ぼくはお城の王様だ
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後味の悪さはそこまで感じなかったのですが、最初は家出の描写がやたらと長くて ちょっとダラダラした気分になりかけたのですが、後に仲良くなる農場の明るい男の子の登場で あの場面は必要不可欠だったと改めて思い直しました。 終盤近くでふてくされて素直になれないキングショーと、森でケガした時に素直にお礼が言えないフーパーが重なった時、二人は決して仲良くなれないというわけじゃなかったんだ…と思いました。 そういう視点から見ると、死んでしまったらやり直しがきかない…という後味の悪さはありましたが、この話は まさに読み手次第で結末を色んな形に変える考え方もできるんだな、と感心せざるを得なかったです。良い本に出会えて感謝してます! | ||||
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ずいぶん前に仏で映画化されている。いじめる側の少年が美しく描かれていて、それは結びにも表れていた。悪意の代わりに哀しみがあった。違いはあっても、原作も映画も、描かれるのは激しく自立を求める心だ。スーザン・ヒルは、もたれあいの相互依存を描かない。誇り高い嵐のような葛藤は、闇に落ちる結びとなることもあれば、希望の光で締めくくられることもある。どちらの場合も、重たい問いが読者の側に投げかけられる。この作品も、強者対弱者、善対悪の単純図式で捉えるとしたら、本質を見逃すことになりそうだ。いじめられもしいじめもした自分自身の経験からもそう思う。少年二人の親の描写にもドキリとする。この身勝手な親達も、かつては子供であったのだ。三十年以上も前の刊行時、この本を嫌ったという英国の親達もかつては子供であったのだ。では、この本を支持したという若者達は、四十代五十代の大人の今、この作品をどんなふうに読むのだろう。訊いてみたい。万人向けの小説ではない。特に日本では毛嫌いされるたぐいの本だ。私の身近にもぼろくそに言うのがいる。それでもこの本のための読者はいる。ほぼ三十年ぶりに新訳で蘇ったのだから、本当の読者に巡りあえよと肩を叩いてやりたくなる。もちろん、原語で味わえるのなら日本語で読む必要はないのだが、ヒルの初期の作品は書きっぱなしふうのところがあって、英語を苦もなく読めるというレベルでないと浸りにくい。 | ||||
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少年のもつ残酷性、そして優しさが上手く心理描写されていて、見事としか言いようがありません。この二つの性質は状況に応じて誰もが秘めていると感じさせられました。私自身、あるときはエドマンド、またあるときはチャールズになったことがあると思いました。この物語はワクワクしながら読み進むものでなく、読者自身に考えさせる本です。訳者あとがきより「読者を選ぶ作品です。」とあり、実際そう感じたので星4つとしました。しかし、一度読んでみること請け合いの名作です。 | ||||
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