■スポンサードリンク


男は旗



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
男は旗
男は旗 (新潮文庫)
男は旗 (光文社文庫)

男は旗の評価: 10.00/10点 レビュー 1件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点10.00pt

■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(10pt)
【ネタバレかも!?】 (3件の連絡あり)[]  ネタバレを表示する

死を覚悟した人の紡ぐ物語はなんと優しく、美しい事か。

いやぁ、痛快、痛快。

刊行当時の1998年ならば私はこれを稲見風ジュール・ヴェルヌ調海洋冒険小説とでも評したろうが、21世紀の今ならばこれは稲見版『ONE PIECE』ではないか!と声を大にして評しよう。

大人の夢と冒険の物語を描いたら右に出る者がいない稲見一良氏が今回選んだ題材は一本芯の通った男が気の置けない仲間たちと共に船で大海原に漕ぎ出す、冒険心溢れる男と女たちの物語だ。

まず導入部から一気に引き込まれる。
ミカン山に腰を据え、スパイグラースで一人美しい船を眺める男、安楽。

その静かな朝の風景とは対照的にけばけばしい色をしたオートバイが停まるバンガロー村に1人の新聞配達の少年がスクーターに乗って現れたかと思いきや、徐に件のオートバイの傍にしゃがみこみ、ほんの数分でエンジンをバイク本体から抜き取って担いで立ち去ろうとする。しかし偶々目が覚めた一味の1人に見つかり、たちまち追跡劇が始まる。

静から動への見事な転換。

そしてまさに族たちに少年が捕まりそうになったところを自前のピックアップ・トラックで、重いエンジンのせいでバランスを崩して倒れて往生している少年を軽々と持ち上げ、救い出し、追ってくる族のバイク1台を軽くあしらってやり過ごす。

冒険活劇の映画のオープニングシーンを見ているかのような鮮やかな幕開けで主人公となる安楽と、彼の許で働くことになる、通称士官候補生の細谷風太との印象的な出逢いが描かれる。もうこのシーンで一気に私はこの物語の虜になってしまった。

さてそんな物語の中心となるシリウス号はスウェーデンの大富豪のプライベート・ヨットとして建造され、その優美な姿から“七つの海の白い女王”と謳われた船。すでに役割を終え、フローティング・ホテルとして常連客や地元の客に慕われていたその船を、再びヨットとして蘇らせて大海原へ乗り出す。
なんと夢のある話ではないか。

その船を率いるのはホテルの支配人“アンラック”ならぬ安楽。オーナーである提督と呼ばれる元海軍少将に不良時代に拾われ、商船高等専門学校に入れられて改悛させられた男。ゴリラのようなガタイの持ち主でベンチプレスを欠かさない怪力の持ち主。しかもどんな輩が来ようと動じない胆力の持ち主でもある。そして自らを18世紀イギリスで名の知られた女王陛下の勇猛な海賊ジョン・<アンラッキー>・シルバーライニングの生まれ変わりと信じている。

彼の航海に協力するのは以下の面々だ。

まずはホテルのソムリエで安楽を慕う忠実な部下でありながらナイフの名手である長谷川。

日本に来て10年にもなるのに片言の日本語でしか喋れないカナダ人のコック、トレーシィ。

スーベニール・ショップ、つまりホテルのお土産売り場の担当をしているハナさんと元高飛び込みの選手だった志津さん。

ホテル・シリウスに長期逗留し、静養生活を続けているアメリカ人の小説家で元医者のジョン・B・ブック氏。

15歳ながら天涯孤独の身で新聞配達とクリーニング屋のアルバイトをしながら、更に社会の害悪である、暴走族たちのバイクを解体しては売りに出して、正義のための戦利品で生計を立てている細谷風太。

その従兄で浜松の自動車会社の製造工場で働いていながら、シリウス号を訪れた途端に気に入り、そのまま居着いてしまった、エンジンやメカに関して天才的な才能を発揮する細谷徹。

自身の捕鯨船が座礁して気を喪っているところを安楽に助けられ、そのままシリウス号の従業員になった、銛打ちの名手で元捕鯨船の船長であり、類稀なる木彫りの才能を持つ清水逸格ことイッカク。

そして徹のアメリカ人の友人で事故で片腕を失った鉄の爪を着けたパイロット、ボブ・エンジェル。

そしてそのガールフレンドでカリフォルニアの大農場主の娘であり、愛くるしい風貌でありながら合気道二段の腕前で格闘技の天才であり、更に盗みの天才であるシャーリィ・オカダ。

そして忘れてならないのは本書の語り手で、常に安楽と共にいるコクマルガラスのチョック。

そう、稲見氏はなんと本書の語り手をこのカラスに託すという、実に珍しい書き方をしている。
私は当初これでは半ば物語が破綻するかと懸念したが、そんなことはなく、カラスの視点は空を飛べるという優位性から視野が広くてむしろ神の視点に近いことに気付かされた。

このような個性的なキャラクターの敵となるのが、冒頭に細谷風太がエンジンを盗み出した暴走族のアパッチと、シリウス号を買収し、見世物にしようと考えている三星商事に、シリウス号に隠されているとされる宝物の在処を示した地図を探すマルタズ・オクトパスなる世界的盗賊団。
この一部リアルと寓話を織り交ぜたような設定の妙味が更に登場人物たちの破天荒さを助長する。

そして『ONE PIECE』がそうであるように、本書も読んでいて実に気持ちがいい。
たった250ページ弱の分量ながら、胸を躍らせて止まない要素がふんだんに盛り込まれ、ひきつけて止まない。私がどれだけのことを本書を読んで感じたかを表すには、本書の倍のページ数は必要だろう。

また本書には運命としか云いようのない、出逢いや偶然の導きが描かれている。
この実に素敵な人々がシリウス号の去就を左右する、まさにその時に一堂に会したことがそうであるように、私もまたヴェルヌを読んでいる今、このような海洋冒険小説を読むという偶然に導かれていることに、読書の奇妙な繋がりをひしひしと感じずにはいられなかった。

しかし物事には全て終わりがある。どんな愉しいひと時にも必ず終わりは訪れる。それはまさに夢のような一時の終わりだ。

最後の一行を読み終わった今、私の心はなんとも云えない堪らない気持ちでいっぱいだ。

まずはこの結末が堪らない。

安楽以下、他のシリウス号の面々が堪らない。
彼らの力に屈せず、どんな苦難にも立ち向かう強い心と、そして何よりも人生を愉しむことを忘れない素晴らしい人々の気持ちよさが堪らないのだ。

そして何よりも、こんな気持ちのいい物語を書いた稲見氏がもう今はいないことが何とも堪らないのだ。

こんな物語を読まされたからには、どうしても大きな喪失感が込み上げてくる。もっと夢を、物語を見させてくれよと、叶わない駄々を訴えたくなる。

死を覚悟した人の紡ぐ物語はなんと優しく、美しい事か。

一方で稲見作品には自身を投影した作中人物が必ず登場する。正直に云って私は氏とは面識がなく、恐らく面識がある方はこの物語の登場人物全てに稲見氏の断片を見つけることだろう。
それを承知で敢えて云うならば、私は稲見氏自身が色濃く出ているのはホテル・シリウスに長期逗留している作家ジョン・B・ブック氏を挙げる。

癌に侵された身体で半ば物語を綴ることを諦め、終の棲家として気に入った美しい船のホテルにて逗留し、ガンロッカーまで備えた彼は、気持ちのいいホテルの生活と周囲の環境、そして気の置けない面々と過ごすうちにみるみる体調を回復し、健筆を再び振るうようになる。
私は彼に稲見氏の強い願望を見た。まだ逝くのは早い、俺には書くべき物語があるのだ、だから俺もブックのように復調してみせる、と。
ブックはまさに稲見氏の姿であり、あるべき姿として描いた理想像だったと考えると、胸に強く迫るものを感じる。

本書を読まれた方の中には恐らく書き込みが足らないと感じる人もいるだろう。現在では250ページ弱の小説などはほとんどなく、薄くても300ページはあるだろうし、この内容であれば少なくとも1.5倍の分量は書けると思うはずだ。

しかしそんな思いは本書のモデルとなったホテル・スカンジナビアとその支配人だった安楽博忠氏による解説を読めば、なぜこの分量だったのかが解るはずだ。
それは癌に身体を蝕まれた稲見氏がどうしても生きている間に書きあげたかったという一念で、とにかく自分の頭にあるストーリーを紙に書き落としたかったからだろう。だからこそ、出来栄えには無念さが残ったとは思うが、それでも書き上げたことこそが一番の滋養になったのではないか。
幸いにしてその後も作品をあと2冊発表してくれている。

そしてモデルとなったホテル・スカンジナビアだが、既にもうホテルとしては経営してなく、2006年にスウェーデンの企業に売却され、整備のために上海のドックに曳航されている途中に浸水して沈没してしまったとのこと。そして安楽氏もまたその後を追うようにその2年後に永眠されたとのことだ。
何と全てが夢の出来事ではなかったかと思われる話である。

題名に掲げられた旗とは、いつか男は旗を掲げて船出すべきだというメッセージの象徴だろう。それはまさに稲見氏自身が実践したことでもある。
癌を患った時、伏せてばかりはいけない、男は心に旗を掲げ、命燃え尽きるまで夢へと漕ぎ出せ。
そう自身を鼓舞している作者の声が聞こえてくるようだ。

残りの稲見作品は2冊。それは私にとって来るべき時に開けるヴィンテージ・ワインのように大切な2冊だ。
だからしばらくはまだ本書の清々しい余韻に浸って、その2冊はまた当分の間、封印しておこう。


▼以下、ネタバレ感想

※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

Tetchy
WHOKS60S

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!