時の果てのフェブラリー
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「時の果てのフェブラリー」を読むのは3回目。最初に読んだのは、角川スニーカー文庫版が出た1990年4月。『宇宙塵』に連載されていた時に読んだという先輩に勧められて読んだのだが、当時の評者は、今振り返ると、物語の内容よりもそのスタイルに捕らわれていたので、描かれているアイデアとストーリーはそれなりには評価したものの、それよりはむしろ、その話がラノベのフォーマットで書かれていることの方を重視していたような記憶がある。 詳しく覚えてないが、当時は、同書がヤングアダルト向けのSFが1970年代までのSFジュブナイルから80年代以降のライトノベルへ移行していく流れの中で書かれた作品であると捉えて、その意義の方を重視していたと思う。 実際、「時の果てのフェブラリー」は11歳の少女の主観で語られる物語であり、それにふさわしいテーマと思想が語られる。ヤングアダルトというには幼いがジュブナイルと考えれば妥当な年代だろう。少年少女向けとも言えるそのような物語に、一般向けのハードSFにふさわしい設定を持ち込んでいる点が新しく思えた。ミスマッチの感覚は強かったがここちよかった。しかし、軟弱SFファンの評者には本書のハードSF成分は重た過ぎたので、その部分は流し読みで終わってしまったので、そのことが同書を適切に評価できなかった理由だと思う。 2回目は、2015年2月に加筆完全版と言われていた徳間デュアル文庫版を読んだ。その時は結構真剣に読み込んで今回と同じような感想を持った。しかし、評者は、作者の著作は他には2,3冊しか読んでないので、その思想や主要なテーマについては未だに十分理解できていない。 今回、改めて読んだのは続編を読むにあたり本篇の内容を再確認するためだ。積読本の山の中には作者の本も複数あるので同じ本を繰り返して読むよりはそちらに取り組むほうが有用だとは思うが、繰り返して読むことにも意味がある。何よりも不十分な記憶と認識のままで続編を読むのは気持ちが良くない。今回、本篇を再読した後に続けて続編を読むことができたのは良かったと思う。 前回まではそのようなことは考えたこともなかったと思うが、今回は、前半を読んでいる時から、なんとなくJ・P・ホーガンとよく似ていると思った。2人とも自分はハードSF作家だと主張しているし、人類の未来、あるいは、テクノロジーの進歩に対する絶対的なオプティミズムを持っているようだ。特に量子論について両者の解釈が似ているように感じるのは、最近、『ミネルヴァ計画』を読んだばかりだからかもしれない。 「時の果てのフェブラリー」は、いま改めて読み直しても、ラノベの範疇の作品としか思えないが、「世界の中心のウェンズデイ(未完)」は、もしかしたら、成人向けの本格SFになっていたかもしれない。 “ジュブナイルSF”あるいは“ラノベ”が成人向けのSFと比べてレベルが低いとはまったく思わないが、成人向けの本格SFとははっきり異なっていて、そこで描かれるモノ、描かれる概念、描かれる思想は、両者では明らかに異なる。「時の果て・・・」の主人公は11歳の少女なので成人向けの物語には成り難いが、「世界の中心・・・」は、主人公が14歳のウェンズデイであることに加えて、大人になったフェブラリーも活躍するようなので、成人向けのテーマと思想も語られる。それは大きなメリットだと思う。しかし、その一方で、焦点がぼやけてしまう可能性も出てくる。 「世界の中心・・・」は“未完”で終わっているが、それも凄いところで中断している。話が盛り上がり、佳境に入り、すごく面白くなってきたところでいきなり・・・(未完)。この衝撃は、個人的(評者)には、『幻魔大戦(オリジナル漫画版)』、『サイボーグ009・神々との闘い編』の衝撃に匹敵する。 完成していたらいったいどんな話になっていたのだろう。 「世界の中心・・・」を読んで、まず思うのは、主人公たちの造型である。フェブラリーは11歳ということで、ある意味ではそれが一つの魅力ではあったが物語を引っ張るキャラクターとしては弱さがあった。しかし、ウェンズデイは14歳の天才少女であり自称あばずれのわがまま娘。彼女とコンビを組むジュウジとリックもキャラが立っているし、その関係性も現代的というか近未来的で、『新世紀エヴァンゲリオン』のアスカとシンジ、ちょっとタイプは違うけれどケンスケかトウジ。特にウェンズデイの性格や態度はアスカにそっくり。執筆時期を考えると影響を受けていることは十分考えられるだろう。 しかし、評者は、彼ら本篇に登場する若いキャラクターの原点は、小松左京の短編「彼方へ(1967)」ではないかと考えている。若い男性の性衝動の発現は宇宙の進化におけるプロセスと同じという大ネタをオチとする艶笑譚で、評者が大好きな短編だけど、そこに登場する青年たちの背中を押す衝動と奔放さは本篇の主人公たちと確実に繋がっている。 「世界の中心・・・」の第三節には、大人になったフェブラリーが登場する。そして、主人公であるウェンズデイが描かれるのと同じ濃度でフェブラリーも描かれる。フェブラリーは本篇の第二の主人公なのか?大長編ならいざ知らず、中短編でこんな無理な構図の物語が成立するだろうか。未完となったのはそこに原因があったのではないかと思う・・・ 第二節まで読んでいた時には、前作のフェブラリーのアンチテーゼとしてウェンズデイを登場させて、その物語を描くのだろうと思っていた。 弁証法的な構造で描く続編。と評者が考えるのは、前作は最終的に結果オーライ、めでたしめでたしで終わったが、続篇で描かれるのは、結局それがうまくいかなかった社会を舞台にしていること。前作の最後、問題は解決し、世界は平和になるのかと思ったが、結局、人類社会の問題はそれだけでは解決しなかった。そこで続篇が企画される。こういう展開はよくあるが、今回は何故か、それを弁証法のようだと感じた。問題の対立構造がはっきりしていたからだろう。作者はこのシリーズをどこに持っていくつもりだったのだろう。弁証法的に3部作を予定していたのではないかと考えてみたりする。 「世界の中心・・・」において、フェブラリーはウェンズデイの母親として登場するので、ウェンズデイの心理的な反抗の対象として描かれるのかと思っていたら、いつの間にかフェブラリーが関与するプロジェクトの方が面白くなり、重要になってしまう。主役交代か?これでは、物語が成り立たなくなってしまうのではないか。 しかし、と、思う。作者は、このような状況になることはあらかじめわかっていて、しかし、それにもかかわらずウェンズデイを主人公にした続編を完成させるつもりでいた。と考えるべきなのか。この状況から、ウェンズデイが主人公であることが違和感なく受け入れることができるのはどのような展開だろう? 評者の貧しい創造力では、フェブラリーが不慮の死を遂げて、その遺志をウェンズデイが継ぐという陳腐な展開ぐらいしか思いつかない。このもやもやから解放されるために、心からこの先を書いて欲しかったと思う。 評価を4にしたのは、「時の果てのフェブラリー」のハートの物語の方が濃厚過ぎて胸やけを起こしたためであって、ハードの方は文句なく満点です。一方、「世界の中心のウェンズデイ」は、凄く期待できる話なのだけれど、続きを読むことができないので4点。 | ||||
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●重力低下や時間経過の異なる世界SPOT。相対性理論を具現化した幻想的な描写は、非常に視覚に訴える ものでした。加えて著者の考案した”虚数仮説”は理系SFファンの想像力を刺激し、ハードSFの醍醐味を堪能 させてくれます。 しかもハードばかりではなく、オムニパシー故の父と娘の苦悩など人間模様も忘れていません。解説者の 言葉を借りて言えば「ハードだけでなくハートも備えたSF」です。 著者の新作をもう読めないのかと思うと、淋しい限りです。私の一押しSF作家山本弘氏のご冥福をお祈り 申し上げます。 | ||||
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スポットと呼ばれる強力な電磁波を放出し、その中心では重力が軽く時間の流れが異常に加速した空間が世界各地に出現した。 世界中の科学者もその正体を探るが究明できずにいたが、ただ一つだけ言えるのは、このままではスポットの影響で吹き荒れる異常気象や電子機器の破壊で人類が滅亡するという事実だった。 何度も調査隊が出されたものの、結局、徒労に終わってしまう。 そんな時、オムニパシーと呼ばれる超感覚をもった少女フェヴラリーが、愛する父と世界を守る決意から自らスポットの探査に乗り込むと名乗りでた。 山本弘氏の作品らしく、その世界観と背景となる設定は実に突き詰められている。 スポットの影響やその結果にいたるまで詳しく考察が行われています。 やはりSFというのは、元来、キャラクターの魅力よりもその世界観で魅せられるべきものでしょう。 この作品の世界観は非常に満足していますが。 ただ肝心のスポットの原因となる未知とのコンタクトの部分では、ちょっと力が足りなく感じるくらいが不満が残る作品でしたが 全体的には良かったと思います 主人公のフェブラリー、十一歳の少女ですが。 超感覚をもって生まれた事で、周囲の人間が本人も気づかないまま抱いている感情まで知ることになり、一番の近親者の父親との間にも壁ができてしまっている。 心から父親を愛しているが、それだけに壁を崩す事はできない。 そんな親子の葛藤も、この物語のテーマの重要な部分になるでしょう。 超感覚をもっているがそのために色んなものに縛られた幼い一人の少女、自分でも気づかないうちに過去に縛られた少女の父親、加速する時間に捉えられた人々 そしてスポットを生み出した存在とのコンタクト この作品の全てが一つのテーマで成り立っています。それを読み解いて頂ければ作品が楽しめると思います | ||||
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