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トワイライト
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トワイライトの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.25pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 21~40 2/3ページ
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思い描いていた理想と現実が大きく違うことを様々な観点から書いてあったように思う。 やや長めの小説で、登場人物は多かったが、人物設定が印象に残りやすく、読みやすかった。 家族が平穏に暮らせることがどれほどありがたいか、改めて強く感じた。 | ||||
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大阪万博のシンボル、太陽の塔、輝かしい未来を予想させたあのイベントからはや40年もの歳月が流れているんですね。 重松氏と同年代の私にとって、本書に出てくる登場人物はすべて自分の同級生のようで、読みながら何度もため息が漏れました。 「あの頃」しっかりものだった真理子は今は同じ同級生だった「ジャイアン」こと徹夫と夫婦になり、二人の子供を授かりつつも、DVの恐怖の中で、夫婦関係を見直そうとしている、「あの頃」の「のび太」こと克也はリストラの憂き目に会い、家族の行く末を思い悩んでいる。「あの頃」からおとなしく勉強家だった淳子は若かりし頃「古文のプリンス」の異名を持つ売れっ子の予備校講師だったが、今は…。 さまざまな現実を抱える者の中で、「あの頃」と変わらない純真さで、社会を生きている浩平、そして命の瀬戸際でタイムカプセルを掘り返す新聞広告を出した杉本。二人が同級生の「今」を結びつけ、これから先の未来の希望をつないでいく。 40代=人生の黄昏(トワイライト)とは思いたくはないけれど、人生をやり直すには勇気のいる年代には違いなく、家族や仕事、いろんなしがらみから離れることはできない。「あの時」ああしていれば、という後悔の一つや二つ、誰もが持っているはずです。 小学生の頃の同級生に会うことで、希望にあふれていた「あの頃」を苦い気持ちで振り返り、一時「夢」を見るものの、やはり皆が「現実」との折り合いをつけていく。 40代以上の読者には感銘を受ける書となるでしょう。 | ||||
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小学生の時に埋めたタイムカプセルを開封するために集まった同級生達。彼らの「現在」はしかしそれぞれに極めて厳しい。ドラエモンののび太といわれた克也は会社でリストラ寸前、ジャイアンの徹夫と真理子の夫婦は家庭内暴力で離婚寸前、まだ一人ものの淳子は、古文の有名講師としてもてはやされた時代は終わって斜陽の予備校教師。カプセルからは不倫の末惨殺された当時の教師白石の問いかけ「幸せですか」のメッセージ。特に徹夫夫妻は仮面の夫婦を演じることも出来ずに、家庭崩壊を皆の前でさらすことになる。彼らの未来は、という問いかけに答えるがごとく皆はまた10年後に開封することを約束してタイムカプセルを埋める。ちょっと苦味と懐かしさが入り混じった彼らの人生。いや全ての人たちの人生はこのようなものかもしれない。自分にとっても小学生の頃は未来にこのようなものを託すことが出来る時代であったと思う。なかなか面白い作品であった。 | ||||
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著者と一月しか誕生日が違わない大阪育ちの私にとって、 万博はやはり特別なもので、何度も行った。 ひょっとすると、シゲマツ少年とすれ違っていたかもしれない。 本書にはでてこないが、万博は夜がいい。 昼と違って、ライトアップの効果によって、 その未来度が一気に高まり、21世紀はこういう風になるんだろうなと思ったものである。 そして今である。 パソコンとケータイは当たり前になったけれども、 あの頃夢見た未来とはまったく違う。 自分自身も含めて。 | ||||
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21世紀。 この言葉は希望に満ちあふれ、果てしない想像力を掻き立ててくれた。 透明チューブの道、浮いて走る車、お手伝いロボット、空中に浮かぶ大スクリーン... 手塚治虫や藤子不二雄があの頃みせてくれた未来を信じて疑わなかった。 しかし実際あるのはそんな代わり映えのしないものだった。 39歳の男女がタイムカプセルを掘り返す。 それぞれに成長し、大人になった同級生たちが昔の自分たちに再会する。 成熟しきった、それもそれぞれ落ち目だったり、現実を痛いほど味わった登場人物たちには とても残酷なことだったでしょう。 キラキラしたものや、正しいことを正しいと信じて疑わない、純粋で無垢な昔の自分たちに出会ってしまうのだから。 21世紀も自分も何も変われず、『あの頃の21世紀』に再会した同級生たちの物語。 登場人物みんなに乾いた悲しさがあって、ちょっと苦しかった。 重松さんの作品のいいところはそういう悲しさや絶望があっても救わないところだと思います。 その問題とどう向き合うか、どう立ち向かうか、どう折り合いを付けるのか。 最終的には自分でどうにかするしかないんだよって言ってるような気がします。 どんな作品もチープに終わらないところが好きです。 | ||||
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39歳になった小学校の同級生が、 6年生のときに埋めたタイムカプセルを掘り出しに 廃校になった小学校へ向かう。 集まった元小学生たちには それぞれの生活があり、 それぞれに悩みを抱え、毎日を精一杯に生きている。 リストラされそうな会社員。 離婚の危機にある夫婦。 人気のなくなった予備校講師。 病気に冒され、死期も近い男。 障害のある給食配達人(唯一幸せかも)。 不倫をし、殺害されてしまった元担任。 どの人生も吹っ切るにはまだまだ重い。 ほんの1週間の間に起こる出会いや別れ。 そして心の葛藤。 『今、幸せですか?』という元担任がタイムカプセルに残したメッセージ。 誰一人として答えられないもどかしさ。 同じ年代のボクにとっても非常に胸に突き刺さる言葉です。 そして、さまざまな壁にぶち当たっていた彼らが取った行動は? 最後まで飽きることなく、 一気に読み通すことができた作品です。 あなたならタイムカプセルに何を入れますか・・・・? そして、『今、幸せですか?』の問いに 『YES』と答えられますか? | ||||
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重松さんの作品には、毎度毎度「家族」を感じる。 あったかくって、親密で、でもクールで危うい「家族」という人間関係が浮かび上がってきて、 いつも落ち着かない気持ちにさせられる。 だから、ものすごく揺さぶられて、涙など流してしまったりもする。 本書は、40歳を目前に、タイムカプセル発掘のために集まった元クラスメイト数人の再会から話が始まる。 そのまま結婚した同級生カップルや、リストラ寸前の元・天才少年。 「お一人様」を受け入れているような、落ち目の女塾講師…。 40歳で出会ったのではなく、子供時代を共有し、空白があって再会したからこその距離感が漂う。 そして、各人の背後には、「家族」というプライベートな領域が存在していて、 「子供の頃の屈託のない距離感では開放できない、でもこれを機に風入れを」みたいな空気が流れてもいる(ように感じた)。 まだ、「家族」は元々そこにあったもので、 で〜んとあって当たり前と感じてしまう私だが、 誰かと結婚し「家族」を「続けていく」ようになれば、 思いやるだけではままならない「家族」の苦さを、感じるようになるのかもしれない。 | ||||
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万博なんて知らない世代の自分が読むのと、万博世代の人が読むのでは全く異なる感想を持つのだろうか。 そんなことを思いながら読んだ。 「未来に対する希望」 まだ未来が輝いていた頃に育った人々にはその感覚が分かるのだろうけれど、生まれながらにして「輝く未来」を失っている世代にはその感覚は微妙に分からないのかもしれない。 ただし、どんな世代の人間にも伝わる切ない思いもこの本にはたくさん詰まっていた。 読み終わったあとに、なんとも言えない気持ちにさせてくれる本である。 切ないような、ほっとしたような。。 本の世界に入れることは間違いないだろう。 | ||||
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ほぼ30年ぶりに小学6年生のときのクラスメイトが集うことになった。「タイムカプセル」を開けるために。彼らが「未来」の自分たちに何を託そうとしたのかも興味深いが、そこにあったのはモノだけではなかった。心のスイッチもONになって・・・。21世紀はどんな世界で、その頃の自分たちはどうなっているのだろう? 実際に21世紀を生きる彼らには夢や憧れの残骸も残っていないほどシビアな状況が待っていた。リストラだったり、家族崩壊だったり。大人になっているはずなのに失敗を繰り返す。前へ進むどころかふりだしに戻っているような気もする。大人とはある種の完成形を意味するものだと思っていたのだが、少年少女だったときと同様、葛藤も懊悩も尽きないのだ。 | ||||
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どうして重松作品はこんなに感情移入できるのかと思ったら、そう解説にあった同時代だからですね。40代になると自分のいやなところダメなところが積み重なって、自分にのしかかってくる。真理子はいやな女と思いながら、その嫌いなところは自分に重なる。この40代をトワイライトの時代をどう生きるかとっても大切なことですね。 | ||||
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どうして重松作品はこんなに感情移入できるのかと思ったら、そう解説にあった同時代だからですね。40代になると自分のいやなところダメなところが積み重なって、自分にのしかかってくる。真理子はいやな女と思いながら、その嫌いなところは自分に重なる。この40代をトワイライトの時代をどう生きるかとっても大切なことですね。 | ||||
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どうして重松作品はこんなに感情移入できるのかと思ったら、そう解説にあった同時代だからですね。40代になると自分のいやなところダメなところが積み重なって、自分にのしかかってくる。真理子はいやな女と思いながら、その嫌いなところは自分に重なる。この40代をトワイライトの時代をどう生きるかとっても大切なことですね。 | ||||
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あの大阪万博のシンボル「太陽の塔」が描かれた表紙と、文庫本の帯の「あの頃の21世紀は、もっと輝いていた・・・」というキャッチコピーに惹かれて本書を購入しました。 一気に読みましたね、本当に一気に。月並みな言葉ですが、面白かったし、重松 清という作家の力量をどのページからも感じさせられるほど巧みで、それでいてその「筆運びの上手さ」を読み手に気づかせない自然さと卓越さに感心しました。 私は、作者の重松 清よりは、少し上の50代の者ですが、登場人物達の置かれている境遇や感傷じみた思い出、そしてなにより、万博の頃にこの世にいた者の共有感である「未来に希望を持っていた」というものを皮膚感覚として受けとめられました。 26年ぶりの同窓会で封印を解かれたタイムカプセルという一種の狂言廻しの設定がうまく機能していました。ドメスティック・バイオレンスやリストラというキーワードの登場もまた、現実社会問題の苦さに繋がっています。 未読の方のためにあらすじやプロットには触れませんが、26年前の小学生当時の人間関係と「今」の人間模様、思い出と現実、「光」と「影」という対比が、また切なく辛く、甘酸っぱいものでした。 現実の世界を精一杯生きている我々の同世代の者に対するエールにしては、苦い物語でしたが、逆に日常生活の辛さを一時忘れさせてくれる一服の清涼剤でもありました。 ラストシーンの「十年後・・・また会おう」という登場人物の言葉の重みを、今自分自身の命題として受けとめました。いろいろと考えさせられた本でしたね。 未読の方に、本当にオススメします。 | ||||
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重松氏とほぼ同年代であるからか、彼の作品にはいつも感情移入できる。 大阪万博の時、タイムカプセルがブームになったが、本小学校でも卒業記念にタイムカプセルを埋めている。あの頃、思い描いた「未来」は、常に輝いていた。夢と希望で一杯だった。26年ぶりに母校で再会した同級生たち。しかし、彼らの「未来」は、夢とはかけ離れた厳しい現実だった。 家庭崩壊、リストラ、不治の病。。。 甘くない現実の世界を、リアルに描き、読者に感情移入させる。 40代前半の方々にお勧めです。 | ||||
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何度も涙が溢れた。 未来はいつか、「今」になる。しかしそれは一度夢みたような輝くものでは無くて時に苦いものとして在る。 夢が今の現実でなくても人は何とか折り合いをつけて生き続けなければならない。 そしてこれは、人生の哀しさでも辛さでもない。そんな子供のような被害者意識を持つには、人生は複雑に過ぎる。 それをあえて言うなら、やりきれなさ、だ。 あの半ズボンをはいていた頃の自分には決して分らなかったであろう感情。そこにはハリウッド映画のような、分りやすい善も悪も、ハッピーエンドも出てこない。 ただ、それに向き合うか、逃げるか、のどちらかしかない。 子供の頃には、苦しくて泣けば、誰かが来てくれたかもしれない。 でも大人になった今、ドラえもんはどこにもいないのだ。 それでも僕らは、その、やりきれなさ、に向き合っていく。 | ||||
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タイムカプセルを開けることから始まるストーリー。とても面白い作品です。過去から届いたタイムカプセルに、未来からタイムマシーンにのってやってきたドラえもんが効果的にかぶさり、今を生きるボクラに語りかけます。「今、幸せですか」と。その前に立ち尽くす「のびたたち」。現実には何でもかなえてくれる「ドラえもん」はいない。映画の「のびた」のように「勇気」を自分の中に見つけ歩いていくしかない。主人公たちは大阪万博の時、小学校2年生だから昭和37年(62年)生まれ。ボクは丙午の41年生まれ同世代です。今、37歳。同窓会を開いたらどうなるんだろう。たまたまこの本を読んでいるときに「クレヨンしんちゃん」の映画がテレビでやっていた。「おとな帝国の逆襲」だったかな。そこにも太陽!の塔が登場し、場面は夕陽・トワイライトだった。頭の中がこんがらがった二日間だった。 | ||||
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母校の長山西小学校の廃校が決まり、校庭に眠るタイムカプセルを開けるために集まった同窓生。タイムカプセルを埋める時は輝かしい未来があるはずだった。しかしそうはならなかった。男女のクラス1の優等生、ガキ大将でヒーロー、クラス1の人気者の4人が26年ぶりに再開するところからこの物語は始まります。重松さんのエッセイを読むと「世の中は自分の思い通りにはならない。」の下りが何度も出てきます。この物語もその思い通りにならない未来が存分に描かれています。 しかしやっぱり人間は未来に期待し、それは無意味ではない事をこの長編の中で語っているような気がし、それがただ暗いだけの物語ではないようにしていると思います。ラストは重松流の「ハッピーエンドではないけど一筋の光!が射す。」で、毎度おなじみの手法ですが、同じように泣かされました。ちなみにこの物語を読むと、みんな未来の自分に手紙を書いてみたくなったり、タイムカプセルを埋めたくなるみたいです。この作品が名作の証ではないでしょうか。 | ||||
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物語の三分の一ぐらいから切なくなってきて、後半三分の一はあふれる涙をどうしても止めることができなかった。 ジャイアンはもう、ジャイアンではない。わかりきったことだけど大人になったガキ大将はもう、中年になればガキ大将ではない。当時、あんなに大きかった体も、いまとなってはのび太よりも小さい。ジャイアンが近所の不良中学生に袋叩きにされて入院するところは本当に泣ける。 | ||||
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タイムカプセルを開けるために集まった長山西小学校の同窓生達、26年後の少年少女達、克也はリストラの危機を抱え、予備校講師の淳子は一時の勢いを失い、崩壊寸前の真理子と徹夫の家庭、タイムカプセルを提案した白石先生は、彼らが卒業した後愛人に殺されていた。カプセルからでてきたのは、彼らの思い出の品と先生の手紙。彼らの現実と思い出が混じり合い長い夏が始まる、そしてみんな少し過去から力をもらい、先生のメッセージ『あなたたちはいま、幸せですか』をかみしめる。彼らは再び10年後に向けて新たなる思い出を封じ込める。ちょっと重い、重松ワールド、でも良かった | ||||
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たまがわニュータウンという昔のニュータウンに育った小学校の同級生が、タイムカプセルを開けるという名目で、久々に母校に集まるというところで話は始まる。40に手の届く年齢になった自分へのプレゼントとして様々な夢や希望がカプセルには詰まっていが、同級生たちはリストラ、家庭崩壊、ドメスティックバイオレンス、未婚の孤独、そして不治の病といった悩みを抱えている。そんな中、既に命を絶ってしまった担任の先生の衝撃的な手紙が出てきます。 「みんなは今幸せですか?」ここから話は渦を巻くように展開していく。作者は1963年生まれで私と同い年。表紙の高度成長期の象徴である太陽の塔のように無邪気な未来を夢見た世代。でもヘビーな現実に四方を囲まれている、そんな現実がいやというほど伝わってくる。重い覚悟をして読んでください(笑)。はまります。 | ||||
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