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赤いべべ着せよ…



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赤いべべ着せよ…の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

我々の正気の立脚点はなんとも脆いものか

残念ながら2013年に亡くなった作者の、元々は『「通りゃんせ」殺人事件』という凡百なタイトルで発表された作品。本書はモチーフの童謡を「通りゃんせ」から「子取り鬼」に変えて加筆・修正されている。
日本のとある地方都市、昨今の都市開発による都会化と昔ながらの田舎の風景が残る夜坂で起きる子供たちの連続殺人を扱っている。

その町に昔から伝わる平安時代末期に桜姫という公家の娘に纏わる子取り鬼の伝承、それに由来する廃寺に祀られた子取り観音。その伝承を擬えるような幼い子供の殺人事件。これらは見事なまでに本格ミステリの見立てである。

今邑氏はそれまでの作品でカーの『火刑法廷』を彷彿とさせる、本格ミステリとホラーを融合した作品を書いてきた。怪奇現象としか思えない事件を本格ミステリとして解き明かした後に、不可思議な現象が起き、なんとも云えない余韻を残した作風が特徴であった。従ってそれまでの作品を読んでいる読者は平安時代から纏わる鬼女の伝説を擬えた怪奇的な見立て殺人と思わされながらも、ホラー文庫から出た作品ということもあり、やはりホラーなのでは、と実に不安定な状況の中、読み進むことになる。これが実に効果的であった。

本書のホラー要素とは前掲にもある子取り観音の逸話だ。

自分の娘を鬼にさらわれ、腸を切り開かれて殺されたことから絶世の美女と謳われながら、我が子を喪った苦しみから鬼女と化し、墓から自分の子の亡骸を掘り出して食らい、そして山奥に逃れて、時折人里に降りてきては里の子供をさらっては腸を食らっていたとされる桜姫の伝承から由来する子取り観音。子取り鬼の一節、「赤いべべ」はべべ、つまり着物ではなく、服を真っ赤に染めた幼女の血を指す。

そんな逸話が残る子取り観音を祀る廃寺で22年前幼い頃に子取り鬼をして遊んでいた千鶴たちと一緒に遊んで置き去りにされたことで、何者かによって我が娘を殺された妾、加賀道世とその息子史朗が再び夜坂に戻ってきてから起きた同様の幼女殺害事件。

この22年という歳月を経て再現される奇妙な符号。

東京で夫と死別し、夜坂に千鶴を連れて出戻る母と全く同じ状況で娘紗耶と出戻る千鶴。

夜坂を離れずにいる当時の幼馴染たち。

その幼馴染たちと廃寺で遊んでいる後に起きた幼女殺害事件。

幼馴染の1人は娘がその幼馴染たちと廃寺で遊んでいる時に首を絞められて亡くなっているのを発見される。

そして22年前に娘を亡くした妾の女性が老女となって再び夜坂に戻り、一人息子と以前住んでいた洋館に住んでいる。

全てが夜坂に残る暗い歴史、22年前の事件を再現するかのように全てが集まる。

大人になった幼馴染たちは今度は22年ぶりに自分たちの子供が殺されていくのを目の当たりにし、当時の忌まわしい事件の再現度を高めた千鶴の帰郷とこの加賀親子の再来こそが全ての元凶であると糾弾するようになる。そしていつの間にか周囲には加賀親子こそが、犯人である、22年前に殺された娘の事件を自分たちのせいにした恨みから復讐しているのだと思うようになる。
一方で子供たちが殺された晩に決まって掛かってくる子取り鬼の歌を歌う老女の声。一連の事件は子取り観音の仕業ではと千鶴は疑ったりもする。

人間の手になるものか、それとも不気味にほほ笑む観音像による人智を超えたものの仕業か。

何とも人の業の深さを痛感させられる物語であった。

結局一連の幼女殺害事件は、人智を超えたものによる仕業ではなく、狂える人たちによる凶行であった。
つまりはミステリであったが、ホラーではなかったかと云えばそうではない。本書はミステリでありながらやはりホラーであったと云えるだろう。

では本書における怖さとは何か?
次々と何者かによって我が子を殺される未知の恐怖。それも確かに恐ろしい。

しかし事件が起こることで起きる友人たちとの軋轢。いや一枚岩だと思われた友情が脆くも崩れ去り、謂れのない憎悪を向けられること、これが最も怖い。

その対象となるのが東京から出戻ってきた主人公の相馬千鶴だ。

幼い頃に妾として町中の大人から疎まれていた加賀道世。相手にしてはいけないと親から云われていた子供たちは彼女の兄妹とは遊ばなかった。町の廃寺で子取り鬼をしているところを訪れた道世から、うちの子と遊んでくれないかと頼まれ、周りの子供たちは拒む中、夫と死別して東京から出戻り、兄夫婦の許でぎこちなく暮らす千鶴はその兄妹にシンパシーを感じ、周囲の反対を押し切って妹のルリ子を仲間に入れてあげる。

しかしその後仲間たちは別の遊びをしに行くが付いてこなかったルリ子だけが後に首を絞められて廃井戸の中で遺体となって見つかる。

ルリ子を殺害したのは犯人なのに、誰とも解らぬ相手よりも顔を知っている子供たちに娘の仇と認めた道世は土屋裕司、髙村滋、山内厚子、深沢佳代、松田尚人、柏木千鶴らの家を訪れ、お前らが娘を殺したと罵倒する。そしてとりわけ仲間に引き入れた千鶴を最も憎悪をしていたことを22年後に兄の史朗から伝えられる。

更に娘紗耶の失踪をきっかけに実の子を亡くす山内厚子と深沢佳代は、同じく犠牲者がなぜ事件の素を作った千鶴の娘紗耶ではなく自分の娘なのかと世の理不尽さに憎悪し、その刃を千鶴に向ける。
つい先ほどまで22年ぶりの再会を喜び、娘がいなくなればお互いに励まし合い、一緒に探してもくれた幼馴染が災厄が自分に降りかかることで一変する恐怖。近しい人たちの裏切り。人間の心の弱さこそが本書において最も大きな恐怖だと感じた。

更に我が子を亡くすことで憔悴し、狂人のように変わっていく母親。さらに自分たちの都合のいいように解釈し、証拠もないのに怪しいと云うだけで殺そうと企む集団心理の怖さ。

本書の前に読んだ『ダ・フォース』も悪漢警察物とホラーと全く異なるジャンルながら、物語の根底にあるのは厚い友情で結ばれた者たちがあるきっかけで脆くも崩れていく弱さと共通している。
片や2017年に刊行され、こちらは1992年刊行と25年もの隔たりがあるが、いつの世も人間の根源と云うのは変わらず、そして進歩がないものだと思わされる。

洋の東西、そして古き新しきを問わず、我々の正気と云うのはいわゆる安心の上で成り立っていることがよく解る。
しかしその安心はいつまでも続く、つまり今日無事だったから明日も、1年後も、5年後も、10年後も、いや死ぬまでそうであると思いながら、実は実に脆い薄い氷のような物であることが知らされる。そしてその安心という支えが、基盤が無くなった時、なんと我々は文化人から野蛮人へと豹変するものかと痛感させられる。
友情や愛情はすぐに疑心暗鬼、憎悪に変り、不安定な地盤に立つ自分と同じように人を引き摺り込もうと企む。

それは単に資産が無くなったり、家族が喪われると云った大きな危難に留まらず、例えば子供が云うことを聞かない、試験に自分の子だけ受かっていない、なぜうちのところに他所の家族を住まわせなければならないのかというちょっとした日常の不具合から容易に生じる。今邑氏はそんな日常にこそ狂気の種が既にあると仄めかしている。

以前も思ったが今邑氏の作品には常に無駄がない。
人の悪意、心の根底になる妬み、嫉みと云った負の感情を、殺人によって表層化させ、全てが物語に、そしてミステリの謎に寄与し、登場人物たちの行動もさもありなんと納得させられるエピソードが散りばめられている。
しかもそれぞれの登場人物たちが抱く負の感情が的確な表現で纏められ、人が大なり小なり些細なきっかけで容易に罪を犯すことを悟らされるのだ。

特に上手いと思ったのは主人公の相馬千鶴の造形だ。

夫に先立たれ、幼い娘を連れて帰郷し、いとこ夫婦のところに居候することになった彼女。しかし余計なお荷物を預けられたと疎まれ、娘はなかなか自分の云うことを聞かない。更に幼女の殺害事件が起きるとたまたま娘の紗耶が失踪したことがきっかけだったことから自分のせいで娘が死んだと犯人扱いされ、そのことが町の噂になり、いとこ夫婦も家を出ていってほしいと望むようになる。
そんな環境の犠牲者と思われた千鶴が彼女も郁江から根無し草のような人生を送っている女性として悟らされることで、生活力のない女性、そのことで彼女もまた運がないだけでなく、自らも他者に頼ってばかりの、自立していない女性であることが解ってくるのである。
そして心のどこかで自分の美貌を誇り、初恋の男性だった高村滋が子供の産めない体になった妻の郁江を捨て自分に走ってくれるのではないかと期待していた甘さも判明する。それが単に思い上がりであったことを知った彼女が娘と逃げ出し、加賀邸に向かうラストは、彼女が裸足であることが象徴的だ。

300ページにも満たない長編ながら、幼馴染という最初のコミュニティの絆の脆さ、我が子を喪うことで容易に陥る人間の狂気、1つの母子家庭の自立など、色んなテーマを孕んだ濃い内容の作品だった。評価は☆7つだが、☆8つに近いと云っていいだろう。

既に夭折して新刊が望めない作者であるが、幸いにして私の手元には彼女の全著作が揃っている。3作読んでやはりこの作家は私に合っていると確信した。
恐らくは近い将来、昨今の出版事情を考えれば、ほとんど全ての作品が絶版となり、限られた作品のみが電子書籍化として残るだろうことを考えれば、これらの蔵書はまさに貴重。
まあ、そんな収集家的愉悦よりもまだまだ読める作品が沢山あることが素直に嬉しい。次作を読むのはまたしばらく後になるが、その時も期待通りのミステリが読めると思えると愉しみでならない。


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