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ベイジン
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ベイジンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 41~60 3/5ページ
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個人読書履歴。一般文学通算387作品目の読書完。2012/06/20 | ||||
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個人読書履歴。一般文学通算387作品目の読書完。2012/06/21 | ||||
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みなさんおっしゃっているように、ラストが「ええっ!?」であるが、よく考えれば、これしかなかったのだと思う。いろいろシミュレーションしてみても、ここで止める以外の選択肢はない、と思える。 このラストが小説的に残念であることを差し引いても、中国の現状を理解し、中国人と仕事をすることの一番大切な部分を理解する意味でも、読むべき本であることに変わりはない。登場人物はいずれもよく描けていて、いきいきと立ち上がってくる。特に一方の主役である'ケ氏の造形は秀逸。'ケさん、このあとどうなったんだろう?と数日は考えてしまった。 | ||||
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中国での原発事故フィクションが日本でのノンフィクションに。ある対談で「日本での事故を想定した小説と言ったら日本で原発の取材はできなかったでしょう。」と作者は語っていた。中国を舞台にしたことで、日本仁は何をえらそうに中国はああいう国だから何が起こっても当たり前、日本では考えられないなどと事あるごとに言っていた愚かしさ。原発にまつわる政争、利権、ずさんな管理、認識の甘さ、官僚主義、何もかもフクシマに当て嵌まる。今となってはこれはフィクションではない。 | ||||
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ん〜、一気にに読めてしまったという点では、面白かったですが、現在はフクシマから丁度1年なわけで、 えっ ここで終わり?という感は否めず、その点が残念です。 | ||||
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真山仁の筆致が実に素晴らしい。まるでジェットコースターにでも乗っているかのようなスリリングさに溢れている。だからといって決して下品に陥らない。本当にどういう風に書くとこんなに臨場感溢れ、終わりまでページを凄まじいスピードで繰らせる(目が追いつかない!)文章が書けるのかと惚れ惚れする。 ところが、最後まで読むとなぜかスッキリしない。いや、よくよく考えると読んでいる最中もどうも奥歯に物が挟まったような違和感を覚える。中国人の「描写」力について、である。 確かに核電(原子力発電所)がレポートじみてるのは認めるが、これは真山小説にはつき物。なにせ取り上げる題材が難解窮まって解説なしでは到底読みきれるものではないので、それを説明してくれているのはその道を極めているもの以外にとって大変ありがたい。 しかしこと中国人の描写にいたると、急に、それとは色の違う、妙な同情心というか、誰かに言い含められたような、妙にフォローじみた書き方になる。 「解説」は「こんなことを書いて大丈夫か」と大仰に驚いて見せたが、そもそも日本で「書いてはいけないもの」などないわけで、さらに言えばこの小説よりもはるかに厳しい口調で中国と中国人について苦言を唱えているものなどはそれこそ星の数ほどある。 それに比べれば、真山氏の表現ははるかに穏やかだし、徹頭徹尾、中国の現状に対する批判とフォローで筆が迷いに迷っている。 その都度「留学生だった」とか「80年族」とかで言い訳をするのだが、それだけで主要な登場人物すべてを被えるはずもなく、いつの間にか生粋の中国人までもが非常に理解のある人物に様変わりする(笑) もっとも、真山氏自身の口調でかかれたであろう部分では、中国を的確に捉えているし、彼の国に対し情け容赦ない描写も手加減がない。それだけに時折はさまれる妙なフォローが気になるのだ。その理由は巻末の「謝辞」に書かれていた。 このフォロー口調、以前どこかで見たことがあった。謝辞に掲げられている中国アドバイザーの中に「加藤嘉一」の名があった。どうも彼から「中国人とはこういうものだ」という薫陶を受けたらしい。どうりで・・・真山氏が語る中国人観はまるっきり加藤氏の「中国人を語るとき」の口調そっくりなのだ。「解説」は、「中国人と日本人とは分かり合えるのか」と質し「それは無理だろう」と答える。一方の「中国共産党の日本人宣伝部長」加藤氏はその言動で「分かり合える」と思い込んでいる人物だ。この矛盾が小説の中で葛藤しているのだ。これがなんとも歯痒い。結果、あのエンディングしかありえなかったのだと思う。 つまり、真山流のリアリティを追求すれば、もし消火に成功したとしてもト(「登」におおざと)と田嶋は「すべてを隠蔽する共産党」に抹殺されて「この小説で描かれた現実すべてがなかったことにされてしまう」という最悪のバッドエンディングにされてしまう。あるいはトと田嶋はすべての責任を取って処刑されてしまうかもしれない。あるいは日中の国際問題に発展するか・・・いずれにしても収拾がつかなくなってしまう。 だからといってトと田嶋のハッピーエンドはあまりにも望めない2時間ドラマだ。やはりあのエンディングしかありえないのである。迷い迷って迷ったまんま終わってしまう・・・難しい題材に取り組まれた真山氏の闘志にただただ賛辞を贈りたい。 尻切れトンボなのは「トゥーランドット」とかけているのだが、皮肉にもプッチーニが書いた部分とアルファーノが書いた部分とが完全に分断してしまったのと同様「真山仁」節で書かれた部分と「加藤嘉一」節で書かれた部分が見事に作品を分断してしまった。そんなところまで「トゥーランドット」に真似てほしくはなかった。じつにもったいない。 | ||||
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この「ベイジン」は2005年5月に始まり、 2008年8月9日に終わる小説です。 つまりオリンピック開幕翌日に終わるのです。 真山さんが書き終えたのは、2008年の6月なのかもしれません。 主人公は3人。 まずは日本の原発技術者で中国の紅陽原発の運開(運転開始)までの 責任者として派遣された田嶋伸吾。 中国の幹部の汚職摘発部門のエリートで、どういうわけだか 紅陽原発の運開までの責任者に抜擢された登学研。 (「登」は[登β]です。 2008年の北京オリンピックの記録映画の監督の楊麗清。 紅陽原発は世界最大の原発でオリンピック開幕にあわせて、 運開を目指すもので、そこまでの苦労、ゴタゴタ、トラブルが この小説では描かれてるんです。 田嶋は、前任者がノイローゼになってしまったため、 その元同僚の代わりに派遣されたんですが、 やはり、これでもか、これでもかと問題が続発。 原発建設に関わる業者が、どれも副首相の妻で、 やり手経営者である女性の息のかかった業者ばかり。 手抜工事に、仕様書に合ってない部材の使用、 作業員の規律違反、いい加減な仕事。 規律徹底のために田嶋が日本から呼んだやり手の同僚も、 精神的に参り、作業員に暴力を振るい排除される。 オリンピック開幕にやっと間に合った原発だったが、 そのスグあとに大トラブル。 このトラブルが、今回の福島の原発で起こった事故そのまま。 もう、何と言いますか、 高速鉄道の事故、福島の原発、全てがダブって来るのです。 そして、日中の仕事をやる上での、考え方の違いや、ぶつかり、 文化の違いなど・・・・ とにかく、高速鉄道の事故や、福島原発の事故を 予想したような小説でして、面白く読ませていただきました。 「謝辞」と言う後書きがあるんですが、 それは、2008年6月に書かれたもので、 そこには当時まだ北京大学に在学中だった加藤嘉一さんに 対する謝辞もありまして、 「滞在中に交わした彼との議論も、私の中国理解を深めてくれた」 と書かれていました。 この本、今回の福島原発の処理のめどが立ち、 やっと一安心となった時・・数年後でしょうね・・・ に初めて話題に上がるのかもしれません。 今はまだ刺激的ですからね。 | ||||
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震災後に読むと、去来するものが多い。 2つの台詞。 助監督が被写する人たちとメシを食った後に言った台詞。 「問題の本質は・・・」 それから、巻末の 「正しい事実を・・・」 この2つに痺れた。 他にも思うところはあるけども、全般にハラハラする展開と、この2つの台詞だけで充分元を取った感覚です。 誰かこれを読んだ人と、一晩飲みながら語りたい気分。 | ||||
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どこか「大地の子〈1〉 (文春文庫)」の上海宝華製鉄建設のシーンとイメージが重なる。 政治的建前が全てに優先し、熾烈な権力闘争が繰り広げられる点(本書では、特に中紀委と政治実力者)、あるいは、日本に対する侮蔑的感情の発露は、どこか似ている。 下巻では、福島第1原発の事故を予見していたかのような血も凍るような迫真のシーンが展開される。 福島第一と紅陽核電のステーションブラックアウトに至る原因の違いはあっても、それ以降の進展や基礎操作には類似を感じる。 電源喪失は、ラジオの発火により火災発生→配電盤焼損→ディーゼル発電機起動→同発電機で火災発生→コントロールベンディング(ベント操作?直流電源と手動で操作できるとある)→消防車を使ったフィード・アンド・ブリード→海水の炉心注入。 外部からの電源は、電線が盗難に遭ったため供給を受けられず。消火は対放射線装備が完璧な軍が当たるが、なかなか消火できないという壮絶なシーンが続く。 ベント操作、消防車による注水、海水の注入とか、どこかで聞いた話と思わざるを得ない。しかし、福島では、同時に4基に同じトラブルが発生したと考えると、絶望的な状況だったと考えざるを得ない。 原子力に対する警句はあちこちに出てくるが、最も印象的なのは、「そんなことは、万が一にも起きません。しかし、人間のやることに絶対はないですからね」か。 あと、「原発は、我々にすばらしい恩恵を与えてくれる。だが、人間の心に隙が生まれた瞬間、神の火は、悪魔の劫火に変わる」か。 この後どうなったか(発電所も登場人物も)知りたいところで本書は終わる。 ハゲタカ同様、続編があると期待している。 | ||||
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上下巻とも、緊張したまま一気に読み終わりました。 震災後で原発にトラブルが起き、様々な世論が取沙汰される中、良いか悪いかという視点ではなく、原子力発電というものに携わってきた人々の想いが伺い知れる報道はほとんどありません。 そんな中でこの小説は、原発というものの存在を物語として分かりやすく読者に教えてくれるだけでなく、“フクシマ”を抱えた日本の今という緊張した現実の中で、今となっては語られない原子力産業の人々の持つ「原発への想い」をドラマチックに読み手に運んで来ます。 小説として面白いだけでなく、「なぜ原発なのか」「原発とは何だったのか」についても今だから考えさせられる秀逸な作品。 テレビのニュース解説よりも、よほど状況が理解しやすいと感じたのは、丁寧な取材の賜物なのでしょう。 | ||||
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真山氏の作品は何時も愛読しています。 この作品を読んで1ヶ月も経たない中に福島原発の事故が起きました。 非常用冷却システムが津波に流されたと聞き、我が耳を疑いました。 システム設計の基本として、民営化NTT初代社長の真藤恒氏が指摘されていた 「本体と付属装置は安全性において同格」と言う事を東電経営者が認識していたら このような事故は防げたはずです。 | ||||
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日本の技術により中国で建設された巨大原発が、その稼働初日に全電源喪失により深刻な事態に陥るまでを描いた小説の文庫本化。 人気NHKドラマ「ハゲタカ」の原作者である真山仁の作。本書は上下2巻の下巻にあたる。 あとがきで作者は謙遜しているが、中国や原発について、現地を含めて膨大な調査研究を重ねた上で本作品は書かれているようだ。 皮肉なことに、大震災により日本の原発で深刻な事故が起きてしまった。 個人的に煮え切らないと思ったのは、福島第一の事態で言えば3/15前後のまだ事態が流動的な状況で、物語が終えられていることだ。 本作品では随所で「希望」という言葉が出てくる。「希望」によって楽観的な結末を想像せよ、という作者のメッセージなのだろうか? 今般の原発事故により一般の方の原発リテラシーも向上したかと思われるので、不謹慎かも知れないが現時点で読むと興味深い作品である。 中国国内の政治や社会の情勢について確たる情報も持ってないが、もしもここで描かれていることが当たらずとも遠からずなのだとすれば、それはそれで学ぶ点の多い作品であると言えよう。 | ||||
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週刊東洋経済に連載されていた中国での原発事故を題材にした小説の文庫本刊行。本書は上下2巻の上巻にあたり、原発建設計画からIAEAによる事前の警告のあたりまでを収録している。 当時としてはこのストーリーでリアリテイがあったのだろうが、今回の震災での福島原発の件が起きたあとには、非常なる脱力感を感じる次第である。 ドラマ化及び映画化され好評を博した「ハゲタカ」小説家の執筆であり、相当なる調査の上で書かれたあくまでフィクションであるが、この状況ではどうしてもフクシマとの対比をしつつ読んでしまう。 作者は、今回の震災後にTwitterでの発言も活発化しているようだ。当然のことだろう。 | ||||
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非常に面白いし興味深い。但しエンディングは賛否両論。 最近注目されている中国で大活躍中の日本人「加藤嘉一」に取材したということから中国事情を様々な角度から鋭く描いている点は秀逸。彼は多くの作品で複数の主役級の話を絡ませながらひとつのテーマに集約していく手法を好むが本作でもその手法を踏襲している。 一人の日本人と二人の中国人を通じて、中国問題そして日中問題を多角的に描いており非常に勉強になる。特に二人の中国人のコントラストが素晴らしい。中盤以降にこの三人が一堂に会するシーンは本小説のひとつのクライマックスであり、複雑な日中関係を越えて相互理解と友情で結ばれるくだりは、胸が熱くなり涙を誘う。複雑で難解な障害を乗り越えるためには熱き想いが非常に大切であるということを痛感させてくれる。 但し小説の幕切れに異論があるので☆1つ減点。その理由は以下参照。 <このあと思い切りネタバレ> 但し本当のクライマックスは賛否両論があるだろう。中国人にありがちなヒューマンエラーがきっかけになり、非常用電源含め全て起動しなくなり炉心の冷却機能が完全に失われてしまう。炉心の気圧を下げるためにベントに行った日本人技師はベントの破裂により音信不通となる。この問題を解決にしに行こうとする時点でこの小説は終わってしまう。あたかも「この小説の続きは福島第一原発で」とでも言わんばかりの展開だ。 そして今、福島第一原発でこの事象をなぞる事態がまさに起こっている。よもや著者は福島第一原発事件を予言していたわけではないだろうが、原因が違うとはいえ、起きている事象が酷似している点は空恐ろしくなる。 | ||||
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非常に面白いし興味深い。但しエンディングは賛否両論。 最近注目されている中国で大活躍中の日本人「加藤嘉一」に取材したということから中国事情を様々な角度から鋭く描いている点は秀逸。彼は多くの作品で複数の主役級の話を絡ませながらひとつのテーマに集約していく手法を好むが本作でもその手法を踏襲している。 人の日本人と二人の中国人を通じて、中国問題そして日中問題を多角的に描いており非常に勉強になる。特に二人の中国人のコントラストが素晴らしい。中盤以降にこの三人が一堂に会するシーンは本小説のひとつのクライマックスであり、複雑な日中関係を越えて相互理解と友情で結ばれるくだりは、胸が熱くなり涙を誘う。複雑で難解な障害を乗り越えるためには熱き想いが非常に大切であるということを痛感させてくれる。 但し小説の幕切れに異論があるので☆1つ減点。その理由は以下参照。 <このあと思い切りネタバレ> 但し本当のクライマックスは賛否両論があるだろう。中国人にありがちなヒューマンエラーがきっかけになり、非常用電源含め全て起動しなくなり炉心の冷却機能が完全に失われてしまう。炉心の気圧を下げるためにベントに行った日本人技師はベントの破裂により音信不通となる。この問題を解決にしに行こうとする時点でこの小説は終わってしまう。あたかも「この小説の続きは福島第一原発で」とでも言わんばかりの展開だ。 そして今、福島第一原発でこの事象をなぞる事態がまさに起こっている。よもや著者は福島第一原発事件を予言していたわけではないだろうが、原因が違うとはいえ、起きている事象が酷似している点は空恐ろしくなる。 | ||||
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政治のことも、エネルギーのことも このタイミングで読むにはあまりにもリアルな内容。 丁寧に取材して書かれたこと、 そしてかなりのボリュームで真実も含まれているであろうことを考えると 隣国が舞台となったフィクションとは思えません。 人物の描写もいきいきとしていて、 ぐいぐいと話に引き込まれます。 壮大なテーマのドキュメンタリーのようです。 | ||||
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終わらせ方に不満の方が溢れてますが、このラストは作者のほうも不本意だったのではないかというのが私の考えです。推理を働かせてみましょう。 鍵は経済誌への連載小説だったということ。掲載されていた東洋経済は電力会社からの広告出稿が少なくない。つまり電力業界はお得意様ということになります。 たとえ海の向こうの原発後進国で深刻な事故が起こるという筋書きでも、書き進めば電力9社(沖縄は除く)からは反発があるでしょう。そういった圧力がストップをかけたとは考えられないでしょうか?(山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」も日航から猛烈なプレッシャーがあったことがあとがきに書かれています) 私自身は、さんざん伏線を張った女流映画監督の最後でのあっさりとした書かれ方を見て、これは打ち切りを受けたなと確信しました。最も読者が引き込まれる場面で、終わらせるしかなくなった作者は、断腸の思いだったのではないでしょうか? ラストにおける、希望が闇に飲まれようとしていたという意味の表現で、さらに悲劇的な結末を暗示するのが精一杯だったのかも知れませんね。 | ||||
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中国問題を考える材料にツンドクとなっていた本書を読んだ。読み出したら止められない面白さであったが、無理やりエンディングに持ち込まれた欲求不満と残尿感が残っている。日本の技術で中国に巨大な原発を建設し、北京オリンピックの開会式に間に合うように無理やり運転を開始するが、事故発生で炉心融解になるか否かという瀬戸際で話が終わってしまう。 高く評価する理由は、現在の中国の権力闘争、社会のあり方・考え方などを、大変批判的に率直に描いていることである。取材禁止処分などを恐れて多くのマスコミが現代中国の実像を伝えておらず、それが独断的な巨大新興国の虚像を作り出し、世界をミスリードしているように思われてならないが、本書は現代中国の抱える問題を得心できるように描いているように思う。中国で働いた経験のある人、中国からの留学生等々から聞いた本音と思われるコマギレ情報から推定できる中国の現状を遠慮なく描いている印象を受ける。ここまで歯切れ良く活字にしてしまうからは、取材情報に自信があり、中国の反発も覚悟しているはずである。中国問題はこの角度からもっとたくさん語られるべきであろうし、中国への対応も陰に隠された面をしっかり押えて行われなければならない。 80年代前半、しぶる本部を説得してアメリカの原発建設資金融資を推進した。しかし、その後、原発の配管のなかにコーラのビンが「やっと見付けたか」というメモとともに残されていたとか、左右対称の部品が左右逆の対称として工事されていたとかいった信じられないほど退廃したアメリカのモラルにびっくりさせらたものである。無責任な個人主義の行き着く先はそのようなもので、鉄道の両側が捨てられたゴミで埋められ、バレなければ何でもやってしまい責任を他人に転嫁する等々、自分の非を認めない個人主義という点ではアメリカと中国には共通した部分が多いと思う。失いつつあるが、自分の責任を全うして当然とする人間が多いことが日本の力であり、今でも米中両国よりは信頼に値する人間の比率は高いと思う。しかし同時に、日本には自分の頭で実際の便益を検討せずに、ことの流れや形式に拘る弱点がある。 むかし、「チャイニーズ・シンドローム」という原発の炉心融解をテーマにした映画があったが、本作がその可能性を持った事故の最中に突然終了してしまったという印象は拭えない。何か理由があったのであろうか。 | ||||
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中国の複雑な政治や権力構造の中、悪戦苦闘しながら原発を建設する物語。 権力、賄賂、汚職、見栄など中国の姿が克明に描かれ、 その危険さや、秘められた巨大な可能性を氏の見事な筆致がさえる。 クライマックスの男たちの原発のトラブルに立ち向かう使命感に満ちた熱いドラマは感動ものだ。 しかし他の方も書いているが、ラストのブツ切り感はいかがなものか? もう一方の主役であった女映画監督も結局なんのために出てきたのか良く分からないままに終わってしまった。 それを差し置いても読んでる最中はとても楽しめた。 | ||||
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2008年中国でのオリンピック開幕に向け 同時平行のような形で書かれた本書。 真山さんお得意のエネルギーネタとあわせて 読み応えがある。 原発問題だけでなく、中国問題だけでなく、 その間で仕事を通して揺れる、日本人と中国人の ココロの描写が丁寧に書かれている。 もちろん、企業小説としても読み応えがあり、 とてもおもしろい。 でもドックイヤーの中国だから、文化や慣習など 日々変わっていく部分に関しての描写もあるため、 なるべく早めに読むことをオススメします! | ||||
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