八犬伝: 山田風太郎傑作選 江戸篇
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「八犬伝」と聞いて筆者が真っ先に思い出すのは昔NHKの人形劇でやっていた「新八犬伝」だ。坂本九がナレーションをしていた。その後もドラマ化・映画化されたりノベルズでリライトされたりしたのを目にしたはずだが、物語の断片的な場面や「八犬士」が殿様の婿になる結末ぐらいは覚えているのだが、物語の全容はよくわからない。 その「八犬伝」を山田風太郎氏が取り上げていたということを、この度、本作品が三度目の文庫化で知り、虚実の構成に興味を惹かれて購読。 まず元の物語が読みやすくて面白い。さらに馬琴が北斎に物語の構想を語り、北斎がいくつかの場面を選んで絵にするという趣向の面白さ。メタフィクションであって同時に徹底的にフィクションそのものである。 読んでいて全く古びたところがない。これはどれほど大変な作品なのか、なんでこれまで知らずにきてしまったのか。著者の偉大さを再確認する。ところで子供の頃、様々な「八犬伝」を読んだ時には地名に馴染みがなくてもどかしかったのだけれど、最近は千野隆司氏の「おれは一万石」シリーズを読んでいて江戸時代の利根川水系の河川交通に関連する地名に馴染んでいたおかげでだいぶ「土地勘」が持てた。その辺りからも本作品の虚実の気配を味わうことができて楽しかった。 | ||||
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著者が亡くなって間も無く20年になるが、著者に関連する書籍の刊行が止まない。止まない訳が本作品を読むと実感できる。特にこの下巻では心の底からそう思う。 まず本作品が「八犬伝」であり、著者によってその「面白さ」を強化する形で的確に「編集」された「八犬伝」の物語=虚のパートは引き続き面白い。しかし単なる「物語」だけだと飽きてしまうところで、下巻ではメタフィクション的な実の部分がますます冴え渡る。滝沢馬琴と鶴屋南北のやりとりなどが特にそう感じさせる。物語の中で「表現」について徹底的に自覚的な言及がなされる様に「失われた時を求めて」プルーストを連想してしまった。著者がプルーストに言及したところが「日記」の中などにあっただろうかと気になった。しかし一方で実の部分は「評伝」や「ノンフィクション」に寄ることなく作品は一貫して「面白い物語」であり続ける。しかし読んでいるうちに著者と主人公が重なっってくるのは解説の縄田一男氏が的確に述べている通りだ。主人公が表現に関する内心を述べた部分など「私小説」を読んでいるような気になってしまう。それにしても著者の表現の鋭さは本作品でも至る所で発揮されている。 例えば156ページ (主人公のギャグを)なんとも不器用で、それがかえって可笑しいくらいだ。(として) この場合だって、あまりうまい諧謔とはいえないが、内容が笑いごとでない悲喜劇的事実をふくんでいるので、やっぱり可笑しかった。 171ページ 主人公に素行の良い息子の不運の「理不尽」を詰らせて 地上の多くの人間があえぎつつ問いかけるこの最大の疑問に、いま六十九歳の大作家馬琴は逢着し、小説の世界では後に「馬琴神学」と呼ばれるほど滔々千万言の説教をつらねるにもかかわらず、なんら自ら答える言葉もなく、戦慄しながら闇を見つめてたのだ。 357ページ 馬琴は、思いきった怪異の着想家であった。その怪異は、荒唐無稽であればあるほど人を面白がらせる。しかしこれは一歩あやまると、ばかばかしさに失笑させる。面白がらせるのと失笑させるのは紙一重である。 略 馬琴は、この紙一重の判断に狂いが出はじめたのだ。彼の脳髄は、ようやく老化しはじめたのだ。作者が馬琴の物語の紹介法をここで簡略化しはじめたのは、そのためにほかならない。 それにしても物語を主人公の嫁の最期まで引っ張れば本作品は不条理な「純文学」的気配を漂わせたのではないかと思うのだが、。それでも「(御家人として立つことを主人公が期待した孫の死)=それを一年前に馬琴が知らずに死んだのは、天にせめてもの一滴の涙があったと言わなければなるまい。」とあることで、物語世界のそのものが不条理に開かれつつハッピーエンドに踏みとどまっている。本作品の「娯楽小説」としての完成度を紙一重で保っている。 しかし単なる「娯楽作品」にとどまらない自覚的表現である証拠としてヂュマの「三銃士」が「八犬伝」に対照される。 | ||||
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本作を「忍法八犬伝」と混同して、もう読んだと思っていた。未読だったので、再販がありがたい。作者はエッセイで「八犬伝は長年愛読された日本の宝のような作品なのに、最近は読まれなくなってしまった」と嘆いていた。自身の筆力で復活させたのか。 八犬伝のリライト「虚の世界」と作者馬琴の作家生活を描く「実の世界」が交互に現れるという趣向だ。 桜庭一樹の『伏』は本作が元ネタだな。 「虚」は荒唐無稽な伝奇時代劇だ。軽快に話が進む。今読んでも面白い。舟虫の毒婦ぶりがいい。 これは風太郎の力だ。原作は式典の模様に原稿用紙換算で千枚かけるような野放図な長編らしい。現代人は相当な読書家でも読み切れないだろう。 「実」は偏執狂的に細部にこだわる偏屈な馬琴の人となりが興味深い。 悪妻との不幸な家庭生活や病弱な息子のエピソードが痛ましい。現実の悲惨さが夢のように羽ばたく幻想を生んだのか。それほど単純でもないか。葛飾北斎との腐れ縁のような交友関係が微笑ましい。鶴屋南北の芝居を見に行った折に交わされる芸道論が面白かった。 江戸時代を代表する大戯作者の伝記と代表作を同時進行で読める。ユニークな趣向の異色作だった。 | ||||
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