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東京零年
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東京零年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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新品の本を安く、手に入り感謝しています。 | ||||
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歌手でいうと、中島みゆきさんや、さだまさしさんは、きっと国家から表彰されない人たちだと思う。赤川次郎さんもそうだ。ほんもの人間であろうとしつづけ、ほんものの人間として筋を通そうとするからだ。本書で書かれている政治権力の在り方は、いかにもじっさいありそうなものだ。権力者がいちばんいやがることは、人間がほんものの人間であろうとすることだ。知性と理性がどこまでも真理と実在を志向し、道徳的・倫理的な感受性と精神力がどこまでもほんとうの価値・端的に善を志向し、そして、無制約・無条件・無制限・無留保に、あらゆる感情を超えて愛そうとするような人間、そうした人間は、権力者に都合よく飼いならすことはできないから、そうした人間を生み出したくないし、排除したい。そうした権力者の利己心・虚栄心・高慢と、小さな当たり前の人間の矜持との、戦いを描いた本書は、読む人に「二つの旗」の間での選択を迫るものでもある。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」とイエスは言った。天賦人権・人賦国権を前提し、啓蒙された世論に基づく政治を志向する、民主制が人権もろとも平然と公然と踏みにじられようとしているいま、こうした作品を出した作者と出版社には、両親と心意気が感じられて、善い読後感であった。 | ||||
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さらっと読めたが、些か尻切れトンボの感あり。 | ||||
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内容がちょっと 難しかったかな〰️⁉️ 理不尽なことが続いたので、読み終わって なんかスッキリしない気分でした。 | ||||
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赤川次郎は、中学生の頃、三毛猫ホームズを始めとして、著作をかなり読んだ記憶があります。 それから何十年と遠ざかっていたが、最近、吉川英治文学賞を受賞した作品として、本作品を読んでみることにしました。 赤川次郎というと、簡潔で平明な文章で有名ですが、今読んでみると、ある意味、特異な文体に思えてきます。 例えば、ある登場人物が旅館の朝食に出された漬物を誉めるシーンがあります。 そこには、「漬物」はあくまで、「漬物」としか表現されません。 大抵の作家なら、「大根のぬか漬け」とか、「キュウリの浅漬け」などと描写するでしょう。 それが、「漬物」とだけしか書かれていない。 これは書けないのではなく、あえて書かないのでしょう。 かつて読んだ記憶があるのですが、赤川次郎は、できるだけ、具体的な描写は避け、あとは読者の想像に任せるのだそうです。 本作品の舞台は、すべての日本人が国家に管理されているという近未来SFのような作品。 でも、どのように管理されているのか、監視カメラがいたるところに設置されていることは、書かれているのですが、それ以上の具体的な描写はありません。 だから、読者は、特定秘密保護法の施行や、マイナンバー制度などによって、現実に行われている管理状態を自分なりに想像して読むことが求められています。 赤川次郎といえば、ユーモアミステリーというイメージが強いですが、処女長編の「マリオネットの罠」からして、意外とシリアスな作品も多いのです。 本作品もそんなシリアスな面を多分に持った作品と言えます。 しかも500ページに及ぶ大長編です。 それでありながら、長さをあまり意識させずに読ませてしまう力量は、ストーリーテラーとしての才能がまだ健在だということを物語っていると思います。 | ||||
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監視カメラ群、メディア統制、自動運転などによるホワイト・テロリズム(国家によるテロ)の様子がリアルです。デモも許されず、声を出せば「要注意人物」として監視され、「国家に対する反逆の疑い」で令状もなく逮捕/抹殺される、数年後の日本。それでも"普通"の人々は、TVや大手メディアを見ながら、"幸せ"に暮らしてます。 「"公益"秩序のために」と、堂々と人々を殺す検察/警察のトップの人々。「天」から命令があれば、その検察/警察の人々自身も簡単に消されますが、代わりはいくらでもいます。 頼りは、「それでいいの?」と"マトリックス"に気付いた市井の人々と、欧米政府/海外メディアやソーシャル・メディア。小説として、さらっと読めます。 こういう社会になるかどうかは、私たち次第です。 | ||||
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随分久しぶりに赤川次郎の作品を読みました。学生の頃は本当によく読んでいたのに。 複雑すぎたりせず文体がとても自分には読みやすかったです。 物語もちょっと切なさが残る感じが昔と変わらない。 それもよかったな。 | ||||
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本の厚さを感じさせないスピーディーな展開で、読み飽きず一気に読了しました。最後はどうなるんだろうと、ページをめくるのもドキドキ。納得の読み応えでした。 | ||||
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我々は「見せかけの自由。まやかしの自由」(本書394ページ)の中で生きているのかも知れません。 街中に防犯カメラと呼ぶ監視カメラがあふれ始めたのはいつ頃からでしょうか。 犯罪捜査に適正に利用されていれば良いのですが、その保障はありません。 そこで集められた個人情報の管理は適正なのでしょうか。 不要になれば消去しているのでしょうか。 道路上にあふれるNシステムも盗難車捜査の為と言う触れ込みで導入されましたが、今や犯罪捜査への流用は当たり前になってしまいました。 Nシステムで集められた膨大な個人情報はどう処理されているのでしょうか。 携帯電話、スマホのGPS情報は大丈夫なのでしょうか。 本来は裁判所の許可などで収集すべき個人情報が無制限に安易に収集されている恐れはないのでしょうか。 それらの情報に簡単にアプローチ出きる立場の警察官や検察官の不祥事が後をたちません。 膨大な個人情報を集め、処理する事へのフリーハンドを国民は彼らに与えたのでしょうか。 本当に大丈夫なんでしょうか。 最近でもアメリカのNSAがドイツやブラジル、日本の首脳の電話や携帯電話を不当に盗聴して国際的非難を浴びたばかりです。 本書の帯には「近未来」とありますが、もうすでに現実の話かもしれません(本書の事件は別にして)。 個人情報に関して考えさせられる書です。 お勧めです。 | ||||
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日本が、戦前の様な「警察国家」になってしまった近未来を描いています。 警察も検察もすべて「権力」の都合の良い様に動きます。 都合の悪い人間は事件をでっち上げて、どんどん消してゆきます。 どこにいても監視カメラが追いかけてくる、そんな窮屈な社会です。 そんな中で、主人公の健司と亜紀が様々な危険を掻い潜って、将来の明かりを見せてくれるという物語です。 タイトルの「東京零年」は、そうした未来の明かりに向けての第一歩ということでしょうか。 現在の右傾化する日本への心配を、作者が若い人たちに、そんな社会にしないで欲しいと書いた作品の様に思えます。 | ||||
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