トミーノッカーズ
登録されているタグ
※タグの編集はログイン後行えます
3.00pt
4.50pt
Amazon平均点
4.09pt
みんなの オススメpt 自由に投票してください!!
0pt
サイト内ランク[?]
D
↑現実的
0.00pt
0.00pt
←非ミステリ
37.00pt
ミステリ→
89.00pt
↓幻想的
初版刊行(参考)
種別
長編
閲覧回数
1,953回
お気に入りにされた回数
0回
読書済み登録回数
2回
- このページのURL
あらすじ
外部リンク
※特設サイト・著者サイトなど
評判
トミーノッカーズの評価:
3.00/10点 レビュー 1件。 D ランク
トミーノッカーズの総合評価:
7.75/10点 レビュー 12件。
感想一覧
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1〜1 1/1ページ
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| ||||
|
Amazonレビュー
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 11件あります。
Amazon書評・レビューを見る
数々のホラー作品、近未来小説、ダークファンタジーを書いてきたキングが今回手を伸ばしたのはSF。なんと地下に埋まっていた空飛ぶ円盤が掘り起こされたことで町が侵略されていく話だ。
しかし題名のトミーノッカーズはそんなSF敵設定とは程遠い内容だ。
キングの前書きによればその名の“トミー”がイギリスの昔の兵士の糧食を指す俗語であることからイギリスの兵卒を指す言葉となっており、トミーノッカーズはそこから食料と救助を求めて壁を叩き続けながら餓死した坑夫の亡霊を指すようだ。その他トンネル掘りの人喰い鬼といった意味もあるようで、いわゆる幽霊とか化け物に類いする怪物を指す言葉であり、空飛ぶ円盤とは全く真逆の物だ。
一方でキングが本書で語るのは宇宙から来た存在が徐々にアメリカの田舎町の住民たちの頭の中に侵入し、意のままに操っていく侵略の恐ろしさだ。
この得体のしれない未知の存在を人々は古来から伝わる亡霊トミーノッカーズと名付けた。
SFと亡霊譚という全く真逆なものを結び付けたことがキングのアイデアだろう。
人が見ていぬ間に悪戯を仕掛けるレプラコーンという妖精の話があるが、この目に見えない妖精のような存在の宇宙人は題名ともなっている上に書いたトミーノッカーズという亡霊に擬えられているが、私は本書で初めて知ったその亡霊よりも子供の頃からファンタジーで親しんでいるレプラコーンの方が実にしっくり来る。
そしてこの宇宙人たちが人間たちに施す悪戯は何とも残酷だ。
3Dのイエスの肖像画が突然動き出し、浮気の夫を懲らしめるために妻にお仕置きの装置を作らせるが、それが感電死に繋がる代物であることに気付いた妻は夫もろとも亡くなってしまう。
IQテストで高得点を獲った、少し変わった少年ヒリー・ブラウンは祖父からプレゼントされたマジックセットでマジックショーを行うが、完璧ではなかったので天啓を得て物体を消失し、元に戻す装置を発明するが、マジックショーの最中、その装置で弟を消してしまうが、その弟は二度と戻ってこなくなる。
これら物語のエピソードの中心人物に共通するのはトミーノッカーズによって閃きを得て何かを得体のしれない機械を作ることだ。
空飛ぶ円盤を掘り出したボビ・アンダーソンは太陽のように輝く光球と空飛ぶ(かもしれない)トラクター、そして頭に浮かんだことを自動的に文章にするタイプライターを作り出す。
郵便配達人の妻ベッカ・ポールソンは夫の浮気を懲らしめるため、テレビを電源を付けると電流が流れるようなお仕置き装置に改造する。
その浮気相手である郵便局員のナンシー・ヴォースは郵便物の自動仕分け機を発明する。それはトミーノッカーズによって意図的に町外から来た配達したくない物を削除する機械だとも知らずに。
ヒリー・ブラウンは物体消失し再度出現させる装置を発明。
ジャスティン・ハードは近くに高周波振動を起こさせる装置を発明。
現実世界に穴を開け、どこかの異世界へ転送するラジオで町を訪れた部外者たちを次々に“転送”する人々。
町をトミーノッカーズの支配から救おうとした治安官ルース・マッコースランドは公会堂時計塔が吹っ飛ぶほどの爆弾を作り、トミーノッカーズたちが憑依した自分のコレクションである人形たちと共に自害する。
そしてボビ・アンダーソンは人間を動力源にする人間電池を発明し、愛犬のピーター、ヒリー・ブラウンの祖父でトミーノッカーズの支配から免れたエヴ・ヒルマンと彼女の実の姉で宿敵でもあるアン・アンダーソンを電池の水溶液に浸して動力を吸い取る。
そして物語の最終はこれらの機械たちと町を救おうとするジム・ガードナーとの戦いが繰り広げられる。
人を襲う芝刈り機、火を発射するテレビ受像機、炎を周囲に放ち、一瞬にして焼け野原にするパラソル、フリスビーのように空中を飛んで殺傷能力のある超音波を発する煙感知器、などなど。
これらはキング初期の短編に登場した“意志ある機械”のオンパレードだ。
またトミーノッカーズが町の人たちに憑依するとそれぞれの思考が読み取れるようになる。つまりテレパシーで会話が出来るようになる。
更にはなぜか次々と歯が抜けていく。彼らはそれを“進化”の過程だと告げる。
人々は抜けた歯を見せるように笑顔を見せる。歯の抜けた人が笑うとき、我々はどこかその人が白痴のように見えてしまう。そしてそれはどこか狂人めいた感じも受ける。
この何気ない設定が街の人々が徐々に侵略され、狂人へと変わっていく様子を如実に描いているように思われる。こういう何気ない設定を持ち込むのがキングは抜群に上手い。
やがてヘイヴンの町の人々はお互いの考えが読み取れるようになり、“進化”を阻もうとする町民たちを排除しようとする。
それはさながらウイルスの蔓延のように急激に広がっていく。いやある意味、カルト宗教の信者のように実に排他的になり、トミーノッカーズを受け入れない者たちを粛正するのも厭わなくなる。
都会よりも田舎の町の方が恐ろしいと云う。それは1人の権力者によって牛耳られ、そこに独自の法が成り立ち、町民たちはそれに従わざるを得なくなる。
その権力者が町民たちを恐怖で縛る場合と、絶大な信頼を得て確固たる支持を得て権力の座を維持する場合の二通りがあるが、厄介なのは後者の方だ。なぜならその場合は町民からの反発がない。つまり反抗勢力が生まれず、その権力者が外部にとって敵であったも町民たちにとっては外部からの圧力を退ける英雄としか映らない。
トミーノッカーズの侵略はまさに後者に当て嵌るだろう。彼らはボビ・アンダーソンという1人のリーダーの許に来たるべき“進化”を成し遂げるために他を排除しようとする。この異変に気付いた者は懐柔されようとするか、異分子として排除されるかいずれかだ。前半の治安官ルース・マッコースランドの抵抗はこの田舎の町の集団意識の恐ろしさをむざむざと知らしめている。
そして物語の後半は外部の人間は立ち入りさえも出来なくなってくる。
ヘイヴンを訪れた人たちは青い顔し、嘔吐し、頭痛を感じ、体調がどんどん悪くなっていく。町民たちが何ともないのとは対照的に。これが宇宙船の掘り出しが進むにつれてどんどんひどくなっていき、終いには人間だけでなく車両から飛行機までも変調を来たし、全く以て侵入が出来なくなる。
本書はキングのキャリアの中でも不調であった頃に書かれた作品としてつとに有名なのだが、それを裏付けるように妙にバランスを欠き、かつ妙に粘着質に長々と語るエピソードが織り込まれている。
例えば主人公ボビ・アンダーソンの元恋人ジム・ガードナーがスポンサーの女性の前で大失態を演じるシーンで語られる原発の恐ろしさを泥酔しながらも滔々と語るシーンは異常なまでに長く、そしてしつこすぎるほど内容がくどい。なんと20ページ以上に亘って語られるのである。悪酔いした酔っ払いの戯言の体を装いながらその内容は政府の陰謀論といった狂人めいた発言になっており、妙な迫真性がある。
本書が発表されたのは1987年。そして世界を震撼させた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が起きたのが前年の1986年4月であるから作者もこの事故にはかなり関心を持ち、そして衝撃をもたらされたに違いない。
とここまで書いて私は本書における宇宙船の登場により、人々が“進化”と呼ぶ変化が訪れる諸々の事象はどこか既視感を覚えた。
即ち歯が突然ポロポロと抜け出すこと、目から出てくる血の涙、耳から血が出る、主人公の1人でヘイヴンの異変に取り込まれず、頭の中を読まれることなく、抵抗できる外から来た人物ジム・ガードナーがしかし嘔吐物の中に血が混じっていること、髪の毛が抜けだすなどの描写から連想されるのはボビ・アンダーソンが掘り出した宇宙船とは即ち放射能漏れを起こす原子力発電所のメタファーである。つまり原子力発電所こそは人間が手を出してはいけないパンドラの箱なのだという作者のメッセージが読み取れる。
上に書いた異常現象はそのまま被爆者の症状に繋がる。そして目に見えないが確実に人々に蔓延っているトミーノッカーズは放射能その物のようだ。
更にヘイヴンの町に訪れる人たちが一様に頭痛を訴え、身体の各所に異変を覚える。さながら原発事故が起きたチェルノブイリのように。
つまりキングの本書におけるテーマとは核の、原発の恐ろしさを訴えているのだ。
そしてキングは物語の終盤で明らさまに臨界、チェルノブイリという原子力に纏わる用語を使っている。やはりこの推察は正しかったのだ。
そしてチェルノブイリの原発事故がどんどん拡大し、刊行当時も収束の目途が立っていない、世界の終わりを暗示させる不安感をそのまま作品に持ってきたかのように、キングはどんどんヘイヴンの町を孤立させ、他所からの来訪者を排除する。
しかしこの上下巻併せて1,240ページにも及ぶ大著である本書は、それまでの大作と異なり、やはりかなり困難を感じた読書になった。
先に書いたようにキングが本書でやりたかったこと、訴えたかったメッセージは判るものの、それがスムーズに物語に結実していなく、また鬱病患者特有の長々とした説教めいた、狂人の主張が折々に挟まれていることでバランスを欠き、物語としてなんともギクシャクとした印象を受けるのだ。
例えば物語の主人公の2人、ボビ・アンダーソンとジム・ガードナー。それぞれ2人の設定はウェスタン小説家と詩人であること、またジム・ガードナーは離婚歴があり、これが酒を飲んだ挙句に口論となった妻の頬を拳銃で撃ち抜いたという凄まじい過去がある。しかしこれらがあまり物語に寄与していない。
ガードナーが唯一トミーノッカーズの侵略を免れた理由は頭に手術によって金属板が埋め込まれていることで思考を周囲から読み取られることができないからだが、この設定も唐突に表れ、違和感を誘う、というのもガードナーは一度はボビ・アンダーソンとテレパシーで会話が出来るようになっているからだ。
このように何とも後付けされたかのような設定が続く。
恐らくは、私も記憶しているがチェルノブイリ原発事故は未曽有の危機だった。原子力という未知のエネルギーが及ぼす影響を、恐ろしさを初めて知った事故だった。
そしてまだ事故の収束が見えなく、被害が拡大し、我々の生活にどのような影響があるのかも見えない刊行当時、作者自身も今まで経験したことのない不安と恐怖を覚えたことだろう。
その動揺が本書には垣間見れる。だからこそ纏まりに書けるのかもしれない。
キングはとにかく書かなければならなかったのだろう。この未知なる恐怖を克服するためにも。
いや作中にガードナーがボビに云うように彼は何かによって書かされたのかもしれない。天から降ってきたアイデアによって。そんな衝動と動揺の産物が本書なのかもしれない。
さて本書の舞台メイン州のヘイヴンはキングに創作による架空の田舎町だが、他の作品で登場した町とのリンクがあり、例えば『IT』の舞台となったデリーはこの田舎町の住人が時折遊びに行く繁華街となって描かれる。また“IT”ことペニーワイズもカメオ出演するというサーヴィスぶりだ。
また昏睡状態から目覚めたら超能力者になっていたジョン・スミスという青年のエピソードが出てくるがこれも『デッド・ゾーン』の内容だ。そして異変が起きているヘイヴンの記事を書く新聞記者デイヴィッド・ブライトはジョン・スミスのことを記事にした男である。
そして物語の終盤に出てくる“店(ショップ)”という政府機関は『ファイアスターター』でチャーリー親子が逃げ出した超能力者たちの研究所である。
つまり過去の作品へのリンクをこれほど導入し、これだけのページを費やした本書はある意味キングが紡ぎ出してきた世界観を継承する大作という位置付けだと思われるのだが、キングにしては珍しく精彩を欠いた内容になった。
しかし本書に書かれている物は後のメディアやキング自身の作品に影響を与えた萌芽が見られる。
例えばボビ・アンダーソンが作り出したおぞましい人間電池の機器は後の映画『マトリックス』で出てくる人間電池そのものを想起させるし―世間では『攻殻機動隊』からのインスパイアと書かれているが、多分に本書も影響していると思われる。なぜならこの映画の主人公ネオの最初の登場時の名前はトーマス・“アンダーソン”だからだ!―、町の外側からの来訪者を徹底して拒むため、一旦入ってくると頭痛と吐き気などを及ぼす“障壁(バリア)”を張るヘイヴンの町は町の人がドームによって外に出ることが出来なくなる後のキングの大著『アンダー・ザ・ドーム』の裏返しだ。
また物語のクライマックスでボビ・アンダーソンの住まいの森から火事が発生するのは小野不由美氏の『屍鬼』のそれを想起させる。
本書はキングのキャリアの中でも絶不調だった時期に書かれた作品と云われているだけに確かに今までの作品に比べると冗長な語り口が目立ち、そしてチェルノブイリ原発事故に影響された記述が過剰な熱を帯びて空回りしているきらいがあり、作品としての纏まりに欠ける部分は否めない。
確かに本書よりも長い作品はあった。
しかしそこに書かれているエピソードはキャラクター達に、物語に深みを与え、実に有機的に機能していたように思える。寧ろそれらエピソードを読むことが楽しかった。
しかし本書はとにかく書きたいことが整理される前にマシンガンの如く書き連ねられているだけで、ストーリーとしても一貫性に欠けるきらいがある。引き算が全くなされてないのだ。
しかしそれでも本書は上に書いたように後の映画や小説に与えた影響―キング自身の作品も含めて―を考えるとそれなりに無視できない作品ではある。
今は2021年。
チェルノブイリ原発事故や東海村の臨界事故、1999年のノストラダムスの大予言、それらを経験しながらも我々は今、世紀末を乗り越え、ここにいる。
しかし1987年に刊行された本書は世界の終わりを感じたキングの絶望と恐怖が如実に表れた作品となった。
あの事故が起きた時、人々はどう思ったのか。
そんな歴史の足跡の、証言として本書を捉えるとまた違って見えるが、しかしキングの名を冠するのであれば、やはり改稿して再刊すべきではとの思いが拭えない、そんな思いを抱いた作品であった。
▼以下、ネタバレ感想