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黒衣の女 ある亡霊の物語
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黒衣の女 ある亡霊の物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全22件 1~20 1/2ページ
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1983年作、日本での翻訳は87年です。映画「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」の存在を知り、ひょっとして何十年も前に読んだ本書の映画化では?と思ったらやっぱりそうでした。映画鑑賞後、原作はどうだったかと改めて再読してみました。 前に読んだ時は「暗いばかりでインパクトのない話だなあ」と思い、本を捨てようかどうしようか迷ったもののとりあえず残しておいたという記憶しかなく、思えば若い時はもっとスリリングな話を求めていたのかもと思います。年を重ねると、このしみじみとした穏やかな良さがわかるようになりました。 ホラーを読んでしみじみとか穏やかという言い方もおかしいですが、こちらは現代的なホラーと言うよりは、幽霊譚、怪奇小説、ゴシック小説といったクラシックな呼び方の方がしっくりきます。 著者はホラー作家ではなく、純文学やドラマの脚本、英国の風物詩や料理に関するエッセイなどを書いている方で、英国人が理想とする郊外の自然豊かな田舎暮らしをされています。ご主人がシェイクスピア学者だというのもいかにもそれらしいです。 物語はどうやら著者が生まれた英国ヨークシャー地方を舞台にしているようです。主人公の若手弁護士が向かう北海に近い辺鄙な村にある”うなぎ沼の館”は、村から少し離れて、周辺には足を取られたら二度と抜け出せない広大な砂洲と沼沢地が広がっています。館と村を繋ぐのは細い1本の道だけ。その道も日暮れ以降の満潮時には水に沈んでしまいます。 このあたりの風景描写がとても美しく、灰色の沼地と砂洲の河口と空しか見えない茫洋とした空間に、風の音しか聞こえない圧倒的な静寂。荒涼とした風景ながらその孤高の美に主人公は魅了されてしまいます。が、そこには過去の悲惨な出来事とそのことからくる激しい憎悪、永劫に続く恨みがとりついていることを彼は知らず・・。 老婦人が長年たった1人で暮らしていたほどほどに裕福そうな、けれどほこりを被った部屋の数々、開かずの間から聞こえてくる音、館のそばの崩れた修道院跡と一族の墓地。英国の伝統的なゴシック・ストーリーの系譜を継ぐにふさわしい舞台設定です。 英国恐怖映画の老舗ハマー・フィルムが映画化を決めたというのも納得です。 原作と映画では内容や設定が少し違っています。が、映画のラストがあやふやでいまひとつだったのに対して、原作の方が筋が通っていると思いました。このようなクラシックな怪奇小説の良さがもっと知られてほしいです。 | ||||
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古いお屋敷に起きる怪奇現象をしっとりと描いた典型的な英国ゴーストストーリー。 家主が死して遺産の整理にきた弁護士が、夜になると離れ小島と化す屋敷の中でひとりきりの日々を過ごすのだが、派手に恐怖を煽り立てるものではない。主人公を暴力的に攻撃するのではなく、じわじわと不可思議な現象が積み重なって、精神的に追い込んでいくのだ。 村人たちが黙して語らない黒衣の女は何者か。 この手のゴシックホラーは、如何に脳内で恐ろしさを増幅できるかを楽しむにがコツだろう。ラストはしっかり怖い思いをさせてくれる。 | ||||
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物語の骨組だけを取ってみると、よくある正統派の怪談だけれども、描写で読ませるというのだろうか。自然に物語に引き込まれていく。何にもまして、お化けが怖い。これがすべてという感じがする。お化けそのものの怖さは、理屈っぽい西欧の作家さんではなかなか出せない。最近の日本のホラー映画のようなと表現したらよいのか。なお、本書の映画版もまた、昔なつかしい正統派のホラー映画に仕上がっているが、お化けそのものはまったく怖くない。 | ||||
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風景描写がとても素晴らしいです。 誰もが一度はもっていたかもしれない感性 ― 街を吹き抜ける風の匂いや、草木がさらさらと揺れている音にじっと聴き入った頃の感性 ― をそのまま文章で表した文体。 メアリー・シェリー著『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』では、次々と起きる凄惨な出来事の対比とでも言うように豊かな山々や自然風景が描かれていましたが、本作でも時折見られるそうした豊かな田園風景の描写が『うなぎ沼の館』と『黒衣の女』にまつわる出来事の陰鬱さや息苦しさをより強調しています。そしてそれまでの文体とは正反対のように、レポートのような淡々とした印象の記述で読み手に突き付ける結末・・・。 スーザン・ヒルの手腕に翻弄されっぱなしでした。 ゴシック小説、怪奇小説、幻想小説・・・その手のジャンルが好きな方はほとんど読んでいるかもしれませんが、未読な方がいるのならぜひおススメです。 ハマーフィルムの映画版『ウーマン・イン・ブラック』とシナリオ的に相違点もあるのでどちらか片方しか触れていない方も映画版・原作の両方を手にとってはいかがでしょうか。 | ||||
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ダニエル・ラドクリフ主演の映画を観た後に、気になって購入しましたが、正直映画よりもこちらの方が好みでした。 まず物語のロケーションが素晴らしく、淋しい墓地やひっそり佇む廃墟など、黒衣の女が立っている場面が容易に想像出来ます。 次いで、町の人々の態度なども映画とは違い、映画版鑑賞後でも十分に楽しめます。 また、人物に感情移入しやすく、人ひとり犬一匹と言う状況の心細さなどもリアルに感じられました。 どこまでも追いかけてくると言う恐怖感を見事に書き上げた一冊だと思われます。 | ||||
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自分から奪われた、どうしても手に入れねばならぬ何かを探し求めているような表情で、だれにせよ、それを奪った者に対し、ありったけの力を込め、心の底からの悪意と憎しみと嫌悪を向けている。 弁護士事務所の仕事で訪れた先で、このような視線を受けた主人公の「わたし」が理不尽に呪われてしまうという、1983年発表のイギリスにおける伝統的正当派ともいうべきゴーストストーリーで、著者スーザン・ヒルはスティーブン・キングなどからもリスペクトされている作家です。 その場所に行ったというだけで、何の落ち度もないのに、何の関係もないのに、理不尽に呪われてしまい、その場所から遠く離れ、時間がたとうとも、その呪いからは逃れられないという恐怖は、「呪怨」などを思い出させますが、派手さはなく、様々なホラー作品にとっての古典とも言える正当派としての格調の高さを感じさせます。 ただ、私が本書で一番感心したのは、テリア犬スパイダーの存在です。 この小さな犬の存在が主人公「わたし」にとってどれだけ大きなものであったのか、この犬の描写が実に上手く描かれており、主人公がその存在に感謝する気持ちがとても理解できます。 「わたし」にとってスパイダーはこの上ない相棒です。 館のどこかでゴトリと音がする。 私が得も言われぬ恐怖におびえるときも、人間よりも敏感な犬のスパイダーがぴくりと反応し、そしておびえている姿を見ることで、逆に「わたし」自身気をしっかり持たねばという気持ちになり、ある程度気力を奮い起こすことができるのです。 それだけに、このなんとも恐ろしく寂しい場所で、これほどまでに「わたし」になぐさめと元気を与えてくれた、勇敢で利口な小さな生き物スパイダーが危険にさらされたとき、「わたし」は命がけで助けてやろうとします。 そういったスパイダーの存在が、本書全体の魅力を高めているように感じます。 | ||||
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英国の気品漂う、伝統的ゴシックホラー。 1983年の作品ながら100年くらい昔の小説を読んでいるみたいだ。 今風の仰々しいホラーではない。 静かなる恐怖とでもいおう。 じわじわと心の深遠を蝕んでいく恐ろしさがある。 次の日になるとあっけらかんと忘れてしまう恐怖ではない。 しばらくは抜けきれない、軽いトラウマを残す作品である。 | ||||
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2014年初頭に「ヴィレッジブックス」より出版されたミステリ、サイモン・セレイラー警部シリーズ第一作「丘」の英国人ベテラン作家スーザン・ヒルが描き出した極上の恐怖小説である。読者の背筋を冷やす本物の恐怖小説は、実力作者による文章と描写力にある。本書での舞台となる「うなぎ沼の館」が建つ郊外の情景は<空はむくんだようなようにふくれ上がり、雨雲が走り、すべてが色彩も生気もなくくすみ、>と見事な描写で描かれる。 物語はクリスマスの夜<わたし>が妻のエズメと「修道士の館」で開かれるクリスマスパーティーへ出かけ、この日にふさわしいいつもの怪談会が始まる。 しかし<わたし>は過去に<世にも恐ろしく魂も凍りつくおぞましい>体験をしていたのだ。 その記憶に呼び戻されるように、物語はあの恐ろしい過去へとさかのぼる。 <わたし>は23才のとき弁護士をしており依頼を受けて、亡くなった郊外の沼地に一人住んでいた老女の遺産問題を調査するため「うなぎ沼」とよばれる地方へ一人赴く。 「アリス・ドヴロウ夫人」の葬儀は参列者もごくわずかで、陰気でささやかな寂しいものだった。 しかし葬儀が終わるころ<わたし>はもう一人の参列者の姿を見たのだ。<彼女>は古いスタイルの喪服を着ていたが、その容姿は極端に白い肌、骨の上にはりついたような皮膚、<目も顔の奥へ落ち込んだように見え、両手もまるで飢餓のえじきになったかのように青白くこけている>年は30そこそこの女だった。 痛ましい姿をした「黒衣の女」がふと視界から消えた後、今度は柵の向こうからこちらを見つめる20人子供たちが見える。 大きな目をまん丸に見開いてこちらを見ているのだ。 ドラブロウ夫人の住んでいた家「うなぎ沼の館」へ向かう途中でもこの地の人々は、かの地は<沼だらけで塩水におおわれ、まるきり水はけもゆかんような>土地だと言い、皆いわくありげに何かを隠しているようなもどかしさをもっている。 しかし<わたし>の目にまわりの景色は、<得も言われぬ驚くばかりの美しさと、何一つさえぎるもののないひろがり>を感じさせるすばらしい風景の中に突然、<スレート屋根で灰色の石造りの荒涼とした丈の高い館が見え>ついに<わたし>の「うなぎ沼の館」での一日がはじまる。 館での一晩は恐怖のつるべ打ちであり、ショックの連打である。 <わたし>が感じる「敵意」と「憎悪」とはげしい「恨み」はどこからくるのか。 その答えはエピローグで語られる。それはあまりにもストレートな描写による非情な結末で読者を慄然とさせ、暗澹とした暗く哀しい余韻を残す。 現代恐怖小説にゴシックテラーを復活させた傑作である。 | ||||
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本書を読むきっかけになったのは、2012年12月に日本劇場公開となった映画「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」を鑑賞したことにあります。 この映画、ホラーとしては、「古き良き怪奇映画」の趣ではありましたが、個人的には好印象で、鑑賞後、原作があることを知りました。 本作品発表は、1983年と、比較的新しいにも関わらず、設定を20世紀初頭のイギリスに置いているのは、伝統的なゴシック・ホラーを意識してのことであったと思われます。 映画を観ているため、物語の中心的な部分は知っていたわけですが、それでも、一気読みに近い読み方をしてしまいました。 「読み終わるのがもったいない」小説といえます。 本作品の最大の特徴は、亡霊を見た者に襲いかかる「恐怖の内容」でしょう。 それは、「ある立場」の人にとっては、これほど怖いものはないというものです。 その「ある立場」は多くの方が体験するし、体験していなくても、怖さは実感できるのではないかと、考えられます。 日本にも類似の怖さを持った、妖怪や化け物はいますが、ここまで、徹底されると、とても不気味です。 亡霊のすさまじい執念が感じられます。 物語の結末については、映画より原作の方が、ストレートな感じ。 でも、これは原作があまりに評価が高いため、映画製作サイドは、何とかそれを超えようという工夫を凝らしたためと思われます。 映画と原作小説は、別物なので、それぞれ違った味わいがありますが、私は、両方とも楽しむことができました。 ホラー小説が特に好きということでなくとも、エンタテインメント系全般を抵抗なく読める方であれば、大いにオススメしたい小説です。 | ||||
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その作品とは鈴木光司の「リング」です。 鈴木氏がこの小説を読んでいたかは分からないし、「リング」の方が大分後の出版だけど、以下のような共通点があります。 自らや子供の死の原因となった人物以外にも誰彼構わず向けられる怨念。終盤、全てが解決したと思った所に最後の最後でガツンと来る構成。そして個人的に、数こそ多くは無いけど今まで読んで来たホラー小説と言われるものの中で、本気で最後に「ゾワッ」とさせられた作品もこの二つだけなのです。 「リング」と比べると話はやや退屈で、外国が舞台という事もあり途中まではあまり怖さは感じませんが、読後の何とも言えない不安感を求めている方にはお薦め出来ます。 ああ、あとひとつ、作者の傑作をひとつ挙げろと言われたら、どちらもこの作品になるという共通点もありました。(失礼ですみません) | ||||
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この作品、初めて読んだのは20年程前で。 当時はキングを始めホラー小説を好んで読んでいた。でも、深く深く心に残っているのはこの 「黒衣の女」である。とても静かに、しかし しっかりと気温や湿度を感じ物語は進んで行き、 最後のページが終わってもまだ、鳥肌が収まらない。 身体の芯が冷えていく様な恐怖。 秀作です。 | ||||
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亡霊とか幽霊とか信じないけれども、この世で理不尽な扱いを受けて泣く泣くあの世に逝った人間の気持ちを思うと、このような復讐もありだと思いますが。それにしてもイギリスの自然の情景描写が素晴らしいと思います。生きている間に行って見たいと思いました。 | ||||
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本を開いてすぐ、導入部から興味をそそられテンポよくすすむのであきない。 背景や人物描写がうまいせいか場面が容易に浮かんできて楽しい。 それからどうなる、どうなると早く先を読みたくなりミステリーとしてとても楽しめる一冊だ。 | ||||
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英国の代表的なホラー小説です。 内容的には、怨念を中心とした日本の「怪談」にも通じるものがあり、日本人にとっては非常に受け入れやすい読み物の様に思えました。 作者のスーザン・ヒルは、「ねじの回転」「クリスマス・キャロル」を何度も読みながら書いたと言われており、冒頭のクリスマス・イブから書き出されており、その設定はなかなか面白いと思いました。 更に、その描写は同じイギリス人のブロンテ姉妹の「嵐が丘」「ジェーン・エア」を思わせ、いかにもイギリスらしい暗く陰鬱な雰囲気が良く生きています。 やはり、このジャンルの古典と言える作品でしょう。 | ||||
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作者スーザン・ヒルは現代の作家ですがこの作品はモダンホラーでもコズミックホラーでもなく正統派のゴシックホラーです。 作者はホラー専門のジャンル小説家ではなく伝統的なイギリス文学の1形態としてゴシックホラーを書いたようで、 ラブクラフト以降のモダンホラーを読み慣れた自分にはとても新鮮でした。 舞台は20世紀初頭のイギリス沼沢地方のうらさびれた町及び沼の中に建つ邸。 そこで当時の風物がふんだんに濃密に描かれる中、怪異潭が悠然と語られます。 20世紀初頭のイギリスの描写が素晴らしいのでアガサ・クリスティ、ドロシー・セイヤーズ等、黄金期の推理小説が好きな方にもお勧めです。 また人物描写も良く、特に地主のデイリー氏はまさにジェントルマンそのもので、イギリスの中流階級の感じが非常に良く出ています。 ダニエル・ラドクリフ主演の映画の予習として読みましたが、とても読み応えがありました。 | ||||
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やっとこさ上映が決まった「ウーマン イン ブラック」(他国では既にディスクで販売もされている!)を観賞する前に原作を読んでおこうとKindle版で読みました。 内容に触れるのは野暮なので触れませんが、イギリスも同じ島国だからであろうか、実に日本的な陰鬱な怖さを感じました。 最後の訳者あとがきは映画をみようと思っている人は読まない方が良いでしょう。何気にネタバレしてます。読まなきゃ良かった。。。 | ||||
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いろいろ解説したい気もしますが、何よりもこの作品、怖いです。 じつは単純な物語なのですが、ラストで冒頭の一章が強烈に響いてくる構成の巧みさ。 ネタばれになりかねないので詳しくは書けませんが…… 読者が、ある条件を満たしていると、この恐怖に比肩するものはなくなります。 ほんとうに。 | ||||
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40年以上の前のことだったか、紀田順一郎さんの「怪奇小説には未来はない。だからこそそれを愛おしむのである」という文章を読んで、感心したことがあります。じっさい、中学生のころポーを読んで怖かったのは、作者が本気で、自分がカタレプシー(硬直症)で死んだと誤認され埋葬されることを恐れていたから。現代人の恐怖といえば、奇病やサイコティックや人造人間といったSF的なことになってしまう。シェリー夫人からラブクラフトへの路線がこれで成功を収めたが、ゴシックロマンス的設定では情報化時代にはリアリティが乏しく、「オワッタ」と思っていました。だから、1980年ごろ出版の本書の存在は聞き知っていても、手に取る気にはなりませんでした。 それが、こんな伝統的なゴースト譚が、こんなに面白かったなんて。沼地に孤立した古い館なんて設定は「アッシャー家」やブロンテ姉妹やドイルの「バスカービル家の犬」など、英国正統ゴシックロマンを踏まえた雰囲気があるし。それに加えて、現代人では理性では信じられなくなった超自然現象の不気味さがどこにあるかを、自己分析したくなる筋立てです。 単に「出たァ」では現代の読者を引き付けられない。かの『リング』の成功は、ビデオを見たものは死ぬ運命にあるが、誰かに譲り渡せば逃れられるという、現世的、科学的な現代人の奥にも潜む、お御籤に一喜一憂するような、未知なる将来への怖れの感情に訴えたこと。でも、本書のプロットは、さらに先を行っています。自分自身の未知な運命よりももっと恐れなければならないこと、それは‥‥とここで、ネタバレさせては作者に申し訳ないので、ペンを置きます。 | ||||
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英国の伝統を受け継ぐ、正統派のゴースト・ストーリーです。主人公はアーサー・キップス、再婚し、妻と4人の連れ子と無事平穏な生活を営んでいます。クリスマス・イブの日、暖炉を囲み、家族全員で順番にゴースト・ストーリーを語り合い、アーサーの番になりましたが、彼には妻にも打ち明けていない恐ろしい体験があったのです。 話は26年前に遡ります。ベントレー氏の雇われ弁護士として働いていたアーサーは、クライアントのアリス・ドライブロウ夫人が亡くなり、葬儀出席と遺産相続事務のため、北部の河口付近の、うなぎの沼の館へ赴く事になります。アーサーは列車に乗り、クライシン・ギフォードに到着し、葬儀に参列しますが、その場で酷く衰弱し肉体が蝕まれた黒衣の女、そして、20人位の子供に遭遇します。町の人に、その事や、うなぎの沼の館の事を聞くと、話をそらしたり、嫌な顔をされたりして、要領を得ません。そして、アーサーは周囲の人の忠告を無視し、うなぎの沼の館に赴く事になりますが、そこで再び例の黒衣の女と出会い・・・ 物語の最初の部分は、ドラキュラの冒頭を思い起こさせる見事な出来栄えです。そして、うなぎの沼の館近辺の風景描写が雰囲気をかもし出していて、これも素晴らしいです。昨今の即物的な怪談では味わう事のできない重厚な英国の正調の幽霊屋敷もので、これで終わるのかなと思っていると・・・・ 本作は、舞台化され、日本でも公演されていますが、今回はD・ラドクリフ主演で(ハリー・ポッター・シリーズで著名)映画化され非常に好評で、12月には日本でも公開されます。きっと、ねじの回転(デボラ・カー主演)のような素晴らしい映画だろうなと期待しています!! | ||||
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著名な英国の怪談。物語は主人公アーサーの若き弁護士時代の回想談の形式で語られる。その時のアーサーの仕事は、北部地方の河口付近の<うなぎ沼の館>に一人住まいをしていたドラブロウ夫人の葬儀出席と遺産整理。<うなぎ沼の館>は満潮時には海で村と隔離されていて、干潮時にだけ<九死人の土手道>を通って村と行き来できる。アーサーが村に着いた際、ドラブロウの名前を出すと、皆恐怖に慄いた様子で無視を決め込む。怪談らしい道具立てである。 そして葬儀の際、アーサーは「黒衣の女」を見るが、他の誰にも見えないらしい。アーサーは書類整理のため、一人<うなぎ沼の館>に向かうが、近くの墓地で「黒衣の女」を見かけ、女を亡霊だと確信する...。アーサーは<九死人の土手道>を通って村に戻ろうとするが、闇と濃霧のため迷いそうになり、しかも誰もいない筈なのに、子供の叫び声と馬車の音を聴く。悪夢の始まりである。幻視・幻聴と言った概念は語り手には一切ない。 館の魔力に取り憑かれたように、アーサーは犬のスパイダーと共に館を再訪する。そこで、60年前のドラブロウ夫人宛ての手紙を見て、かつての悲劇と亡霊の正体がほぼ明らかになる。が、作者は、開かずの子供部屋の揺り籠の音、潮騒に混じる馬車の音、沼地で溺れそうになるスパイダーの姿等を通して更に恐怖を煽る。そして、最後で明かされる悲劇の真相。館が持つ執念が分かるような因果譚。こんな意外な人物が悲劇に関係していようとは。そして、戦慄の結末。全てが計算されていたのだ。回想談だから仕方ないが、正直、私はアーサーが「怖い、怖い」、と連呼し過ぎて却って怪談の雰囲気を壊していると思ったが、結末を読むと巧みな構想に驚かされる。英国流怪談の傑作と言える。 | ||||
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