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(アンソロジー)

黄金の13/現代篇



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黄金の13/現代篇の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
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No.1:
(7pt)

時代を映す鏡のようなアンソロジー

エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン誌上で1945年から1956年までの12年間で年1回行われたミステリ短編コンテストで選出された短編を集めたまさに珠玉のアンソロジー。つまりその年の“トップ・オヴ・ザ・トップス”というわけだ。これは期待が高まるのも無理はない。

さて最初の1編はマンリイ・ウェイド・ウェルマンの「戦士の星」でチッチャア・インディアンの探偵というエキゾチックな探偵役が特徴だ。
独特の文化を築くコミュニティの中でその民族特有の価値観ゆえに起こった犯罪というのが私は自分の想像を超えていて好きなのだが、本作にはそんな化学反応はなかったのが残念。

その点H・F・ハードの「名探偵、合衆国大統領」は実に変わった色合いの作品だ。
中国の頭首が原子力を利用してツンドラを溶かし、ロシアを水没させようとしているという実に破天荒な推理と、それを阻止するために合衆国大統領が採った作戦がグリーンランドの凍土を融解させ、氷塊で抑圧されていた大地を隆起させて助かるというさらに破天荒な作戦だった。
このスケールの大きさは一体何なのだろう。
しかし驚くべきは作品が書かれた1947年に環境問題である地球温暖化による海水面の上昇を予見していたことだろう。当時は荒唐無稽と一笑されただろうが、確かに再録されて評価されただけのことはある。
編者のクイーンは、これは果たして探偵小説なのかという問いにこれもまた探偵小説であり、新たな地平を開いた作品としている。これに関しては私も同意だ。何とも云えない迫力に満ちた1編だ。

イタリアからの参戦、アルフレッド・セグレの「裁きに数字なし」は戦時下のイタリアが舞台。
正直云ってこれがミステリなのか解りかねる不思議な流れの物語だ。
死体がごろごろ転がっている戦時下のイタリアで見つかる首なし死体。しかし第一発見者の主人公は貧しい生活からの脱却を夢見て、富くじに精を出している。そんなオウムを相棒にした主人公の報われない貧しい日々が終始語られ、その日常でふと首なし死体を生んだ犯人が浮かび上がる。
しかしこれは全くミステリを読んでいるという気がしなかった。これがイタリアの風土が生み出す物語の味わいという物だろうか?
そしてこれが選出された年の他の応募作品の質って一体…?

フランスを代表する作家ジョルジュ・シムノンの「幸福なるかな、柔和なる者」は練達の仕上りだ。
誰かの文章でシムノンは街を描く作家だというのを見たが、まさに本書もそう。街角に一緒に住まう人々の暮らしぶりからまずは入り、そこから彼らの習慣、そして迷宮のような界隈について幻想的に語る。
なんとも不思議な味わいだ。

カーもこのコンテストで第一席を獲っていたとは知らなかった。その作品「パリから来た紳士」は創元推理文庫で編まれた短編集で既読だった。
確か学生の頃に読んだのでかれこれ20年近くも前になるが、いまだに最後の絶妙な真相は覚えていた。2回目に読むとクイーンが解説しているように色んな伏線やヒントがそこここに散りばめられているのが解り、これも新たな発見だった。

シャーロット・アームストロングの「敵」はご近所ミステリとでも呼びたくなる、小さな事件を扱った物だが、その内容は実に濃い。
読後では題名が実に意味深いものになってくる。

トマス・フラナガンの「アデスタを吹く冷たい風」はテナント少佐物の第1作らしい。
本書も隠されていた密輸銃の在処というのがトリックでありながら、本書ではテナント大佐と周囲の、特に物事を穏便に済まそうとする上層部との軋轢、さらには本作では明らかにされなかった降格されたテナント大佐の過去の事件が気になって仕方がない。
本作はちなみにかつて早川書房のミステリマガジン45周年の時の復刊希望アンケートと50周年のそれで双方とも1位に選ばれたのは同題の短編集だった。

スティーヴ・フレイジーの「追うものと追われるもの」はその題名の通り、実にシンプルな物語。森へ逃げ込んだ脱獄囚を捜索隊が追いかける一部始終を語った物。
森の中の追跡劇、追う者と追われる者の知恵比べ、もしくは根気比べは次第に脱獄囚と捜索隊の人物に一種の仲間意識を芽生えさせる。この構成は最近出版されたジェフリー・ディーヴァーの『追撃の森』を想起させる。

迷宮課シリーズ、そして「百万に一つの偶然」で有名なロイ・ヴィガーズの短編の中で第一席に選ばれたのが「二重像」だ。
すわドッペルゲンガーか、二重人格者か、はたまた本当に瓜二つの男なのか?実にミステリに満ちた1編。“もう一人の夫”と夫とが互い違いに彼らの近所に、家に、仕事場に、そして親戚の職場までに堂々と入っていく。それが本物なのか偽者なのか解らない。
「百万に一つの偶然」の作者ならではのスリルに満ちた作品だ。

“奇妙な味”の短編群で有名なスタンリイ・エリンは「決断の時」で第一席を獲得した。
リドル・ストーリーで終わる本書はクイーンの解説にもあるように有名な「女か虎か」のような単純なものではなく、読者自身に「貴方ならどうする?」と読者の人生にいつか訪れた、もしくは訪れるであろう人生の決断を想起させ、単なる物語に終始しない凄みがある。
プライドを採るか予定調和を採るか。はたまた道徳に従うか。

最近になって短編集が編まれ、評価が高まったA・H・Z・カーの「黒い小猫」は親を持つ子なら身に摘まされるような作品だ。妻を喪い、男手一つで幼い娘を育てている牧
師が娘が可愛がっている小猫を誤って踏んでしまい、虫の息だったので止めを刺してやったところを娘に見られてしまう顛末を扱った作品。
正直作品自体はこれだけの話なのだが、なぜかこれが実に読ませる。小猫を殺したのは自分の仕事の邪魔になる娘に対しての当て付けではなかったのか?妙な自虐心に苛まれる牧師の心情が生々しい。
私が本書を読んでいる時、子供らが騒々しくしており、まさにこの牧師のように苛立っていたからこそものすごいシンクロニシティに捉われた。

後年、クイーンの代作者としても活躍したエイブラハム・デイヴィッドスンの「物は証言できない」もある種独特の雰囲気を持った作品だ。
最後まで読むと題名の意味がものすごく辛辣に響いてくる。
まさに自らが蒔いた種。自業自得。

最後は名手コーネル・ウールリッチの「一滴の血」。創元推理文庫で6冊の短編集が編まれているが、これはそのどれにも未収録の作品。
淡々とした物語進行ながらも文章にウールリッチ特有の抒情性豊かな作品。物語は二股男が捨てようとした女性が妊娠したことで邪魔になり、殺してしまうが男は冷静に対処し、証拠を隠滅してしまう。しかし完全犯罪と思われた男の犯罪はある一点で瓦解してしまう。
流石ウールリッチというべき1編で短編集未収録なだけにこれは嬉しい贈り物だった。
しかし本書における恋人殺害の凶器が“サムライ”の刀、即ち日本刀というのが興味深い。ウールリッチは短編にも「ヨシワラ殺人事件」という訳の解らない題名をつけた作品が示すように日本文化に何がしかの興味・関心があったようだ。


冒頭のまえがきに書かれているが、本書はEQMM誌上で募った短編の中から選出されたその年のベスト短編によって構成された実に贅沢なアンソロジー。
その公募はアメリカ本土のみならず、世界中に向けて発信されており、ヨーロッパはもとよりオセアニア、アジア圏から毎年多数の応募があったらしい。そして毎年送られてくる800前後の短編の中からのベスト・オヴ・ベストを選ぶ作業の厳しさと大変さも書かれているが、正直このような極限状態ではもはや正当な判断が出来なくなり、ちょっと変わった物が珠玉の輝きを放ち出す。
またエラリイ・クイーンが選出に関わっているとは云え、本書に収録されている作品はロジックやトリックが優れているというわけではなく、むしろ人間ドラマとしてのミステリが非常に多いと感じた。どちらかと云えばキャラクターの設定の妙や選者たちにとって未知の世界への好奇心、またそれぞれの作者が放つ隠れたメッセージの強さといったミステリ以外のプラスアルファが含まれている作品が傾向として選ばれているように思えた。選者がクイーンだけではないこともその理由の一つかもしれないが、私は逆にエラリイ・クイーン自身がこのような作品を好んだのではないかと推察する。

例えば最初の1編ではネイティヴ・アメリカンのコミュニティで起きた殺人を扱っており、殺害された女性はその口伝で伝わる祭儀の歌謡を書き取るという目的があったという、実に特異な目的があるし、2編目の「名探偵、合衆国大統領」では地球のある怪現象と発覚した某国のある建造物との関連から実に壮大な解決が成されるというスケールの大きさがある。また3編目では主人公の貧しい日常が語られる中でふと事件の真相が現れるという実に不思議な流れが特徴であり、4編目のジョルジュ・シムノンに至っては犯人は主人公の直感で判明するというミステリに付き物のロジックによる解明とはかけ離れているが作品そのものの主題は犯人と疑っている人物をいかに警察に証明するかに腐心する主人公の姿であり、またそれゆえに起こる疑心暗鬼の中で主人公の周りを見る目が変わっていく有様を描くことにある。

また既読のカー作品は謎解きも含みながら、最後に作品自体がある作家の作品へのパスティーシュであることが判明する趣向が実に見事。

シャーロット・アームストロングの作品はミステリを愉しむことの作法自体に対し、読者に警鐘を鳴らしているかのようだ。つまり謎解き自体を放棄して物語の流れに身を任せ、そのまま意外な結末へ読み進む方法が果たしてミステリを読んでいることになるのかと訴えているかのように思える。
現代でも東野圭吾氏が同様の疑問を持ち、犯人を敢えて書かないミステリを発表したことは記憶に新しい。

そして後半の3編、エリンの「決断の時」、A・H・Z・カーの「黒い小猫」、そしてエイブラハム・デイヴィッドスンの「物は証言できない」などは読者に対して実に考えさせられる問題を投げかけている。
エリンはリドル・ストーリーと云う形を採って読者自身のエゴか道徳心の強さを測るように「貴方ならどうする?」と問いかけ、カーは牧師が誤って小猫を殺すに至った経緯があまりに一般の人々にとっても日常的な出来事の中でなされたことであることで読者にも起こり得る出来事だとウィンクしているように思える。そしてデイヴィッドスンは悪しき風習であった奴隷制度に対して実に辛辣な結末を用意している。

これらの作品が選ばれたのは1945年から1956年の12年間と5年後の1961年。つまりこの頃のクイーン作品と云えばライツヴィル物の『フォックス家の殺人』から『クイーン警視自身の事件』、そして1961年は1958年の『最後の一撃』の後、2年の沈黙を経て代作者によって発表された『二百万ドルの死者』に至る。まさに作品の傾向はパズラーから人の心へと踏み込んだロジック、探偵存在の意義について問い続けた頃に合致する。それ故選ばれた作品は上に書いたように物語の強さを感じる物ばかりなのかと得心した。

本書における個人的ベストはH・F・ハードの「名探偵、合衆国大統領」、シャーロット・アームストロングの「敵」、ロイ・ヴィガーズの「二重像」、スタンリイ・エリンの「決断の時」、A・H・Z・カーの「黒い小猫」。
特に後半に行けばいくほどその充実ぶり、内容の濃さと行間から立ち上る凄みのような物が感じられる作品が多く、尻上がりで評価は高くなった。

正直クイーンのアンソロジーには期待値だけが高く、肩透かしを食らうことが多かった。増してや本書には「黄金」という仰々しい煽り文句が冠せられるため、一層身構えるような気持ちで臨んだが、予想に反して粒揃いの実に濃い作品が多かったのは嬉しい誤算だった。

また本書に収められた作品の中には現在入手困難な物もあるし、既にミステリ史に埋没してしまった傑作もある(特に「名探偵、合衆国大統領」)。そんな埋もれつつある傑作・佳作を現代に遺す歴史的価値も含めて評価したい。


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