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蛍の森
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点8.00pt |
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【ネタバレかも!?】 (2件の連絡あり)[?] ネタバレを表示する
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非常に残酷な過去の歴史があった、そのことに目を背けて生きていくことは非常に楽かもしれませんが、やはり見逃してはいけない歴史というものがあります。その一つがこの作品で描かれているハンセン病なのではないでしょうか。ハンセン病が他人に伝染する可能性は全くないということが今の医学ではわかっており、治療する方法も確立されているということです。それにもかかわらず戦前から戦後にかけてまでは彼らは差別の対象とされ療養所と称する場所に隔離されてしまう、これが国策として行われていたという事にまずは驚かされてしまいます。この作品はルポルタージュを得意とする石井光太という作家が書いた初めての小説だそうです。この作品の舞台は四国は香川県の高松市にある雲岡という田舎の小さな村での話です。この閉鎖的な村においてハンセン病患者もまた非常で過酷な差別の対象でありました。ハンセン病患者たちは寺に十数人人がまとまって住み、世の中から隠れるようにして生きていました。この中のに乙彦というハンセン病ではない少年が、あるきっかけで紛れ込んで来ます。そこから始まる極めて残虐非道な差別と暴力の世界、見方によってはグロいというふうに思われる方も居るでしょう。この本の批評などを見ると一般の読者は、やりすぎなのではないかこういう風に思っている人が多いようです。しかしどうでしょうか。逆にタンパクに書いていればこんなものじゃないよ現実はという批判がくるでしょう。私個人の感想で言うならば現実はもっとひどかったと思っています。ここに書いてあることですが相当ひどいです。目を背けたくなるような描写がかなり出てきます。物語の舞台となったのは昭和27年頃です。そこから約60年の時を経て、かつてこの寺に住んでいた乙彦に殺人の疑惑をかけられます。乙彦はこの60年の間に血反吐を吐くようなものすごい努力をして事業家として成功して、都議になり人権問題に取り組むいわば叩き上げの人物でした。この乙彦がなぜ殺人の疑惑をかけられたのか、その根本は60年前のあの村での生活にあったのです。物語は60年前と現在と交互に描くという形で構成されています。物語の中心にあるのはこの乙彦の息子、彼は医者です。彼は医者であることに対して非常に心の中で葛藤を抱えています。なぜなら彼を医者にしたのは父親乙彦だったからです。乙彦は子供の頃ハンセン病患者を見てきたその思いから何としても息子を医者にしたかったのです。果たして父親は殺人を犯したのか。そしてその被害者は乙彦たちを苦しめた村人の中の二人であったのです。既に彼らは90歳の齢を迎えていました。動機は十分あります。しかしさらに重要な人物がこの事件の中にはいます。それは60年前に乙彦たちと一緒に暮らしていたハンセン病の少女小春です。この小春は果たしてその後生きているのかいないのか、 それはこの本の結末を読んでいただければわかると思いますが、この少女の存在というものが非常にこの物語の中では大きい位置を占めています。ある意味この物語の中心的な人物は子の小春ではないでしょうか。そして最後に明かされる大きな秘密、その部分はネタバレになるのでここでは書けませんが、いずれにしても一人でも多くの人に読んでいただきたい作品だと思います。この物語の中で小春がつぶやく一つの言葉があります。「そうよ生きちゃいけなかったのよ。らい病ってのはこの世でのうのうと生きちゃいけない存在なの。」非常に心にグサリと突き刺さる言葉です。この言葉が少女の口から出てくるほど厳しい時代だったということがよくお分かりだと思います。ほんの60年前の話です。60年と言うと長いように思えますが、長い歴史の中ではつい昨日のような話です。 多くのハンセン病患者を苦しめてきた、らい予防法、この悪法が1996年に廃止されるまで、続いてきたということに驚きを禁じえません。ほんの少し前までこのような差別的な法律が存在してきた。そしてさらに大きな問題は決してハンセン病は終わったというものではないのです。裁判で賠償を受けた人以外にも数え切れないほどの患者がいるのです。また裁判に勝ったからといって、それまで受けてきた差別や苦しみは回復されるものではありません。我々はこの長い差別の歴史を絶対に忘れてはいけないと思います。そしてこれから明るい未来をつくるためにこの教訓を生かして行くべきだと思っています。それとこの物語で使われているセリフ、これが共通語なのを読者の中には批判をする人がいます。たしかに香川県の田舎で使われている言葉がなぜか共通語というのには、違和感を覚えることは事実です。しかしとはいっても完全に地元の方言で書いてしまったのでは読者のほとんどは理解できないのではないでしょうか。だからその違和感をがあったとしてもあくまでも多くの人がより理解しやすいということを優先して、作者は共通語を使ったと思います。 NHKの大河ドラマでもだいたい出てくる言葉は共通語です。それは仕方のない話だと思います。方言だと誰も分からないですから、その地方以外の人達は。ここはしょうがないと思います。 | ||||
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