理に読もうとしなくていいと思います。ノーベル賞を受賞する程の人が書いた小説なのだから、読み切れば何か他で得難いインスピレーションを得られるのではないか…と期待する気持ちはわかりますが、理解できないのだから苦痛以外に得るものはゼロです。どうしても興味があるなら、理解しようとせず、こんな本もあるのかぁ…、と眺める程度でいいんじゃないでしょうか。実際の所、読んだと言っている人のほとんどはその程度の読解しか出来ていない(+誰かの評論を盗んで自分の感想のように語っている)と思われるので、悩む必要はないです。感動したと言っていたら胡散臭いと思った方がいいでしょう。そういう人は、学生が思いつくままに書き散らした支離滅裂な文章を大江健三郎の小説だと言って見せたら、素晴らしいと褒め始める可能性が高いです。
面白くて読みやすい、ためになる小説は他にいくらでもあるので…貴重な人生の時間を浪費しない方がいいと思います。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.159
(1pt)

意味不明。普通の人は読まなくていい

著者が考え過ぎているようで、文章が日本語として壊れており、何が書いてあるのか意味不明でした。難しいがわかれば面白い、という類ではなく、主語・述語・修飾語…といった基本を守っていなかったり、書いた本人しかわからない(書いた本人もわからない)過剰な比喩が延々と続いていたりする、ただの読みにくい悪文なのです。芸術的な評価を得ているものではありますが、もともと評論される事を目当てに書かれているとも言えるわけで、仕事として文学を研究しているような人以外は無理に読もうとしなくていいと思います。ノーベル賞を受賞する程の人が書いた小説なのだから、読み切れば何か他で得難いインスピレーションを得られるのではないか…と期待する気持ちはわかりますが、理解できないのだから苦痛以外に得るものはゼロです。どうしても興味があるなら、理解しようとせず、こんな本もあるのかぁ…、と眺める程度でいいんじゃないでしょうか。実際の所、読んだと言っている人のほとんどはその程度の読解しか出来ていない(+誰かの評論を盗んで自分の感想のように語っている)と思われるので、悩む必要はないです。感動したと言っていたら胡散臭いと思った方がいいでしょう。そういう人は、学生が思いつくままに書き散らした支離滅裂な文章を大江健三郎の小説だと言って見せたら、素晴らしいと褒め始める可能性が高いです。
面白くて読みやすい、ためになる小説は他にいくらでもあるので…貴重な人生の時間を浪費しない方がいいと思います。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.158
(5pt)

よかったです

説明どおりの商品で発送も迅速でとてもていねいでした。機会あればまたお願いしたいです。ありがとうございました。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.157
(5pt)

よかったです

説明どおりの商品で発送も迅速でとてもていねいでした。機会あればまたお願いしたいです。ありがとうございました。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.156
(5pt)

よかったです

説明どおりの商品で発送も迅速でとてもていねいでした。機会あればまたお願いしたいです。ありがとうございました。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.155
(5pt)

よかったです

説明どおりの商品で発送も迅速でとてもていねいでした。機会あればまたお願いしたいです。ありがとうございました。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.154
(5pt)

感謝

絶望にいた時に俺がしたこと
俺が抱える以上の絶望を探すこと
それによって自分を慰めること
大抵の言葉や音楽、小説は役に立たなかった
けど大江健三郎の小説は良かった
俺がどん底にいた時に読んだ彼の小説「万延元年のフットボール」は
光の決して届かないような場所に沈殿していた俺の心に、気づけば横に、あるいはそれより深い深度を持って
そこに存在していた。こういう出会いが俺を救う。俺も誰かの少しでも救いに、なぐさめになれたら、と思う。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.153
(5pt)

感謝

絶望にいた時に俺がしたこと
俺が抱える以上の絶望を探すこと
それによって自分を慰めること
大抵の言葉や音楽、小説は役に立たなかった
けど大江健三郎の小説は良かった
俺がどん底にいた時に読んだ彼の小説「万延元年のフットボール」は
光の決して届かないような場所に沈殿していた俺の心に、気づけば横に、あるいはそれより深い深度を持って
そこに存在していた。こういう出会いが俺を救う。俺も誰かの少しでも救いに、なぐさめになれたら、と思う。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.152
(5pt)

感謝

絶望にいた時に俺がしたこと
俺が抱える以上の絶望を探すこと
それによって自分を慰めること
大抵の言葉や音楽、小説は役に立たなかった
けど大江健三郎の小説は良かった
俺がどん底にいた時に読んだ彼の小説「万延元年のフットボール」は
光の決して届かないような場所に沈殿していた俺の心に、気づけば横に、あるいはそれより深い深度を持って
そこに存在していた。こういう出会いが俺を救う。俺も誰かの少しでも救いに、なぐさめになれたら、と思う。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.151
(5pt)

感謝

絶望にいた時に俺がしたこと
俺が抱える以上の絶望を探すこと
それによって自分を慰めること
大抵の言葉や音楽、小説は役に立たなかった
けど大江健三郎の小説は良かった
俺がどん底にいた時に読んだ彼の小説「万延元年のフットボール」は
光の決して届かないような場所に沈殿していた俺の心に、気づけば横に、あるいはそれより深い深度を持って
そこに存在していた。こういう出会いが俺を救う。俺も誰かの少しでも救いに、なぐさめになれたら、と思う。
万延元年のフットボール (1967年) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (1967年)より
B000JA7MU2
No.150
(4pt)

終盤、超展開すぎるほど畳みかけているが、そこが魅力でしょうか?

終盤の超展開はともかく、一度通して読んだうえで、改めて一章の内容と感想を記します。

【内容】
学生運動に巻き込まれて頭部を殴打した親友の狂気じみた縊死、障害を持って生まれた赤子、アルコール依存症の妻と共に家畜さながらの荒んだ日々を送る語り手蜜、そして裏側では学生運動家として思想に傾倒した蜜の弟、鷹のアメリカでの頽廃的な日々の断片が、終盤で語られる「本当のこと(鷹の抑圧ともいえよう)」の上部構造として綴られるイントロダクションである。
死んだ母親による蜜に劣等感を植え付ける一方的な予言、鷹の抑圧の上部構造、最も常識的な感性を持ち合わせまま、それゆえに家族のことで苦悩する妻の頽廃、縊死した蜜の分身たる友人の表象が一挙に描写され、直線的な時間軸と共に語られる二章以降の駆動として濃密に凝縮されている印象をうける。

【感想】
全裸で肛門に胡瓜をさし、頭部を赤く染め縊死した現実離れした親友像は蜜にとってとてもリアルに切迫した問題で、周囲との関係が孤絶され緩やかな死へと至りつつある蜜の内面に、まさに表象としての綜合的な死(吉本『共同幻想』遠野物語)をもたらしており、のちの章で、蜜の自閉的傾向が強まったときたびたびしつこいぐらいに現出してくる。
一方で、社会規範から大きく逸脱した親友の相貌が、小説的な文脈において表象としてしつこく反復されるとき、村上春樹の『1Q84』の冒頭で克明に繰り返し描き出される主人公の記憶<自分の母親と思われる女の乳房を吸う見知らぬ男の像>と同様に、かえってユーモアとしての特性を帯び始めつつあるかもしれない。
精神医学ではトラウマ足りえるイメージが、物語として繰り返し語られることによって、半ば皮相的にユーモアとして結晶化しているとするのはインターネットに毒された私だけの妄想か?
友人の死に立ち会ったときの生々しい腐敗した亡骸にまつわる記憶が、着実にいまなお死にゆく蜜(あるいはまったく反対に社会から離反しすっかり動物的な変貌を遂げ、もはや最も切実に本能的な生を希求した存在ともいえる蜜、それはまるで胚種に猥雑に手足が生えたような自由な個体のようである)に奇妙な親近感をもたらしており、浄化槽のなかで闇と解けあう逸脱した身体的表現は注目に値する。

さて、物語の大きな仕掛けとして明るみになる、悔悛した学生運動家としての役割に透徹する鷹の破滅的な行動の裏にある抑圧が一体何なのだろうか? と読者に思わせることには成功しただろうか?(私は、あくまで読書に不慣れな私はなのだが、あまりにも濃密にすぎるゆえにただ強い抵抗感をもって一章を読まざるを得なかった。)
また鷹だけでなく、蜜に囁かれた母親の予言、「お前は鷹とは正反対にいずれ醜くなるだろう」、が着実に蜜の心象に明瞭な歪みをもたらせていることを、あたかも構造外部の語り手としての蜜自体から読者が超越して感じ取ってやらなくてはならないのだろう。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.149
(4pt)

終盤、超展開すぎるほど畳みかけているが、そこが魅力でしょうか?

終盤の超展開はともかく、一度通して読んだうえで、改めて一章の内容と感想を記します。

【内容】
学生運動に巻き込まれて頭部を殴打した親友の狂気じみた縊死、障害を持って生まれた赤子、アルコール依存症の妻と共に家畜さながらの荒んだ日々を送る語り手蜜、そして裏側では学生運動家として思想に傾倒した蜜の弟、鷹のアメリカでの頽廃的な日々の断片が、終盤で語られる「本当のこと(鷹の抑圧ともいえよう)」の上部構造として綴られるイントロダクションである。
死んだ母親による蜜に劣等感を植え付ける一方的な予言、鷹の抑圧の上部構造、最も常識的な感性を持ち合わせまま、それゆえに家族のことで苦悩する妻の頽廃、縊死した蜜の分身たる友人の表象が一挙に描写され、直線的な時間軸と共に語られる二章以降の駆動として濃密に凝縮されている印象をうける。

【感想】
全裸で肛門に胡瓜をさし、頭部を赤く染め縊死した現実離れした親友像は蜜にとってとてもリアルに切迫した問題で、周囲との関係が孤絶され緩やかな死へと至りつつある蜜の内面に、まさに表象としての綜合的な死(吉本『共同幻想』遠野物語)をもたらしており、のちの章で、蜜の自閉的傾向が強まったときたびたびしつこいぐらいに現出してくる。
一方で、社会規範から大きく逸脱した親友の相貌が、小説的な文脈において表象としてしつこく反復されるとき、村上春樹の『1Q84』の冒頭で克明に繰り返し描き出される主人公の記憶<自分の母親と思われる女の乳房を吸う見知らぬ男の像>と同様に、かえってユーモアとしての特性を帯び始めつつあるかもしれない。
精神医学ではトラウマ足りえるイメージが、物語として繰り返し語られることによって、半ば皮相的にユーモアとして結晶化しているとするのはインターネットに毒された私だけの妄想か?
友人の死に立ち会ったときの生々しい腐敗した亡骸にまつわる記憶が、着実にいまなお死にゆく蜜(あるいはまったく反対に社会から離反しすっかり動物的な変貌を遂げ、もはや最も切実に本能的な生を希求した存在ともいえる蜜、それはまるで胚種に猥雑に手足が生えたような自由な個体のようである)に奇妙な親近感をもたらしており、浄化槽のなかで闇と解けあう逸脱した身体的表現は注目に値する。

さて、物語の大きな仕掛けとして明るみになる、悔悛した学生運動家としての役割に透徹する鷹の破滅的な行動の裏にある抑圧が一体何なのだろうか? と読者に思わせることには成功しただろうか?(私は、あくまで読書に不慣れな私はなのだが、あまりにも濃密にすぎるゆえにただ強い抵抗感をもって一章を読まざるを得なかった。)
また鷹だけでなく、蜜に囁かれた母親の予言、「お前は鷹とは正反対にいずれ醜くなるだろう」、が着実に蜜の心象に明瞭な歪みをもたらせていることを、あたかも構造外部の語り手としての蜜自体から読者が超越して感じ取ってやらなくてはならないのだろう。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.148
(4pt)

終盤、超展開すぎるほど畳みかけているが、そこが魅力でしょうか?

終盤の超展開はともかく、一度通して読んだうえで、改めて一章の内容と感想を記します。

【内容】
学生運動に巻き込まれて頭部を殴打した親友の狂気じみた縊死、障害を持って生まれた赤子、アルコール依存症の妻と共に家畜さながらの荒んだ日々を送る語り手蜜、そして裏側では学生運動家として思想に傾倒した蜜の弟、鷹のアメリカでの頽廃的な日々の断片が、終盤で語られる「本当のこと(鷹の抑圧ともいえよう)」の上部構造として綴られるイントロダクションである。
死んだ母親による蜜に劣等感を植え付ける一方的な予言、鷹の抑圧の上部構造、最も常識的な感性を持ち合わせまま、それゆえに家族のことで苦悩する妻の頽廃、縊死した蜜の分身たる友人の表象が一挙に描写され、直線的な時間軸と共に語られる二章以降の駆動として濃密に凝縮されている印象をうける。

【感想】
全裸で肛門に胡瓜をさし、頭部を赤く染め縊死した現実離れした親友像は蜜にとってとてもリアルに切迫した問題で、周囲との関係が孤絶され緩やかな死へと至りつつある蜜の内面に、まさに表象としての綜合的な死(吉本『共同幻想』遠野物語)をもたらしており、のちの章で、蜜の自閉的傾向が強まったときたびたびしつこいぐらいに現出してくる。
一方で、社会規範から大きく逸脱した親友の相貌が、小説的な文脈において表象としてしつこく反復されるとき、村上春樹の『1Q84』の冒頭で克明に繰り返し描き出される主人公の記憶<自分の母親と思われる女の乳房を吸う見知らぬ男の像>と同様に、かえってユーモアとしての特性を帯び始めつつあるかもしれない。
精神医学ではトラウマ足りえるイメージが、物語として繰り返し語られることによって、半ば皮相的にユーモアとして結晶化しているとするのはインターネットに毒された私だけの妄想か?
友人の死に立ち会ったときの生々しい腐敗した亡骸にまつわる記憶が、着実にいまなお死にゆく蜜(あるいはまったく反対に社会から離反しすっかり動物的な変貌を遂げ、もはや最も切実に本能的な生を希求した存在ともいえる蜜、それはまるで胚種に猥雑に手足が生えたような自由な個体のようである)に奇妙な親近感をもたらしており、浄化槽のなかで闇と解けあう逸脱した身体的表現は注目に値する。

さて、物語の大きな仕掛けとして明るみになる、悔悛した学生運動家としての役割に透徹する鷹の破滅的な行動の裏にある抑圧が一体何なのだろうか? と読者に思わせることには成功しただろうか?(私は、あくまで読書に不慣れな私はなのだが、あまりにも濃密にすぎるゆえにただ強い抵抗感をもって一章を読まざるを得なかった。)
また鷹だけでなく、蜜に囁かれた母親の予言、「お前は鷹とは正反対にいずれ醜くなるだろう」、が着実に蜜の心象に明瞭な歪みをもたらせていることを、あたかも構造外部の語り手としての蜜自体から読者が超越して感じ取ってやらなくてはならないのだろう。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820