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(短編集)
パン屋再襲撃
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パン屋再襲撃の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全67件 41~60 3/4ページ
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何といっても「ファミリーアフェア」でしょう。1985年の刊行ですので、バブル(1986年〜)前夜のどことなく抜けた雰囲気、シリアスにならない都会的なタッチ、それでいて家族間のそこなかとない親愛と目線を高くしない主人公の自省の感もあって、大いに憧れたものです。80年中期にはこうしたキャラが時代の雰囲気だったし、社会的にもアクセプトされたのだと思います。 かなり気障ですが主人公のセリフや描写に思わずニヤリとさせられる作者の技量は流石だと思います。恐らく、このストーリーは映像化してもあまりその魅力の本質は伝わりにくいのではないでしょうか。文章であるが故に伝わるものがある、非常に技巧性の高い作品だと思います。 村上氏自身が言うところのドライブが利いた短編小説の秀作。1993年Knopf 社で編集、出版された短篇選集『The Elephant Vanishes』(2005年、「象の消滅」 短篇選集 1980-1991として日本でも発売)にも短編代表作のひとつとして収録されています。 | ||||
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トレーディングの方は完全自動化に移行しつつあるので、本ばかり読んでいるが、 この短編集は、記憶では今回初めて読むものだと思う。しかし、爆笑の太田光に 触発されてヴォネガットの『タイタンの妖女』を途中まで読んだだけでレヴューを 送ってくるいい加減な連中と、同様、私も2編を読んだだけである。 少なくとも、今の所は。 『パン屋再襲撃』は、押井守の『立ち食い師列伝』に影響を与えたところ 大である事は大方の人の知る所だと思う。「食う」と言う行為が 「飢えを満たす」事と密接にリンクしていた時代が終わろうとしていた1985年の 日本を象徴しているかの様な作品。この後、「飽食の時代」と言うよりも 「グルメの時代」に為っていく訳だが作品で描かれているのは、「暴食の一夜」である。 正確には「暴食」へと駆り立てる「暴力性」と言っても良いかも知れないし、 バブル期の「狂熱」の先鞭とも読み取れる。「呪い」を払拭して「無気力」と 「怠惰」をブレイクスルーするものが、アナーキーな「暴力性」とも言えるか。 1980年代当時のオブローモフが、彼の妻の「オーヴァー・ドライヴする欲望」に 付き合わされて引きずり回される話とも、読める。バブル期の女性の行動パターンが 既にこの時点で、主人公の妻に其の儘、表れている感がある。 『象の消滅』は、象と初老の飼育係が「異界」へと姿を消してしまう話。 やはり、1985年の作品だが、数年後に書かれた諸星大二郎『妖怪ハンター』の 『異界の客人』を髣髴とさせる。個人的には、稗田礼二郎のシリーズでは この『異界の』が最も好きだが、『象』の主人公は「便宜的な此の世」に残って 日常をやり過ごし、唯、時が流れ季節が移り行く様を表して、本編は 終わる。日本的無常観を書き表した作品として読むと、「時の流れの無常」と言った 陳腐な事、この上ない一品に為ってしまう。この作品で「異界」を垣間見せる程度でも 良いから、描いて見せて欲しかったものである。若しかしたら、諸星大二郎も押井守同様、 本編にインスパイアされて、『異界の客人』を描いたのかも知れない。 『ファミリー・アフェア』は、私の知る限りでは、村上作品の中で最も阿呆臭い一作。 「やれやれと僕は思った」と言う決まり文句が頻発するので、村上春樹作品の語り手は 冗長的で自分の事ばかり一人称でダラダラ語りすぎると言うイメージは 恐らく、この作品によって定着して仕舞ったと言えよう。 They are what they are. 他人の人生の事は自分には関係ないと考えて生きている主人公は 成り行き上、血の繋がった妹と暮らしている。5年間も、である。 「家」「血縁」「血族」が片方にありながら、其れを断ち切る事無く 「個人主義」に徹しようとする「滑稽なる1985年のオブローモフ」の 姿。こういう人間は、「やれやれ」所ではなく、もっと死ぬほど「ウンザリするぜ!!」と 言う生活を5−7年位送った方が、本当の個人主義が身に付くし、一人で 生活しなくては駄目である。そうなって初めて、孤独が「通常状態」の 人生を「謳歌・享受」出来るのだ。しかし、実に「くだらねー!」一作だ。 世代論的に言えば、85年の時点で27歳の主人公は、1958年生まれか、 1957年生まれである。旧人類と新人類との境界線上の世代だが、 如何にも、「駄目なタイプの新人類モドキ」のカリカチュアの姿を 具現化している。『駄目になった王国』に倣って言えば、『最初から 駄目だったし、王国にすらならなかった、共同体だか何だか 判らない様な、有象無象の集合体』と言うべき「人生」、或いは そう言う「生き方」。昨今の社会状況を鑑みると、「烏合の衆」と言うより 「学級崩壊」的な人生、と言えよう。 『双子と沈んだ大陸』について。『ファミリー』が「楽園の向こう側」なのに 対して「楽園の此方側」の情景から始まる。キヨサキ風に言えば、『ファミリー』の 「僕」がEクワドラント、『双子と』の「僕」はBクワドラントに属する。 しかし、笠原メイと一緒にオフィスを出た後、例に拠って例の如く 「一人称のグダグダ」が始まる。正確にはメイと分かれた後、より顕著に なり、何度か訪れた事のある小さなバーでバーボンを飲み始めると 完全に「酔っ払いの戯言」。「やれやれと僕は思った」が、この時点で登場。 本書に収録されている先の三作の時代背景が1985年と言えるが、 本作は二部構成になっていて、1974年と、その3年後。 1977年の11月の時点で「僕」が語る夢がポーの『黒猫』を 思い出させる。4部作との「不吉なリンケイジ」を暗示している。 字数制限があるので他は一括してレヴュー。『ローマ帝国』は冷風ドライヤーの 風の様にドライな作品なのに対して『ねじまき鳥』は女性の胎内の様に ウェット。前者の媚薬の象徴が「牡蠣鍋」と言う日本的日常に密着した メタファ。それ程エッチではない。後者で繰り返し登場する「女達」が 「僕」の人生をどこかで狂わせた「死角」が自分自身の頭の中ではなく、 「女の中のどこか」である事を暗示する。 更に、続きのレヴューは、気が向いた時に、また書く「予定」である。 | ||||
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村上春樹氏の初期の短編集。 比喩が上手な村上さんの作品に対しては 陳腐でチープな表現かもしれませんが 相変わらず 不思議過ぎます。 なんていうか およその常人には行き着かないであろう方向に物語が進むのです。 それがたまらなく好きなのですが。 | ||||
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カンガルー日和が短編集だとすれば、パン屋再襲撃は中編集と位置づけられそうです。 どの編も完成度が高く、読み終わった後に充実感を感じます。 そう言う意味では彼の長編著書が好きな方でも十分満足できる作品となっているでしょう。 また、「双子と沈んだ大陸」は村上春樹の"僕”シリーズの長編4作品に関わる短編作品となっていますし、 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は題目通り“ねじまき鳥クロニクル”に関わる短編作品となっており、 彼の長編作品を読んだ人にとっても興味深い作品となっています。 もちろん、彼の本を読んだことの無い人でも、彼の魅力を感じるには十二分な作品であることは 間違いないでしょう。 作中には"ワタナベノボル”や”笠原メイ”も登場するので、彼のファンにはたまらない一冊です。 | ||||
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普段の何気ない出来事がこの作者に書かせると、とても奇妙で不思議な出来事になっていく。登場人物の心の動きを、かなりひねった感じで伝えてくれるからだと思うのだが。。。 何となく読んでいると、何となくあっという間に読めてしまい「う〜ん」とうなってしまう。そして特段の感想もない。でもいやな感じではない。そういう本。 | ||||
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村上春樹の本は、いちいち解釈などせずスラスラ感覚で読むものだと思う。作者自身が云うように、すべてのモチーフは所詮ガラクタなのだから。意味を求める必要はなく、独特のユーモアと比喩を楽しく読んだほうがいい。私は深く重い教養だとか哲学を垂れ流す本が嫌いだけど、春樹本には自分なりの答えを見つけられる余裕があるから大好きだ。押しつけがましくなく、読みやすい。彼が長年文章の平易さにこだわるのもただいろんな人に個々の読み方で読んでほしいだけだと思う。 そしてこの短篇集は重みやうっとうしさがなく、シュールでふわっとしていておもしろい。やはり初期の短篇群には軽さと重さのバランスが絶妙。最近の短篇より良いと思う。 個人的には「ファミリーアフェア」と表題作が好きだ。 | ||||
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私は、村上春樹氏の短編は一通り読んでしまいましたが、 本作に収録されている「パン屋再襲撃」が一番素晴らしいと思います。 村上春樹とマクドナルドの究極のコラボレーション作品とも言える、この一編のあらすじを目を閉じて静かに反芻すると、なぜなのか幸せな気持ちなってしまうのです。 | ||||
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「象の消滅」がいいです。コーヒーメーカーのセールスというありきたりの現実のなかで偶然にも遭遇する不思議な世界・・。まさに大人の童話といえるのではないでしょうか。国を超えた普遍性があり、英訳本のタイトルになるというのもよくわかります。 「ファミリー・アフェア」は妹の婚約者のことが気に入らなくていやみを言っているだけのような感じでちょっと雰囲気が違います。 | ||||
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1986年に出された短編集。 「象の消滅」が収められている。タイトル通り、象が消える話である。 <象の消滅を経験して以来、僕はよくそういう気持ちになる。何かをしてみようという気になっても、その行為がもたらすはずの結果とその行為を回避することによってもたらされるはずの結果とのあいだに差異を見出すことができなくなってしまうのだ。> 語り手は、象の消滅以来、自分(とその行為)と世界の関係がよく分からなくなっている。昔読んだときは、何だかこの感覚がぴんとこなかったのだけど、今読んでみると、象が消えるっていうのは 9.11 にちょこっと近いかもしれないと思った。 とても大きな消えるはずのないものが、自分の目の前で(TVの中だけど)消えていってしまった。そんなありえないことが起こったあとで世界はとても大きく変わってしまったようにも思うのだけども、でも日本にいる自分のまわりではそんな変化は実感しない。ちょっと空港のチェックが厳しくなったくらい。変わってしまった世界が自分にあまり影響しないように、実は自分のすることも世界とぜんぜん関係ないような気がしなくもない。 小説に戻ると、象が消滅してもしなくても、実はあまり「僕」には関係がなかったのかもしれない。実際、「僕」の「便宜的」な仕事は象が消えてもぜんぜん変わらないのだ。ただ、象が消えた、という事実があっただけ。 一方で、もう一つの好きな短編「ファミリー・アフェア」の語り手は、妹の気に食わない婚約者が「僕」の家にはんだごてを持ってきたせいで、自分の家がまるですごく変わってしまったようにに思う。この気持ちはよく分かる。象の消滅と持ち込まれるはんだごての対照がおもしろい。 | ||||
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村上春樹の短編集の中で、かなり個人的評価の高い一冊です。他の長編に絡む話が多いということもありますが、登場人物の息づかいがリアルですし、短いながらに、まとまりのある、しっくり心になじむ話の連続。お勧めです。 | ||||
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梅雨明けの涼しい青空の下、オープンカーの幌を上げて まっすぐに続く道をドライブしているかのような短編集。 (あくまで個人的印象) パン屋は襲撃され、象は消滅し、妹は結婚すると言い出し、 あれから3年経ち、強風の中日記のためのメモを書く男がいて、 スパゲティーは茹で上がる寸前。 カラッと笑えて、余計なことなんか考えずに 「ああ面白かったな」と思える。 旅の友に読むのにとてもいい本だと思う。 | ||||
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村上春樹の短編集でも一番の出来だといえる一冊。 なかでもファミリーアフェアは春樹らしさが十二分に発揮されているといえよう。比較的シンプルで分かりやすいので万人にお薦めできる。 ちなみにねじまき鳥と火曜日の女たちなどに出てくる「わたなべのぼる」は、村上春樹と仲のよいイラストレーター安西水丸さんの本名。 ねじまき鳥クロニクルでは「ワタヤノボル」となっている。 | ||||
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あいかわらず村上さんの小説にはお酒がよく登場する。 そしてお酒が出てくると必ず飲みたくなる私。 「パン屋再襲撃」というタイトルは物凄くインパクトがあるけれど、話の中身は大したことない。 なんのことはない、極度の空腹に絶えかねた男女があるお店を襲撃する――ただそれだけ。 が!こんな風に要約すると味も素っ気もない無味乾燥なものになってしまうのだけれど、村上さんが描くと違うんですよね。作家ってすごいな、と思わせる一作です。 続く「象の消滅」は、これまたタイトルそのまんま。象が消滅するんです。 でもこの話、私は好きです。評価が高いのも納得。 そのほかのタイトルは内容が想像しにくいですが、これまた粒揃いです。 一読しただけだと「ふ〜ん」って感じかもしれませんが、少し経つとまた読みたくなる。そんな作品ばかりです。 お酒のお供にいいかも。(むしろ逆?本のお供にお酒かな?) | ||||
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相変わらずの神がかった文体に、抜群のテンポ。 それは長編でも短編でも色あせないと思う。 象の消滅が評価が高いらしいけど、個人的にはやっぱり表題作のパン屋再襲撃が好きだ。 | ||||
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奇麗事ばかり並べられて、一つもリアリティというものを感じない。現実感のない文章や主人公は読者に話の意味を見破られたくない逃げなのではないのか? この話全てを理解できた人は天才だろう。バカの私が言ってもなんの説得力はないが。 | ||||
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パン屋再襲撃でマクドが出てきた瞬間に笑い転げてしまいました。 春樹の小説には大抵解説がないし、意味はわからないんだけど読んでいて面白い! 思う存分不思議な世界にひたってください。 | ||||
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大学の先生お勧めの「羊をめぐる冒険」を探していたが、どの古本屋にも置いてなかったので仕方なくこの6作品からなる短編集「パン屋再襲撃」を買った。村上春樹の作品を読むのはこれが初めてである。 読んでみると意外に面白く、え?え?え?という感じで1日で読み終えてしまった。私的には「象の消滅」が1番よかった。恥ずかしいことにワタナベ・ノボルが「象の消滅」にも登場してる事に気づいたのは「双子と沈んだ太陽」を読み始めた時だったが。 ワタナベ・ノボルは他の村上春樹作品にも出てくる(使われている)のだろうか?非常に興味深い。 読み終えた後、コーヒーが無性に飲みたくなった不思議な作品。 | ||||
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初めて読んだ村上作品。「???」でした。「???」だったんだけど何か訴えてくるモノがあり、読み進めました。不吉な予兆を感じさせる表題作や、『ねじまき鳥』が好きです。ここに収められてる作品は大体、結末が後味悪いんですが、全体的に何かこれから良からぬ事が起こりそうな不気味な静寂感があり、それが心地よくもあります。 | ||||
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こちらに収められている短編、特に「象の消滅」が翻訳されて、異国でばかうけなんだとか、、、、 象の消滅をモチーフにした舞台「エレファントバニッシュ」を先日見てきたのだけれども、改めてテキストの凄さを実感するばかりだった。もちろん舞台はすばらしかった、映像を巧みに利用したり、象の足を演じる一人一人の身体表現だったり、すっとぼけた演技だったり、ほんと面白かったのだけど、村上春樹の勝ち!って印象はつよまるばかりだった。 作品の内容ももちろんなんだけど、このユーモアのセンスだったり独特のリズムだったりがすばらしい。長編の村上春樹があわないなと感じてしまった人も、さらりと読めるこの短編なんか楽しめるのではないかと思います。 | ||||
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私は村上春樹の作品を読むのはこれで2作目です。 (ちなみに初めて読んだのはノルウェイの森です) 友達が教育実習でこの本を紹介したのがきっかけで読みました。この本は短編集です。 一番読み返すことが多いのが「ファミリー アフェア」です。兄(主人公)と2人暮らしの妹が、恋人ができたことによってきちんと家事をするようになったり、服にも神経を使うようになったという場面があるのですが、 その場面の説明がすごくコミカルな上に的確で、読むたびにいつも笑ってしまいます(そしてどきっとしてしまいます)。 若い女性、また男性なら思い当たるふしがあるのではないでしょうか。また、表題作の「パン屋再襲撃」もときどき読み返したくなります。題を見てわかるとおり不思議な話です。襲撃された店員と客の脱力感がよく描かれています。その他の作品も、現実にはありえないだろうということと、妙に現実的なこと(主に心理状態)が混ざっていて不思議な気分になります。 | ||||
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