忍法創世記
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忍法創世記の総合評価:
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全1件 1~1 1/1ページ
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当書は今までの主流の忍剣のスピンアウトとなる、成り立ちを記した作品。なので全体的には説明的要素が多く、また中盤はいつもながらのトーナメント方式で中だるみでだらだら感は否めない。が後半はスピード感もあり、きっちりと話を収束させられる山風節。内容としては室町初期にまで遡り、柳生/服部はもとより、足利義満、世阿弥、中条兵庫ほかほか当時のスーパースターが勢ぞろいでそれだけでも十分楽しめる一冊。 | ||||
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忍法帳シリーズに外れ無し。マンネリ化せずに一定水準を続けることが如何に凄いことか。色々と一つ一つの作品には意見はあろうが、刮目して読むべし! | ||||
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週刊誌連載以後、約30年間も陽の目を見なかった“幻の長篇忍法帖”。解説の縄田一男はテーマが三種の神器争奪なのでそれが影響したと見ているが、神器の争奪は史実だし、読んでみると特に朝廷を侮辱する内容でもない。単行本化されなかったのは、単純に著者が出来に不満だったからではないか。 時代は足利幕府全盛の室町中期で、南北朝(1336ー92)の争いの末期。主役は創作キャラの柳生三兄弟と服部三姉妹。これにからむ実在キャラは史上初の剣法流派創始者・中条兵庫助(将軍家指南役)、世阿弥とそのスポンサーたる将軍義満、その宰相である管領・細川頼之など。 義満は北朝主導の南北合一をもくろみ、さらに自らが皇位につくことを狙っている(史実)。中条と世阿弥は、足利幕府に仕える身でありながら反北朝の陰謀に加担する。 中条は南朝系のマイナーな別流である大塔(おおとう)派のブレーンとして、いざとなれば神器を奪ってでも北朝主導の南北合一を阻む準備を進め、柳生に剣法を移植する。 一方、世阿弥(伊賀・服部出身)は楠木氏との血縁から南朝の神器防衛に肩入れし、楠木流の忍法を服部に移植する(忍法の源流は楠木正成という解釈)。剣法と忍法の創世記が描かれる。 キャラ設定や展開がねじれて筋を追いづらい欠点はあるものの、実在キャラと創作キャラのバランスは取れているし、創作キャラは魅力的な性格設定だ。展開は少々窮屈だが、風太郎の特色である虚無的な味わいとオチが決まる終幕も納得できる。 風太郎は神器にフォーカスし、辻褄の合わない非合理性を指摘する一方、超越的な拘束力を持つことを登場人物に語らせる。登場人物はみな、そのわけのわからない品物に翻弄され破滅していく。神器という非合理な存在に運命を狂わされる愚かさが描かれる。 風太郎は義満に「あれほど世に奇怪なものはないのう。・・・かほど天下の歴史を司り、運命決する宝器にして、その実体はいかなるものか、何人といえども見たことがない」と言わせる。自らを天皇に擬した義満が神器の実体を自分の目で確かめようとするのが物語のハイライトだ。 風太郎はまた、満州国皇帝・愛新覚羅溥儀が東京裁判で述べた「天皇は私に三種の神器を見せ、そのうちの剣と鏡を私に与えた」という不可解な証言を引用している。この剣鏡はコピーなのか本物か? | ||||
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欲しい本だったので、安価に入手できてアマゾンは便利だなあと再痛感しました。 | ||||
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忍法帖で未刊行のものがあったと知ったときは驚いた。 本書が刊行されたとき、気を失うのではないかと思うくらい興奮したものだ。 本書を読了して、あらためて山田氏自身の自作への辛口の評価にヤキモキしてしまった。氏のこの評価ゆえに刊行されない作品がまだあるのではないかと落ち着かなくなってくる。 で、本作なのだが他の忍法帖とくらべてみると中の上くらいの出来だと思った。そう、いままで刊行されなかったのが不思議なほどおもしろかったのだ。 本書は、忍法帖に散見されるトーナメント形式で物語がすすめられていく。鏡像ともいうべき、敵、味方が同じ人数、同じ技、同じ条件で戦っていくというあのパターンである。 しかし、本書にはそこに三種の神器がからんでくるので、少し様相が変わってくる。それと時代が室町に設定されているところにも注目したい。柳生と伊賀の戦いを描いているのだが、この時代まだどちらも後年のようにその技が確立されていないのである。だからそこにプロ同士の完成された戦いではないユーモラスな味が出てくるのである。 後年、山田氏がもっともおもしろい時代だと注目していたこの室町時代物のさきがけとなる作品でもあり、忍法帖最後の作品でもある本書はそういった意味でも重要な作品なのではないかと思う。 本書もいつもの例にもれず、やはりラストは壮絶なものとなる。まさしく鮮やかな反転だ。本書を読んで権力に翻弄される登場人物たちに乾いた哀しみをおぼえるのはぼくだけではないだろう。 | ||||
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作者が駄作の烙印を押しこれまで日の目を見る事のなかった幻の忍法帖。 しかし、作品の完成度は高く忍法帖の水準をはるかにクリアする作品でした。 ではなぜ作者がお蔵入りにしたのかというと、今作は三種の神器がテーマであり その設定がある方面から苦情が出、やむなく途中からストーリーを変更したため ではないでしょうか。 現に、前半と後半ではストーリーの主軸が全く違います。 「大義親を滅す」を嘲笑する山田風太郎が、初めから後半のストーリーをこのように 考えていただろうかと思ってしまうのです。 ともあれ、風太郎ファンならばぜひお勧めしたい忍法帖です。 | ||||
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