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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全562件 461~480 24/29ページ
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話題の作家で海外での売れ行きも良くしかもノーベル文学賞候補の一人。例えるならお笑い芸人が「今から最高に面白い話をします」と言ってしまうのと同じで評価基準のハードルが上がりすぎていると思います。20~30万部が妥当な販売部数ではないでしょうか。後は「みんなが買うので乗り遅れまいとして買ったけど・・・」という方が多いのではないでしょうか?私は単純に好みかそうでないかで判断しますが楽しめましたよ。それはこのあとどう展開していくんだろうという期待感と読後の切なさがいいのです。ですから「これにて一件落着めでたしめでたし」ときっちりかかれていなくともいいんです。出版社には悪いのですが,好きでもないのに無理に買う必要はありません。今までに好きな村上春樹作品が一つでもあれば買ってもいいのではないでしょうか | ||||
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待ちに待った新刊。堪能しました。 村上春樹さんの小説は、読み手を別の空間に運んで行ってしまう力が備わっていますね。 この作品においても、この陶酔感のようなものは十分に味わうことができました。 村上さんの書き出しはシンフォニーの最初の一音のように、いつもながらに見事に決まっています。 頭がクラクラっとする程鋭利な迫力が備わった導入部で、あっという間に物語に引きずり込まれてしまいました。 これこそが村上作品を読む何よりの楽しみ(悦楽)なんですけど。 村上春樹さんの小説は常に孤独が描かれますが、今回は特に「疎外感」という言葉が頭の中に浮かびました。 周りの人から拒否されることで強制的に孤独の檻に捕まった若者。 実際、青春時代と言われる年頃では、何度か体験されるのではないでしょうか。憶えがあります。 きっとどこかの部分で、主人公の多崎つくると読み手は繋がってくると思います。 著者は、開いた文章といった言い方をされますが、その意味においてこの小説は相当に開いていると思います。 | ||||
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早く読むのがもったいなくてゆっくりと3日かけて読みました。 ストーリーはいつもの村上ワールドでファンにとってはなじんだものですが ”飽きた感”はなく益々「人間」に対しての深い愛情を感じました。 そしてこんなに新作を楽しみにする理由はその描く世界だけではなく 文章の美しさです。 描かれている感情は全く違う人生を歩んでいる自分にも当てはまるリアルなもので その繊細な気持ちをこんなに自由にこんなにわかりやすく書かれたものを 読める幸福・・・といったら大げさでしょうか 1Q84はスリリングでしたが今回のは沁みました。 「灰田」の部分や「ピアノ」の部分は不可解なパーツですが それが逆にリアルな効果を出しているな〜 現実って案外不可解なので・・ 読み終わって晴れやかな気分、 ポジティブな気持ちがあふれました。 欲を言えばもっと静かに普通に販売して欲しいですね。 | ||||
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物語に現実感があって、素直に入り込め、たとえ話には春樹独特の表現が残っていて、幻想の世界に浸ることも出来る。 絶望して取り残されたと感じたときの描写は、ノルウェイの森の野井戸を思い起こさせ、夜中に改装するところでは、ねじ巻き取りクロニクルの感じを出しているし、過去を思いだして、別の今があったかもしれないと回想する所は1Q84を思い出します。 この作品は村上春樹の最高傑作と言っていいでしょう。 | ||||
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小説は書評のために書かれるわけでも 過去の作品とは違う新しい刺激を与えるために 書かれるわけでもなく ただその作品を必要としている誰かのために 書かれるのが 理想的だと思います そのような意味でしっかり作られた作品だと感じました。 | ||||
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評価がわりに低くてびっくりしました。村上春樹好きには嬉しいファンサービスがちりばめられてて、楽しく読めました。フェイスブックとかスマフォが出て来るのも意外で良い。 物語全体の雰囲気が、初期の感じ、特にダンスダンスダンスあたりを彷彿させるので終始にやけてしまいました。1Q84の3巻では失望したのですが、この作品はとても満足でした。村上春樹久しぶりの良作な気がします | ||||
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デビュー以来いろいろと試みて、結局は出発したところに戻ってきたけど、新人の時より音域は上にも下にも広がっているように感じられる。自分の制御下にある和音を自意識ではなく、読み手にも配慮して(時にはサービスもして)奏でていて、新しい価値の提示ではなく、昔からそこにあるものを職人として見せることによって読み手に感じさせる匠の技を見た。だから初めて読む小説に既視感を覚えたり、懐古を感じたりするのだ。 特に、全体を通暁する調和に関する考察が面白かった。面白くて哀しくて、怖かった。だから赦しにつながる、という領域には自分はまだ到達していないけど。彼の考察に反駁する考察も見いだせないけど。 | ||||
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この作人になっているテーマは村上春樹氏本人に伺ってみないことにはわからないことであるのですが、読み進める上でいくつかのキーワードが頭をよぎりました。 それは、痛みと悼み、悲しみと哀しみ、です。 自分の痛みと人に思う悼み、自分の悲しみと誰かを哀しむこと。 自分と他者は全く別の存在なのですが、自分たちがわからないところでお互いに求めあい、しかし、傷つけ合っています。 それはひるがえって自分の存在を求めていることであり、また、自分の存在を傷つけていることでもあります。 そこに感じる痛みと悲しみは完全に自分のものであると信じ込んでいたのですが、ふとした瞬間に誰かも同じように思っているという悼みと哀しみを覚える、そのようにしていくしか私たちは生きていけないのかも知れません。 自分の存在はここにあるのだという確証を得るために他者を求め、他者を求めると他者を自分に取り込もうとする、あたかもすべてを理解してもらえると根拠のない確信を得ます。 だけれども、他者は自分のように思ったり感じたりするわけではないということを言葉や態度から知り、距離を置いたり、完全に離れたりします。 こころは残ったままに。 哲学者のデリダは「私とは他者にとっての他者である」といいました。 この私と他者というコインの裏表のような関係を私たちは普段の生活の中で余りわかっていない状態で生活しています。 「魂」の部分でつながっているのかも知れませんが、その「魂」を見たり感じたり出来ないもどかしさ、その気持ちが私たちを不安にさせます。 そもそも原初的は不安は「死」と「見捨てられ不安」であるとされています。 その不安をぬぐうためには誰かに接するというアタッチメントが必要だともあります。 さらには、誰かからのアタッチメントを待つのではなく、自分の気持ちを素直に表現し、自分から近寄っていく勇気と覚悟がより高度なアタッチメントを形成します。 人がわからないところ私たちは傷つきます。 逆に、自分は知らないところで人を傷つけます。 それがいつの間にか悲しみとして蓄積され、いつの日か表面に出てきます。 それに耐えたり、耐えられなかったり、何気なく暮らすように見えて、誰もが傷ついているのかも知れません。 長くなりましたが、今回の小説を読んで以上のようなことを思いました。 私たちの世界にある原初的な不安や自分と他者の痛みと悲しみ、それらをどのようにして受け止めるのか、それらを「魂」としてどうやって引き受けるのか。 私自身が読んで考えたのがそれでした。 すばらしい小説でした。 | ||||
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とある有名なエッセイにて「魔都」と称された(賞された?)名古屋 近郊に育った私は今作も非常に興味深く読ませていただいた といっても、名古屋の地名が頻発したり、 小倉抹茶スパやおっぱい丼は出てこないです(まぁ当たり前ですが) 集大成と銘打たれた前作に比べると、 著者も肩の力が少し抜けた感じで、文量的にも話的にも冗長でもなく、 私は冒頭から安心して読むことができました 逆に言うと、サプライズ的感動は大きくないというか、 ネガティブなレビューに書かれているように、 テーマとしてはこれまでの作品と重複している面が多いです ただ、友情というものが前面に出てきているのは珍しいかな 人物描写も割りとあっさりしてるし、回り道もあまりしてないので、 読了後のスッキリ感は(前作より)あるのですが、 終盤に向けての収束の仕方なんかは特に物足りなさもあります ファンタジーな要素をいかにリアルな世界に持ち込むか、 著者のそんな一面が凄く好きなファンとしては、 良書ではあるが物足りない、というのが率直な感想です | ||||
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テレビの放送を見て興味本位で買ってみたのですが、これが結構面白い。何が面白いかって?それは自分で読んでみて下さい。絶対お薦めです。 | ||||
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随分読みやすく、わかりやすくなったなあと感じました。多くの人に読まれるということを少しは意識するようになったのかもしれないし、なんとなく昔からのファンの人が残念におもう気持ちもわからなくもないですが、それでも僕はとても楽しく面白く読みました。同じものを同じように書き続けていくわけではないし、誰でも年を重ねていくものです。そのことで作家を批判したり劣化したなどと思うのは悲しいことです。ファンであればそういった変化も楽しみながらついていけばいいのだとおもいます。 作品には具体的にあらわれないですが、たぶん絶交されたのが95年、2011年にみんなに会いに行く、その16年間の空白を取り戻すというあたり、日本が大きな災害や事件で塞がれた心につながっているのかなと。 また、まさかと思ったのですが、赤白黒青の色は庄司薫の赤頭巾ちゃん〜のシリーズを思い起こさせます。まさか??、なのですが、もしかしたらいままでよりもより深く読み手に対して何かを引き受けるというか、彼の言葉でいうとコミットしようとしているのかも?などと勝手に想像していました。日本の作家はあまり読んでないとどこかで書いていたので、関係ないかな… | ||||
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3年ぶりの新作ということもあり、読む前から期待が高まっていました。読んだあと、ああ、村上春樹さんは、きっと他人に入り込むのがうまい人なのだ、と、改めて感動させられました。 今回、主人公は30代の男性、団塊ジュニアと呼ばれる世代です。 村上さんの作品で、その世代の主人公は初めてだと記憶しております。(1Q84はもちろん、80年代の30代だし、カフカは15歳の少年でしたがどこか現実離れした話でしたし、他は村上さん自身の年代、という印象が強かった) そこで私は、団塊ジュニアの世代の方々が、村上さんの周りに多く出現するようになった、 仕事や、プライベートでも、だから主人公にしたのかなあ、と感じました。 そしてきっと、村上さんはすぐに親友になれる方なのかなあ、と。親友くらい仲良くならないとあそこまでその世代が感じていることを文にできません。 それとも、村上さんには何か人の心を読み取る、魔法のような力があるのでしょうか…。 残念ながら、私は現在23歳ですので、本当の団塊ジュニアの方々は「いやあ、あんなんじゃないよ」って思われてるかもしれません。 主人公は私の従兄弟と同じ歳です。そして、団塊の世代というのは、自分の親が嫌いで、自分の親のようになりたくないから、あまり教育熱心ではない人が多かった、と聞いています。(私の従兄弟の偏見だとは思いますが。) 自由にされすぎていたことで、夢がわからなくなって楽しく仕事をしていなかったり、 ずっと、フリーターをやっている団塊ジュニアの方が私のまわりにはたくさんいらっしゃいます。 その方々のことを思い出して、ああ、村上春樹さんはそれを書いたんだな、すごいなあ、と感じ、 私たちゆとり世代を主人公にする日は来るのかな、と楽しみになったりもしました。 | ||||
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今回の新作は文藝春秋からの出版ということで、私はあるひとつの固定したイメージを持っていました。それは、中編規模の作品で、大作というよりはむしろ周縁に位置する作品であるが、重要な出来事に作者が強くコミットして書き上げた作品であるというものです。『約束された場所で―続アンダーグラウンド』とか、『TVピープル』とかの短編小説、インタビュー集などです。特に、オウム事件の被害者と加害者の両方に取材し、この事件に関わりを持った人々の人生がどのように変わったのか、この点に着目して作者が書き上げた秀逸なルポタージュ作品です。 私は今回の新作は、オウム事件のような命に関わる重大な事件に巻き込まれた人々、またはそれと関わりを持った人々の人生がその出来事によってどのように変化したか、またその出来事によって受けた心の傷に対してどのような態度や決意を余儀なくされたのか、という問いに対する著者のひとつの返答ではないかと感じました。 この作品は友人4人に裏切られ、心の傷を背負った主人公の立ち直りと再生の旅(巡礼)を描いた作品です。裏切った人々にはそうすべき決定的な理由がありました。しかし、そのような態度決定が友人関係の解消、それぞれがそれぞれの人生を歩むべき方向性を決定したのです。サルトルの言葉を借りれば、ある一つの態度決定・意志決定(アンガージュマン)が、意志決定した主体に対して、そうした意志決定に対する「責任」を課すことになるということです。意志決定は自由ですが、そのことには必ず責任が伴うのです。この新作では、裏切りに対する責任が友人達に別々の道を歩ませ、そのことに対する心の傷を負わせる結果になったという点です。これがオウムの加害者が取らねばならない重い責任につながります。一方、被害者である主人公多崎つくるも、心の傷を消し、自殺をやめ、新たな生きる目標を探す旅に出ることが、彼が自らの意志で選んだ生きる道であり、裏切りから立ち直りたいと決めた意志決定に対して、彼が果たさなければならない「責任」なのです。 このように新作を理解することで、私は著者の意図を何となく理解できたような気がしています。そしてこの作品のモティーフになった意志決定と自己責任が、次回の長編=大作に何らかの形で継承されていくのではないかと期待しています。それは新潮社から出版されることになるでしょう。 残念なのは、シリアスな内容である反面、今回の作品にはエンターテイメント性が不足してしまったことです。そして、もうひとつは、「物語性」もまた友人女性の妊娠と死以外には特に見られなかったことです。この点も次回に期待し、著者のさらなる飛躍を期待して感想を締めくくりたいと思います。 | ||||
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村上春樹の作品ですっきりとした読後感を感じたことは無い。長編の作品はほとんど読んだが終盤から最後にかけての物語の流れは割とパターンが決まっていて、とりわけ主人公の内省が最後まで続き外面的な“結果”を書き切らない事が多い。今回の作品もその例に洩れず村上春樹らしい作品だと感じた。 そのような作風は小説を読み終えた後特有の余韻よりも割り切れない結末と煮え切らなさを感じてしまい好きになれない。しかし私はそれでも村上春樹の作品を読み続ける。ひとえにそこには言葉によって作られた彼の物語を“読む”という行為そのものにたまらない心地良さを感じるからだ。「村上春樹の作品には治癒能力がある」と何処かの精神科医が言っていたような気がする。 彼の物語には必ず“欠陥”を持ったものが登場する。そしてそれは何らかの手段や方法を経て解決へ向かう事になる。私はそこに言い知れぬ希望の形を感じるのだ。なぜならその“欠陥”は私の中にも内包されてる登場人物と私の共通項出あるように思えるからだ。それは普段言葉にならないような些細なものであるが故に可視化されることがなく自身も気づく事の無い僅かな“欠陥”かもしれない。しかし彼の物語の中ではそのような些細な“欠陥”はやがて大きな破滅をもたらす引き金となる。だがその破滅はまた他の誰かの中に内包されているある性質、要素により中和されたり解決へ向かう事になる。そのどれもは物語の中に登場するものである。言い換えればあらゆるものは何かを始めることも終わらせることもできるということであり、そのために必要な全てを揃えることで村上春樹は物語を作り上げているのだと思う。 この作品にもあらゆる要素が登場する。そこには苦悩を続ける主人公が彼の“欠陥”を埋めるために決意と行動が描かれている。私はこの物語に何か足りないものを埋め合わせる心地良さを感じた。 | ||||
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小澤征爾氏との対談本を読んでいらい、彼の作品にでてくる音楽作品に興味をもつことは当然ですが(彼がJAZZ喫茶をしていたゆえに音楽に詳しいということだけではなさそうですが、クラシック音楽にも圧倒的に詳しいのはすごい!)、彼の文章のリズムを最近気にしています。今回の作品は、まさにアドリブの妙、自由にそしてリズミカルにストーリーが展開してます。名人芸ですね。 作品に関して音の話題をひとつとりあげるなら、フィンランドを主人公は訪問しますが、フィンランド語と名古屋弁は音が似てるといわれてます。村上春樹は、そこまで細工したのでしょうか。でも、無関係でないような気がします。つくるがヘルシンキについてから、名古屋弁のみゃあ、みゃあ響きを思い出さした(笑)色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 | ||||
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電車でバーベキューするところと、ガンダムに乗って宇宙に行くところがとくに面白かったです。 | ||||
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村上春樹のデビューから一貫したテーマである「喪失」と「再生」。 これに新たなラインナップが加わった。 われわれは、好むと好まざるに関係なく、ある種の行動規範の強制的な変更を強いられてきた。 古くは、第二次世界大戦の戦前と戦後。 70年代は、学生運動の理想と終焉。 80年代は、バブルの崩壊。 それらは、人間の性(さが)によるもので、われわれが責任を負うべきいたしかたない面があった。 次のステップに進むために、運命的に仕組まれたものと考えても納得できる。 しかし、今回の震災は、いかんともしがたい厳しい仕打ちである。 時代を切り拓くために、何かを捨て、もしくは失い、リニューアルすることは、われわれが常に歴史上行ってきた事柄なのかもしれない。 たしかに、個人のレベルでは、それが容易にできる人とそうでない人がいると思う。 しかしいずれにせよ、「過去に蓋をすることができても、歴史を変えることはできない」のだから、向き合って行かなくてはならないのだ。 これまでの作品での「喪失」は一人称の「喪失」であった。 きわめて個人的な、成長過程での喪失と「再生」である。 これが、三人称となると、普遍化する。 自分では訳も分からないままに、全てを失った人間が、どのように過去と向き合いながら「リニューアル」していくか。 そこに答えはないにしろ、一つの方法論を提示されたような気がする。 そう、「まず、駅をこしらえるのだ」。 | ||||
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村上春樹さんの作品では一番登場人物が多く、名前まで付けられているのがまず新鮮でした。 ネタバレになってしまうけれど、名字に色を付けるなんていうありがちな手法を取り入れたことも驚きでした。 相変わらず文章のリズムは読み易いですし、よく分からないけど想像できる面白い例えが満載です。村上春樹さんの世界描写はいつも通りに素晴らしく確立されています。 論理的に答えを求める読み方をすると、答えが書かれていない部分があるので納得できないかもしれないけれど、物語としては単純に素晴らしいなと感じました。 こんな小説は誰にだって書けるものじゃないと思う。 多崎つくるくんは無色ではなくて、本当は多色なんだなと読みながら感じました。 | ||||
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本作は3.11を経た「国境の南」ではないかと思いました。底流にあるのは「それでも生きていく」であり、「ノルウェイ」や「国境」ではうつむきがちだった生への肯定が、「多崎つくる」では顔を上げて受け入れていく姿勢に変わっているように感じます。ミステリのような合理的な謎解きはありませんが、誰の人生にもさまざまな形で起こりうることを、色彩を持った登場人物たちが提示していきます。沙羅はイタリア語の「知る」という言葉の未来形=多崎つくるを先導する役割‥‥というのはうがちすぎでしょうかね。「カフカ」や「1Q84」路線が苦手な人には、すっと入ってくる作品だと思います。そして未曾有の災害を経た日本人への応援でもあると思います。 | ||||
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なぜこうも村上春樹の作品に惹かれるのだろうか。 ずっと理由をうまく言葉にできなかった。 ただただ好き、たまらなく。で、いいと思っていた。 今回、この作品を読んでいて、ふと思いついた言葉がある。 少数派。 多分、村上春樹も、私も、多崎つくるも、少数派の人間なんじゃないかな・・・。 少数派だけど、真面目に人に迷惑かけずに日々生きています。 | ||||
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