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キャパの十字架
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キャパの十字架の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全64件 21~40 2/4ページ
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主人に頼まれて注文したのですが、とても中古品とは思えないきれいな状態でした。 もう書店では本が買えなくなってしまいます。 | ||||
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沢木耕太郎が、20年以上に亘り「心のどこかに引っ掛かりつづけていた」と語る、ロバート・キャパがスペイン内戦時に撮ったとされる、史上最も高名な報道写真「崩れ落ちる兵士」について、「いつ、誰が、どのようにして」撮ったのかを追ったノンフィクション作品。2013年出版、2015年文庫化。 沢木氏は、これまでにもR.ウィーランによる伝記『キャパ』(全3冊、1988年)、『ロバート・キャパ写真集』(1988年)の翻訳などを手掛けている。 沢木氏は、過去に様々な媒体に掲載された「崩れ落ちる兵士」及び同じ時に撮られたとされる多数の写真を集めるために世界各地に赴き、過去に「崩れ落ちる兵士」について研究をした人々やその兵士といわれる人の遺族に取材を行い、写真が撮られた場所と言われるスペイン・コルドバ近郊を何度も訪れ、写真の専門家の協力を得て当時キャパが使っていたと言われるものと同じカメラで実際に写真を撮り、それに、長年ルポルタージュ物を手掛けてきた沢木氏自身のひらめきと分析を加えて、ひとつの有力な仮説を導き出している。 そして、沢木氏は、過去には提示されることのなかったその事実が、「崩れ落ちる兵士」を撮った1年後に恋人・ゲルダを戦場で失った後のキャパの人生を運命付け、現在において我々がその人生を説明しうる答えなのではないかとも言うのである。 確かに、本書のメインテーマは「崩れ落ちる兵士」にまつわる謎に答えを出すというものであり、その答えを得るだけでも十分に読む価値のある作品だが、加えて、答えに至るまでの沢木氏ならではの“過程=旅”と、何より、随所から読み取れる、「伝記的事実から受けるキャパの印象が、どこか私に似ているように思える」と語るキャパへの親愛の思いが、本書を格段に魅力ある作品にしている。間違いなく、沢木氏にして書き得た傑作と思う。 (2016年2月了) | ||||
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冒頭の「ちょっとピンボケ」への言及が不正確というか、書いてないことを書いている。文春文庫版と原著(kindle)とで確かめた。 「胴体着陸」した爆撃機からパイロットが「タラップ」で降りてくるわけがない(「タラップ」が和製英語だということは措く)。 米陸軍航空隊の爆撃行の目的は「フランスのドイツ軍をたたく」(戦術支援)ことではなく、兵站や軍需工業や都市機能の破壊(戦略爆撃)である。 本著の目的は「爆撃隊の運用の知識を読者に与えることではない」ことは、百も承知だが、上記2件のように、原著にないことを付け加えたその内容がいい加減では、何のための言及か。(「キャパへの追走」でも、ノルマンディ上陸作戦を「ドーバー海峡をわたって」と微妙な注釈) そういうことの無いように、調査・調整するのが担当編集者の仕事ではないのか。ましてや、おなじ「文春文庫」目を通さなかったのか。 文庫化まで、その時間はあった筈。 著者の責任ではなく、編集者の責任である。 | ||||
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沢木耕太郎のライフワークの一つであるロバートキャパの崩れる兵士の写真について キャパが何を背負って生きて最後はベトナムで死ななければならなかったのかまでを考えさせる素晴らしい一冊 ライフワークの一つとなっているので、知識も語り口も半端でない本物を感じますが 検証の方法については、研究者では無く、ジャーナリストだなあと思って少し物足りないので4星 現在の技術ならば DEM(標高モデル)の活用やgoogle earthをはじめとするすざまじいデジタルライブラリーを 活用しないでどうする って思いました | ||||
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初めて、中古本を購入しました。 汚れも気にならず、これから、どんどん利用しようと思っています | ||||
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最後の掲載写真、運命の重さを感じざるを得ません。キャパの十字架というタイトルが胸に迫ってきます。 | ||||
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久々に震える作品に会いました。NHKでも見て大きな衝撃を受けたのです。 私はキャパの青春と作品に強く影響を受けた一人です。 ちょっとピンぼけは愛読書のひとつで長年疑いもせずにキャパは自分の中でスーパーヒーローとして輝いていました。 写真に写っているものをごく単純にそのまま受け入れることの危険、そのメッセージは撮る人ではなく 伝えたい人によってどうとでもなるということ。 という今の自分であれば十分理解できることにキャパの写真もそうであることの当たり前さにまずは衝撃を受けました。 沢木さんのジャーナリストとしての責任感、謎を解明するための論理的な根拠の追及、その粘り強さ、キャパを 愛しているからこそ追いかけた謎。 すごすぎるというしかありません。 今思えば22歳のキャパはスーパーヒーローではなく、成功を求めている若者でした。 自分で作り出したわけではない状況を変更する必要なんてなかったのです。 本書にもあるとおり チャンスを得られる人間的な魅力、なにものにも怯まない有機、よりよい写真を撮ろうとする情熱、 危険を生き延びさせる経験、この力量が強運をもたらせている。 キャパの人間力、その弱さも含め改めてキャパが好きになりました。 もし、老年まで健在であれば、彼が告白することもあったのかもしれない。 なんてことまで考えてみたりして。 生誕100年である2013年にもこんなことを語られているキャパはやっぱり伝説。 | ||||
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キャパはずいぶん前から知っていましたが、こういう視点を初めてしって おどろきとそして納得できました。久々に一気に読みました。友人にも 勧めています。 | ||||
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手垢にまみれた「ネタ」に思えた。もう何度も何度も聞いたから。22歳のキャパによるスペイン内戦写真「崩れ落ちる兵士」のヤラセ疑惑のことである。 撮影の翌年である1937年「LIFE」7月12日号に掲載され、一躍反ファシズムのシンボルとなった写真そのものよりも、ともすれば疑惑のほうがより有名に思える。敵(反乱軍)の銃弾を背中に受ける覚悟をしなければ戦場であんなショットは撮影できない。だが当時のキャパは遥か彼方の爆音にですら大便をチビってしまうチキンハート。そんなカメラポジションを取れるワケがない。 ヤラセじゃない、とする声の方が小さかった。伝説の保持に必死のキャパの弟コーネル(ICP=国際写真センター理事長)を後ろ盾とするリチャード・ウィーランが「疑惑は晴れた、疑惑写真以外の一連のプリントが見つかった」と胸を張るが、まさにその別ショットこそがどうもおかしい。ウィーランの著書の日本版翻訳者であった沢木は、従軍経験のある大岡昇平に当時相談したという。すると大岡は一目で「演習の写真だろ」と喝破したそうだ。演習……つまり、はるばるアメリカからやってきたカメラマンにサービスして、共和国軍の兵士たちが「戦うポーズ」をとってくれたのだ。第一、写真の初出であるフランスの「VU」誌が刊行された1936年9月23日以前に当該の丘陵エスペホでは戦斗など起きていない。兵士は銃弾に崩れ落ちたのではなく、突撃シーンの撮影途中でコケたのである。 つまり、蓋然性高くヤラセであるということを前提に本書は出発している。だが、探究の果てに新しい「ネタ」がその延長線上に生じた。ヤラセからスタートして、さらに判明したこととは何か。考えようによってはもっとひどいことであった。盗作である。 報道ではなく商売が目的の捏造写真を撮ったのはキャパということになっている。だが、その「キャパ」という名前そのものがそもそも捏造であった。ハンガリー人フリードマン・アンドレ名義では売れないため、架空のアメリカ人カメラマン「ロバート・キャパ」が撮影した、と偽って写真を売ったのである。当該の架空名義を使っていたのがフリードマンと年上のポーランド人の恋人ゲルダ・タロー(岡本太郎にちなんだ名で、本名はゲルタ・ポホリレ)であった。おもに、横長の画面となるライカ担当がフリードマン、正方形の画面となるローライフレックスの担当がゲルダであったという。 沢木耕太郎は「崩れ落ちる兵士」初出「VU」誌掲載写真を求めてパリの図書館や古書店を走り回る。その結果、兵士がコケる瞬間の別角度からの写真を発見。同一ショットを二人の写真家が同時に撮影したことを確認する。要するに捏造された戦斗を撮影したのは「キャパ」一人ではなく、フリードマンとゲルダの二人であった。そして画面の縦横比率からいうと別角度からの写真はライカで、「崩れ落ちる兵士」の写真はローライフレックスであった。つまり「崩れ落ちる兵士」はゲルダの写真なのである。それをフリードマンは「キャパ」の写真だと言い張った。インドシナ戦争で地雷を踏んで死ぬまで、まさに棺桶に真実を持って行ってしまった。手柄を恋人に盗まれたゲルダはなぜ黙っていたか。死人に口なし。「LIFE」掲載写真で「キャパ」が名声を得た同じ7月、ゲルダは帯同し取材していた共和国軍、いわば味方の暴走した戦車のキャタピラーの下敷きとなって死んでいたのである。 沢木は、キャパはこのゲルダの死によって十字架を背負ったという。戦場を知らない臆病な男が捏造と盗作を抱えて有名になった。秘密を知っていた恋人も死んだ。自らの中に重い何かを抱えながらキャパは生きていた、と。 本書の巻末近くにキャパの撮ったノルマンディー上陸作戦の写真が掲載されている。「ブラッディ・オマハ」と呼ばれ、地獄絵図と化したオマハ・ビーチにキャパは上陸したのである。大便をチビった男は、自ら死地を求める男へと変貌していたのである。 | ||||
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キャパの有名なスペイン内戦の写真が、実は虚構であったという論証への執念は素晴らしい。 | ||||
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もともと沢木耕太郎は好きなのですが、新聞に書評が載っていたため購入しました。 一つの写真の真実を求めてここまで調べつくして本を書く、 という作家の姿勢に感動しました。 キャパのことは何も知らなかったのですが それでも十分楽しめました。 | ||||
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沢木耕太郎の取材、思考の有り様に驚愕しながらも引き込まれる。 | ||||
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沢木作品を読むのは、「ポーカー・フェース」以来だが、 あれはライトな感覚で楽しむたぐいの読み物だったとすれば、 彼のルポライターとしての醍醐味を満喫したのは、「凍」以来、と言えるかもしれない。 彼が対象に立ち向かうときの姿勢というのは、凄いものがある。 執拗なまでの粘り強さで、納得がいくまで、対象を追究し、一分の隙も許さない。 最初にそれを感じたのは、 「深夜特急」でのマカオでの賭博の下り。 あの研究熱心さこそ、彼の身上であろう! 今回の対象は、キャパの伝説的傑作と言われる写真「崩れ落ちる兵士」である。 今まで、謎が多いとされてきたこの写真にまつわるミステリーを解き明かしていくのに、 彼は、実務的な段階を飽きもせずに積んでいく。 場所の特定をするのも、自分で何度も足を運び、写真に写っている風景を何度も確認し、 草や茎ひとつにもこだわって、結論を導く。 実際に当時のライカとローライフレックスで写真を撮影し、 それで発見したことを記していく。 そんな風に、事実、あるいは限りなく事実に近い推測 (撮影した本人がこの世にいないのだから、完全なる証言は望めない、という意味で) をジグゾーパズルをはめていくかのごとく、完成へと導いていく。 この本書のほとんどが、その事実を解明するまでの調査、実験などで占められてはいるのだが、 しかし、彼のルポライターとしての視線はその先にある。 キャパが後半生をどう生きたか、そこに彼が本当に訴えたかったものがある。 間違った写真によって天才と祭り上げられた一人の男が、 それによって十字架を背負い、生き急ぎ、地雷を踏んで死んで行った、 その逆説的な英雄の人生が、浮き彫りにされていく。 実は、私の興味もそこにあった。 ただ、思ったよりも、そこに費やされた文章量が、前半の写真検証に比べて非常に少ない。 もう少し、その後のキャパの、十字架を背負った人生を解説してほしかった気もしたが、 これはこれで、1冊の読み物として、十分な完成度であった。 沢木さんの事象の捉え方は、 いつも愛があって、優しさがあって、 他の人がまねできない、血の通ったルポルタージュといった感じがして、 それが私を捉えて離さない。 だから、読み終わっても、 フェイク写真で有名になったキャパ、ではなく、 運命のイタズラで高名を得てしまった男の悲しい宿命に思いを馳せてしまう。 沢木ファンならずとも、ぜひ、読んでいただきたい本です! | ||||
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NHKのドキュメンタリーで、この本の存在を知り手に取った。 なので、どうしてもTVでの内容を頭の片隅に置きながらの読書となってしまったが、それでも“読ませる”筆力は流石だな、と思わせる。 と言うのは、この有名な写真の“真実”について疑義を出し、(恐らくは)やらせに近い写真(少なくとも狙撃されている写真では無い)なのだろうと想像が付いてしまうのに、その丹念な調査報告により、読者側に飽きさせる事無く筆が進んでいく。 しかし、一つの読み物としては非常に完成されたクオリティの高い作品とは思うが、一方とんびに油揚げと言うか、沢木氏の発見はほとんど無いじゃん、と言う読後感がついてまわる。 文中の言葉を借りれば、最後の1ピースを沢木氏が嵌めただけで、大部分は本書内で書かれている様に、他の研究者達の発見や調査結果に基づいている。 その点のみが、若干のすっきりしない読後感として残ってしまう。 | ||||
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ノンフィクションの領域で独自の世界を展開する沢木耕太郎の、最新の長編作品である。本書は、いつもの沢木作品とは趣を異にして、同時代人ではなく、1枚の写真をその対象としている。 戦争写真家として歴史に名を残すロバート・キャパを、戦争写真家として決定づけた<崩れ落ちる兵士>の写真。スペイン内戦を象徴するかのような、銃弾を受けた共和国軍兵士が、今まさに背後に崩れ落ちようとする、その瞬間を捉えた、あまりにも有名なこの写真はしかし、多くの謎が付きまとう。その謎は突き詰めれば、この歴史的な1枚は、はたしてキャパ本人が撮影したものかという1点に尽きる。 この謎を緻密に検証し、新事実に至った記録が本書である(ネタバレを起こさぬため、詳細は本書にゆずる)。検証の過程で事態が大きく展開するが故に、検証すべきことは多岐にわたり、検証の精度も厳密さが求められる。 ともすれば、膨大で煩雑なデータの集積となる可能性を孕んだ本書を、沢木は構成に最大限の配慮を行うことで、乾いた詩情をたたえた魅力的な一冊にまとめ上げた。その力量は、今更ながら深く敬服に値する。世界に通用する、キャパに関する第一級の評伝が、新たに生まれたことを、心から祝いたい。 以下は全くの蛇足ではあるが、本書の斬新な構成ついて、具体的に言及しておこう。 本書は、A5版、335ページ。かなり大部な一冊である。10章立ての本書はさらに、213の断章からなる。 断章のそれぞれは、あるいは<ここに一枚の写真がある。>という一文だけであったり、写真だけであったり。最大でも3ページ程度のものである。その中で、すでにネガが失われ、多くの謎を秘めた写真、<崩れ落ちる兵士>についての、これまでの諸説とその問題点を明解に整理する。 それとともに、真相を明らかにすべく、多岐にわたる緻密な検証作業を展開する。この極めて重層的で錯綜した内容を、読者に明解にスッキリと伝える上で、この断章を積み重ねる手法は、極めて有効なものとなっている。読者には常に、今‐ここにある問題をひとつひとつクリアして行く、明解さと達成感があるのだ。 そこでの検証作業において、沢木は実際にスペインへ3回赴き、ついに件の写真の撮影現場をピンポイントで特定することに成功した。その手には、キャパが手にしたものと同種の、ライカとローライフレックスの2台のカメラが携えられていた。 他方その過程で沢木は、既にネガが失われた件の写真の、できる限りオリジナルプリントに近い写真を目にするために奔走し、キャパに関する写真集など多くの記録的な文献をも精査して行く。 多くの出会いと僥倖にも助けられて、沢木はその膨大な作業を、執拗とさえ言える緻密さでこなして行く。凄味すら感じさせるその取組に、期せずして作家、沢木耕太郎本人の実像が浮き出して来る。 ひとりの無名の写真家が、ロバート・キャパという名の世界的な戦争写真家へと這い登って行く過程とその中で生まれた影。その負い目を払拭すべく生きたそれから…。1枚の写真の真実と、それを介して語られる一人の生、そしてそれを書いた作家。それらへの深い感銘を覚える、これは余韻深い名著である。 | ||||
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沢木氏は駆け出しの頃にキャパの自伝を読み、「視るだけの者」としての哀しみを感じ、同類としての共感を覚える様になったという。 私も高校生時代にキャパの「ちょっとピンぼけ」を読んだが、どこか作りものめいた読後感があり、なじめんなあと思ったっけと、本書を読んでから思い出した。 「崩れ落ちる兵士」の写真に対する獏とした違和感は、当時確かにあった。 戦場カメラマンという職業の胡散臭さとその悲しみの裏返しであろうくだけた語り口に、また当時自分は受験戦争で押しつぶされそうだったので、一発屋に対する妬みめいた感情も混ざっていた様な気もする。 しかし沢木氏の共感の深さたるや、職として近いこともあるのであろうが、そのままキャパのことをすっかり忘れていた私なぞとは粘着度が違う。 著者は数度のスペイン行や先行する老学者や関係者との出会いを通じて、この写真がどの様な過程で撮影されたものかについて、執拗に推論を重ねていく。本書のページの9割は、しつこいまでのその検証過程を、丁寧に書いたものだ。 彼の結論が果たして正しいかどうか、生きている者にはわからない。 しかし、彼のキャパの写真へのこだわりは、職業人としてまた違った「視る者」の立場で日々を送っている私自身にも共感できるものであった。 久々に、「ちょっとピンぼけ」を読みたくなった。写真集も図書館で借りてみることにしよう。 自分用のメモ: ・さっと読みで2時間かからなかった ・キャパの恋人、ゲルダ・タローのタロー名義がパリで奮闘していた岡本太郎から来ていたとは。同じ日本人として嬉しい ・スペイン戦争当時のスペインの田舎では外国人は宇宙人の様に珍しかった ・キャパはイングリッド・バーグマンと付き合っていた ・キャパもゲルダもユダヤ人だった ・フランスの図書館司書の働きぶりに怒ったフランス人が沢木氏を助けてくれる場面があった。いかにもフランス人らしく懐かしい | ||||
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TVを先に見た方に是非本書をお薦めしたい。TVとは微妙なニュアンスの違いがある。 | ||||
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キャパの明るく、奔放な性格が、幸運な写真を創造する。偶然が幸運な結果を」生む。 | ||||
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沢木耕太郎氏のルポは以前からファンでしたが、NHKスペシャルを見て、久しぶりに是非読みたいと思った本です。 「崩れ落ちる兵士」の撮影場所は何処でどんな位置から撮影されたものなのか、この写真はライカ・ローライフレックスのどちらで撮影されたのもなのか、そして撮影されたカメラを特定することは、その写真の撮影者が誰であることを意味しているのか...現地への訪問、関係者への取材、当時の掲載誌の確認、そして使われたであろうカメラを使っての実地検証などなど、緻密な検証を積み重ねて真実に迫っていく過程は鳥肌モノでした。 大切なのは、沢木さんが以前からキャパに対して『「視るだけのもの」としての哀しみを見出し、「同類」としての共感を覚えるようになった』という姿勢だったこと、「崩れ落ちる兵士」についての謎を解くことが、『私のしようとしたこと、したかったことは、キャパの虚像を剥ぐというようなことではなかった。ただ、本当のことを知りたかっただけなのだ』ということでしょう。 写真(特に報道写真)というものが、時に切り刻まれたり、違った受け止め方をされたり、或いは発表媒体の手によって撮影者の思いもよらない方向に一人歩きしたりするものである、ということも改めて知らされました。 非常に残念だったのは、既に述べられている88ページの写真のキャプション誤りの件。 そしてもうひとつ、294ページに「ラ・クラカッチャ」とあるのはどう考えても「ラ・クカラッチャ」の誤りでしょう。(『ちょっとぴんボケ』の「後記」でも確認済) 緻密な検証を重ねて書き上げられた作品だけに、このつまらない校正ミスはあまりにも残念です。 | ||||
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また感動的読み物。 昨日の夜 読み終えた「キャパの十字架」沢木耕太郎著(文藝春秋 新年特別号 )。20世紀の伝説的な戦争写真家ロバート・キャパの有名な写真 「崩れ落ちる兵士」は本当に彼の作品か。沢木は1986年にキャパの伝記を翻訳以来、仕事の合間にスペイン、フランス、アメリカで取材を続けた。 疑いは当たっていた。 作品は いわゆるやらせで、撮ったのは同行した恋人ゲルダで、カメラはライカではなくローライフレックスで・・。 沢木は何十年もかけ、疑問を証明する。その過程がミステリーのようで、文春103ページ分もの長編を毎晩読むことになった。この記事は後日文芸春秋から単行本になるので買いたいと思う。紙質のせいで写真がはっきりしないので、もっと見たい。 本日販売中を知り、注文しました。 | ||||
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