果てしなき流れの果てに

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評判

果てしなき流れの果てにの評価:

4.22/5点 レビュー 120件。 B ランク

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平均点4.22pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全263件 201〜220 11/14ページ
No.63
(5pt)

これはもはや神の領域

人間の世界を超えた奥の院にある世界を体験できる凄まじい作品。小松左京以外の人には書けないだろう。千年残したい名作。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.62
(4pt)

小松先生 死なないで。

これを読むのは2度目。最初に単行本として出た1966年に読んでいる。44年ぶりか。
その前年SFマガジンに連載中、後半の数章には目を通していたはず。その時の自らの驚愕ぶり
ぶっとびぶりが、強烈な印象として長く記憶にとどまっていた。中3から高1の頃だから、理解でき
てないことも多かったはず。いつか再読しようと思っていたのだが。大学生の時に読めばよかった。

今度読み返してみて内容のほぼ80%は覚えてなかった。でも、鮮烈で衝撃的な、精神をひっくり返して
攪拌されるがごとき圧倒的な読書体験のようなものは望むべくもなかった。

初出の後書きで左京氏は、今回は準備不足であった、さらにスケールアップした続編を必ず
書く、と決意を述べており、私は何年もそれを心待ちにしながら、著書は確実にフォローし続けていたのだが。

しかし時を経て左京氏は「日本沈没」を書き、大ベストセラーとなり、さらに映画化など、メジャーな文化人
になりおおせたが、その後も私が待つ書物はついに現れることはなかった。

日本沈没のほうこそ、続編が刊行されている。しかし本人は執筆の労に堪えない状態であるので、プロジェクト
チームを作り、そこで纏め上げられた構想を別のライター(谷甲州氏)が執筆するという、かなり異例
の制作背景があるようだ。ちっとも話題にも上らなかったようだし、私も読んでないし、読む気もない。

小松先生、まだご存命のようなので、その法外なる頭脳がいかれちまう前に、また代筆を起ててもいいので、
果てしなき流れの果ての果てを、そのまた果ての、衝撃と興奮を待っています。
と、書いた少しのちに小松先生は亡くなられてしまった。合掌。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.61
(4pt)

小松先生 死なないで。

これを読むのは2度目。最初に単行本として出た1966年に読んでいる。44年ぶりか。
その前年SFマガジンに連載中、後半の数章には目を通していたはず。その時の自らの驚愕ぶり
ぶっとびぶりが、強烈な印象として長く記憶にとどまっていた。中3から高1の頃だから、理解でき
てないことも多かったはず。いつか再読しようと思っていたのだが。大学生の時に読めばよかった。

今度読み返してみて内容のほぼ80%は覚えてなかった。でも、鮮烈で衝撃的な、精神をひっくり返して
攪拌されるがごとき圧倒的な読書体験のようなものは望むべくもなかった。

初出の後書きで左京氏は、今回は準備不足であった、さらにスケールアップした続編を必ず
書く、と決意を述べており、私は何年もそれを心待ちにしながら、著書は確実にフォローし続けていたのだが。

しかし時を経て左京氏は「日本沈没」を書き、大ベストセラーとなり、さらに映画化など、メジャーな文化人
になりおおせたが、その後も私が待つ書物はついに現れることはなかった。

日本沈没のほうこそ、続編が刊行されている。しかし本人は執筆の労に堪えない状態であるので、プロジェクト
チームを作り、そこで纏め上げられた構想を別のライター(谷甲州氏)が執筆するという、かなり異例
の制作背景があるようだ。ちっとも話題にも上らなかったようだし、私も読んでないし、読む気もない。

小松先生、まだご存命のようなので、その法外なる頭脳がいかれちまう前に、また代筆を起ててもいいので、
果てしなき流れの果ての果てを、そのまた果ての、衝撃と興奮を待っています。
と、書いた少しのちに小松先生は亡くなられてしまった。合掌。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.60
(4pt)

小松先生 死なないで。

これを読むのは2度目。最初に単行本として出た1966年に読んでいる。44年ぶりか。
その前年SFマガジンに連載中、後半の数章には目を通していたはず。その時の自らの驚愕ぶり
ぶっとびぶりが、強烈な印象として長く記憶にとどまっていた。中3から高1の頃だから、理解でき
てないことも多かったはず。いつか再読しようと思っていたのだが。大学生の時に読めばよかった。

今度読み返してみて内容のほぼ80%は覚えてなかった。でも、鮮烈で衝撃的な、精神をひっくり返して
攪拌されるがごとき圧倒的な読書体験のようなものは望むべくもなかった。

初出の後書きで左京氏は、今回は準備不足であった、さらにスケールアップした続編を必ず
書く、と決意を述べており、私は何年もそれを心待ちにしながら、著書は確実にフォローし続けていたのだが。

しかし時を経て左京氏は「日本沈没」を書き、大ベストセラーとなり、さらに映画化など、メジャーな文化人
になりおおせたが、その後も私が待つ書物はついに現れることはなかった。

日本沈没のほうこそ、続編が刊行されている。しかし本人は執筆の労に堪えない状態であるので、プロジェクト
チームを作り、そこで纏め上げられた構想を別のライター(谷甲州氏)が執筆するという、かなり異例
の制作背景があるようだ。ちっとも話題にも上らなかったようだし、私も読んでないし、読む気もない。

小松先生、まだご存命のようなので、その法外なる頭脳がいかれちまう前に、また代筆を起ててもいいので、
果てしなき流れの果ての果てを、そのまた果ての、衝撃と興奮を待っています。
と、書いた少しのちに小松先生は亡くなられてしまった。合掌。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.59
(5pt)

宇宙とは何か、人間とは何か。若き小松左京、渾身の大傑作!

宇宙とは何か。人間とは何か。壮大なストーリーと該博な科学的知識に、ただただ、圧倒される。優れたSFは現代文学の代表作たり得ることを、実作を以って示した傑作!本好きとして、否、日本人として、否……「人類」として必読の書だ!
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.58
(5pt)

宇宙とは何か、人間とは何か。若き小松左京、渾身の大傑作!

宇宙とは何か。人間とは何か。壮大なストーリーと該博な科学的知識に、ただただ、圧倒される。優れたSFは現代文学の代表作たり得ることを、実作を以って示した傑作!本好きとして、否、日本人として、否……「人類」として必読の書だ!
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.57
(5pt)

宇宙とは何か、人間とは何か。若き小松左京、渾身の大傑作!

宇宙とは何か。人間とは何か。壮大なストーリーと該博な科学的知識に、ただただ、圧倒される。優れたSFは現代文学の代表作たり得ることを、実作を以って示した傑作!本好きとして、否、日本人として、否……「人類」として必読の書だ!
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.56
(5pt)

SF小説の名作!

本書を読み終えたら、是非とも初版を調べて見て頂きたい。
古い作品であることに驚くであろう。
しかし、内容はびっくりするほど新鮮で、最近の作品かと思うくらいである。
多くの要素がたっぷり組み込まれている。
一つの砂時計から話が始まるが、テンポがある展開が、読んでいて心地よく、本を手放せない。
この傑作は是非と読んで頂きたい。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.55
(5pt)

SF小説の名作!

本書を読み終えたら、是非とも初版を調べて見て頂きたい。
古い作品であることに驚くであろう。
しかし、内容はびっくりするほど新鮮で、最近の作品かと思うくらいである。
多くの要素がたっぷり組み込まれている。
一つの砂時計から話が始まるが、テンポがある展開が、読んでいて心地よく、本を手放せない。
この傑作は是非と読んで頂きたい。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.54
(5pt)

SF小説の名作!

本書を読み終えたら、是非とも初版を調べて見て頂きたい。
古い作品であることに驚くであろう。
しかし、内容はびっくりするほど新鮮で、最近の作品かと思うくらいである。
多くの要素がたっぷり組み込まれている。
一つの砂時計から話が始まるが、テンポがある展開が、読んでいて心地よく、本を手放せない。
この傑作は是非と読んで頂きたい。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.53
(5pt)

壮大なイマジネーション

時間ものSF。
ひとことで言えばそう言える。
しかし、このイマジネーションの大きさはどうだ!
こんな作品は若いときしか書けまい。

著者ももういい年齢になってしまった。
「日本沈没」からも40年近くが経とうとしている。
この作品が書かれた当時、科学の概念がどの程度だったのか、未来の展望がどのようだったのか、詳しくは知らない。
しかし、タイム・マシンの実現化は、確実に夢の中にあった。
現在では夢さえも見られない。
そんな時代だったからこそ、本作のイメージを著者が描くことができたのかも知れない。

「人類の進歩と調和」は夢と消えた。
著者の思い描いた未来に、我々は立っていないのかもしれない。
だからこそ、本作を今読む意味があると思う。

個人的には、最後に老人ふたりが静かに余生を送るところが好きだ。
彼女のそばに彼はいたのだろうか。
一生のうち、ピンポイントにでも彼は彼女を見に現れたのだろうか。
彼女の一生を思うと、読んでいて涙が浮かんでくる。

光瀬「百億の昼と〜」と並び称される作品である。
質・量ともに甲乙つけがたいが、私はこっちが好きだ。
広瀬「マイナス・ゼロ」を読んだときにも同じような感動を覚えた。
時間というものは、なぜか郷愁をさそうものだ。
おそらく、実際には二度と帰ってこないものだからであろう。
我々は、過去は振り返ることしかできないのであるから。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.52
(5pt)

壮大なイマジネーション

時間ものSF。
ひとことで言えばそう言える。
しかし、このイマジネーションの大きさはどうだ!
こんな作品は若いときしか書けまい。

著者ももういい年齢になってしまった。
「日本沈没」からも40年近くが経とうとしている。
この作品が書かれた当時、科学の概念がどの程度だったのか、未来の展望がどのようだったのか、詳しくは知らない。
しかし、タイム・マシンの実現化は、確実に夢の中にあった。
現在では夢さえも見られない。
そんな時代だったからこそ、本作のイメージを著者が描くことができたのかも知れない。

「人類の進歩と調和」は夢と消えた。
著者の思い描いた未来に、我々は立っていないのかもしれない。
だからこそ、本作を今読む意味があると思う。

個人的には、最後に老人ふたりが静かに余生を送るところが好きだ。
彼女のそばに彼はいたのだろうか。
一生のうち、ピンポイントにでも彼は彼女を見に現れたのだろうか。
彼女の一生を思うと、読んでいて涙が浮かんでくる。

光瀬「百億の昼と〜」と並び称される作品である。
質・量ともに甲乙つけがたいが、私はこっちが好きだ。
広瀬「マイナス・ゼロ」を読んだときにも同じような感動を覚えた。
時間というものは、なぜか郷愁をさそうものだ。
おそらく、実際には二度と帰ってこないものだからであろう。
我々は、過去は振り返ることしかできないのであるから。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.51
(5pt)

壮大なイマジネーション

時間ものSF。
ひとことで言えばそう言える。
しかし、このイマジネーションの大きさはどうだ!
こんな作品は若いときしか書けまい。

著者ももういい年齢になってしまった。
「日本沈没」からも40年近くが経とうとしている。
この作品が書かれた当時、科学の概念がどの程度だったのか、未来の展望がどのようだったのか、詳しくは知らない。
しかし、タイム・マシンの実現化は、確実に夢の中にあった。
現在では夢さえも見られない。
そんな時代だったからこそ、本作のイメージを著者が描くことができたのかも知れない。

「人類の進歩と調和」は夢と消えた。
著者の思い描いた未来に、我々は立っていないのかもしれない。
だからこそ、本作を今読む意味があると思う。

個人的には、最後に老人ふたりが静かに余生を送るところが好きだ。
彼女のそばに彼はいたのだろうか。
一生のうち、ピンポイントにでも彼は彼女を見に現れたのだろうか。
彼女の一生を思うと、読んでいて涙が浮かんでくる。

光瀬「百億の昼と〜」と並び称される作品である。
質・量ともに甲乙つけがたいが、私はこっちが好きだ。
広瀬「マイナス・ゼロ」を読んだときにも同じような感動を覚えた。
時間というものは、なぜか郷愁をさそうものだ。
おそらく、実際には二度と帰ってこないものだからであろう。
我々は、過去は振り返ることしかできないのであるから。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.50
(4pt)

幼年期の終わりは始まりだった

読むのに一番苦労したのは、第九章「狩りの終末」である。時空を無視した(股にかけたともいう)壮大な反進化と進化抗争の末に、反乱者は行(エン)の行者や果心居士やニュートンでしたでは、ここまで来て半村良かよ、と正直脱力した。「家畜人ヤプー」の後半の失速にも似ている。作者自身も追跡者マツラの口を借りて、―なんと(君たちは)みみっちくなってしまったのだ。宇宙の全秩序を律するものに叛逆をくわだてたルキッフの徒の裔が、一つまみの人間の反抗を組織するのか―と失望の弁を記している。しかしながら・・・

 内容は、小松流「幼年期の終わり」みたいだ。地球が熱死に至る直前、超高度生命体が地球人の一部をすくい、さらなる進化の階梯に導こうとする。しかし、進化の実体、正体は、「人間」を完全に放棄(または個の破棄・脱却)するという、無慈悲極まりない(非人間的なもの)だった。その高度生命体にしても、仕事でやっているに過ぎず、さらに上階があるらしい。彼らが受け持っている「進化」は、その上位の計画(趣味?)で、一種の果実の生育や取り入れ、気に入った盆栽つくりのようなもので自然にまかせたものではないようだ。

 宇宙の正体はわからないままだった。存在することの意味は、生きるという意味とは違うらしい。ここまで来ると「神」という概念を思い起こさせるが、本書にその言葉はない。「神」もたぶん進化の階梯の最終段階ではないのだろう。生命の意味ははたして多元宇宙的次元にとってどんな意味があるのか。進化の反逆者ルキッフとは誰か。進化の果てには何が。答えは示されてはいなかったように思う。

 この小説が宗教的奇書としてではなく、SF「文学」の傑作として残っているのは、読む者に「百億の昼と千億の夜」同様に「虚無」という言葉を思い知らせるところなのかもしれない。極北の想像力であり、限界かとも思える。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.49
(4pt)

幼年期の終わりは始まりだった

読むのに一番苦労したのは、第九章「狩りの終末」である。時空を無視した(股にかけたともいう)壮大な反進化と進化抗争の末に、反乱者は行(エン)の行者や果心居士やニュートンでしたでは、ここまで来て半村良かよ、と正直脱力した。「家畜人ヤプー」の後半の失速にも似ている。作者自身も追跡者マツラの口を借りて、―なんと(君たちは)みみっちくなってしまったのだ。宇宙の全秩序を律するものに叛逆をくわだてたルキッフの徒の裔が、一つまみの人間の反抗を組織するのか―と失望の弁を記している。しかしながら・・・

 内容は、小松流「幼年期の終わり」みたいだ。地球が熱死に至る直前、超高度生命体が地球人の一部をすくい、さらなる進化の階梯に導こうとする。しかし、進化の実体、正体は、「人間」を完全に放棄(または個の破棄・脱却)するという、無慈悲極まりない(非人間的なもの)だった。その高度生命体にしても、仕事でやっているに過ぎず、さらに上階があるらしい。彼らが受け持っている「進化」は、その上位の計画(趣味?)で、一種の果実の生育や取り入れ、気に入った盆栽つくりのようなもので自然にまかせたものではないようだ。

 宇宙の正体はわからないままだった。存在することの意味は、生きるという意味とは違うらしい。ここまで来ると「神」という概念を思い起こさせるが、本書にその言葉はない。「神」もたぶん進化の階梯の最終段階ではないのだろう。生命の意味ははたして多元宇宙的次元にとってどんな意味があるのか。進化の反逆者ルキッフとは誰か。進化の果てには何が。答えは示されてはいなかったように思う。

 この小説が宗教的奇書としてではなく、SF「文学」の傑作として残っているのは、読む者に「百億の昼と千億の夜」同様に「虚無」という言葉を思い知らせるところなのかもしれない。極北の想像力であり、限界かとも思える。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.48
(4pt)

幼年期の終わりは始まりだった

読むのに一番苦労したのは、第九章「狩りの終末」である。時空を無視した(股にかけたともいう)壮大な反進化と進化抗争の末に、反乱者は行(エン)の行者や果心居士やニュートンでしたでは、ここまで来て半村良かよ、と正直脱力した。「家畜人ヤプー」の後半の失速にも似ている。作者自身も追跡者マツラの口を借りて、―なんと(君たちは)みみっちくなってしまったのだ。宇宙の全秩序を律するものに叛逆をくわだてたルキッフの徒の裔が、一つまみの人間の反抗を組織するのか―と失望の弁を記している。しかしながら・・・

 内容は、小松流「幼年期の終わり」みたいだ。地球が熱死に至る直前、超高度生命体が地球人の一部をすくい、さらなる進化の階梯に導こうとする。しかし、進化の実体、正体は、「人間」を完全に放棄(または個の破棄・脱却)するという、無慈悲極まりない(非人間的なもの)だった。その高度生命体にしても、仕事でやっているに過ぎず、さらに上階があるらしい。彼らが受け持っている「進化」は、その上位の計画(趣味?)で、一種の果実の生育や取り入れ、気に入った盆栽つくりのようなもので自然にまかせたものではないようだ。

 宇宙の正体はわからないままだった。存在することの意味は、生きるという意味とは違うらしい。ここまで来ると「神」という概念を思い起こさせるが、本書にその言葉はない。「神」もたぶん進化の階梯の最終段階ではないのだろう。生命の意味ははたして多元宇宙的次元にとってどんな意味があるのか。進化の反逆者ルキッフとは誰か。進化の果てには何が。答えは示されてはいなかったように思う。

 この小説が宗教的奇書としてではなく、SF「文学」の傑作として残っているのは、読む者に「百億の昼と千億の夜」同様に「虚無」という言葉を思い知らせるところなのかもしれない。極北の想像力であり、限界かとも思える。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.47
(5pt)

何度も読んでしまう。

何度も読んでしまう。単純に面白い。
1965年に書かれたものであるが、まるで一片の古さも感じない。
描写がすばらしく、風景、人や物の造作、見たこともないはずの「モノ」であるのに、何故か脳裏に浮かぶ。
言いすぎかもしれないが、最終章でさえもぼんやりとイメージが浮かぶ。
そして、何故か感動し涙腺が緩む。
人間は儚く、ちっぽけな存在だが、一人一人の愛情・人生は時空を超えたところにあり、悲しくも素晴らしいと思える。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
B000JA9Y9E
No.46
(5pt)

何度も読んでしまう。

何度も読んでしまう。単純に面白い。
1965年に書かれたものであるが、まるで一片の古さも感じない。
描写がすばらしく、風景、人や物の造作、見たこともないはずの「モノ」であるのに、何故か脳裏に浮かぶ。
言いすぎかもしれないが、最終章でさえもぼんやりとイメージが浮かぶ。
そして、何故か感動し涙腺が緩む。
人間は儚く、ちっぽけな存在だが、一人一人の愛情・人生は時空を超えたところにあり、悲しくも素晴らしいと思える。
新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33) Amazon書評・レビュー: 新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫 こ 1-33)より
4758441782
No.45
(5pt)

何度も読んでしまう。

何度も読んでしまう。単純に面白い。
1965年に書かれたものであるが、まるで一片の古さも感じない。
描写がすばらしく、風景、人や物の造作、見たこともないはずの「モノ」であるのに、何故か脳裏に浮かぶ。
言いすぎかもしれないが、最終章でさえもぼんやりとイメージが浮かぶ。
そして、何故か感動し涙腺が緩む。
人間は儚く、ちっぽけな存在だが、一人一人の愛情・人生は時空を超えたところにあり、悲しくも素晴らしいと思える。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)より
489456369X
No.44
(5pt)

小松先生はすごい。

何度読み返したかわからない。ともかくすごい。素晴らしい。

中生代の世界にぽつんとあった機械。現代日本では、発掘された普通ではない砂時計を前にとまどう学者達。古墳に見える不思議な存在。主人公野々村の行方不明事件。待ち続ける佐世子。100ページすぎたところでそれから年数が経ち、人々は死に、事件は風化し、一度話は終わり、そして第三章からいよいよ話の始まり、未来世界に。入り組んだ時空間。砂時計や古墳の謎がわかってくる。そして、野々村の秘密も。そして最後。また現代日本に戻る。野々村を待ち続けて老いた佐世子の世界に。

小松先生はすごい。ちなみに、日本沈没の第三部とおぼしきエピソードがこの中に出てくる。
果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ) Amazon書評・レビュー: 果しなき流れの果に (1966年) (日本SFシリーズ)より
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