■スポンサードリンク
半パン・デイズ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
半パン・デイズの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.56pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ヒロシくんという男の子の主人公の小学生時代を書いた本です。小学生イコール半ズボンということで「半パン・デイズ」とはつまり「小学生の日々」ということですね。 この本でまず出てくるおもらしシーンは、主人公が小学校に上がる直前、越してきた田舎の家で怖くて夜にトイレに行けずに布団の中でおしっこを漏らしてしまうシーンですね。 短ければ全文引用したかったのですが、1~2ページある長いシーンなので、要約して紹介したいと思います。 ・廊下がギイッと鳴った。ぼくは布団の中で体を縮め、下腹に力を込める。おしっこが、もう、漏れてしまいそうだ。 ・足音が聞こえる。奥歯を舌ではじくように押しながら祈った。おばけなんていない、おばけなんていない、… ・(おしっこをしているのが父親だと分かり)なーんだ、と力が抜けたら、おちんちんが急に重くなり、だめ、と思う間もなくおしっこが漏れた。 ・(勿論おしっこが)止まらなかった。たくさん出た。濡れたパンツが下腹に貼りついた。最初は熱く、しだいに冷たくなっていく。 ・おばけなんているわけないじゃん。そんなのあたりまえじゃん。ぐっしょり濡れたパジャマのズボンとパンツを脱ぎながら、やっとそう思うことができた。 これは表現方法や漢字平仮名の使い分けもきっちり合わせて本文から抜き出しているのですが、こうやって抜き出すと、僕が直前までAmazonレビューを書いていた、同じく重松清さんの小説である「ナイフ」の中の短編小説「エビスくん」で、主人公がおしっこをちびる描写と同じ表現が何箇所か出てきますね。やはりおしっこちびりやおもらしの描写方法に重松清さんのクセが出ていると思いました。 気になった方は是非「ナイフ」の方の私のレビューも読んでみて下さいね。 (閑話休題) シーンは以下のように続きます。 ・父も母もぼくを叱らなかった。母は「おかあさんの布団で寝てなさい」と言って、パジャマとパンツとシーツを洗ってくれた。 (↑なんという役得でしょう!代わってあげたい。) ・父もすすり泣くぼくの頭を撫でて、「たまには失敗しちゃうよな」と笑ってくれた。 ・おばけのことは黙っていた。ヨウイチくん(※元々田舎に住んでいる男の子で、東京から越してきたヒロシくんに「お化けが出る」と脅して今回のおもらしの原因を作った立役者。十字勲章モノ)をかばったわけじゃない。おばけが怖くておしっこを漏らしたなんて、そんなの、カッコ悪い。ぼくはもうすぐ小学生になるのに。 我々大人からしてみれば、小学1年生なんて幼稚園児に毛が生えた程度でしかないので、おしっこを漏らして当たり前であり、おむつを穿いて当たり前なんですが、子供にとっては大きな変化ですよね。 その後の描写も面白いです。 ・母の布団にもぐりこみ、穿き替えたパンツの冷やっこさに身を縮めて父と母の話す声を聞いた。 なんで替えの下着がパンツなんでしょうね?またおもらしされたりおねしょされることを想定してないのでしょうか?また、「父と母の話す声」について、ヒロシくんに買ってあげる紙おむつの銘柄の相談でもしているのかと思いきや… ・ぼくがおしっこを漏らしてしまったのはカンキョウが変わったせいらしい。カンキョウが変わると、セイシンテキにフアンテイになるらしい。 まさかヒロシくんが布団の中でしたのがおねしょではなく、「ただ単に怖くて夜中にトイレに行けなかったがゆえのおもらし」だなんて思いもせずに、「精神的に不安定になったのではないか?」と話し合いを進めている点がまさしく大人で、子供なりの事情や視点、お化けが怖いという当たり前の感情を理解出来ていないすれ違いがとてもリアルで良いなと思いました。何故ここから「明日からヒロシに穿かせるパンパースを買ってこよう」という話が出てこないのかワケが分かりませんが、おそらく「小学生にもなっておむつを穿くのはおかしい」という誤った常識に縛られているのでしょう。正確には小学1年生に上がるのは4月からで、この時点ではまだ幼稚園児、おむつを穿いていてもなんにもおかしくないんですけどね…。 というわけで、長くなりましたが、まずはこのエピソードからも、「小学1年生間近の子供にパンツを穿かせるのは間違い」であることが分かりますね。 もう一つ、「小学1年生の子供にパンツを穿かせるのは間違い」であることが分かる素晴らしい事例が登場します。 小学6年生になったヒロシくんは、おしっこを漏らすこともなく、集団登校の班長になります。 その中に健介くんという小学1年生の男の子がいるのですが、この子が実によくおしっこを漏らすのです。 ・健介が(同じ班にいる、足に障害があって性格の悪い美奈子という女の子に)泣かされておしっこを漏らした。 実際に、ヒロシくんが健介くんに「泣きながらおしっこを漏らしたこともあるくせに」と心の中で毒づくシーンもあります。それにしても、小学1年生の数日手前でお化けが怖くておしっこを漏らしたヒロシくんにそんなことを言う資格は全く無いと思うんですけどね…。「ヒロシくんもおしっこ漏らして当時の気持ちを思い出してみるかい?」って気持ちになりました。 また、小学1年生の健介くんのトイレトレーニングをするシーンはとても良かったですね。 ・健介が椅子の上でお尻を落ち着きなく動かしている。おしっこだ。ぎりぎりまでがまんするから、トイレに着く前に漏らしてしまう。いつもは様子をみはからって「しょんべんか?」と声をかけてやるけど、今日は自分から言いだすまで黙っておくことにした。 結局この後健介くんは、我々の期待通りにおしっこを漏らすこともなく、「ヒロちゃん(ヒロシのこと)、おしっこ行ってきてええ?」と言えるようになるのですが、小学校1年生ってこのレベルなんですよ?なんでこのレベルの子供達にパンツを穿かせて平気でいられるのかが本当にわかりません。小学校低学年である小学1年生と小学2年生は、紙おむつの着用を義務化する。おむつ代を小学校の側で負担して、パンパースやメリーズパンツ、ムーニーマンなどを揃えて生徒全員に穿かせるべきだと思います。 小学校低学年のおもらしの実態をリアルに書いたこの本はとても素晴らしいと思いますね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小学校5年の男子にもわかる本。 難しい言葉もなく、情景も想像しやすくおすすめです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小学校の中学年から~中学生に、男女問わず、読んでもらいたいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
疾走を読んで重松清の本を読みたくなかったけど、読んで良かった。 本当に面白かった。おすすめです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
四十代になってから、小学校時代とか過去のことを振り返ることが多くなった。 自分は、重松さんとはほぼ同年代で、小学校2年の時に転校したという点がこの小説の設定と似ていて、むちゃくちゃ懐かしかった。 ロクムシ、ライダースナック、ゲイラカイトといった、当時はやったアイテムがちりばめられていて、「そうだった、そうだった」と。 住んでいる地域は違っても、当時の小学生は日本中で同じような経験をしていたのだなあ。 そして、この年代特有の気持ちっていうのを、重松さんはこんなにうまく表現しているのだなあと。 子供にも読ませたいし、大人も昔を振り返って元気になれる。すべての年代にお勧めしたい作品だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現代の子供に何を読ませるか。 子供が敬遠する古典以外、 読ませたい文学がなくなっているところへ 重松清が登場した。 重松氏は、自叙伝ではなく、作家の想像力や 創造力で、少年少女文学を書く事に成功している。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
幼少期から小学時代を エピソードごとにまとめた物語。 ただひたすらに、 小学校のころと、 ふるさとが懐かしくなる。 とても心温まる一作。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者と同じ年のために、出てくるものみな懐かしい。 ライダースナックは、友人と箱買いして、食べずに捨てたクチだし。 でも、重松清にしては、懐かしいだけで後に何も残らなかった。 きよしこのように心が痛むわけでもなく。 私には、サラリーマンが主人公のものが向いているのかなぁ。 でも、子供に読ませるには一番お薦めだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
重松清の「文庫版のためのあとがき」は,どれも秀逸。単行本より文庫で買いたい作家である。 重松は,岡山で生まれはしたが,その後高校を卒業するまで十回以上引越しを転勤した,「「ふるさと」を持たずに成長した少年」である。 《もしも親父の転勤がなくて,あの街から引っ越していかなければ,ぼくはどんなふうに成長し,どんなひとたちと出会い,どんな思いを胸に刻んでおとなになっただろう――。 『半パン・デイズ』は,そんな発想から書き起こされた。》(428〜429頁) 本当に,どの作品もしみじみと「そうだよなぁ」「そんなこともあったなぁ」と小学校時代を懐かしく思い出させる作品だった。 特に好きなのは『しゃぼんだま』。 低学年のころは障害児(タッちん)とも仲良く遊べたのに,4年生になると邪魔者扱いする。タッちんは,ぼくの歓心を引くためか,毎日文房具などをプレゼントする。ぼくは,タッちんを家の近くまで送って行くが,野球の練習の妨げになるので,心進まない。 タッちんの妹は,タッちんと遊びたいのに,タッちんはぼくと遊ぶために妹を邪魔者扱いする……。 何とも切なくなる話だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もし自分が子供時代をやり直す事が出来るなら、 あぁ こんなふうにやり直したい、と思わさせられた。 オトコとはこうあるべきだ という考えを持ちながらも それを実行できないもどかしさに悩み、 そして実行できたときの爽快さを知る。 コドモにはコドモのルールがあると信じ、 そのルールを破るコトは決してしない。 そんなまだ声変わりのしていない主人公たちの 精一杯オトコになろうとしている姿が実に眩しいのだ。 そんな彼らに少し自分が口惜しいような恥ずかしいような妙な気持ちになるけれどそれは決して不快ではなく、 むしろそんな時間を自分も自分なりに過ごしていたんだなぁと苦笑いしてしまった。 主人公たちに巻き起こる出来事に失笑し、涙し、声を上げて笑っているうちに、 いつのまに我々は自分自身の半パン・デイズと重ねあわせて楽しんでいるだろう。 お薦め。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公ヒロシは、気の弱い少年でしたが、いくつもの困難を乗り越えて、持ち前の優しさに加え、強い少年へと成長していきます。 この成長ぶりが、読んでいてとても気持ちがいいです。スカッとします。 ただ、この作品の良さのひとつとして、そのテンポの良さありますが、テンポが良すぎて、その章の完結部分があいまいな気がしました。 そのため読み手によっては「えッこれで終わり?結局どうなったの?」という気持ちになるかもしれません。 というものの、各章を読むたびに、とってもあったかくて優しい気持ちになることが出来ました。 主人公のヒロシだけでなく、その個性的な脇役たちもいい味を出していて、みんなそれぞれの優しさを持っていました。 優しさのカタチはいっぱいあるんだな、としみじみと感じました。 そんな『半パンデイズ』は、一章進むごとに、強くたくましくなっていくヒロシに自ら共感し、向上心がわいてくるような作品だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私の故郷は広島の尾道という街です。本書に出てくる田舎に大変近く、本書に出てくる方言の多くが私の故郷の言葉です。そのため本を読みすすめていくうちにいつのまにか20年近くも離れた故郷の方言が自然とよみがえってきます。「ヒロシ、おまぁの気持ちはよーわかるでぇ。」「ほんま難しいのぉ。大人ゆうんわ。」「そぎゃーなことで、落ち込まんでええわ。わしが応援するけぃ」いつのまにか心の中で本書の主人公ヒロシを応援している自分がいる。時にはヒロシと同級生の立場で、時にはヒロシの兄貴分として、時にはヒロシの親の立場として。そして時にはヒロシ自身として。 幼稚園から小学6年生までのヒロシが成長していく過程を本書は描いています。それと同時に同じように歩んできた読者がいます。主人公と読者が色々な立場で交ざり合い、共感しあうことが出来る。そんな素敵な本でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
東京から地方に引っ越し、そこで繰り広げられるヒロシ少年の小学生時代の物語。重松清さんらしい家族のふれあいが感じられる作品です。大人になってから子供をみると「好きな友達とだけ遊べていいな、大人は嫌いな人とでもつき合っていかなくてはいけないから大変」なんて思っていましたが、結構子供時代も友達とのかかわりの中で色々考えて人間関係を形成していたことを思い出しました。それに大人に気を使っていたことも・・・。「子供=純真」とかではなく本音で語っているので子供時代の自分の心がよみがえります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
どんな人にも、心の中に少年時代や少女時代のきらめくような思い出が残っているのではないだろうか?同じ時代を生きてきた私は、読んでいてふとなつかしさをおぼえた。「古きよき時代」まさにその言葉がぴったりの時代だった。少年という言葉にはまだ純粋さが残っていた。うれしいこと、悲しいこと、つらいこと、くやしいこと、いろいろ経験して少年たちは一つずつ階段を上っていく。著者が言うようにこの作品は、まさに「ぼくたちみんなの自伝」と呼ぶにふさわしい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
僕も小学生の時に何度か転校というものを経験したことがあるので、この作品には深く共感できた。転校した少年にとって言葉(方言)というものは重要である。それがそこに住むものの証明のように感じました。そして、その言葉を使えたとき初めてその土地に立っているということを認めることが出来るような感じでした 主人公のヒロシもそんな壁を越え、土地に馴染んで、友達、ライバル、恋愛・・・と少年が超えていくべき壁をどんどん越えていきます。 「では、いつから少年は少年を卒業するのだろう?」僕はこの本を読み終わったときこう思いました。 僕は自分と人との距離を測ることが出来たときに卒業するんだと思います。自分の中にものさしを作るのが少年というものなのではないだろうか? ヒロシはこれから本格的な思春期を迎えるでしょう。ものさしがうまく使えない時期です。それを超え、ものさしが完成したとき、少年を卒業するのでしょう。なんだか、温かい気持ちにさせてくれる小説でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小学生のころに何度か引越しをした経験のある僕にはとても共感できる設定でした。引っ越した先での言葉(方言)は重要です。使いたいような使いたくないような。方言を使うことがその土地の住民の証明であるかのような印象を受けたものでした。 人はいつ少年を卒業するのだろう?この本を読んでいてそんな疑問がふっと浮かびました。はたしてこの作品の中で主人公は少年を卒業したのだろうか? 主人公のヒロシは土地になじむことから始め、色々な出来事に遭遇します。特別なことなんかではありません。色々な出来事を越えることによって、色々なことを知り、悲しみ、喜ぶ。世の中と自分との距離を掴むためかのように経験を重ねます。人は誰もそうして少年を卒業してゆくのでしょう。 温かくて、懐かしい。そんな文章をこんなに巧く書ける作家はそう多くはありません。重松作品にはそんな空気が漂っていて、心が温かくなる心地がします。 ヒロシにはこれから本格的な思春期が待ち構えています。それを超えたとき青年になるのかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
重松さんの作品の中でも、一番共感できる作品。 周りの人達に心を閉ざし、気が付いたら周りと距離を置くようになっていた少年が徐々に成長し、心を開いていく様子がとても鮮明に表現されている。 人間誰でも他人に対して嫌悪感を抱いてしまったり・・・周りにどう思われるかを気にして、意地を張って素直になれなかったりする。そんな自分が嫌になることもあると思うが、この作品を読んでいると勇気付けられるというか、素直になれる。子供大人関係なく、自分を少し重ねながら楽しんで読めると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
重松さんの作品の中でも、一番共感できる作品。 周りの人達に心を閉ざし、気が付いたら周りと距離を置くようになっていた少年が徐々に成長し、心を開いていく様子がとても鮮明に表現されている。 人間誰でも他人に対して嫌悪感を抱いてしまったり・・・周りにどう思われるかを気にして、意地を張って素直になれなかったりする。そんな自分が嫌になることもあると思うが、この作品を読んでいると勇気付けられるというか、素直になれる。子供大人関係なく、自分を少し重ねながら楽しんで読めると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
転勤族だった家庭に育った重松清自身の、もし、自分が引越しを重ねず、ひとつの地域で育っていったら どんな人生を送っていただろうか、という疑問から生まれた、ヒロシの成長を描く小説。 誰もが体験したことがあるような出来事を温かく描いていてひどく共感してしまいます。「ぼくたちみんなの自叙伝」というキャッチコピーはあながちハズレではないな、と思います。 吃音を持っていて、引越しを重ねる少年きよしを描いた『きよしこ』と対を成す重松清の少年時代を描いた、 本当に気持ちのこもった力作だな、と個人的に位置づけています。私個人は20代前半で全く重松清とは同年代ではないのですが、本当にじわじわと泣かされてしまって、 ああ、そんなこと自分もあったなぁ、そんなこと自分も考えたなぁ、そんな友達いたなぁ、そんな悩みも持ったし、 そんなアヤシイ行動も取った、と妙に自分と重ね合わせてしまって、心にネチネチ訴えかけてきます。妙に懐かしくて、共感してしまって、温かさに触れられて、全てが夕日色に染まっているような、そんな印象の小説です。 だれもが無意識にうちにやっていたり、思ってたり、そんな行動、気持ちを文章にしてしまう重松清の描写力は素晴らしいと思います。「あさがお」「二十日草」「しゃぼんだま」「ライバル」特に中盤のこの辺りの作品は登場人物たちが本当に生き生きしていて、 懐かしくて温かくて、何度も泣いてしまいました。主人公とともに自分の小学生時代を追体験しているような、 そんな感覚さえ持ちました。感動なんだけれど、それだけではなくて、それ以上のものを感じてしまうような、よくわからないけれどもそんな作品だと思います。重松清は大ファンで、ほとんどの作品を読んでいますが、重松清の気持ちがこもった『きよしこ』と『半パン・デイズ』 はその中でもずば抜けて名作だと思います。 この本はもうただ感情的にあぁ、みんなにこの本を読んでもらいたいなぁ、とそれだけを思ってしまいます。また、一部『ナイフ』など過剰描写な小説はありますが、重松清は数少ない、子どもも大人も楽しめる小説を書ける 作家だと思います。おかげで中学入試問題によく出題される作家としても定着していますが、親子で読んで欲しいなぁ、 と思います。オトナは団塊世代の子ども時代が懐かしい色彩で描かれていて心に来るものがあると思うし、子どもも楽しく読んでくれる小説です。親子で語り合える、そんな小説でもあるのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「流星ワゴン」以来、重松清の長編を読みたかったのですが、短編が多く、また、この長編は、どうもタイトルが気になって、二の足を踏んでいましたが、先日やっと読みました。 しかし、この作品も一人の少年を主人公にしているとは言え9つのエピソードから成りたっており、ようは短編集のようなものでした。 しかし、各編に存在する、なんとも言えないイイ雰囲気、また、全編を通して流れる心地良い空気。 この作家が、短編を中心に仕事をする訳が分かりました。いまさらながらですが、短編の名手なのですね・・・。 事件はなにも起こりません。誰にでも起きそうな日常が淡々と続くだけです。しかし、気が付くと、オネショで泣いていた小学1年生が、いつのまにか、逞しい立派な中学生に成長していました。 また、中場利一の解説が的確で実にイイんです。私は、本編では平気でしたが、この解説を読んで、我慢していた涙が一気に溢れてしまいました。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!