カラマ-ゾフの兄弟

評判

カラマ-ゾフの兄弟の評価:

4.26/5点 レビュー 686件。 C ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.26pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全695件 521〜540 27/35ページ
No.175
(5pt)

心のまこと

本書から感じさせられること。
1.どのような人にも誠実な心根がある。
2.どのような人にもプライドがあり、それが大切なものである。
3.どのような人にも神聖なるものへの憧れ、畏れ、すがる気持ちがある。

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.174
(5pt)

どん底の絶望から見える希望

三度目の正直で世界最高峰と呼ばれるヤマ?の登頂に成功しました(笑)
上巻で幾度も無理なのか?と挫折しそうになりましたが中巻のあの事件以降、俄然読むペースが速くなり下巻はあっという間に読み終わりました。
下巻の裁判シーンの描写が圧倒的な迫力です。読んでいるというより体感しているようでした。
ロシアの文豪の傑作というといかにも難解極まりない印象ですが、個人的には昼ドラのドロドロ愛憎劇風なところも感じられ面白かったです。
三兄弟のキャラも興味深い。野獣(笑)の長男、ツンデレ(笑)の次男、美男子で人間とは思えぬ(笑)出来過ぎの三男。野獣は石井慧(笑)ツンデレは福山雅治、三男はあまりにも浮世離れしてるのでCGって感じでそれぞれイメージキャラクターを思い浮かべながら読みました(笑)
上巻を読破出来れば、かなりの確率で下巻の最終頁に辿り着けると思います。酔狂にもこの小説を読破しよう!と思っている方、今読めなくても読みたいという意思を持ち続ける限りいつか読破出来る日は来ます!私でも読破出来たのですから。
最後にこちらにレビューを寄せた皆様に感謝。挫けそうな時に励みになりました。

カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.173
(2pt)

敢えて言う、失敗作。

恐らく本作のレビューは殆どが高評価であろう。なぜならこの『カラマーゾフ』を4巻まで読むのは余程ハマッタ人達だからだ。
 私は本来なら2巻あたりで挫折していた読者だが、義侠心と半ば意地で4巻まで何とか通読し、このレビューを書いている。
 よく『カラマーゾフ』は前半退屈、後半ワクワクとゆう評価がされるが、それはハマッテ通読出来た人達の評価。その裏には何倍もの途中挫折組が居ると考えられる。私も本来ならその挫折組みの一人である筈だが、今回このレビューに書きたいがために、頑張ってこの4巻まで何とか読み終わった。以下断言できる事。

 1)本『カラマーゾフ』はハッキリ言って、ダラダラ長いだけの失敗作です。よっぽどドストエフスキーにハマッったマニア以外は読む時間が無駄でしょう。一気に全巻購入は止めて、第1巻(の)冒頭)だけ読んで、通読するかどうか判断して下さい。後半にもそれを凌ぐ場面はありません。
 2)これは訳者の力量ではありません。原作が失敗作なのです。岩波文庫でも私は第1巻で挫折しました。
 
 第5巻も意地で読みます。
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.172
(4pt)

物語のクライマックス

父殺しがテーマだが、殺しの場面は直接出てこないので、やはり裁判シーンがこの物語最大の見せ場ということになる。ただ、この4巻を読んで私が最も心引かれたのは、アリョーシャとドミートリーの接見の場面のやりとり。
 ドミートリーの口から「もしも、神さまがいないとなりゃあ、人間が大地と世界の主人てことになるよな。悪くないぜ!ただし、人間は神さまがいないのに、どうやって善良でいられる?」
 登場人物中もっともわかりやすいドミートリーから発せられる単純明快なセリフである。このフレーズだけでなく、作者は自分の主張をいろいろな所に埋め込んでいるように思う。読者は、これをどのくらい掘り出すことができるだろうか。
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.171
(4pt)

ついに佳境へ。巻末の読書ガイドはとてもありがたい。

ついに、この第三巻で父親フョードル殺しが出てくる。章立ては「アリョーシャ」「ミーシャ」「予審」となっているが、予審の章はミーシャが主役だから、この第三巻は殆どミーシャを中心とした話であると言ってよいだろう。
 グルーシェニカの愛を確信できた途端に、父親殺しの疑いをかけられたミーシャ。金銭については性格破綻者と言ってよい彼の行動・発言はなぜか心に響く。憎めないキャラクターである。

 話は変わるが、当時のロシアの風俗や習慣のわからない読者にとって、大きな助けとなるのが巻末の読書ガイドである。翻訳の現代語化もさることながら、これまでの翻訳と大きく異なるのはこの点かもしれない。訳者が読者にずっと寄り添って、この長編の読破を助けてくれる。
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.170
(3pt)

19世紀の人々はこの大作をどのように読んだのだろう

文体は饒舌で情緒的、観念的。登場人物は歓喜し絶望し冷笑し絶叫する。その感情の起伏はジェットコースターのよう。

あらすじ的には父親殺しを巡る推理劇と言えなくもない。しかし、メインプロットとはどうみても無関係に思われるサブプロット、ディテール、登場人物が、要するに枝葉がこれでもかとばかりに繁茂している。いったい今読んでいるこの部分は、この大木の幹につながっているのだろうか?とたびたび不安になり、うんざりしてくる。
たとえば神の存在について登場人物が開陳する持論。それが、先述の「過剰な」叙述でもって延々と描かれる。

第5巻の大半が費やされる訳者による「解題」によって、そうした「うんざり」の大半が相応の意味付けを与えられはするのだが、もし解題なかりせばとんでもない徒労感が読後に残ったことだろう。

ところで、本書が世に出た19世紀ロシア(もくは欧州)の人々は、この大作をどのように読んだのだろう。
もちろん解題などないわけで、その中でこうした収まりの悪い「過剰な」エピソードやディテールをどう咀嚼したのだろうか。
少なくとも現代日本のスピード感や文化的問題意識においてはどうにも向きあうことのシンドイ諸々の内容も、当時のロシアの人々にとっては同時代性を持った切実なテーマとして捉えられたのかもしれない。
また振幅の激しい感情をもった登場人物のキャラ設定も、当時のロシアの「情緒」からすれば別段の違和感はなかったのかもしれない。
そうとでも考えなければ、この壮大すぎるストーリーをそのまま受け入れるなんてことは出来ようもないと思われてならない。

とはいえ、この作品に触れておくことは「読書経験」としては決して無駄ではあるまい。
その意味でも本書は一読の価値はある。
もう一度読め、と言われたら「ご勘弁を」かもしれませんけど。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.169
(4pt)

脇役たちのエピソード集といったつくり。後半への伏線か?

フェラポント神父に始まり、スメルジャコフやスネギリョフ大尉などカラマーゾフを固める役者達が続々登場する。エピソードを通じて詳細な人物像が浮かび上がる。でもこの時点では、これが後半どのようなことに結びついていくのかはわからない。

 わからないと言えば、「大審問官」も同じ。ゾジマ長老のアンチテーゼとして登場した感があるが、なぜかこの部分だけ邦訳そのものが難解。後半を読めば、第2巻でのエピソード群がどのような意味を持つのかわかるだろうと思いながら読み進めた次第。

 一方、ミーチャの精神状態とフョードルとの関係はいずれも益々悪くなっていく。不安を抱えながら、第3巻へ突入する。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.168
(4pt)

これまでの読みにくさがかなり払拭されている

過去、新潮文庫にドストエフスキーの作品が山脈のように連なっていた。「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」・・・・、いずれも大部で読破した作品もあるし、挫折した本もある。
 カラマーゾフはその中でも特に長く、名作といわれながらこれまで読んでいなかった。

 1巻目を読了したが、これまで読了を阻んでいた「呼称の複雑さ(正式名称や愛称、父称などロシア人の名前はややこしい)」「訳文独特のわかりにくさ」はかなり払拭されていて、読みやすかった。
 また巻末に、当時のロシアにおける宗教の情勢やドストエフスキーの宗教的スタンスも記されており、作品自体の理解を助けている。

 文章のつながりの悪いところがいくつもあるが、これは原文のせいであろう。ドストエフスキーは悪文家だったとどこかで読んだことがある。

 それにしても、愛憎が錯綜するカラマーゾフの一家を巡る面々、これからどうなるのか非常に楽しみである。人物描写はさすが。
 

 

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.167
(4pt)

約300ページもの解説、理解を深めるよすがとなる

5巻まで読み終えるのに優に3ヶ月を要した。人間の善悪の本質、キリスト教と無神教、高貴な心と醜悪な感情、重層に繰り広げられる壮大なドラマである。150年経っても、人間の本質はさほど変わらないということを思い返された。

→気に入った表現をいくつか
子供時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはない

どうか人生を恐れないで!なにか良いことや正しいことをしたとき、人生って本当に素晴らしいって、思えるんです!

新約聖書と旧約聖書、とくにドストエフスキーに強い興味を覚えさせたのは、神のむごたらしい試練を受け、信仰を失わないヨブの話

極端に内気で人付き合いの苦手な若いころのドストエフスキー

政治犯容疑のドストエフスキーは、4年間、シベリアの流刑地で人生の奈落を経験

罪と罰 世界文学史上に燦然たる光を放つ小説 農奴解放後のロシア社会を襲った混乱

ロシアが国家としての推進力を失い、崩壊の道を辿りつつあるという、ナショナリストとしての漠とした絶望感
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.166
(2pt)

出版社が言うほど優れた訳ではありません

出版社は、画期的な新訳と宣伝しますが、翻訳臭のする文体で書かれたふつうの訳文です。昔出版された本をお持ちの方は、わざわざこの本を買ってまで読む必要はないでしょう。「昔、途中で挫折したが、今回は読めた!」という方は、年齢を重ねてこの小説の面白さがわかるようになったということであり、この本のおかげではないでしょう。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.165
(5pt)

大審問官よりもイリューシャ少年

今、この小説の5度目の再読中。世界の文学作品中、真に読み継がれていくべき名作の1つであり、途中で止めるにしても、まずは読み始めてみることをお勧めします。読み進める中で、魅力的な登場人物達の各シーンでのセリフ、行動から、人間というものの多彩さについて読者は考えさせられます。
私にとって、上巻で(又は全巻を通じても)最も感動的なシーンはイリューシャ少年のエピソードです。主人公アリョーシャの長兄ドミートリイから、大好きな父親が受けた侮辱を少年はどうしても忘れることができない。最後には「パパ、ねえ、パパ、大好きなパパ、あいつはパパにひどい恥をかかせたんだね!」と父親と抱き合って泣いてしまう。2人の娘の父親として、自分の子供のこうした感情はなんともかわいそうで、何度読んでも、やり切れない気持ちになってしまいます。とても優しい少年の心に感動します。
これに対して、アリョーシャは、今になればドミートリイが自身の行為を悔やんで許しを求めるはず、とその父親に誓うのですが、高潔な精神を持つドミートリイは確かにそうするかもしれないと思います。しかし、そうしたシーンは結局出てこない。そこがまた、なんとも悲しい感じがしてしまいます。そうしたシーンがあれば、少年と父親も少し救われるように思うのですが。
上巻では「大審問官」のエピソードが素晴らしい、すごい、という話はよく聞きますが、私には、このエピソードの良さはよく分かりません。3人兄弟のイワンは単なる頭でっかちな男のように思えます。最初は、色々と深そうな難しいことを言うので、イワンに魅かれるのですが、結局、何がしたいのか、よく理解できません。大審問官のエピソードも同じ感じで、確かに深そうですが、何が素晴らしいのか、すごいのか、よく分からない。今後、もっとこの作品を読む中で、イワンについて違った理解ができるのかもしれないですが。イワンに関するエピソードであれば、私には、アリョーシャの前で、カテリーナに自分の思いを告げるシーンのイワンの方がいいように思います。
とにかく色々と感動できると思いますので、まだ読んでいない方は、是非、読み始めてみて下さい!
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.164
(5pt)

結末に向けて、物語が疾走する

2週間かけて読んだ。新訳は読みやすい、活字も大きい。
カラマーゾフ的なものとは清濁混沌とした人間性そのものなのだろうか。
百年以上経ってもこの小説は心に響く。インターネットが普及したぐらいでは、人の心のあり方なんてものは、そうそう簡単に変化するものではない。

→コーリャの存在感
 めっぽう強いやつ
 抜け目がなく、粘り強い、度胸もある、何かをすすんでやってのける気構えに満ちている
 鉄道事件の後は、さすがに母と子は感極まり、まる一日、ひしと抱き合い、体を震わせて泣き通した
 「プライドが高くて、目がぎらぎら光っている。そういうやつが大好き」
 うちの学校じゃ、全科目一番の生徒
 生活にまみれていない天性が、荒っぽい馬鹿げた話で歪められている
 「たとえ一人きりになっても、きみだけはやっぱりみんなと別の人になるんですよ」

→散々な描かれ方のグルーシェニカが愛したポーランド人
 乞食同然の恐ろしく貧しい暮らしぶり
 連日、無心の集中砲火

→スコトプリゴニエフスク、町の名前、家畜追い込み町
 父殺しの裁判をめぐる噂が、ロシア全国に隈なく広まっている

→イワン
 モスクワから帰ると、カテリーナに対する燃えるような狂おしい情熱に、身も世もなくのめりこんでしまった
 
→フョードルの死
 後ろから後頭部のてっぺんめがけて、打ち下ろしました
 二度、三度。三度目に、ぐしゃっと割れた手ごたえがありました。

→分裂した自分との会話、イワン
 人はいずれ死ぬ身であって、復活はないことをしるので、死を、神のように誇り高く、平然と受け入れる
 真理を認識すれば、新しい原則に従って、完全に自分の好きなように身の振り方を決めることが許される

→弁護士、渾身の言葉
 この世には、心を狭め、全世界を向こうに回して非難する人々がいます。しかし、そうした人々の魂を温かい憐れみで圧倒し、愛を与えてやれば、その魂は自分の行いを呪うようになるでしょう。
 
 




カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.163
(5pt)

神の存在は信じるが神の作ったこの世界は認めない (byイワン)

「神の創ったこの世界がなぜ崩壊するのか?」
本の帯に書かれたメッセージですが、端的に この本の要点を言い表していると思います。

男女間の愛憎、親子、家庭の問題、信仰の問題、法廷劇、無神論、現世に対する失望、次世代に対する期待・・・様々な観点が書かれているこの小説は 読了後に 感動を与えてくれます。

その中でも、この巻に入っている「大審問官」が素晴らしい。世界、自由、生きる価値 についてを考えずにはいられません。

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.162
(5pt)

キリストの似姿としての、アリョーシャと「周さん」

ドスト氏は、期待していた。アリョーシャがキリストの似姿として読者に読まれることを。私のおぼろな記憶が確かならば、物語の最後のほうで、アリョーシャが子供たちに囲まれて、何か語る場面があったはずだ。その囲んでいる子供の数は、確か、11、2人だったはずである。11、2人。イエスの弟子はイスカリオテのユダを除けば、11人、入れれば12人だ。確か、これを最後にアリョーシャの姿は、物語から消えてしまう。
 太宰は、期待していた。「周さん」がキリストの似姿として、読者に読まれることを。「惜別」において、「周さん」は物語の最後のほうで、帰国して、民衆の精神を改革するため文芸運動を起こす決意を語り手に述べ、これを最後に「周さん」の姿は物語から消えてしまう。アリョーシャと「周さん」、両者は、何事かをなす前に読者を置き去りにして消えてしまうのである。「惜別」には、「周さん」が創作したとされる、難破した水夫の話が登場する。この話を井上ひさし氏は、『人間合格』において芥川「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタの生前の行為とほとんど同じ話としてとらえている、と私は見る。つまり、どんな罪人でも、一生に一度は、よい行いをする、人間もすてたもんじゃない、そんな風にとらえているらしい。この読みが確かならば、「カラマーゾフの兄弟」が、太宰の「周さん」創造に影響を与えた、と読めそうである。確か、芥川「蜘蛛の糸」に登場するカンダタの行為は、「カラマーゾフの兄弟」中の挿話「一本の葱」に想を得たものではなかったか。とすれば、太宰の難破した水夫の話も「一本の葱」の影響を受けたもの、と言えそうである。さらに太宰の随筆に難破した水夫の話を含んだ「一つの約束」という作品があり、「一本の葱」との語呂の響きの類似から見ても、太宰が「カラマーゾフの兄弟」を意識しながら、「周さん」を創造した可能性はある、と私は思う(詳述は避けるが、水夫の話は「惜別」のミニチュアであるからだ)。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.161
(1pt)

誤訳余りに多し、全面改訂を

週刊新潮5月22日号で取り上げられているとおり、この訳書にはおびただしい誤訳がある。指摘した「ドストエーフスキイの会」のHPによると、誤訳・不適切訳は、検証された第1巻だけで100以上。全巻では数百箇所に上るという。しかも、その多くが初歩的誤りであり、仕事の杜撰さは否みようがない。実際、誤訳のほとんどは先行訳では正しく訳されているのである。

それだけではない。その後の対応に不信が募る。1月末以降、訳者・出版社は、指摘をなぞり、脱落も含めて第1巻の40数箇所を第20刷と22刷で訂正している。ところが、このことは明記も公表もされていない。しかも、上記週刊新潮で誤訳訂正について質された訳者は、「ケアレスミスが10箇所程度。その他は解釈の違い」と弁明しているのである。残念ながら、これは事実に反する。現に40箇所余りを訂正しているのがその証拠であり、また、その大半は上述のように「解釈」以前のレベルの誤訳だからである。

問題は更にある。訳者は、先の弁明の如く大量誤訳の事実を認めていない。従って、第1巻の残り、そして、巻を追って増すという第2巻以降の膨大な誤訳はいまだ手つかずのまま増刷され続けているのである。

苦しいことではあろうが、訳者・出版社は、誤訳の実態を率直に認め、もう一度原文に立ち返って全巻を徹底的にチェックし直すべきである。そして、できるだけ早く改訂版を出してほしい。それが、読者、また、作品に心血を注いだ原作者に対して果たすべき道義的責務ではないか。なお、誤訳の大半は文脈の誤読に由来するものだが、中には、恣意的誤訳も散見する。これらも是非正して頂きたい。

ドストエフスキーの魅力を広く世に伝えた訳者の功績は大であり、読みやすさを目指した新訳の意図に異論はない。問題は、翻訳の基礎がおろそかだったことである。これでは、作品の読みを深めることは出来ない。新訳が信頼できる翻訳に生まれ変わることを願いたい。
(削除につき、再投稿しました。事態は今も基本的に変わっていません。2011/6/30)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.160
(2pt)

声たちの対話から成り立つ声たちが対話をすることで分裂と結合を繰り返し生成する

すぐれた訳者が必ずしもすぐれた解説者であるとは限らない。本書解題におけるバフチンのポリフォニーへの言及は全くの出鱈目。
本書では「登場人物の多様性による視点の相対化」というくらいの意味ですがポリフォニーとはそのような意味ではありません。
亀山の知ったか振りは、本当にバフチンを読んでいるのかさえ怪しい程で、ただお茶を濁すだけで殆ど何も説明していない。
そればかりかバフチンがポリフォニーの「非常に際立った対話」として詳しく考察している箇所(『詩学』p534-539)を事もあろうに
「ポリフォニーの原理にさからうセリフ」(『本書』p281)等と頓珍漢なことを(しかもなぜか自慢げに)書くトホホな始末。
何も知らないと思って読者を馬鹿にしているとしか思えない。

参考
「イワンの言葉と悪魔の応答とを差異づけているのは、内容ではなく、ただその調子、ただそのアクセントだけである。
しかしそうしたアクセントの移行は、イワンの言葉と悪魔の応答の最終的な意味の全体を変化させている」(『詩学』p454-455)
「悪魔はイワンの内的対話の中に、愚弄嘲笑と絶望的な断罪のアクセントを持ち込む」。悪魔は「イワンのアクセントを悪意的に誇張し、
歪めてしまう」。「アリョーシャもまたイワンの内的対話の中に他者のアクセントを持ち込むが、しかしその方向性は正反対」の「愛と和解
の調子を持ち込む」。悪魔とアリョーシャは「双方とも同じようにイワンの言葉を反復しながらも、その言葉にまったく正反対のアクセント
を付与」する。「対話において衝突し、論争しているのは」絡み合った「闘争する声たち、内部で分裂した声たちのポリフォニー」である。
(同p537-538、p522から再構成)

キーワード
アクセントの移動(変化)/言葉の対話的分裂/意識の対話的分裂/言葉の他者性/私的言語の否定
多声=対話=複声/対話と対話の対話/対話の未完結性=永遠性

『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)特に「ドストエフスキーの対話」p527-562参照。
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.159
(4pt)

悪魔との対話が象徴的な下巻。裁判のパートで作品のクライマックスへ

下巻は大きく3つのパートからなっている。
 まず二等大尉の子供で、死の床についているイリューシャと、以前仲たがいしていたコーリャとの心温まる友情の物語。コーリャのきわめて実用的なものの考え方とは見解を違えるものの、コーリャの行いを暖かくみまもるアリョーシャ。このアリョーシャと子供たちの話は、エピローグでもでてくるが、思想の派閥を超越した、わかりやすく純粋な、人間が決して忘れてはならないものを端的に説明している。それは「神とは何か」という議論に熱中するあまり、基本的な人間の幸せの源流をわれわれに改めて気づかせてくれるものだ。
 そして2つめのパートは、次男のイワンの精神崩壊だ。カラマーゾフの兄弟全体で、正直、このイワンの幻想かつ自分自身を象徴したこの登場人物との会話が、もっとも難解だった。もう一度じっくりと読んでみたい部分ではあるが、中巻の大審問官の話がキリストとの対話であるのに対し、この部分は、悪魔との対話を表しているような気がするが、両方とも核となるメッセージは同じなのではないだろうか。
 最後のパートが、裁判の成り行きで、ここは、じっくりと検事と弁護士との演説を味わいたいところだ。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.158
(4pt)

苦悩の後光明をみいだすアリョーシャと、どろぬまにはまっていくドミトリー

中巻は、おおきくわけて二部ある。一つは、ゾンマ長老の死にあたって苦悩するアリョーシャ、そして二つ目は、ドミトリーの破局(完全にそうなのかは下巻を読まないとわからないが)である。
 ゾンマ長老の死については、死んだ後でも聖なる人は決して死臭がただようばかりか、かぐわしい香りがすると信じられていたことに、まずカルチャーショックを覚える。で、実際、当然のことながら死臭がするのだけれど、それによって、長老制度に反対する物や、生前ゾンマ長老をよく思わなかった人たちは、生前の長老の行いについてやれこれと中傷はすれど、科学的な意見はでてこないところをみると、その時代のキリスト教の浸透がいかに磐石であったかをものがたる。なによりアリョーシャはそれにひどくショックを受けるが、彼なりに最後に悟りに似たように目が開ける。自分的には、彼は、きっと教会内部の権威やしきたりに縛られるのではなくて、社会の人に尽くすことが大事であると悟ったのではないかと思えた。ここででてくる寓話が、芥川龍之介の「くもの糸」とそっくりなのに気がついた。ロシアではくもの糸の変わりに「葱」であるところが面白い。
 つぎにドミトリーであるが、この人は、今の時代的に言うと「不器用な人間」というのだろうか、社会に生きる術を身に着けることに何の価値も見出さず、自分が「高潔」だと信じる生き方を自分なりに解釈して猪突猛進に突き進むタイプであり、親父のヒョードルよりもさらにたちが悪い。彼に親殺しの嫌疑がかけられたときの「予審」の章はおもしろい。ドミトリーがなにか発言すればするほどどんどん墓穴にはまっていく。ただ、読者は、彼が犯人でないことはほぼわかっているので、いったい誰が真犯人なのだろうかと考える推理小説じみた色合いもでてくる。
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.157
(3pt)

おもしろいところと退屈なところ

読んだのは少し前、ちょうどブームになっていたころです。いつまでも「読んだふり」でもあるまいと、ブームに乗ることにしました。
こちらの新潮文庫版にしたのは、もとが古典なのだから、文章もいくらか古典風味があったほうがいいと思ったのと(実際には、古典がかった文章ではなく、読みやすかったですが)、光文社版より総額が安かったから。あと、亀山訳では、ロシア語(orスラブ語?)特有の「父称」が省かれているとどこかで読んで(聞きかじりです。ほんとに省いてあるかどうかは未確認)、いやあやっぱりあれはあったほうがいい、いかにもロシア〜って感じだもの、と思ったから。
読むのに、そんなに苦労はしなかったです。おもしろいところと退屈なところがあるので、退屈なところはちょい飛ばし読みにしたから(笑)
三兄弟を始め大人のお話はドロドロなのに、少年たちのお話は対比をなすように切なく美しいです。少年がダメおやじのお父さんを必死にかばうくだりなど、泣けました。
でも、キリスト教国では、「父と子」には、「神と人」というイメージが重ねられているのだろう。そのへん、非キリスト教徒の日本人にはわかりにくいのかもしれない。しかもここに描かれているのは、ロシア正教だもんなあ。「ギリシャ正教」という本も読みましたが、そのぐらいで何とかなるようなものではないですね。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.156
(5pt)

父親と兄弟の5角関係に始まり、宗教・哲学が彼らの運命を決定的にしていく

上巻の多くは、父フョードルと、三人の兄弟の性格を描写しつつ、かれらに関わる女性たちとの間の5角関係(?)に筆が割かれており、「この調子で全巻続くのか?」と思っていると、最後の章、「プロとコントラ」で内容がきわめて宗教的思想的になるのに驚いた。
 三男のアリョーシャは、純粋に育てられた修道者であり、死期の近い老師は、彼に現実を見せるために敢えて彼を外へ出す。
 そこでアリョーシャは、きわめて世俗的な彼の父親と長男ドミトリィ、そして現実から独自の思想を作り上げたクールでニヒルなイワンを助けるとともに、アリョーシャ自身、自分の家族とのつながりが苦悩の元に成長の基点となっていく。
 上巻のハイライトは、生意気な召使のスメルジャコフに始まり、まずカテリーナとグルーシェニカのやりとり。カテリーナの部屋の描写が見事で、言葉遣いは丁寧なものの、相手の腹を読みながらのばかしあいは大人にしかわからない。
 次におもしろいのは、アリョーシャの貧乏二等大尉訪問。ここでの独自のロシアの言葉使いを非常にうまく訳している。注釈も簡潔に理解を助けている。
 そして、一番印象深いのが、「プロとコントラ」でのイワンの話だ。キリストが、人間を、より高尚な天のパンにむけて、より精神的に生きるように説いたのに比べて、ほとんどの人間はどうあがいても高尚には生きられないのだと断定する。そして彼ら何億という人間たちに幸福を与えるためには、服従させ地上のパンを与えることにしかならないと説く。
 本作品が作られてから200年近くたつ今、この話は予言じみている。資本主義というのは、そもそも地上のパンの取り合いによりなりたつ社会であり、民主主義といいながら、グローバリズムにより巨大企業が与えている自由。
 この話をしたあとイワンはアリョーシャの元を去っていく。中巻はどうなるのだろうか。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
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