(アンソロジー)

クイーンズ・コレクション2



※タグの編集はログイン後行えます

【この小説が収録されている参考書籍】
オスダメ平均点

9.00pt (10max) / 1件

9.00pt (10max) / 1件

Amazon平均点

5.00pt ( 5max) / 1件

みんなの オススメpt
  自由に投票してください!!
1pt
サイト内ランク []B総合:675位
ミステリ成分 []
  この作品はミステリ?
  自由に投票してください!!

0.00pt

71.00pt

10.00pt

0.00pt

←非ミステリ

ミステリ→

↑現実的

↓幻想的

初公開日(参考)1984年02月
分類

アンソロジー

閲覧回数1,452回
お気に入りにされた回数0
読書済みに登録された回数1

■このページのURL

■報告関係
※気になる点がありましたらお知らせください。

クイーンズ・コレクション〈2〉 (1984年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

1984年02月01日 クイーンズ・コレクション〈2〉 (1984年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

※あらすじは登録されていません



書評・レビュー点数毎のグラフです平均点9.00pt

クイーンズ・コレクション2の総合評価:9.50/10点レビュー 2件。Bランク


■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(9pt)

切れ味鋭い短編ばかり

名アンソロジスト、クイーンの選出眼が光る名短編集第2弾。

まずその口火を切るのはバーバラ・オウエンズの「軒の下の雲」だ。
アリス・ホワイトウッドという女性の日記形式で語られるのは彼女が32歳にして職を得て、一人暮らしを始める顛末だ。しかしその細切れの文体はとても32歳の女性の物とは思えず、次第に彼女は自分が間借りする家の軒下に雲が発生しているのを目にする。そしてその雲は非常に心地よく、次第に彼女に何か煩わしいことが起きると雲が包み込んで紛らわせてくれるようになった。やがて新鮮な面持ちで始まった新生活も次第に暗雲が垂れ込めてくる。
恐らくは精神異常者による手記という形の本作。父親殺しを犯した娘が精神疾患で罪を免れ、リハビリによって社会復帰したところ、彼女は全治していなく、やがて周囲と不協和音を奏でていく。当時としては斬新なミステリだったのだろう。

トマス・ウォルシュによる「いけにえの山羊」は冤罪を仕掛ける男女の物語。
匿名の男女の犯罪計画から一転してホテルに勤め出した貧しい青年に物語はシフトし、やがて彼がなぜか周囲に疎まれ、犯罪者としての汚名を着せられる。その犯罪を計画した犯人が最後の一行で確定するという実にクイーン好みの結末だ。
謎めいた男女の逢瀬というシチュエーションやホテルを舞台にした物語と云い、どこかウールリッチを思わせる作風。

ジョイス・ポーターのドーヴァー警部シリーズと云えばその昔は名シリーズとされていたが、今ではもう絶版の憂き目に遭って見る影もない。そんなドーヴァー警部が登場するのが「ドーヴァー、カレッジへ行く」だ。
今読んでも十分に笑えるユーモア・ミステリ。本格ミステリに徹しているかと云われれば首を傾げざるを得ない真相だが、逆に笑いに徹しているミステリだと解釈すれば実に面白い。本当にシリーズ全てが絶版なのが悔やまれる。

寡作家とされるキャスリーン・ゴットリーブの「夢の家」は短いながらも一種味わい深い作品だ。
小さな町でお巡りをやっているおれの一人称で語られる20ページ足らずの作品だが、小さな町で小さな幸せを見つけようとした男女の哀しい結末が淡々と語られる。その何とも云えない味わいがいいのだ。
クイーンの紹介分によれば寡作家である彼女の作品は待つだけの価値があるとのことだが、確かにその言葉も頷ける出来栄えだ。

ブライアン・ガーフィールドの「貝殻ゲーム」はスパイ対殺し屋の手に汗握る攻防を描いた作品。
スパイと殺し屋の一騎打ちの攻防ながらそのテイストはどことなくユーモラスであり、ドキドキハラハラではなく、スラップスティックのような味わいをもたらす。ガーフィールドのこの作風もまた今に通ずる面白さがある。
この頃の作家は本当に上手い人が多い。なお題名はメキシコに伝わる3つの貝殻のうち、1つだけに豆が入っており、それを選んで当てるゲームに由来している。

E・X・フェラーズの「忘れられた殺人」もまた奇妙な味わいの作品だ。
本作ほどクイーンがこのアンソロジーで提唱する情況証拠というテーマを色濃く打ち出した作品はないだろう。
過去の事件の成り行きを語る人物が現れるが、彼は仄めかすだけで実際にそうだったとは決して云わない。しかしその語り口は明らかにそれが証拠だと云わんばかりの内容。そして最後に明かされる意外な事実。結末を読んで読者はさらに物語の靄の中に放り出されるのだ。
これもなかなか余韻が残る作品だ。

スティーヴン・ワズリックの「クロウテン・コーナーズ連続殺人」は本格ミステリを揶揄したような面白い作品だ。
次々と起こる殺人事件に被害者ならびに関係者の妙に凝った名前となぜか現場に散乱する品物の数々、そして脱力物の真相と本格ミステリをパロディにしたユーモア・ミステリ。
最後の結末もとどのつまり本格ミステリとは変人たちが集まったところで起きた化学反応みたいなものだという作者なりの皮肉なのだろう。

ハロルド・Q・マスアも聞き慣れない作家だが、「思いがけぬ結末」は展開の速いサスペンスフルな作品だ。
召喚状を貰わなければ即ち裁判にも行かなくてもいいわけで、数人の弁護士が召喚状を届けようとして失敗した相手に機転を利かせてまんまと手渡すことに成功する導入部から面白い。そして家庭の不和から始まった事件が次第に大きくなって複数の被害者を出すに至るという展開も上手い。
日本では全く知られていない作家だが、こういう作品を読むと海外作家の裾野の広さを思い知らされる。

収録作唯一のショートショートがアン・マッケンジーの「さよならをいわなくちゃ」だ。
たった6ページの作品だが中身は実に濃く、恐ろしい。
今でいうとアンファンテリブル物になろうか。予知能力のある少女がさよならを告げるとその相手が死んでしまう。彼女が悪いわけではないが、忌み子として周囲は少女を避けるようになるし、彼女を預かっている兄嫁はそれを辞めさせようとする。そして最後の衝撃的な結末。
秀作。

EQMMの常連作家エドワード・D・ホックは秘密伝達局のエージェント、ジェフリー・ランドが主人公を務める「スパイとローマの猫」が収録された。
短編の名手というだけあって、実にそつがなく、手堅い物語を提供してくれる。起承転結全てがしっかりしており申し分ない。たった約30ページの作品なのにサスペンスフルなスパイ小説を読ませてくれる。

アーネスト・サヴェージの「巻きぞえはごめん」は釣りの解禁日に訪れた地で事件に巻き込まれた私立探偵の話。
休暇中の探偵が巻き込まれる殺人事件。休暇中だから厄介事はごめんとばかりに無視しようとするが根っからの詮索好きと探偵の魂ともいうべき職業根性がどうしても事件を忘れようとしてくれない。そしてその後に起こる厄介事も解りながらも容疑者を助けてしまうお人好しさ。自分の馬鹿さ加減に嫌になるといった男の話だ。

リリアン・デ・ラ・トーレの「重婚夫人」は実際にあった事件に題を取った作品だ。
1776年4月にキングストン公爵夫人が重婚罪で裁判にかけられたことは史実のようで、本作はそれから材を得た物。
裁判の様子は現代のそれに比べれば非常に安直な気もするが、18世紀では法律も制度も未成熟だったのだからこんなものだろう。
本書は圧倒的不利と思われた裁判を覆す妙手も面白いが最後に判明するその妙手を授けた相手の正体が実に興味深い。結末はそういう意味では粋だ。

パトリシア・マガーによる「壁に書かれた数字」は『~コレクション1』にも収録された女性スパイ、シリーナ・ミード物。ただ本作は10ページと非常に短い。それもそのはず、暗号解読に特化した作品だからだ。
暗号自体は特段珍しい物ではなく、数字に当てはまる乱数表なり解読のキーとなる物があれば解読できることは容易に想像が付くだろう。これはアイデアの勝利ともいうべき作品。

今では英国女流ミステリの女王として君臨するルース・レンデルも本書刊行時の1970年代後半では新進気鋭の作家だった。しかし既にクイーンの眼鏡には適っていたようで「運命の皮肉」が本書に選出された。
レンデルの長編はとにかく救いがないので有名だが、短編ではその救いのなさを切れ味鋭いどんでん返しとして扱い、読者を驚嘆させるのが非常に上手い。
本作では名作『ロウフィールド館の惨劇』と同じく最初の一行で主人公が一人の女性を殺したことを告白し、彼が殺人に至るまでの経緯とその犯罪計画の一部始終を語っているが、それがまた被害者の女性の性格を読者に浸透させ、また加害者の男性の心理を読者に悟らせることに成功し、またそれらが最後のどんでん返しの伏線となっている見事な技巧を見せてくれる。特に被害者の女性ブレンダの造形は人間観察に長けたレンデルならではのキャラクターでこんな女性が我々の生活圏にもおり、またそんな人ならするであろう行動が上手く物語に溶け込んでいる。
結末はまさに題名どおり運命の皮肉。原題は“Born Victim”、つまり「生まれながらの犠牲者」という意味でこれが虚飾の世界に生きるブレンダの本質を見事に示した物でこちらも素晴らしいがやはり読後感で云えば訳者の仕事を褒めるべきだろう。

最近その短編集が年末ランキングにランクインし、話題となったロバート・トゥーイだが、彼の「支払い期日が過ぎて」は非常に不思議な読み応えがあった。
奇妙な味というよりもよくもまあこのような発想が生まれるものだと感心してしまった。
とにかく借金の取立ての電話のやり取りから読者は変な感覚に放り込まれる。主人公のモアマンという男の想像力というか人をからかって煙に巻く遊び心は本作のように傍で見ている分には楽しいが当事者ならば憤慨してしまうだろう。そしてやたらと怪しい行動を取り、さも妻を殺害したように振舞い、それをだしに不法逮捕、名誉毀損で訴え、賠償金をせしめようという意図が最後に見えて納得する。
しかしその後の行動も非常におかしく、よくもまあこのような男と一緒に暮らせる女性がいるものだと首を傾げざるを得ない。とにかくモアマン氏はネジの外れた狂人か、もしくは周囲の理解を超えた天才詐欺師か?
そしてこんな話を思いつくトゥーイの頭はどうなっているのか?色んなクエスションが浮かぶ作品だ。

ジャック・リッチーもまた最近評価が高まっている短編作家でミステリマガジンでも特集が組まれた。彼の作品「白銅貨ぐらいの大きさ」はいわば明探偵の名推理を皮肉った作品だ。
現場の遺留品とそれらの状況からヘンリーとラルフの殺人課刑事コンビが次々と推論を立てて事件の真相と犯人へと迫っていく。しかしそれはある意味刑事2人がそれらをつなぎ合わせて実にもっともらしい解答を案出しているに過ぎないのだと作者は揶揄する。
しかし作中で繰り広げられる推理問答は実に明白で淀みがなく、あれよあれよという間に事件の核心へと迫っていくようだ。
2つの事件の真相からつまりは事件は解決できても人の思惑までは明らかにならない物だという作者ならではの皮肉ではないだろうか?割り算のように答えが出れば全てOKと割り切れるものではない、そんな風に作者がメッセージを送っているように思えた。

さてサスペンスの女王パトリシア・ハイスミスは前巻では「池」という幻想的なホラー小説が収録されたが、本書収録の「ローマにて」のテーマは狂言誘拐だ。
なんとも救われない話。社交界というものがこんなにもつまらないものかと不満を募らせ、しかも容姿端麗の夫は妻がいる前で平然と他の女性と親しくし、またどこかへ消えてしまう。そんな彼女が一計を案じたのが夫の狂言誘拐。しかしお嬢様育ちの彼女は痴漢たちに出し抜かれ、自らも誘拐されてしまい、ひどい扱いを受ける。
作者はとことん主人公を突き落とす。

ジョン・ラッツの「もうひとりの走者」はよくあるサスペンスなのだが、作者の手によって味わい深い作品になっている。
人里離れた別荘地で知り合うようになった夫婦がどうも仲がよろしくなく、夫は何かに悩みを抱えているような苦悶の表情でジョギングをしている。そんな最中に起こる夫の死。もちろん犯人は今の生活に不満を持つ妻だったが、ジョン・ラッツが上手いのは主人公も同じ目に遭わせてちょっとしたトラウマを抱かせること。特に最後の一行の上手さ。この余韻は絶妙だ。

多作でエンタテインメントの雄であるドナルド・E・ウェストレイクの作品も収録された。「これが死だ」はなんと幽霊が主人公の物語。
幽霊が自分の自殺が発覚した捜査とそれを発見した妻の振る舞いの一部始終を観察するという実に奇妙な一編。何とも云えない余韻が残る作品だ。

デイヴィッド・イーリイもまた最近評価が高まっている短編の名手だが、その実力を「昔にかえれ」で発揮した。
前世紀の不便ながらも生き甲斐に満ちた生活を始めた彼ら。最初は精神的充足を求めての行為だったが、次第に周囲の目が向くことで彼らの自意識が過剰になっていく。しかしそれにも増して世間は彼らを見世物パンダのように興味津々に見物しだし、彼らの生活圏を侵していく。そして行く着く結末はなんとも皮肉だ。
人間の集団心理が生み出す残酷さを実にドライに描いている。

ビル・プロンジーニの「現行犯」もなかなか面白い作品だ。
この短編における、男が盗んだものはある意味リアルすぎて怖い。
単なるワンアイデア物の短編に終わらない考えさせられる内容を孕んだ作品だ。

さて最後はEQMMの常連で別のアンソロジー『黄金の13』にも選ばれたスタンリイ・エリンの「不可解な理由」だ。
当時ならばこの内容は非常に斬新だったのだろうが、企業小説が華々しい現代ではもはや珍しい物ではなくなった。実際の会社はこの小説よりももっとえげつないやり方で肩叩きを行う。とはいえ結末は衝撃的。
さすがはエリンといった作品だ。


前回のコレクションに続くパート2という位置づけだが、原題は『~コレクション1』が“Ellery Queen’s Veils Of Mystery”、つまりミステリと云うベールを剥がす作品を集めた物であるのに対し、本書は“Ellery Queen’s Circumstantial Evidence”つまり情況証拠をテーマにしたアンソロジーなのだ。

そのテーマ通り、収録作品は情況でどのようなことが起きているのか、もしくはどんなことが起きたのかを推察する作品ばかりだ。
そしてその情況証拠のために登場人物は恣意的な解釈を行い、ある者は強迫観念に囚われて狂気に走り、ある者は不必要な心配を重ねて自滅の道を辿り、またある者はその後の人生にトラウマを抱え込む。ことに情況証拠とはなんとも厄介な物であることが各作家の手腕でヴァリエーション豊かに語られる。

しかしこれは今この感想を書くに当たり、原点に振り返ったから思うのであって、収録作品は我々が読むミステリとは特別変わりはない。つまりミステリというものは情況証拠によって成り立つ物がほとんどだということだ。

さてそんな2巻両方に収録されている作家はパトリシア・マガー、パトリシア・ハイスミスの2人。ビル・プロンジーニも1ではマルツバーグとの共著で選ばれている。他にスタンリー・エリンは『黄金の13』に選出されている。
一概に云えないがこれらの作家の作風は選者クイーンとは真逆の物ばかりということだ。彼ら彼女らの作風はもしかしたらクイーンが書きたかったミステリなのかもしれない。

さて本書の個人的ベストは「夢の家」。この小さな町のお巡りの一人称叙述で語られる叙情溢れる物語は短編映画を観たような味わいを残す。
さらに題名である「夢の家」の本当の意味が最後に立ち上ってくる余韻はなんともほろ苦い味わいを放つ。

またこんなの読んだことないと思わせられたのはロバート・トゥーイの「支払い期日が過ぎて」。とにかく主人公の狂人とも思える会話の応対は読者を幻惑の世界へ誘い込む。シチュエーションはローンの取り立てとその債務者の会話というごく普通なのにこれほど酩酊させられる気分を味わうとは。とにかく予想のはるか斜め上を行く作品とだけ称しておこう。

とはいえ、本書収録作品の出来はレベルが高く、読後も引き摺る余韻を残す作品が多い。
フェラーズの「忘れられた殺人」やレンデルの「運命の皮肉」、リッチーの「白銅貨ぐらいの大きさ」にハイスミスの「ローマにて」、ラッツの「もうひとりの走者」とウェストレイクの「これが死だ」にイーリイの「昔にかえれ」と最後のエリン「不可解な理由」などは割り切れない結末であり、非常に後を引く。

1巻と比べると評価はどちらも高いが、2冊が抱く感想は違う。
1巻は最初はそれほどの作品とは思わなかったのが読み進むにつれてしり上がりによくなっていたことに対する評価であり、本作ではクオリティが全て水準以上であり外れなしといった趣である。しかし残念ながらミステリ史を代表する抜群の作品がなかったことが☆9つに留まる理由である。

しかし今現在この短編に収められている作品が読める機会があるだろうか?
収録された作家はかつては日本でも訳出がさかんにされ、書店の本棚には1冊は収まっていた作家が多いが、平成の今その作品のほとんどが絶版状態で入手すること自体が困難な作家ばかりである。

そんな作家たちの、クイーンの眼鏡を通じて選ばれた作品を読める貴重な短編集である本書はその時代のミステリシーンを写す鏡でもある。再評価高まるクイーンの諸作品が新訳で訳出されている昨今、この時流に乗って彼の編んだアンソロジーもまた再評価が高まると嬉しいのだが。



▼以下、ネタバレ感想

※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

Tetchy
WHOKS60S
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

No.1:
(5pt)

中にはミステリー?も

おなじみ、超有名作家エラリイ編纂による
素敵なミステリーアンソロジー、その2であります。
2は1よりもページの少ないものも多いので
1で長いのがあってちょっといらいらした人にはお勧めです。

非ミステリー作品もその分多めです。
なんと言うか恐怖の瞬間というのが
ある意味これらの作品にはぴったりかも。
特に「さようならをいわなくちゃ」に関しては
まさに恐怖も恐怖。
間違えても夜に読まないでくださいね!!
眠れなくなる可能性が大きいです。

ほかの推理ものでも
思わぬ逆転劇で犯罪を完遂できなかった
ものなど、面白いのばかりですよ。
クイーンズ・コレクション 2 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-37)Amazon書評・レビュー:クイーンズ・コレクション 2 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-37)より
4150701377



その他、Amazon書評・レビューが 1件あります。
Amazon書評・レビューを見る     


スポンサードリンク