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(短編集)
ロマネ・コンティ・一九三五年
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ロマネ・コンティ・一九三五年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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〇 生前マスメディアに登場することが多かった開高さんは、純粋な文学者ではないように思われて読む気にならなかったのだが、山崎正和さんによる表題作の書評に出会ったので、念のためにという軽い気持ちで読んでみた。 〇 読んでおどろいた。色彩、密度、重量、強さ、手応え、そんなものがみっしりと詰まった文体で、この重量級の文章にすっかり魅せられた。退廃を描いてもシニカルにならない熱量がある。ひとことで言ってしまえば充実している。 〇 収録されている6篇の短篇はそれぞれ独立した作品だが、各篇とも中心となる物語にもうひとつのエピソードが絡む凝った作りになっていて、この対位法が単純なストーリーに複雑で精妙な味わいを生んでいる。 〇 美点をあげればまずは文章。そのほかにも読者を退屈させない物語の展開の速さ、洒落た会話の使い方、念入りな人物の描写があげられる。読者にたいするサービス精神もたっぷりで、ポンと放り出すように物語を閉じて読者に宙ぶらりんの居心地のわるさを味合わせる身勝手などはしない。 〇 この作家は当たり前のものではないものを描くところで力を発揮するようで、登場人物では作者によく似た異形の怪人がとても魅力的だ。だから東京でのサラリーマン生活をえがく「黄昏の力」よりは、北海道の釣りをえがく「渚にて」のほうがおもしろいし、それよりもベトナムや香港やパリを舞台にした「玉、砕ける」「飽満の種子」「貝塚をつくる」や表題作のほうがさらにおもしろい。 | ||||
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言うまでもなく、開高氏の作品の中でも大変面白い作品だと思います。3度目となる読破です。 | ||||
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他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
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開高健氏の最も円熟した時に書かれた短編集。中の「玉、砕ける」を再読したくて、購入。何気ない描写のうちに、世界の不穏な状況が浮かび上がる。見事だなと、唸る。神は細部に宿ると言ったのは、開高健氏なのかな?その言葉を見事に実践していると感じました。 | ||||
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主題、文体、挿話……、すべてにわたって卓越している。川端康成賞、受賞作含む。 | ||||
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問題ありません | ||||
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ロマネ・コンティの輪郭が分かる | ||||
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大人の本です。濃厚で、何度も読みたくなります。特に女の描写が独特 それはそうですよね。有名コピーライターでもあるのですから。 | ||||
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今読み始めていますが、相変わらず繊細で洒落た文章に酔いしれています、何よりこれほどの天才が今はもうこの世に居られない事が残念でなりません | ||||
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遊び半分で、この作家は何がベストだろうと考えてみることがある。 例えば、「漱石なら、やっぱり笑える坊ちゃんがいい、」、「司馬遼太郎は花神かな、いやいや他にある」、「高村薫はマークスの山に尽きるなあ」そういう脳内遊びを楽しんでいる。 『夏の闇』にしようか『輝ける闇』にしようか、あるいは引き分けにしようかとも、など考えていたが、タイトな短編、『玉、砕ける』を選択した。 開高の本質は詩人である、と私は見る。というか詩そのものだろう。 ──彼はアーマライト銃の引金に指を掛けて鋭くあたりを見まわしつつ歩いて行った。強大な腰を右にひねり、左にひねり、彼は全身汗にまみれ、かるがる木の根株をまたいだり、茂みに潜ったりして進んでいった。── 『輝ける闇』だが、斯くの如く開高の描く人物は実に「右に左に、○○したり、△△したり」するのである。特長でもあるのだが、時にくどく、短所にもなる。したがってどうしても彼の代表作たる闇二編から選ぶことは出来なかった。 ──レストランへ行ってもすみっこに壁にぴったりくっついてすわるか、日本人同士いっしょになってすわるかしないことには安心できないらしいし── 『夏の闇』で‘女’が言うセリフなのだが、もうこういうこともないだろうと思う。野球選手しかりサッカー選手しかり、宇宙飛行士でも一人で海外へ行く時代。古いと感じたからである。 さて、老舎の死を題材にした『玉、砕ける』。小者が読んだのは高校二年生だったろうか。まだ老舎を知る前である。大学(中国文学)を卒業するくらいの時にはっと思い出した。開高のあの小説は老舎について書いてあったんだ、と。本編の持つ良さも高校生には理解しがたかった。 今再読してみるといいねえ。短編に開高の文学がぎゅっと濃縮されている。 日本に帰る途中(帰国が嫌なので、「日本に帰ると身体に黴が生える」と表現している)、香港に寄る。地元の作家と老舎のことを話す。風俗(性風俗ではない)で、垢を摺り落としてもらうのだが、三助?が摺った垢を球体にして呉れる。香港から飛行機に乗ろうとしたとき、老舎が殺されたことを知る。たったそれだけの話。だが、文章に何とも言えない艶がある。 文中から引用する。 ──初老だけれども迫力のある、炸(はじ)けたような、流暢な日本語 ──ネギ、白菜、芋、牛の頭、豚の足、何でもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮立てる。 ──私は重力を失って、とろとろと甘睡にとけこんでいく。 開高らしさで溢れている。 さらに、中国人の是か非かはっきりしない様子を馬馬虎虎(マーマフーフ)と言うのだが、「あいまいであることをハッキリ宣言している」という記述。 また 『四世堂々』よりも『駱駝祥子』の方が上であり、その理由を「ヒリヒリするような辛辣と観察眼とユーモア」と述べているが、ずばり本質を突いている。四世堂々はいささか共産党に配慮した記述が見受けられる。 中国文学を経験した上では身にしみる言葉である。そういう私的な力学も加わって、開高健ベストはこの一編を選んだ。開高文学のエッセンスが詰まった傑作だ。 | ||||
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熟成された文章に唸らされる。 憧れの開高ワールドを堪能したいなら、この本と『裸の王様』『地球はグラスのふちを回る』がオススメ! 偉人だったよなあ。 会って話をしてみたかった。 井伏鱒二との対談はNHKで見たことがあるけれど いろいろ話を聞いてみたかったな… | ||||
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ロマネ・コンティ家をして「保有していないけれど、このエッセイでその物のテイストが理解できた」と言わしめたテイスティング力、さすが開高健。 | ||||
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青春時代に読んだ男の美学を 勉強できる。 ワインから女性、ご法度の嗜好品まで日常で味合うことが出来ないことを想像し、体験したような気分になれる。 文庫本から電子書籍、もっと種類を増やしてほしいね、開高健。 | ||||
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じっくりと吟味され練り上げられた、言葉のタペストリーとでも言いたくなるような緻密な文体に圧倒された。 中身を一言で現すなら開高健の欲望の渉猟記と言ってよいと思う。 ここには思想も何も無い。 ただひたすら欲望を追い求めることに集中している。 ある意味、この上なく下品な作品集だという言い方もできるかもしれない。 欲望を追い求めることへの烈しい執着が、熱風が吹き付けてくるようにそれぞれの作品から伝わってきた。 | ||||
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開高健「ロマネ・コンティ・一九三五年」です。酒・阿片・食・釣といった物語で構成されている短編集。鋭い切れ味とこれまでもかといった文章で描かれている作品。どの作品も深い芳香が読後に残る。結論はすべて読者に任されている。どう捕らえようが読者の自由。ただ僕達はその鋭い文体を感じるだけでよい。 人間の欲望に純粋に忠実な物語たち。この世界を理解できない男達は人生の楽しみを永遠に理解できないだろう、と作者は言っているかのよう。彼の世界感を全ては共感できないかもしれないが、男の生き方を追求した作者の人生観を手にとってみるだけでも良いのではないでしょうか。 | ||||
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開高健さんにハマルきっかけになった1冊です。内容、文体、描写、言葉の使い方、どれをとっても好きです。ワクワクしながらページを捲っていったのを覚えています。私は20代ですが、世代によって評価が変わるということはないと思います。もっと普遍的な素晴らしさを感じます。 | ||||
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開高健がデビューした時には、同時期にデビューした大江健三郎と比較された。 ちょうどカミュとサルトルのように。 私は開高はカミュ、大江はサルトルだと思っている。 大江はノーベル文学賞を受賞したが、文学的には常に実験作を作り続け、将来その作品は一部の作品を除くと未完成と評価されるのではないか。 一方の開高は早く亡くなり作品も多くないが、その作品は一字一句彫琢され、完璧なものである。 しかし、読み手が書き手と物語を作り上げていく作業が必要なために、ゆっくり繰り返し読まなければならないため、なかなか評価されない。 近代以降の文学者の中でそのような性格を持っていたのは、有島武郎と太宰治だけである。 若い頃太宰治を好きだった人は年を取ってから開高を好きになると思う。 言葉も一字一句選れびぬかれている。書き飛ばしているように見える太宰治も実は言葉にこだわった人だ。 時代背景がわからなければ意味がないとか、中身が無いのではないかという人は、フェルメールの絵を見て、針仕事やミルクを汲む仕事などという題材自体がつまらないと言っているのと同じである。 何が書かれているかではなく、どう書かれているかが大事。 太宰治と同じように、開高は読者の耳元でささやいているのだ。生きていることだけでも感動があるのだと。 この短編集はそんな開高の最も良い部分だけを抽出した作品だけを集めている。 | ||||
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1978年に出た単行本の文庫化。 「玉、砕ける」、「飽満の種子」、「貝塚をつくる」、「黄昏の力」、「渚にて」、「ロマネ・コンティ・一九三五年」の6つの短編小説が収められている。 テーマとしては、酒、食、アヘン、釣り。著者が実生活やノンフィクションで追い続けたものばかりだ。あれが昇華されると、こうなるのかという意味で興味深く読ませてもらった。 小説としての評価はどうなのだろうか。雰囲気と余韻はある。しかし、味わうべきは文章そのもの。内容よりも、一文一文をたどっていくことに価値のある本だろう。 | ||||
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開高健と聞いても知らない方が多いでしょう。グルマンにして異彩のコピーライターにして、文筆家にして冒険家。という氏を知る年代にとっては青春時代の思い出とともに懐かしく読まれるでしょう。 その開高氏の書いた短編随想集です。 一方、ベトナム戦争を知らない世代にとっては、時代背景というかコンテキストが分からないので、本書の真価が理解出来ないと思います。 60代以上の方なら星4つ、40代以下なら評価は厳しいものがあります。 | ||||
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