ルルージュ事件
- 世界最初の長編ミステリ (1)
- 素人探偵タバレ (1)
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ルルージュ事件の総合評価:
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翻訳が上手いからか古典特有の読み辛さはなくスラスラ読める。 | ||||
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いつか読もうと思って購入したものの、ページを開くたびに上下2段組のレイアウトにひるみ、本棚に置くこと幾年月。このまま永遠に放っておくわけにもいかず、えいやっと思い切って読み始めたら…あれれ、意外にもスラスラ読めて、しかも面白い。案ずるより産むが易しであった。 本書『ルルージュ事件』(1866年)は、世界初の長編ミステリとして知られている。そういえばウィルキー・コリンズの『月長石』(1868年)も最初はその長さにためらったが、読んでみると面白かった記憶がある。ということは、ミステリは理屈をどうこう言い始めてから、ちっぽけなものになってしまったのではないか、というようなことも思う。 1860年代にはディケンズの『大いなる遺産』があり、ユーゴ―の『レ・ミゼラブル』があり、いずれもミステリではないが圧倒的に面白い小説である。僕は、本書もそれらと同じ感覚で楽しんだ。もちろん殺人事件が物語の中心にあり、推理的な要素が入ってくるので長編ミステリ第1号と呼ばれるわけだが、そこが本書の面白さのポイントではあるまい。 一つの殺人事件を発端に、思いがけずさまざまな人がつながり、それぞれの喜怒哀楽がタペストリーのように織り成される。秘められた過去が暴かれたり、恋に身を焦がしたり、運命に翻弄されたりする。そういうドラマがよく描けているからこそ面白いのである。よくできたトリックとかロジックとか意外な犯人とかどんでん返しとか、そんなものではなく、大事なのは「物語」なのだと思う。 | ||||
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1841年、アメリカにあってエドガー・ポーが雑誌に載せた短篇「モルグ街の殺人」、それが訳者もいうように「近代ミステリの開幕を告げる記念碑的作品」と通常見なされています。 本書『ルルージュ事件』は、フランスの小説家エミール・ガボリオ(1832-73)の作品で、1866年に新聞連載されたものですが、こちらは訳者によれば「世界初の長篇ミステリ」となるようです。 まあ19世紀におけるこうしたミステリという物語ジャンルの誕生には、犯罪はじめさまざまな事件を報道する新聞や雑誌などジャーナリズムの発達、そしてその新聞や雑誌で紙面を埋め、広く読者を獲得しかつ長く購読させてゆくための面白い読み物の需要、いっぽうで警察や司法など社会の治安にかかわる国家装置の安定などさまざまな要因があったものと想像されます。 最初に言えば、この作品をまずはおもしろく読みました。 評者は、ガボリオというと未読ながらかつて旺文社文庫で出ていた『ルコック探偵』(松村喜雄訳)を思い出し、そのことから彼の小説では探偵ルコックが活躍するものだとばかり思っていました。 しかしこの『ルルージュ事件』ではたしかにそのルコックは登場することは登場しますが、まったくの端役にすぎず、おもに警察に協力する素人探偵タバレ(渾名は「解明する」という意味の「チロクレール」Tire-au-clair)と予審判事ダビュロンが犯罪捜査を進めていく者になっています(小説を読むと、この予審判事juge d'instructionというのは、警察を使って証拠を収集したり被疑者に訊問したりする強い権限をもっていたものと想定されます)。 いま述べたタバレは、物語の最初のあたりで登場し、殺人事件のあった犯行現場を見てデュパンやホームズ並みの推理をまず即座に披露し、読者はおぉっとなるのですが、そのあとしかし犯人推理では迷走してしまいます。しかもそのまま最後まで事件解決の主役になることはありません。 また、物語展開上、事件関係者と捜査関係者にいくつかかなり密な人間関係がすでに設定されてあって、登場人物間のつながりにおいてあまりに偶然的すぎるものが利用されている、ようはご都合主義があるともいえ、それが、いかにも現実でもありそうだという物語の本当らしさをいくらか損なっているといえなくもありません。 それはこの小説では登場人物がきわめて少ないということでもあるのですが、20世紀の推理小説家クリスティなどはむしろ登場人物が少ないと犯人は限られてきてすぐに分かってしまうのを避けるため、逆に怪しい人物を事件周囲に(必要以上に?)多数配置して読者をミスリードするようにしていたかと思います。 事件の背景にある赤ちゃんのすり替えも古来よくあるプロットといえるかもしれません。また、ややメロドラマ的な話がプロットにからまっているのも19世紀小説ならではかもしれません。 なお、興味深かったのは、最近読んだばかりの、イギリスのウィルキー・コリンズ(1824-1889)が書いたサスペンス小説『バジル』(1852年)において、死に際にある人物が最後に洩らすことばは証拠性をもつ真実として扱われるという記述があり、この『ルルージュ事件』においても、やはりある人物が死に行く際、「人殺し!」と言ったあと最後に犯人の名前をそえようとし、そしてそれが真実を明かす証拠になりえた、という話が出てきます(しかしどちらの小説でも当該人物は、鍵となるもっとも重要なポイントを口にせぬまま、さきに事切れてしまう)。 今わのきわに洩らされることばには真実があり証拠性が担保されるという考えにはたぶんキリスト教的な背景があるのかもしれませんし、また、意味や使い方が代わってしまっていますが、現代推理小説における重要な物語アイテムのひとつであるダイイング・メッセージにつながるものなのかもしれないと思った次第。 巻末の訳者解説によれば、日本でガボリオのこの小説は早くも明治21年(1888)に黒岩涙香の手によって『人耶鬼耶(ひとかおにか)』の題で、英訳書からの重訳でしたが日本語にされていたとのことです。ただし黒岩涙香のその種の翻訳ものについてよく知られているように、それは今で言うような翻訳ではなく、内容が部分的にカットされ、登場人物名も日本人名にするなどした翻案というべきものだったようです。また、ガボリオのその他の代表作も抄訳ながら戦前すでにいくつも翻訳出版されていたことを訳者はあきらかにしています。 最後になりましたが、翻訳は、あたかもこの小説がもともと日本語で書かれていたかのような自然さがあって、たいへん読みやすいものでした。 | ||||
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事件にかかわる登場人物にそれぞれ事情があって、人情が絡んでくるお話です。昔の人は、こういう上流階級のスキャンダラスな物語を楽しんだんだろうなあと。 長々と心情を語る場面もあって、ちょっと退屈かもしれないが、終わり近くになるとだんだん手に汗にぎるような展開に。そしてびっくりさせられることも。エンターテイメントとしては十分です。 長編だから、ゆっくり読んでいるうちに、だんだん当時の雰囲気になじんでこの世界観に浸れるようになりました。 | ||||
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何しろ世界初めての長編推理小説とのことで、かれこれ200年も前の小説ですから古めかしくて退屈するかもと思ったのですが、とんでもない、当時の社会の様相もよくわかり、大変面白く一気に読み終わりました。 ひょっとしたら、恋愛小説だったのかも? | ||||
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とても状態も良く、綺麗でした。なかなかリーズナブルで購入出来てよかったです。 | ||||
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