果てしなき流れの果てに

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評判

果てしなき流れの果てにの評価:

4.22/5点 レビュー 120件。 B ランク

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平均点4.22pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全263件 41〜60 3/14ページ
No.223
(5pt)

「果しなき流れの果」にあったもの、それは。。。

私は今年55歳にして、ほんの2~3年前から小松左京氏の作品に本格的に着手し始めた「にわか」読者だが、「名作」の呼び声高い本作品をkindleで購入し、四日間かけてゆっくり読み、たった今読了。
ん~これは噂に違わない名作ですね。これは凄いのではないでしょうか?
何が凄いって、小松左京という人は、「自身の作品の意味や価値」などを「意識しないで」書いてしまう、という「無意識」的傾向があることから、この作品だって決して「名作をものしよう」などという目的で書かれたものではないにもかかわらず、おそらく本人すら完全には理解していないだろうと思われる域にまで到達してしまっている作品だからです。

「無限遠点」という概念があります。
文字通り、「今自分が存在する時間と空間の現地点から、最も遠い地点」に関する考察です。
これについて、私はかつて考察(思考実験)したことがありますが、「無限遠点」はどこか、その答えは、「自分の背中」、つまり「自分自身」即ち「今、ここ」というものでした。結局それは、漫画でよくあるように、自分が撃った弾が地球を一周して、自分の背中に命中するというあのイメージです。
円環。循環。無限の宇宙の時空間においても、「直線」を無限に果てしなく進んだ果ては、知らず曲線を描いて「今、ここの自分」に戻る、と。敷衍すれば、「人は最初から「目的地」にいた」あるいは「最初から「欲しいもの(探し物)」は手にしていた」という、あのパラドックスです。

私の本作品に対する解釈に「読み違え」がないならば、この作品は、私の「無限遠点に関する思考実験から導き出された答え」と一致することに、唸った、というわけです。

それとは別に、この作品って、「2001年宇宙の旅」より以前に書かれたものですよね?
「日本のSFのレベルの高さ」を云々する以前に、もはや謙虚に押し黙るしかありません。。。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.222
(5pt)

「果しなき流れの果」にあったもの、それは。。。

私は今年55歳にして、ほんの2~3年前から小松左京氏の作品に本格的に着手し始めた「にわか」読者だが、「名作」の呼び声高い本作品をkindleで購入し、四日間かけてゆっくり読み、たった今読了。
ん~これは噂に違わない名作ですね。これは凄いのではないでしょうか?
何が凄いって、小松左京という人は、「自身の作品の意味や価値」などを「意識しないで」書いてしまう、という「無意識」的傾向があることから、この作品だって決して「名作をものしよう」などという目的で書かれたものではないにもかかわらず、おそらく本人すら完全には理解していないだろうと思われる域にまで到達してしまっている作品だからです。

「無限遠点」という概念があります。
文字通り、「今自分が存在する時間と空間の現地点から、最も遠い地点」に関する考察です。
これについて、私はかつて考察(思考実験)したことがありますが、「無限遠点」はどこか、その答えは、「自分の背中」、つまり「自分自身」即ち「今、ここ」というものでした。結局それは、漫画でよくあるように、自分が撃った弾が地球を一周して、自分の背中に命中するというあのイメージです。
円環。循環。無限の宇宙の時空間においても、「直線」を無限に果てしなく進んだ果ては、知らず曲線を描いて「今、ここの自分」に戻る、と。敷衍すれば、「人は最初から「目的地」にいた」あるいは「最初から「欲しいもの(探し物)」は手にしていた」という、あのパラドックスです。

私の本作品に対する解釈に「読み違え」がないならば、この作品は、私の「無限遠点に関する思考実験から導き出された答え」と一致することに、唸った、というわけです。

それとは別に、この作品って、「2001年宇宙の旅」より以前に書かれたものですよね?
「日本のSFのレベルの高さ」を云々する以前に、もはや謙虚に押し黙るしかありません。。。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.221
(5pt)

「果しなき流れの果」にあったもの、それは。。。

私は今年55歳にして、ほんの2~3年前から小松左京氏の作品に本格的に着手し始めた「にわか」読者だが、「名作」の呼び声高い本作品をkindleで購入し、四日間かけてゆっくり読み、たった今読了。
ん~これは噂に違わない名作ですね。これは凄いのではないでしょうか?
何が凄いって、小松左京という人は、「自身の作品の意味や価値」などを「意識しないで」書いてしまう、という「無意識」的傾向があることから、この作品だって決して「名作をものしよう」などという目的で書かれたものではないにもかかわらず、おそらく本人すら完全には理解していないだろうと思われる域にまで到達してしまっている作品だからです。

「無限遠点」という概念があります。
文字通り、「今自分が存在する時間と空間の現地点から、最も遠い地点」に関する考察です。
これについて、私はかつて考察(思考実験)したことがありますが、「無限遠点」はどこか、その答えは、「自分の背中」、つまり「自分自身」即ち「今、ここ」というものでした。結局それは、漫画でよくあるように、自分が撃った弾が地球を一周して、自分の背中に命中するというあのイメージです。
円環。循環。無限の宇宙の時空間においても、「直線」を無限に果てしなく進んだ果ては、知らず曲線を描いて「今、ここの自分」に戻る、と。敷衍すれば、「人は最初から「目的地」にいた」あるいは「最初から「欲しいもの(探し物)」は手にしていた」という、あのパラドックスです。

私の本作品に対する解釈に「読み違え」がないならば、この作品は、私の「無限遠点に関する思考実験から導き出された答え」と一致することに、唸った、というわけです。

それとは別に、この作品って、「2001年宇宙の旅」より以前に書かれたものですよね?
「日本のSFのレベルの高さ」を云々する以前に、もはや謙虚に押し黙るしかありません。。。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.220
(5pt)

現代日本の金字塔の双璧でしょうね

双璧の片方、個人的には光瀬龍氏の「百億の昼と〜」かと思っています。SFMオールタイム投票等でも概ね、この2作品がツートップですしね。
高校3年生時の「国語表現」でこの作品を取り上げたのですが、私の力不足と担当教師の理解不足等もあり、当時は全然歯が立たなかったような……果たして今でもどうか、と思う部分はありますね。
小松左京氏の主系列的作品で、これと「神への長い道」や「結晶星団」、「ゴルディアスの結び目」と総決算作で未完に終わった「虚無回廊」等の流れで読んで欲しいですね。「復活の日」「日本沈没」「首都消失」等はまた別の系列ですからね。大きくはこの2つに分類される作家かとは思います。
生前の左京さん、連載も非常に書くのがしんどくて参ったと話されていたようですが、やはり氏はだてに京都大学でイタリア文学を専攻されていないので、SFでダンテ「神曲」を書きたかったのは間違いないんでしょうね。生涯をかけての途方もない試み、完成することはなかったのでしょうが……断片的ではあってもこの作品の壮大さ、「三体」シリーズ等にも負けてはいないよな、といち左京ファンは思ってしまいますね。
他の方もカスタマーレビューで色々書かれている通り、読者の想像力を非常に刺激する佳作ですので、やはり是非ぜひ読んでもらいたい一冊ですね。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.219
(5pt)

現代日本の金字塔の双璧でしょうね

双璧の片方、個人的には光瀬龍氏の「百億の昼と〜」かと思っています。SFMオールタイム投票等でも概ね、この2作品がツートップですしね。
高校3年生時の「国語表現」でこの作品を取り上げたのですが、私の力不足と担当教師の理解不足等もあり、当時は全然歯が立たなかったような……果たして今でもどうか、と思う部分はありますね。
小松左京氏の主系列的作品で、これと「神への長い道」や「結晶星団」、「ゴルディアスの結び目」と総決算作で未完に終わった「虚無回廊」等の流れで読んで欲しいですね。「復活の日」「日本沈没」「首都消失」等はまた別の系列ですからね。大きくはこの2つに分類される作家かとは思います。
生前の左京さん、連載も非常に書くのがしんどくて参ったと話されていたようですが、やはり氏はだてに京都大学でイタリア文学を専攻されていないので、SFでダンテ「神曲」を書きたかったのは間違いないんでしょうね。生涯をかけての途方もない試み、完成することはなかったのでしょうが……断片的ではあってもこの作品の壮大さ、「三体」シリーズ等にも負けてはいないよな、といち左京ファンは思ってしまいますね。
他の方もカスタマーレビューで色々書かれている通り、読者の想像力を非常に刺激する佳作ですので、やはり是非ぜひ読んでもらいたい一冊ですね。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.218
(5pt)

現代日本の金字塔の双璧でしょうね

双璧の片方、個人的には光瀬龍氏の「百億の昼と〜」かと思っています。SFMオールタイム投票等でも概ね、この2作品がツートップですしね。
高校3年生時の「国語表現」でこの作品を取り上げたのですが、私の力不足と担当教師の理解不足等もあり、当時は全然歯が立たなかったような……果たして今でもどうか、と思う部分はありますね。
小松左京氏の主系列的作品で、これと「神への長い道」や「結晶星団」、「ゴルディアスの結び目」と総決算作で未完に終わった「虚無回廊」等の流れで読んで欲しいですね。「復活の日」「日本沈没」「首都消失」等はまた別の系列ですからね。大きくはこの2つに分類される作家かとは思います。
生前の左京さん、連載も非常に書くのがしんどくて参ったと話されていたようですが、やはり氏はだてに京都大学でイタリア文学を専攻されていないので、SFでダンテ「神曲」を書きたかったのは間違いないんでしょうね。生涯をかけての途方もない試み、完成することはなかったのでしょうが……断片的ではあってもこの作品の壮大さ、「三体」シリーズ等にも負けてはいないよな、といち左京ファンは思ってしまいますね。
他の方もカスタマーレビューで色々書かれている通り、読者の想像力を非常に刺激する佳作ですので、やはり是非ぜひ読んでもらいたい一冊ですね。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.217
(5pt)

とても懐かしい名作

40年前、中学生の時に夢中で読みました。
スケールの大きいSFです。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.216
(5pt)

とても懐かしい名作

40年前、中学生の時に夢中で読みました。
スケールの大きいSFです。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.215
(5pt)

とても懐かしい名作

40年前、中学生の時に夢中で読みました。
スケールの大きいSFです。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.214
(4pt)

神話的な唯一無二のSF小説

深淵な宇宙の真理を、人間の意識は理解できるのか?そもそも意識とは何か?そんな深い問いを投げかける唯一無二のSF超大作です。果てしない広大な宇宙空間と永遠の時の流れの前では、人間の意識など、砂漠に落とされた一滴の砂粒にも満たない、微小で瞬間的な存在にすぎません。しかし人間の心は、宇宙を「意識」することで宇宙全体をとらえることができるのです。宇宙があるから我々の意識があるのか。我々の意識があるから宇宙があるのか。いや、そもそも宇宙と意識はお互いに相克するのではなく、同一の存在なのではないか。数万年前にホモサピエンスが誕生した。そしてこれから何万年、何千万年と続くかもしれない我々の種の歩み。そこに存在する何千億人の意識は、過去から未来への途切れない大河となって、人類の歴史をつなぐのです。その遥かなる未来に、人の意識は宇宙の真理にたどり着くのでしょうか。そんな科学的であり哲学的な問いを投げかけます。

そしてこのSF小説は宗教の教典的であるとも思いました。時間と空間を目まぐるしく行き交い、自分の現在地が分からなくなります。登場人物の多さと関係性の分かりにくさも重なり、自分が何の話を読んでいるのか途中からわからず、ほとんどの読者は迷子になったような気持ちになるでしょう。しかし場面が変わっても、一貫してこの小説は人の意識の意味について問いかけます。これはまさに宗教の「我々はなぜ生きているのか」という根源的な問いと同じです。そして物語を通じて人間という存在の根源に迫ろうとするアプローチは、ギリシア神話や旧約聖書が「神話」という物語を通じて人間に語りかけたことと同じでしょう。明確な起承転結で完結させず、読む人に考えさせる、という意味でも。

理解するのではなく、宇宙と人間の意識の深遠さを感じる。そんな稀有なSF小説です。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.213
(4pt)

神話的な唯一無二のSF小説

深淵な宇宙の真理を、人間の意識は理解できるのか?そもそも意識とは何か?そんな深い問いを投げかける唯一無二のSF超大作です。果てしない広大な宇宙空間と永遠の時の流れの前では、人間の意識など、砂漠に落とされた一滴の砂粒にも満たない、微小で瞬間的な存在にすぎません。しかし人間の心は、宇宙を「意識」することで宇宙全体をとらえることができるのです。宇宙があるから我々の意識があるのか。我々の意識があるから宇宙があるのか。いや、そもそも宇宙と意識はお互いに相克するのではなく、同一の存在なのではないか。数万年前にホモサピエンスが誕生した。そしてこれから何万年、何千万年と続くかもしれない我々の種の歩み。そこに存在する何千億人の意識は、過去から未来への途切れない大河となって、人類の歴史をつなぐのです。その遥かなる未来に、人の意識は宇宙の真理にたどり着くのでしょうか。そんな科学的であり哲学的な問いを投げかけます。

そしてこのSF小説は宗教の教典的であるとも思いました。時間と空間を目まぐるしく行き交い、自分の現在地が分からなくなります。登場人物の多さと関係性の分かりにくさも重なり、自分が何の話を読んでいるのか途中からわからず、ほとんどの読者は迷子になったような気持ちになるでしょう。しかし場面が変わっても、一貫してこの小説は人の意識の意味について問いかけます。これはまさに宗教の「我々はなぜ生きているのか」という根源的な問いと同じです。そして物語を通じて人間という存在の根源に迫ろうとするアプローチは、ギリシア神話や旧約聖書が「神話」という物語を通じて人間に語りかけたことと同じでしょう。明確な起承転結で完結させず、読む人に考えさせる、という意味でも。

理解するのではなく、宇宙と人間の意識の深遠さを感じる。そんな稀有なSF小説です。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.212
(4pt)

神話的な唯一無二のSF小説

深淵な宇宙の真理を、人間の意識は理解できるのか?そもそも意識とは何か?そんな深い問いを投げかける唯一無二のSF超大作です。果てしない広大な宇宙空間と永遠の時の流れの前では、人間の意識など、砂漠に落とされた一滴の砂粒にも満たない、微小で瞬間的な存在にすぎません。しかし人間の心は、宇宙を「意識」することで宇宙全体をとらえることができるのです。宇宙があるから我々の意識があるのか。我々の意識があるから宇宙があるのか。いや、そもそも宇宙と意識はお互いに相克するのではなく、同一の存在なのではないか。数万年前にホモサピエンスが誕生した。そしてこれから何万年、何千万年と続くかもしれない我々の種の歩み。そこに存在する何千億人の意識は、過去から未来への途切れない大河となって、人類の歴史をつなぐのです。その遥かなる未来に、人の意識は宇宙の真理にたどり着くのでしょうか。そんな科学的であり哲学的な問いを投げかけます。

そしてこのSF小説は宗教の教典的であるとも思いました。時間と空間を目まぐるしく行き交い、自分の現在地が分からなくなります。登場人物の多さと関係性の分かりにくさも重なり、自分が何の話を読んでいるのか途中からわからず、ほとんどの読者は迷子になったような気持ちになるでしょう。しかし場面が変わっても、一貫してこの小説は人の意識の意味について問いかけます。これはまさに宗教の「我々はなぜ生きているのか」という根源的な問いと同じです。そして物語を通じて人間という存在の根源に迫ろうとするアプローチは、ギリシア神話や旧約聖書が「神話」という物語を通じて人間に語りかけたことと同じでしょう。明確な起承転結で完結させず、読む人に考えさせる、という意味でも。

理解するのではなく、宇宙と人間の意識の深遠さを感じる。そんな稀有なSF小説です。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.211
(5pt)

雑誌連載でここまで書けるってすごい

本書を久しぶりに読んでいて、おやっ?と思ったことがある。調べると、本書の出版社を問わない初版は1966年。それなのに、本書には日本列島の地質の特殊性を記述するのに当時は一般的だったプルーム・テクトニクス理論ではなく、当時最先端の理論だった地向斜理論が使われている。当時を知らないからわからないが、かなり論難を受けることだったのではないだろうか?
筆者は「百合若大臣伝説の現代版」を書きたいと考えて本書を構想したという。ひょっとするととりとめのないアイデアのよせ集めになりかねないテーマをこのような時空序事詩にまとめたのは、筆者の構想力と取材のたまものであろう。だとすれば、現代の恐竜学の観点からするとちょっとした齟齬があることぐらい、どうでもいいことではないか。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.210
(5pt)

雑誌連載でここまで書けるってすごい

本書を久しぶりに読んでいて、おやっ?と思ったことがある。調べると、本書の出版社を問わない初版は1966年。それなのに、本書には日本列島の地質の特殊性を記述するのに当時は一般的だったプルーム・テクトニクス理論ではなく、当時最先端の理論だった地向斜理論が使われている。当時を知らないからわからないが、かなり論難を受けることだったのではないだろうか?
筆者は「百合若大臣伝説の現代版」を書きたいと考えて本書を構想したという。ひょっとするととりとめのないアイデアのよせ集めになりかねないテーマをこのような時空序事詩にまとめたのは、筆者の構想力と取材のたまものであろう。だとすれば、現代の恐竜学の観点からするとちょっとした齟齬があることぐらい、どうでもいいことではないか。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.209
(5pt)

雑誌連載でここまで書けるってすごい

本書を久しぶりに読んでいて、おやっ?と思ったことがある。調べると、本書の出版社を問わない初版は1966年。それなのに、本書には日本列島の地質の特殊性を記述するのに当時は一般的だったプルーム・テクトニクス理論ではなく、当時最先端の理論だった地向斜理論が使われている。当時を知らないからわからないが、かなり論難を受けることだったのではないだろうか?
筆者は「百合若大臣伝説の現代版」を書きたいと考えて本書を構想したという。ひょっとするととりとめのないアイデアのよせ集めになりかねないテーマをこのような時空序事詩にまとめたのは、筆者の構想力と取材のたまものであろう。だとすれば、現代の恐竜学の観点からするとちょっとした齟齬があることぐらい、どうでもいいことではないか。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.208
(4pt)

進化したコンピュータに対する幻想は50年前も今も同じ

この小説の主題と関係ないが、「同じ設計の電子脳でも、使用履歴により個性が生まれる」とか「コンピュータ同士を対話させる」なんていう話が出てくる(コンピュータのことを「電子脳」と言っている。この時期、「電子頭脳」とか「人工知能」という言葉もなかったようだ)。

ただし小松左京は、「コンピュータが独自の考えを持つ」というような陳腐な話はしない。ハードが同じでもプログラムが違えば、同じインプットでも違うアウトプットを生じるというような意味だろう。同じ頃に書かれた「2001年宇宙の旅」でHAL9000が人間を殺そうとするが、ACクラークの方が発想が普通の人に近いかもしれない。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.207
(4pt)

進化したコンピュータに対する幻想は50年前も今も同じ

この小説の主題と関係ないが、「同じ設計の電子脳でも、使用履歴により個性が生まれる」とか「コンピュータ同士を対話させる」なんていう話が出てくる(コンピュータのことを「電子脳」と言っている。この時期、「電子頭脳」とか「人工知能」という言葉もなかったようだ)。

ただし小松左京は、「コンピュータが独自の考えを持つ」というような陳腐な話はしない。ハードが同じでもプログラムが違えば、同じインプットでも違うアウトプットを生じるというような意味だろう。同じ頃に書かれた「2001年宇宙の旅」でHAL9000が人間を殺そうとするが、ACクラークの方が発想が普通の人に近いかもしれない。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.206
(4pt)

進化したコンピュータに対する幻想は50年前も今も同じ

この小説の主題と関係ないが、「同じ設計の電子脳でも、使用履歴により個性が生まれる」とか「コンピュータ同士を対話させる」なんていう話が出てくる(コンピュータのことを「電子脳」と言っている。この時期、「電子頭脳」とか「人工知能」という言葉もなかったようだ)。

ただし小松左京は、「コンピュータが独自の考えを持つ」というような陳腐な話はしない。ハードが同じでもプログラムが違えば、同じインプットでも違うアウトプットを生じるというような意味だろう。同じ頃に書かれた「2001年宇宙の旅」でHAL9000が人間を殺そうとするが、ACクラークの方が発想が普通の人に近いかもしれない。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.205
(5pt)

時空を越えて、意識を越えて。題名も素晴らしい。

海外の有名SFは色々読んだ。しかし、本作のスケール感には度肝を抜かれた。

太陽の異変から地球の最期が近づき、地球脱出から始まる果てしない追劇。

主人公野々村はいろんな星、いろんな時代へ逃げ続ける。

宇宙、時間、意識を超越していく縦横無人なストーリー展開、美しい描写力、作者の知識、圧巻の一言に尽きる。

余りの壮大な物語に、執筆当時、小松自身精神的肉体的にかなり追い詰めらていたようだ。

小松は終戦時は自らの命を国に捧げる覚悟をしていた少年で、その体験が根底に流れている気がした。

印象的だったのは、野々村が、過去に戻り、歴史や自らの存在消えることになろうとも、

人間の進化を促そうとする場面。そこには作者の、殺しあう人類への深い悲しみがある。

「我々の達成した知識、文明、認識を、大量に、先史時代へ持ちこむのです。ー私たちは、自然のルールに

したがって、徐々に試行錯誤を繰り返し、一つの認識に達してきた。ーだがその試行錯誤というものは、

いかに非効率であり、いかに多くの取り返しのつかない犠牲を払ってきたかー工業主義時代に入った19世紀

以降においてさえ、人間は、自分自身の姿になかなか気付かず、無益な自己破壊を繰り返し、のちには

地球の資源と自然を荒らし、ついには自分と地球とをメチャメチャにしてしまう一歩手前まで行った。

こうしてようやく達成された現代的認識を、知識文明を、もしもっと早い時代に持ち込みことができたら」P398

自分には理解の及ばないところもあったが、無限のように拡がる宇宙、過去から未来への壮大な時間の

中で、明日への希望、目に前にある小さな幸せの意味を感じた。

感想を文にすると、読後印象が陳腐化してしまうが、なんか視野が広くなった気がしてしまうのは自分だけか。

SFの素晴らしさを再確認した。SFほど作者に膨大な力量を要求する分野はないのではないか。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.204
(5pt)

時空を越えて、意識を越えて。題名も素晴らしい。

海外の有名SFは色々読んだ。しかし、本作のスケール感には度肝を抜かれた。

太陽の異変から地球の最期が近づき、地球脱出から始まる果てしない追劇。

主人公野々村はいろんな星、いろんな時代へ逃げ続ける。

宇宙、時間、意識を超越していく縦横無人なストーリー展開、美しい描写力、作者の知識、圧巻の一言に尽きる。

余りの壮大な物語に、執筆当時、小松自身精神的肉体的にかなり追い詰めらていたようだ。

小松は終戦時は自らの命を国に捧げる覚悟をしていた少年で、その体験が根底に流れている気がした。

印象的だったのは、野々村が、過去に戻り、歴史や自らの存在消えることになろうとも、

人間の進化を促そうとする場面。そこには作者の、殺しあう人類への深い悲しみがある。

「我々の達成した知識、文明、認識を、大量に、先史時代へ持ちこむのです。ー私たちは、自然のルールに

したがって、徐々に試行錯誤を繰り返し、一つの認識に達してきた。ーだがその試行錯誤というものは、

いかに非効率であり、いかに多くの取り返しのつかない犠牲を払ってきたかー工業主義時代に入った19世紀

以降においてさえ、人間は、自分自身の姿になかなか気付かず、無益な自己破壊を繰り返し、のちには

地球の資源と自然を荒らし、ついには自分と地球とをメチャメチャにしてしまう一歩手前まで行った。

こうしてようやく達成された現代的認識を、知識文明を、もしもっと早い時代に持ち込みことができたら」P398

自分には理解の及ばないところもあったが、無限のように拡がる宇宙、過去から未来への壮大な時間の

中で、明日への希望、目に前にある小さな幸せの意味を感じた。

感想を文にすると、読後印象が陳腐化してしまうが、なんか視野が広くなった気がしてしまうのは自分だけか。

SFの素晴らしさを再確認した。SFほど作者に膨大な力量を要求する分野はないのではないか。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782