ミネルヴァ計画
※タグの編集はログイン後行えます
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
ミネルヴァ計画の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書は、J・P・ホーガンのデビュー作である傑作、『星を継ぐもの』に始まるシリーズの第5部、最終巻。米国では2005年に発表されているので、日本での出版まで20年かかったことになる。 ネタバレしないと紹介したいことが書けないのでネタバレします。気になる方は、注意してお読みください。 本文約550ページの本書は二部構成。過去のシリーズを簡単にまとめたプロローグに続いて、前半の「第一部 マルチヴァース」は、マルチヴァースの存在を確認して、そこへ行く方法を確立する話。後半の「第二部 ミネルヴァへのミッション」は、遠征チームが目的を達成するためにマルチヴァースの5万年前のミネルヴァへ行く話。 想定していた以上にややこしい話だった。 ホーガンの小説は一般的にハードSFと呼ばれるが、本文中に数式が登場するわけではないので、大部分の作品は評者のように数学が苦手な読者でも問題なく読むことができる。 ただ、ハードSFと呼ばれる小説は、その作品の柱となる基本原理(多くの場合は物理法則)を無視してアイデアやストーリーが展開することはない。そのため小説の中に描かれている論理とその関係性を読み取ることが読書の醍醐味となっていることが多い。 本書の場合、基本となるのは“我々が生きているこの現実に”マルチヴァース”が存在し、相互に移動可能である。”ということ。評者はこれを本書の基本原理と考える。しかし、”マルチヴァース”は仮説にすぎないので、現時点では本書のために作者が用意した一つのアイデアでしかない。そのため、現実には存在しないそれを、作者がどのようにしてそれらしく表現するかを楽しむことになる。 評者はそこに引っかかってしまった。 当然のことだが、そんなことに拘(こだわ)る必要はない。それぞれ自分が好きなように読めばよいのだが、評者はそこに拘って読んだということ。 評者の理解では、マルチヴァースとは、この宇宙の外側に我々の宇宙とわずかに異なる宇宙が無限に存在しており、しかもそれが無限に分岐して増殖しているという仮説である。この宇宙の外に存在するので、移動はもとより感知することもできない。見方によってはパラレルワールドの存在をタイムパラドックスの発生を回避して理論的に裏付けるのがマルチヴァース仮説だとも言えるので、過去に書かれたパラレルワールドの物語は、そのほとんどが無意識のうちにマルチヴァースの存在を前提としていたと言っても過言ではないと思う。 本書では、その仮説に基づく無限の宇宙が実際に存在していたとしたらどのようなことが起こるかということが描かれるが、その起点となるのは、本シリーズの第三部『巨人たちの星』のクライマックスで、アッタン要塞からの逃亡に失敗したブローヒリオの船団が到着した5万年前のミネルヴァが、現在に通じている過去ではなく、実はマルチヴァースに存在する世界だったという設定の変更である。 これは、本書オリジナルの新しいアイデアではない。上記で述べたようにタイムトラベルによって改変された過去は現在に繋がっているのではなく、新しく改変された現在を生み出すという“パラレルワールドもの”の発想である。 本作は、この発想をマルチヴァース理論を使って精緻化したものであり、本作の特徴は、理論上は移動どころか感知することもできないとされているマルチヴァース間の自由な移動を可能にする設定の採用である。 つまり、第三部『巨人たちの星』では、時の円環が閉じたことになって物語を完結させていたが、本書ではそれをひっくり返して、あれは時を遡って輪を閉じたのではなく、並行する別の輪に乗り換えていたのだと言っているのだ。 では、そのアイデアを使って何を描くのか?それが本作の肝である。 本シリーズ第四部までの設定では、5万年前に惑星ミネルヴァが破壊されたのはランビア人とセリオス人が争ったためであり、ジェヴレン人が地球人を敵視してその進化を抑圧したのは、ジェヴレン人の祖先であるミネルヴァのランビア人が抑圧的な性格の種族だったためで、彼らがそうなった原因は、抑圧的な性格のジェヴレンの独裁者ブローヒリオが5万年前のミネルヴァに到着して当時のランビア人を支配したためだとされていた。本来のランビア人はセリオス人ほどではないにしろ、それなりに平和的な種族だったのではないかと考えられた。 そのため本書では、ブローヒリオがランビア人を支配することがなければ、ミネルヴァ大戦によってミネルヴァが破壊されることはなかっただろうし、ジェヴレン人が地球の文明を抑圧することもなかっただろう。そのような過去を選択することができていたら、ミネルヴァも地球もテューリアンと協力してすばらしい文明を発展させることができていたに違いないと考える。 つまり、ランビア人=ジェヴレン人の陰謀を排除し、血にまみれた戦争続きの歴史を修正して、人類に本来の姿を取り戻させたい。それが本作のテーマである。 問題はマルチヴァースの世界の解釈である。評者は、マルチヴァースの宇宙ではありとあらゆる世界が既に存在しているので、結局はどの世界を選択するかの問題だと思うし、本作でも途中まではその方向で話が進んでいたと思うのだが、いつの間にか目標とする世界を実現するために、それに近い世界に働きかけて改変しようという形に変わって行く。無限のヴァリエーションが存在しているマルチヴァースで、なぜ世界を変えなければならないのか。これではタイムトラベルによる歴史改変を描いた『プロテウス・オペレーション』(1985年)と同じではないか? 評者は、作者には本書でマルチヴァースの他にも描きたいものがあったのではないかと考える。 解説では、本書執筆の動機として、読者からの続編に対する要望があったと書かれている。ハントとダンチェッカーが活躍する『星を継ぐもの』のシリーズとして『内なる宇宙』の続編を書くこと。ネタとしてマルチヴァースを採用すること。 この2点に加えて作者はガニメアン(テューリアン)と人類の関係をより深く見直したいと考えたのではないか。 鍵は、過去のシリーズにも登場していたテューリアンの高官(異星人担当大臣)フレヌア・ショウムと、本書が初登場となるダンチェッカーのいとこミルドレッドである。 フレヌア・ショウムは、過去の作品ではジェヴレン人対応を長く続けていて、人類種族に批判的な人物として描かれていた。一方、ミルドレッドは、自分は変わり者であるという自己認識を持っている好奇心強い作家志望の女性。この二人が接触し、互いに相手を理解していく中で異星人に対するこだわりを捨て、共に生きるものとして認識を変化させていく。特にショウムは、ランビア人に対する心情、態度も変わって行く。 登場人物の変化を描くためには背景となる世界も単に選択するのではなく変化させる方がわかりやすい。本末転倒のような気もするけど、これが本書の背景にあるのではないかと考える。 ただ、全編を通して描かれているのは、初期の作品からまったく変わっていない作者であるホーガンの人類に対する信頼と陽気な積極性と楽観主義であり、否定するべきものではない。 もしかしたら、『プロテウス・オペレーション』も、タイムトラベルによる歴史改変は単なる手段でしかなく、作者が描きたかったのは改変された世界だったのではないかと、今考え始めている。 ところで、本書と『内なる宇宙』のストーリー構成の類似点については解説でも取り上げているが、評者も読んでいる時から気になっていた。解説で触れている点以外でも様々なことが同じように繰り返される。最初のうちは面白いと思っていたが、次第にまた同じ展開かとちょっとうんざりしてくる。これは意図的なのだろうか、それとも、無意識に繰り返しているのだろうか。 あと、気になったことを2点ほど。 一点、“ブローヒリオは月の裏側に隠れていた。”という表現があるが、ミネルヴァでも月は自転周期と公転周期が一致していたのだろうか。そこに必然性はあるのだろうか。 二点目、ランビア人のソーク兵曹は重傷を負って漂流していたとはいえ直前まで意識があり会話もできていた。しかし、ハントたちに救出されたにもかかわらず救命することができなかった。不死まで実現していたテューリアンの技術でも助けられなかったのだろうか。 なにげなく書かれているけれど、やっぱり気になる。細かいことを突っ込み過ぎだろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
3部作は確かに面白かったが、根本的な疑問があった。 それは、2500万年(2500年ではない)もの時を隔てて、 同じ巨人であるガニメアンとテューリアンの容姿や言葉が変わらない ということがあるだろうか、ということ。 また、人工頭脳や宇宙船等のテクノロジーも進化したとはいえ、 その時間の長さを考えれば、あまりにも僅かでしかない。 それほど変化しない巨人なのに、多元宇宙の存在を知ると、たちまちの うちに別の宇宙の任意の時間に移動する技術を開発してしまう。 無限にある並行宇宙の1つでミネルヴァを救ったところで、どうなるもの でもないだろうし、そもそもミネルヴァが崩壊していない宇宙だって あるだろうに。 当初はそれなりに科学的説明がされていたのに、前作『内なる宇宙』、本作と、 どんどん夢物語化してしまい、3部作でやめとけば良かったのになぁ というのが正直な感想。 なお、翻訳のせいかホーガンの原文のせいかは分からないが、所々で何を 言っているのか意味不明な箇所があった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
45年間の愛読書が完結した。腹落ちまではまだ時間がかかりそう。が生き方含めかなり影響受けた。物事の捕らえ方、己の目を信じ、考えを貫く姿勢。作者とスタッフに感謝。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1977年の作者のデビュー作から実に40年ほど経過(本作が発表されたのは2005年のようですが)して、とうとう完結を迎えた作品。 自分は翻訳の発表で初めて本書の存在を知りました。 これまでの作品で謎のままであった在りし日のミネルヴァの人々、そしてブローヒリオ一行の行方。 本書はそこにフォーカスを当てつつ、前半は「未来を切り開く一方で恐るべき攻撃性を持つ人類は、果たして銀河世界に進出する技術を与えて良い存在なのだろうか?」という対話が続きます。 おなじみのコンビが次々と技術的にブレークスルーを引き起こしていく一方、テューリアンはその早急さに危機感を覚えていく。 その中で地球人の社会学者との対話で浮き彫りになる、人類の姿。 お互いの足を引っ張り合う、奪い合うことを称賛する社会とその歴史。 それは過去シリーズで明らかになった宿敵ランビアンの差し金であったわけですが、それがなければ人類は協調の時代に至ることができたのだろうか? 未だに独裁者が他国に侵略戦争を起こし、一方で自国第一主義で他国に負担を押し付ける指導者を称賛するこの世界において、作者が亡くなる前に残した不安が的中しているようで恐ろしい。 過去シリーズを読んだ方なら読まない理由がない作品だと思います。 在りし日のミネルヴァの話は、個人的には2章より前かプロローグに挿入しても良かったかなという気がしないでもないですが…。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
わずか七年間の物語は、時間軸を大移動して漸く完結した。 ミネルヴァの発想とそこから派生する地球人、異星人の交わりが最後まで面白い。 人類とコンピュータとの関係はどこまでも続くのだろうか? そこに異星人を絡めたので、すごく面白くなったと実感した。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 6件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|