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(短編集)
パン屋再襲撃
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パン屋再襲撃の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全67件 21~40 2/4ページ
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「ふたりで、当初 “目的:パン屋襲撃” としていたことを、それが犯罪であろうとなかろうと“違えることなく” 成し遂げたときに、二人は、本当の意味でひとつになれるのです」 という結婚式(?)などで使える人生の教訓・教示に類するような例え話なのでしょう。 この作品では、結婚したばかりの夫婦の間にある、ある種のぎこちなさ・不安感を “透明な水の中に、水面近くにまで、迫っている山” で明示しております。 結婚式のつまらない祝辞のようですが、夫婦初めての共同作業が達成されたとき、初めて夫婦としての信頼感・実体が得られる・・・・、その時、水面まで迫る岩山が消え、そこにあるのは静かな水面であった・・・・そして、二人は次のステージに進むことができる・・・・。 学生の時の友人とのパン屋襲撃(暗喩)は、当初の目論見に図らずも歪みが生じてしまい、成功とも失敗とも断言できないような結末になり、その小さな歪みは取るに足らないことなのかもしれないが、それが徐々に大きくなり、二人には共有できる何かを構築することができなかった。結果として、二人は、真の信頼関係を築くことができず、別れることになった。 奥様は、主人公の “心の澱” となっている記憶の修正の必要性を強く感じた、ということなのでしょう。 | ||||
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たまたま村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだ直後にこの短編集を読み返したが、収録されている『ファミリー・アフェア』の兄妹が『キャッチャー~』の主人公と妹の関係に似ていると思った。感受性が強く世の中をシニカルに見てしまう兄と兄に比べて現実的な妹という関係が似てなくもないのでは?もちろんまったく同じ関係とは言えないと思うが、それでもサリンジャーの影響を濃厚に感じるのは私だけ? | ||||
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本書は、1985年~1985年の頃に、『文學界』や『新潮』等の 雑誌で発表された短編6編を一冊の本にまとめ文庫化したもの です。つまり、著者が36~37歳の頃に書き上げた初期の作品群 ということになります。 本書に収録されているのは、「パン屋再襲撃」「象の消滅」 「ファミリー・アフェア」「双子と沈んだ太陽」「ローマ帝国 の崩壊・1881年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド 侵入・そして強風世界」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の6編 の短編。最後の作品は、後の『ねじまき鳥クロニクル』の原型と なった作品と言われているものです。 特に表題作となっている「パン屋再襲撃」のお話は本当に面白い。 話の舞台設定も、展開も、妻との間でなされる会話の中身も、全て 面白く、それが(著者の作品を読んだことがある方なら分かると 思いますが)村上春樹の「あの筆致」と「世界観」にのせられて (それがすでに30代で完成されているのがまたすごいですが)つづ られています。 『1Q84』にしもて、『ねじまき鳥クロニクル』にしても、かなり の長編で、もっと気軽に村上春樹を読みたいと思われている方には、 この本は読みやすく好適だと思います。 | ||||
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何気なく非日常を書く。 それは、とても難しいと思うのだ。 動物が見る夢、というものがあるが、 夢の内容は、「夢」という字そのもので、曖昧で霞がかかった様でいて、はっきりとしない。脳の記憶の整合に走り、それぞれの記憶の断片が夢というものを見せる。 それぞれの共通性とか、意味など考えても無駄である。 表現に凝った文体なのは分かる。きっと自由に書いたのだろう。 起承転結があって、一本筋のストーリーがあって、最後にどんでん返しが待ってるような、 そういう系統のものではないと分かる。 どうしてマクドナルド? どうしてねじまき? 型に嵌ったままでは分かれどもつまらないが、型に嵌らないので逆に新鮮さを失わない。最後まで読みきってしまう。 そんなに明るい話ではなく、どこか暗い影を落とす。 意味不明に読めても、何かある。 個人的には、はじめの「パン屋再襲撃」と最後の「ねじまき島と火曜日の女たち」、それから「象の消滅」がいいと思ったな。 パン屋…は読むのが2回目だったけど、文章の表現で、突っかかってみるのも楽しい。 個人で色んな楽しみ方ができる本だと思った。短編集。 | ||||
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再襲撃というからには、すでに1回目の襲撃が行われているはずで、作中でも以前に相棒とパン屋を襲ったことがあると回想されています。最初の襲撃の模様は「パン」(「夢で会いましょう (講談社文庫)」所収)もしくは「パン屋を襲う」(「パン屋を襲う」所収・「パン」を改題)で読めます。 襲撃のはずが双方に満足な、平和裏な結果に終わってしまった前回の呪いか、時を経て再び猛烈な空腹に襲われて、再度パン屋の襲撃に向かうはめになった『僕』のお話です。さてその結果はというと、成功なのか、成功したらしいけど少々ずれているというか、こじつけで成功だと思い込もうとしているのか、非常に微妙です。 ただ、少しずつ当初の目的からずれてゆき妥協する様子が、なぜかしらユーモラスで、『僕』たちが襲撃に頑張れば頑張るほど、くすぐられるようなおかしさを感じてしまいます。 初志貫徹とか中途半端は後から効くのだとか、そういう読み方もできるのかもしれませんが、静かでやさしい読後感を楽しむのもいいかもしれません。 | ||||
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再襲撃というからには、すでに1回目の襲撃が行われているはずで、作中でも以前に相棒とパン屋を襲ったことがあると回想されています。最初の襲撃の模様は「パン」(「夢で会いましょう (講談社文庫)」所収)もしくは「パン屋を襲う」(「パン屋を襲う」所収・「パン」を改題)で読めます。 襲撃のはずが双方に満足な、平和裏な結果に終わってしまった前回の呪いか、時を経て再び猛烈な空腹に襲われて、再度パン屋の襲撃に向かうはめになった『僕』のお話です。さてその結果はというと、成功なのか、成功したらしいけど少々ずれているというか、こじつけで成功だと思い込もうとしているのか、非常に微妙です。 ただ、少しずつ当初の目的からずれてゆき妥協する様子が、なぜかしらユーモラスで、『僕』たちが襲撃に頑張れば頑張るほど、くすぐられるようなおかしさを感じてしまいます。 初志貫徹とか中途半端は後から効くのだとか、そういう読み方もできるのかもしれませんが、静かでやさしい読後感を楽しむのもいいかもしれません。 | ||||
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まだそこまで世界的知名度が高くなかった初期の短編集。 表題作の「パン屋再襲撃」が一番おもしろく且つ印象的な短編。村上春樹といえば幻想的で不思議な世界観のイメージがありその点を忌み嫌う人も多いと思うが、本作の妙なシュールさはそういったイメージを払拭してくれる。 「深夜にお腹が空いた夫婦がマクドナルドを襲撃し、ハンバーガーを食って帰る」という訳のわからない内容。結局何だったんだ、という純粋な疑問は残るが、マクドナルドといういやに現実的な象徴と、散弾銃を持って敬語で襲撃する夫婦というありえない設定には笑わずにはいられない。また主人公の夫婦の間に生まれる奇妙な絆は、80年代の少し古くさい描写と相まって温かく感じられる。余計な回りくどい描写はあまりなく、非常にテンポが良い。行間にうまいこと「雰囲気」を詰め込むテクニックはさすがで、おそらく彼の作品の中でも一、二を争う出来なのではないだろうか。 他に「ファミリーアフェア」「象の消滅」あたりもおもしろい。 「ノルウェイの森」や「1Q84」あたりの長編がどうしても苦手、という人は是非本書をお勧めする。 | ||||
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自分が抱えている、80年代はよかったなあ、という気持ちを、この作品集であらためて刺激されました。 根拠のわからない、明るさやふわふわした感じ・・・ でも、それだけでした。 表題作はそこそこ面白かったけど、象の消滅は、結局なんだったんだよと思い、 ファミリーアフェアには、わたせせいぞうの絵が似合いそうだなと微苦笑。 残りの作品は、それで? という気持ちしか沸きませんでした。 主人公像については、どうしてこういうキャラを立ち上げたがるわけ? と、 作者に問い詰めたくなります。 あとは、ネットで揶揄のネタで使われる「やれやれ」の多発にニヤリとしたくらいです。 村上作品は、あーだこーだ無理に解釈せず、物語を感じればいいとか言われても、 あんたら、これが無名作家の作品でも、同じように高評価できるのかと反発したいですね。 初めて読んだ村上春樹でしたが、これ一冊で言うのもなんですが、 この人がノーベル文学賞候補者というのが、まったく理解できません。 血を流して書く人に思えないからです。 | ||||
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村上春樹さんの長編は賛否あれど否定するつもりはありません。実際面白いですから。ただ、この短編集はあんまりピンと来ませんでした。ハッとするオチがあるでもなく、フワッと終わってしまう作品ばかりです。長編はならそのフワッと感も心地良いのですが、短編はいつものように全編を通して浮かび上がってくるテーマや高揚感が薄く、クラッシック音楽を端折って聴かされているような心地でした。長編で読んでみたかったのは「象の消滅」。消えた象の謎を追いかけながらいつまでもフワフワしていたい。筒井康隆氏に書き直して欲しいなぁ~と思ったのは表題作の「パン屋再襲撃」。モヤモヤ感はあれど村上氏にとって短編は単なるモチーフに過ぎないのかな?とも思いました。 | ||||
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「英語で読む村上春樹」の講座がおもしろいので 「象の消滅」を含む短編を読んでみました。 「パン屋再襲撃」にはなにかしらふふっと 笑ってしまって「もう一度パン屋を襲うのよ」と わたしも断言するわと思い視覚聴覚を刺激する比喩には 妙にひっかかる無理もありどうかしらん(?) 他五編では「象の消滅」がたたみ込む冒頭から後味が良くて その他は安易に女の子との関係に流れてしまい 四つの・・六つの・・と悪趣味で 小説としておもしろくはなかったです。 | ||||
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お腹がすいたからパン屋を襲うという、何とも短絡的で衝動的なアイディアだが、ついつい最後まで読んでしまう。 やはり文章が面白く、アイディア優先かと思いきや、地の文の物語とは関係のないことがどうしようもなく面白い。 | ||||
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村上春樹の独特な世界観を感じられた。何度読み返してもさっぱり意味が分からない。頭がおかしくなりそう。しかし嫌みがない。 | ||||
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演劇でこの短編集にもなっているものを作り直して上演した、と新聞で知り、面白そうなんで買ってみた。 まだ、最初の短編しか読んでないが、面白かった。 私は春樹さんは案外短編向きだと思う。 カフカや安部公房もそうなんですが、こういうタイプの小説は短編の方がインパクトがある。 中編がギリギリで、長編になると、多分疲れてしまうんだと思う。 理性的に書いているつもりかもしれないけれど、それは夢なんで、どうしても辻褄が合わなくなる。でも、辻褄なんてあわせる必要はない。そんなものは、意味付けして、腑に落ちたいという脳の欲求で、現実とは関係のない欲求なのだから。 しかし、村上春樹の小説に出てくる女性は何かファムファタール?運命の女、の匂いがするなぁ。 謎めいている。 スフィンクス的な… 女って、謎めいている。自分も女だけど、時々自分がわからなくなる。子宮の欲求というやつが、脳の欲求と闘っている、そんな感じがして、時々おかしくなりそうになる。 生命って、やっぱ、神秘だ。 | ||||
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「パン屋…」「象の…」といった有名な短編と、 「双子…」「ねじまき鳥…」という長編と絡んだ作品を含むので、 かなり重要な短編集だといえるし、 これらについてはかなり語りつくされてもいるだろう。 私は「ファミリー・アフェア」が面白かった。 私の知る限り、兄妹という関係は村上作品では珍しく、 新鮮に思えた。 最も衝撃を受けたのは、最も短い「ローマ…」だった。 著者の比喩表現は、天才と突飛の紙一重だと思ってきたが、 これを読むと、天才の方だと判断せざるをえない。 落語の三題噺みたいなものといえばそうかもしれないが、 それにしても著者の力量をまざまざと見せつけられた思いがする。 | ||||
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村上春樹さんのユニークさと力を感じさせられ、楽しみました。 題材も設定も、すごい、とは思いませんでした。 ところが、引き込まれました。 何んなんでしょうか? 同じ題材と設定で他の作家の方が書いたら、こうはならなかったと思います。 さすが、と思いました。 | ||||
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いつも彼の本を読むと 僕=村上春樹=ワタナベノボル ではないかと思える。 そう思うと、 短編集というのは、 やはり珠玉の1作がないことには・・・ と思いがちであるが、 通勤の途中でもさらっと読んで、 後ろ髪をひかれるような作品の集まり。 気楽に読んで、後から深いところを考える そんな風に読むことができる作品である。 | ||||
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「パン屋再襲撃」「象の消滅」「ファミリー・アフェア」「双子と沈んだ大陸」「ローマ帝国の崩壊・一八八一のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の6作品を収録した短篇集です。 「良い面だけを見て、良いことだけを考えるようにすれば、何も怖くないよ。悪いことが起きたら、その時点でまた考えればいいさ」 | ||||
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村上春樹の短編集の中で最も好きな作品。 一編一編のクオリティが非常に高い。 「パン屋再襲撃」 まず、この「再」襲撃の意味についてだが、登場人物は短編集「カンガルー日和」の中で若い頃に一度パン屋を襲撃した過去を持つ。 だから、「カンガルー日和」を事前に読んだことがあれば倍増とまでいかなくても、楽しさは増す。 そして、当時のパン屋襲撃の呪いが今は結婚した夫婦に襲いかかる。 呪いによって真夜中に激しい空腹感に苛まれた夫婦は、車を走らせ「マクドナルド」を襲うことにした。 夫婦の呪いは解くことができるのか。 そして、これも名作「象の消滅」。 町で飼育していた象がある日突然、飼育員とともにこつ然と姿を消してしまう。 それは状況から見て明らかに逃げたのではなかった。 消滅したのだ。 ただ、そんなことは誰も信用しないが「僕」だけは人に言えないものを目にしていたのだった。 「ファミリー・アフェア」 村上春樹の作品で主人公の兄弟が主体的に登場する物語はあまりないので、この作品は非常に珍しい。 兄と妹のファミリー・アフェアが描かれる。 村上作品にいつも登場するような、社会を斜に構えて見ている「僕」に対して現実的な「妹」。 その妹が婚約した。 相手の男との関係の中で見せる兄妹の掛け合いが、非常にユーモラス。 兄妹とはいえ、これほどコミカルに人間関係が描かれる村上作品が他にあるだろうか。 「双子と沈んだ大陸」 この双子は「ピンボール」に登場する双子。 主人公はこの双子が家から出て行ってしまった後に、偶然雑誌の写真で彼女達を発見する。 そして、主人公が勤める事務所の隣の歯科医院には「笠原メイ」と言う名の女の子がいる。 「ねじまき鳥」に登場する「笠原メイ」の名前はここからとられたのだろうが、キャラクターはまったく異なっている。 全体として、初期の村上春樹の乾いた雰囲気を思い起こさせる。 「ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」 短編ならではの言葉遊び。 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」 これは題名とおり長編の「ねじまき鳥」のベースになっている作品。 長編の初めの部分が、ほぼこの時点で出来上がっていたということがわかる。 長編の「ねじまき鳥」を読んだ人なら、この短編からあれだけの長編にまで膨らんでいく、作家の仕事について思いを馳せることになる。 やっぱり名作だ。 | ||||
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初期の作品集だ。いやな男が描かれているが、たぶん村上はこの作中人物がいやな奴であることを意識している。自己嫌悪のようなものが漂っている。「象の消滅」にしろ「パン屋再襲撃」にしろ、物質として現実に存在するものを信頼していない。それはいつか無くなるものだし、だとすれば今目の前で消えてしまっても何の不思議もないものなのだ。 人の関係だって、だから真面目に永続的な関係なんて結ぶ気になれない。永続的な人間関係だって?という具合だ。だから世界を確固たるもののように不安げのない笑みを浮かべるワタナベノボルを、こんなにも憎むのだろう。 | ||||
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もし、この本を呼んで面白いと思えないのなら、村上春樹は無理だと思う。 色んなことについて「何で?」って深く理由を考えてしまうのであればやめといた方がいいと思われます。 深夜にハンバーガー屋を襲ったり、はんだごてが何となく嫌いだったり、このわけのわからない感じが好きなのです。 | ||||
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