マーメイド
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倒叙ミステリの第一人者の折原一さんの過去ブログ(『頭蓋骨の裏側』)を読んでいたら、敬愛するMさんを偲ぶ会のことが綴られていた。 Mさんは大学の学部・学科の一年先輩で、亡くなられてからもう二年半になる。 四十年近く昔、趣味の上でも人生の歩みの上でも、いろいろと教えて頂いた。彼について書く。 大学の講堂と文学部を結ぶ通りの講堂よりに、その喫茶店はあった。 外からは内部がまったく窺うことができない。入るのが少し躊躇われるといった風情だ。 そんな喫茶店の窓際の一隅で、はじめて会った。昭和45年の今の季節か、もう少しあとだった。 彼は抜群の英語力で、大学の二年生のころから、ハヤカワ・ミステリ・マガジン(HMM)の下訳などをしていた。 宝塚市出身の俊才で、夏目漱石の著作などに親しんでいた。あの若さで、あれほどの知的成熟を、他にボクは知らない。 はじめて彼と話した日を、昨日のことのように覚えている。 彼が大好きだったL.デヴィッドソンの『モルダウの黒い流れ』の話を畏敬を以って聞いた。 当時、新刊で出版されたばかりのジェフリー・ハドソン(マイケル・クライトン)の『緊急の場合は』は、上半期のベスト5には入るなぁ。。。なんて話した。 その頃は当たり前だけれど、彼もボクも貧乏で、たいしたお昼も食べず、かわりに、ポケミスの新刊や新作映画のほとんどは、読んだり、観たりしていた。 授業にはお互い、見向きもしなかった。凄いと思ったのは、期末テスト期間中に、神田の古本屋まわりをしていた。さすがに付き合いきれない。 ミステリや海外小説の話になると、彼は時間の経つのを忘れて夢中になって話した。 そんな話を聞くのが楽しくて、じぃ~っと聞いてた。 彼は八方美人的でなく、どちらかというと人嫌いに見えた。 しかし親しくなると、ゼンゼン違っていた。さみしがりやで、人恋しいタイプの人だった。 但し、本音を心置きなく語り合う関係になるまで、随分と、時間のかかる人ではあった。 嘘や巧言令色を弄ぶ事は大嫌いだったと思う。 そのぶん、後に翻訳家になった時、原稿の持ち込みや出版社との社交の面で、そうとう損に働いた様にも思う。 MWA最優秀短編賞のロバート・L・フィッシュの『月下の庭師』を彼が訳し、HMMに掲載された日のことー。 喫茶店が閉店時間になり、東西線の入り口の傍の喫茶店『オリエント』で続きを話した。 『月下の庭師』はヒッチ師匠の『裏窓』とダンセイニの『二壜の調味料』が合体したような傑作短編だった。 彼とボクの付き合いは大学の三年から四年までと、社会人になってからの半年弱である。 彼は事情があって、急に帰郷してしまった。 そして四年間が過ぎた。 そんなある日、彼から突然電話があり、そして他に誰も引き受け手はいない・・・と言う。 彼の結婚式の司会の依頼だった。いったん宝塚に集まり、式は京都だった。 東京からは、大作家になられたMKさんと、高校ー大学と同じサークルの編集者になったHくんも出掛けた。 今も杉戸在住の作家MKさんは、彼の一番の親友だったと思う。 泉鏡花を研究しつつ、MKさんはコチコチの本格ミステリ派だった。 SFからハードボイルド、サスペンス、新刊ミステリは全部バカスカ読破するMさんとは肝胆相照らす仲だった。 結婚式でも、まだデビュー前のMKさんが主賓をつとめた。 ついこの間まで、浮き沈みが激しい、出版ジャーナリズムを駆け抜けるのは、Mさんに不向きだった。。。と勝手に思っていた。 それは学生時代の最後のエッセイに由来する。 およそ、うろ覚えで不正確だが、『泣きたくて、泣きたくて、仕方がなかったある日、ボクは泣かずに発狂した』(かなりいい加減だが)というタイトルの名文がある。 そこでは、本当はミステリなど好きではなく、文学や童話に対する憧れが綴られていた。 彼の早成がよくわかった。 シャープな知性ゆえ、神経も鋭敏であり、繊細だった。翻訳の仕事には一切の手抜きがないことも、学生時代からうわさで聞いていた。 どちらかといえば、思慮深い英文学の研究者とかの方が似合っていた。 ボクもそうだが、ボクとは比較にならないくらいに、政治学には縁遠かったと思う。 けれど、この記事を書くために翻訳家としての作品を調べて、やっぱり、才能が貫かれたことを知る。 とりわけ、彼が訳した作家に、フィリップ・K・ディックとマーガレット・ミラーの名前を見つけ、うれしくなった。 『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』は、彼の大好きなSFだった。 マーガレット・ミラーは彼が一番、敬愛していた翻訳家の小笠原豊樹(詩人:岩田宏)が訳した作家である。美しい文章を書く作家だった。 彼の旅立ちは、やはり早すぎたのだが、それでも、よい仕事をなされたのだなぁ。。。と思う。 彼の訳した本を集め、読むのは老後の楽しみにとっておこう。 おそまきながら上を以って、合掌。 『マイ・ラグジュアリー・ナイト』は、彼の結婚式で時間が余りそうになり、司会者自らが歌うことを覚悟した曲だ。歌わずにすみ、ぶち壊しにしないでよかったぁ。。。心よりそう思う。( 2009.5.10 ) | ||||
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マーガレット・ミラーの本(翻訳されている長編)は全作読んだ。印象は、この本の解説にあるように「彼女はいつも違う」だ。よくいわれる「暗い、異常、後味が悪い」というのは、ミラーの一面を表しているに過ぎない。 彼女の特徴は、犯罪の心理的な側面を純粋に抽出している点だと思う。そのため多くの場合、主要な登場人物は(お金という動機のない)アッパーミドルクラスに設定されている。 またミラーは、知的障害、視覚障害、新興宗教といったテーマも取り上げている。これは、決して彼女が「不幸な人々に優しい」からではなく、目新しい設定での犯罪心理を追求したかったからだと思う。ようするに、ミラーは詮索好きでカンの鋭いおばさんだったんじゃないのかな。 『マーメイド』は私の知る限り、最後の翻訳(原書1982年)だ。知的障害者の犯罪を、ユーモアをまじえて書いている。ラストの意外な一点にミラーらしさを感じたが、それ以外は残念だが凡庸に思えた。 ミラーには熱心なファンが多い。ただ人によって好きな本が全く違うという気がする。ちなみに私の場合は一に『狙った獣』、二に『鉄の門』、三四がなくて五に『明日訪ねてくるがいい』。オーソドックスなタイプだね。 | ||||
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読み終わった途端、本を開いたまま強く物語を噛み締めてしまわずにはいられないような痛切な余韻は、どのミラー作品にも共通だと思うけれども、この作品はその中でも最もそれが顕著だったように思う。 誰がどのような悪意をもってどうする、という能動ではなく、それぞれの登場人物が、このようにしか在れない、ということによって軋んでゆく人間関係が、おだやかに、かつ、一度捕縛されたら逃げられないような求心力でもって描かれている。知的障害、という難しいモチーフすら、ミラーの手にかかれば、その外面的な意匠を拭われて、一人の確固たる人間として、内側からしっかりと立ち上がってくる。張りぼてのような人物は一人として描かれていない。物語の行方とは別に、そのこと自体がもうすでに感動的ですらある。 もう戻れない人々の哀しくもあり愚かでもある軌跡を描きながら、ミラーは少しも彼らに対して創造主のような顔つきをしていないことに驚く。何もかもが間違っていた、そういう悲劇を、彼女はまるで、優しく静かな挽歌でもって見送るかのように思える。その声音の澄んだこと。その手つきの鮮やかさ。 | ||||
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